第12話 和解
「――あ、戻って来た」
わざわざ待っていたのか、政務室に戻る廊下の途中に、家臣らの面々が揃っていた。
「あれ、星彩はどうしたんだい?」
李舜が宗麟の後ろや周りをきょろきょろするが、生憎といくら探そうが妃の姿はふない。
「他にやることがあるらしい。というかお前が気安く名を呼ぶな」
「いいじゃないか別に。君のことだって呼び捨てにしてるんだから」
「星彩さまの御用事は何だったのですか?」
韓当が真面目な口調で尋ねた。
「尋常でないご様子でありましたが」
「ああ、それに妙な事を言っていたね。叔母上たちの御名を出していたが」
「・・・お前と幽鬼のせいで、星彩は泣くはめになったんだろうな」
じと目で見返す宗麟から李舜は視線をあさっての方向に逸らす。実は星彩が漏らすまでもなく、李舜は自分から芙蓉の話を聞かせたことを宗麟に露呈してしまい、胸倉を掴まれたのだ。
「どいつもこいつも勝手ばかりだ。当の本人をすっ飛ばして話しやがって」
「口が悪いですよ陛下。幽鬼に恥ずかしい秘密でもばらされましたか?」
徐朱がからかうように言う。あながち間違っていないから余計に腹が立つ。
「あのー」
のんびりとした口調で伯符がずいと前に出た。
「非常にどーでもいい話は置いといて、いい加減、僕の案件を片付けてくださいませんか。仕事が進まないんですけど」
他の臣や妃にまで邪魔されて、彼も不機嫌そうだった。
宗麟は書簡を受け取り、広げて眺めながら政務室に向かう。ところが韓当や徐朱、伯符はともかくとして、なぜか用の無いはずの李舜まで付いて来た。
「なあ宗麟、何の話だったんだい?」
どうも、それが気になるらしい。そもそも李舜が城にやって来たのも星彩に会うためであったのだから、無理はない。
「星彩は叔母上たちのことで何を知っているんだい?」
「全部だよ」
書簡を眺めながら、背後に答える。
「おい、ちゃんと説明したまえよ」
「はいはい、あとでな」
「適当にあしらわないでくれ」
「あ、そうだ―――」
李舜に言い掛けて顔を上げたとき、前方からちょうど縻達がやって来た。
「陛下、このようなところにいらっしゃいましたか」
縻達はうやうやしく礼を取る。
思えば先王の時代から、長くこの国で宰相をやっている男だ。あの争いの時も、彼は王の傍らにいた。
「縻達、燕尾宮に行く手配をしておけ」
「は?」
「準備ができ次第出発でいい。星彩も連れて行くからそのように」
「・・・」
珍しく、縻達は即答せず沈黙した。
李舜や、韓当たちも驚いて宗麟を見つめている。
「昨日の今日で、どういった御心変わりが?」
ややあって縻達が尋ねた。
「俺は誰も憎まなくていいらしい。母上も父上も、宗麒も、お前のこともな」
「・・・」
「母上のことに関しては、完全に俺の勘違いだった。そのせいで幽鬼になってしまったらしいし、詫びの一つもいれねばならんだろう」
「・・・承知いたしました」
縻達は眉をひそめつつも、畏まって引き受けた。
「ご事情はよくわかりませぬが、その御心は結構にございます。三日ほどで手配いたしましょう」
「まかせる」
「御意。――が、一つだけ、よろしいですかな」
「なんだ」
「また、妃殿下が何ぞなされたのですか」
ほとんど確信を持っている問いだ。
宗麟はつい、笑ってしまった。
先ほど見た五年前の光景や、頭中に響いた連珠の声、一瞬のうちに蘇った木の不思議、ついこの間、恭に来たばかりの娘が過去を誰より詳しく語る理由を、頑固宰相は信じるだろうかと思ったのだ。
「言ってもお前が混乱しそうだから、今はやめておく」
「・・・あのお方が、私には理解し難き御人であるというのは存じておりますが」
老人は、はあ、とあからさまな溜め息を吐いた。
「陛下にはそれが良いようでございますな」
「まあな」
頷くと、後方から「ふうん?」と声が上がった。李舜が顎に手を添えて、まじまじと宗麟を眺めていたのだった。
