第4話 ばれた

 何度かお説教のために連れて来られたことのある瑛勝の部屋は、星彩の庵よりも数倍広い。主が余計な物を置かないせいもあり、更に空間が大きく見えるのだ。

 瑛勝は椅子に座って執務机に両肘をつき、心細げに鷲を抱いて立つ妹を見据えた。

 怒鳴られるかと身を縮めていた星彩であったが、瑛勝はまず溜め息を吐いた。

「一体どうすればお前を大人しくさせられるんだ?」

 怒りを通り越した、それはもはや呆れであった。

「また厩に行っていたのであろう? 仮にも公女ともあろう者が獣や馬番などと戯れるのはやめんか。その鷲もだ。姫が飼うにふさわしいものではない」

「周迂は友達だよ」

「口利けぬ獣を友などと呼ぶな」

「でも、わたしにはっ・・」

 続くはずの言葉は、しかし瑛勝のひと睨みで止められる。

星彩はうつむき、周迂をより強く抱きしめた。兄はそんな妹の様子にまた溜め息を吐く。

「よく聞け、星彩。今回、恭の太子どのは妃を選ぶために淸へ来られたのだ」

「・・え?」

 顔を上げる。

「兄さま、今、なんて言ったの?」

「太子は妃を選びに来たと言ったんだ」

「・・・ええーっ!?」

「うるさいっ。騒ぐな」

「ご、ごめんなさい・・遊びに来たんじゃなかったの?」

「一国の太子がそんなくだらん理由で国を離れるわけがなかろう」

「誰が結婚するの?」

「それを決めるのが太子だ。言っておくが、お前は元より妃の候補には入っておらん」

「じゃあ姉さまたちの誰かが宗り――じゃ、なくて、太子さまの妃になるの?」

「そうだ。此度の同盟は婚姻による。恭には公女がおらんから、こちらが差し出すこととなったのだ。お前に大人しくしていろと言うのは、太子どのの周りでややこしい事態を起こさせんためだ」

「? ややこしいって?」

「すでにいらん面倒を起こしただろう。茶会に紛れこんでいたことは羅鑑から報告を受けている。お前は一体何がしたいのだ」

「べ、別に、まぎれこもうと思ったわけじゃないよっ。小間使いにまちがわれて茶器持たされて、偶然、道に迷ってた太子さまに会っちゃっただけなの」

「いずれにせよ私の言いつけを守っていれば起き得なかったことだ」

「う・・」

「此度の同盟は多大なる苦労の上にようやく成り立ったものなのだ。ここまで来てくれぐれも邪魔をしてくれるな」

「・・でも、姉さまの縁談でしょ? わたしに何かできることは」

「ない。大人しくしていることがお前にできる唯一だ。わかったら部屋に戻り外には出るな」

「・・・」

「返事」

「・・・はい」

 瑛勝の部屋を退出し、星彩はとぼとぼと帰路につく。怒られたこともそうだが、聞かされた訪問の目的に衝撃を受けたからでもある。

「・・・周迂、姉さまが結婚しちゃうんだって」

『うむ。そう言っていたな』

「もしかして今日のお茶会はお見合いだったのかな?」

『かもしれんな』

「同盟のための結婚、かあ・・・公女、だもんね。いつか、こういう日も来るよね」

 詩を詠み琴を演奏するだけではない。公女の一番大きな役目はそれだ。

 国のため、見知らぬ相手に嫁ぐこと。

 好きも嫌いも問われず、命じられて故郷を去り、心を通い合わせぬままに花嫁となる。星彩だって、公女である限りはいずれ誰かに嫁がされるだろう。ただ、今回は相手が一国の太子であったために、母が庶民の出である身では釣り合わず、候補から外されたというだけのことなのだ。

「姉さまが恭に行っちゃったら、もう会えなくなるかもしれないよね? お話しするのも遊んでもらうのも、できなくなっちゃうんだよね・・」

『うむ。そうだな』

「・・・周迂。わたし、姉さまに何かしてあげたいよ」

『うむ?』

 腕の中の周迂が嘴を上に向けると、思いつめたような星彩の顔が見える。

「結婚は仕方のないことだとしても、姉さまには幸せになってほしいもん。だからわたしにも何かできること――――たとえば贈り物なんか、できないかな? 幸せな結婚生活になるような、すてきな贈り物をしてあげるのっ。どう思う?」

『うむ。良いのではないか?』

「だよね!」

『だが何を贈るのだ?』

「それが問題だよね。何を贈れば姉さま、喜んでくれるかな?」

 三人の姉の顔を思い浮かべ、唸る。まだ相手が確定していない中、気に入る物を考えるのはなかなか難しい。

「庵の物置を探してみようかな。母さまのが少し残ってたはずだから」

 急いで後宮に帰った星彩は、さっそく寝室兼客間の隣、物置きとなっている部屋を探った。そこには母の物をまとめてしまった大きな葛籠がある。

 他にも色々な大きさの葛籠がたくさんあるが、中身は壊れた人形や擦り切れた布など、がらくたのようなものばかりで、とても贈り物にはならない。

 大きな葛籠の中には、わずかばかりの簪や首飾り、髪飾り、年季の入った絹の衣、などなど。結局、ここにも若い姫に贈るものとしてふさわしいものはない。

「う~ん、と・・・あれ?」

 せめてきれいな衣の一着くらいはないか根気強く探っていると、底に一冊の書物を見つけた。古そうだが、比較的保存の状態が良い。虫にも喰われていない。

「なんだろ?」

 ぱらぱらとめくってみれば、それは星彩もよく知っている、有名な物語だった。

「これ、建国の伝説だー」

 その伝説というのは、次のようなものである。

 ―――淸国を建てた初代王、高祖はある日夢を見た。天から舞い降りた天女が、高祖の手を引き、どこか知らぬ土地へと連れて行った。そうしてやがてこの地に立つであろう、国の栄華を高祖に語り聞かせた。目が覚め、高祖が夢で見た場所を探し当てると、赤い鳥の留まる木に、天女がしていた羽衣が結びつけてあった。夢が現実であったことを確信し、高祖はこの地に淸の都を創った。

「・・・《この天女の羽衣は高祖によって大切に保管されている》って最後にあるけど、見たことないよね?」

『伝説とは、嘘か真か定かではないからな』

「そうなの? でも本当にあるなら見てみたいなあ、天女の羽衣。きっとすごくきれいな物なんだろうなあ」

 そこまで言って、星彩はふと思いついた。

「―――そうだ。ねえ、これを姉さまにあげられないかな?」

『羽衣をか?』

「うんっ。建国に関わった宝物だもん、きっと喜んでくれると思わない? それに姉さまたちは天女みたいに美しいってみんな言ってるし、ぴったりだよ。どこにあるのかな?」

『あるとすれば王が知っているのではないか?』

「そっか。じゃあ父さまに羽衣を贈らせてもらえないか頼んでみよっ」

 今の時刻は夕方。王は私室に戻っている時間帯だ。

兄に部屋を出るなと言われたばかりだということはすっかり頭から抜け落ちて、星彩はすでに庵を飛び出した。



**



 城の業務が終わったであろう頃を狙い、宗麟は所定の手続きを済ませて淸王の私室を訪れていた。門番に剣を預け、従者は外に待機させ、一人だけで中に入れば、立ち木の多い庭に面した椅子に、老いた王が深く腰掛けていた。

 宗麟がやって来たのに気付くとわずかに眉を動かしたが、すぐに視線を元のように戻す。手足も顔も皺深く、すっかり小さくなった体を椅子に埋めた姿は、宗麟の父とよく似ている。違うのは、その瞳にいまだ残る強い光だ。それが消えぬうちは、現王はいましばらく続くのだろう。

 宗麟は老王の横に立ち、共に庭を眺めた。

「見事なものですね」

 穏やかに時が流れる夕暮れの中、宗麟もまた穏やかな心持ちで呟いた。相手は特にこちらを気遣うふうでもないため、構える必要を感じなかった。

「昼間の茶会で見た庭園も素晴らしいものでしたが、こちらの方が落ちつきます」

「・・・他所の庭は、良く見えるだけであろう」

 淸王の言葉はそっけない。大げさに褒めて逆に機嫌を損ねたのかと思いきや、王に特別変わった様子はない。ただじっと庭を見つめている。

「何かありますか」

「・・・いや」

 あまりに微動だにしないので尋ねてみたが、王はゆっくりと頭を振った。

「大したことはない」

「そうですか」

「・・・余に何用であったか、太子どの。早う済ませねば夜が来よう」

 本題に入ろうとしない相手に痺れを切らし、王が自ら促す。

宗麟がわざわざここへ訪れたのは、少し聞きたいことがあったからである。どうしてもということはないが、これも妃選びのための一環だ。

「こちらも大したことではないのですが・・・この度、私の提案を受けてくださったのはなぜなのであろうかと」

 恭の要望を聞くことに淸として意図があるのか、知りたいのはそういうことだ。

「どの娘でも、やるは変わらぬ。そちらで選びたいと申すのであれば、余は構わぬ」

 王は吐息とともに、低く漏らした。

(どの娘でも変わらないというのは、外戚の勢力に差がないということか?)

 三人の公女は皆、母親が違う。母親が有力貴族の娘なら、今回の結婚にはうるさく口を出してこよう。王とてそれらの意見を無視はできない。恭の少々無礼とも言える要求に頷いたのは、三方からの口出しがどれも強く、恭へやる娘を王自身が決めかねたのではと邪推ができる。

(家による寵愛の違いはない、か?)

 そこでもう一つ質問を重ねた。

「では、もしこんな提案がなされなければ、王はどの姫を恭にくださいましたか?」

「・・・年を見るなら、紅淑がよかろう」

 相変わらず庭を見つめたまま、王は宗麟に一瞥もくれない。適当、といえばそんな口調であった。この場は軽くあしらわれていることを悟って、宗麟はひとまず問いを切り、王に倣って庭に目を遣った。

 夜を運ぶ風が、整然と並んだ花や、木々を揺らしている。

「・・・それで、終いか。であれば――」

 王が場をしめようとしたそのとき、がさがさと、庭の片隅の茂みが不自然に大きく揺れ出した。

「―――ッ!」

 宗麟は咄嗟に身構えるが、ころん、と茂みの中から転がり出たのは、思いのほか小さなものだった。それは、ぱんぱん、と着物を叩いて土を払うと、一緒に出て来た鷲と共に満面の笑みで駆け寄ってきた。

「父さまこんばんは! あのね―――」

 が、途中でぴたりと止まり、娘は丸い目を更に丸く見開く。

「・・・宗麟?」

 なぜここにいるのか、とでも言いたげに、娘は困惑した表情を浮かべている。

「・・・星彩?」

 宗麟も宗麟で、驚きを持って娘を見つめた。

 昼間にも会った娘は、このときも町人のような格好をしていた。ただし髪は貴人がそうするように長く、しかしがたがたの三つ編みはみすぼらしい。まだあどけない顔に化粧気はなく、やはり小間使いのようにしか見えない。なのになぜそれがいきなり茂みから現れたのか、咄嗟にはわからなかった。

「・・・お、お邪魔しました!」

 娘は慌てて踵を返す。が、宗麟はすかさず大きく足を踏み出しその細腕を捕まえた。

 娘はびくりと体を震わせて、宗麟を見上げる。とんでもない失態を犯してしまったと、青くなった顔がありありと物語っていた。

 宗麟は娘を捕まえたまま、王へと目を向けた。

「第四公女がいらっしゃったとは初耳です」

「っ、ち、ちがうの宗麟! これはその・・・」

「少し、引っ掛かってはいたんだ」

 焦って言い繕おうとする娘にも、宗麟は言った。

「どうして公子が自分の小間使いをつまみ出すんだろう、ってな。しかも兵士に命じるんじゃなくわざわざ弟を呼んだのはなぜだろうと」

「・ ・ ・」

「なぜお隠しに?」

 問われた王は、一度目を伏せ、髭の間から細く息を吐いた。

「・・・それの母親は、町人であった。太子妃には向かぬと判断し、事前に候補から抜いた。であれば紹介も必要なかろう」

「・・・そうですか」

 ちらりと下を見遣れば、星彩はとても申し訳なさそうに縮こまっていた。その腕を離してやると、娘は腰を折って深く頭を下げた。

「黙っててごめんなさい、宗麟。わたしは礼儀知らずで、みっともないから、公女だなんて言えなかったの。どうか怒らないで」

「怒ってはないさ」

 子供の頭に手を置いて、安心させてやろうと笑顔を作った。しかし星彩は落ちつかず、わたわたと両手を振って訴える。

「あの、あのね! わたしはほら、こんなだけど、これはわたしだけだから! 姉さまたちも兄さまたちも父さまも、みんなすっごく立派な人だよ! だからお願い、淸のこと誤解しないで! みっともないのも恥ずかしいのもわたしだけなの!」

「星彩」

 王が、わめき続ける娘を呼んだ。

「お前は何用であったのだ」

「あ、でも、父さまは宗麟とお話し中だったんでしょ? また後で来るよ」

「俺の事は気にするな。先に用を済ませていいぞ」

 宗麟からも言ってやる。最低限知りたいことはひとまずわかったから、その程度は構わない。

 二人に促され、星彩はやや喋りにくそうではあったが、父の側へ寄っていった。

「あのね、父さまに聞きたいことがあるの。天女の羽衣が、どこにあるか知ってる?」

「天女の羽衣?」

「ほら、建国の伝説にあるやつだよ。あれを結婚する姉さまへの贈り物にしたいの」

「・・・婚姻の話を、誰から聞いた?」

「瑛勝兄さまだよ。邪魔するなって言われたから宗麟に会わないようにしようと思ったんだけど・・・ごめんなさい。まさか父さまのお部屋に来てるとは思わなかったの」

「それはもう良い・・・そうか、瑛勝が話したか」

「ねえ、ダメ、かな? 姉さまに羽衣を贈るの」

「・・・あるとすれば、どこぞの物置にでも、それと知らずしまってあるのだろう」

「父さまはどこにあるか知らないの?」

「・・・建国の話は、あくまで伝説だ」

「でも、ほんとかもしれないんだよね? もし見つけられたら姉さまにあげてもいい?」

「好きにせよ」

「ありがとう、父さまっ」

 まだ目的の物が見つかったわけでもないのに、星彩は嬉しそうに飛び跳ねた。

「さっそく明日から探してみる! ―――じゃあ、わたしの話は、終わりです」

 そうして、父と宗麟とを交互に見る。

「・・・あの、わたし、なにかしたほうがいい?」

 隠していた身分、隠しておけと言われていた身分がばれ、星彩としては父にも宗麟にも気まずい思いがあるのだろう。所在なさげに指示を待っている。

「・・・戻って良い」

「え、いいの?」

「うむ」

「それじゃあ・・・」

 ぺこりと頭を下げ、星彩は足元の鷲を抱えて現れた所に戻る。が、その途中で「あ」と思い出したように声を上げ、

「今夜は雨が降るよっ。父さまも宗麟もあったかくして寝てねっ」

 それだけ言い残し、また茂みの中に消えた。

 娘の去った茂みを見つめたまま、王は動かなかった。今にして思えば、この老人の視線はずっとあの茂みに注がれていたように思う。

(第四公女、か)

 淸王にとっては、七番目の子。しかも母は庶民。いわば末席に位置する第四の姫。おそらくはその身の上ゆえに公には出されず、まともな着物も装飾品も与えられてはいないのだろう。貴族ばかりの王宮において、平民の血を持つ者の肩身は狭いに違いない。

 しかし、とも思う。

(不遇の姫が、父王の私室に気安く来るか?)

 その日、結局何も語らなくなってしまった王のもとを辞去し、宗麟は考え事をしながら門をくぐる。

「収穫はございましたか?」

 待っていた家来にさっそく成果を尋ねられたが、宗麟は答えず手の平を上へ向けた。

「雨だ」

 薄暗い内から降り出した雫は、一晩に渡り続いた。

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