「星彩は本当に、君を支えるために恭に来たようだね」
そうして楽しげに笑う。
「不思議な子だ。もっとあの子のことが知りたくなったよ。よし、今から会いに行こう」
喜び勇んでくるりと踵を返した彼の襟首を、宗麟はすかさず掴んだ。
「悪いが李舜、すぐにでも燕州に出立しろ」
「は!?」
「見ろ、お前が暢気に帰還してる間に、また胡族が動き出したとの報告が届いたぞ」
宗麟は伯符から渡された書簡の文面を示した。李舜は素早くそれを受け取り、愕然とする。
「う、うそだろ・・・」
「いつもより早いな。何かあるのかもしれない。そこのところもよく探ってこい」
「そんな! せっかくこれからしばらくは小さくて可愛いものに囲まれて暮らせるはずだったのに! またムサゴツイ兵ばかりの砦に戻らなきゃならないっていうのか!?」
「頑張れ」
「心がこもってない! ―――くそう、こうなったらせめて最後に星彩と思う存分っ」
「星彩なら出掛けてるぞ。あとお前を見たら逃げろと言ってある」
「君は鬼か!?」
「牢に繋がれるよりマシと思え」
「くそう私も早く可愛い嫁が欲しい!」
「無理でしょうね」
叫ぶ李舜に徐朱が返した言葉には、誰もが異を唱えなかった。
**
「え、李舜もう行っちゃったの?」
欄干に腰かけながら、星彩は宗麟に尋ねた。
「あんなんでも名将だからな。あいつがいれば燕州はひとまず安泰だ。嫌でも行ってもらうしかない」
「へー、李舜はすごい人なんだね。お別れの挨拶、ちゃんと言いたかったなあ」
「どうせまた来るさ」
人気の無い廊下で、二人は夜着の上に分厚い衣を着込み、外で月を眺めていた。
そうして、人を待っていた。
「あっ」
月光の降るもと、どこからともなく女が一人、現れた。
「こんばんは!」
芙蓉は、今夜は泣いていない。下腹に手を重ねて、深々と頭を下げた。
「そこに、いるのか?」
宗麟には、やはり姿が見えないようだ。星彩の視線を辿って、大体の位置に目をやっている。
「うんっ。―――芙蓉、宗麟はぜんぶわかってくれたよっ。ちゃんとお墓参りも行くからね!」
笑いかけると芙蓉は静かに頷いた。
「母上」
宗麟も、見えない母に語りかけた。
「長い間、申し訳ありません。貴女は確かに、俺と宗麒の母でした」
すると、芙蓉が動いた。
宗麟の側に来て、そっと息子を抱きしめる。その体は宗麟をすり抜けてしまうけれど、心は我が子に触れられた。
「―――」
宗麟が一瞬、目を瞠り、確かに母のいる場所を見つめていた。
芙蓉は空に溶けながら、ふわりと微笑む。
――ありがとう、星彩。ありがとう、――
囁きを残して、消えた。
在るべき場所へと帰ったのだ。
「さよなら、芙蓉」
星彩もまた、微笑んで彼女を見送った。
「・・・行ったのか?」
「うん」
「今、一瞬、俺にも見えた」
「うん。最後だったからね」
「・・・そうか」
「宗麟、寂しい?」
「いや。もう一度会えただけでも十分だ。ありがとな、星彩」
小さな頭に手を置いて、宗麟も笑った。
「――慧㕮、いるの?」
気配を感じて声を掛けると、もう一人の幽鬼が空に現れた。
『芙蓉は、去ったか』
「お別れ言わなくてよかったの?」
『うむ』
「高祖がいるのか?」
さっきのように宗麟は星彩の視線を追う。
「慧㕮も芙蓉をすごく気にしてたんだよっ。でも芙蓉は力の弱い幽鬼で、慧㕮が近づいただけで消えちゃうから、わたしに助けてほしいってわざわざ言いに来てくれたの」
「ふうん」
『もっとも、あの女は余のことなど気を乱す厄介者としか思うておらなかっただろうがな』
皮肉げに慧㕮が言う。それに星彩は首を傾げた。
「あれ? 聞こえなかったの?」
『何がだ?』
「芙蓉は慧㕮にもありがとうって、言ってたんだよっ」
消える間際に彼女が最後に囁いた名は、国の礎を築き、死後もずっと恭を見守り続ける存在だった。
「直接話すことはできなくても、慧㕮の心配する気持ちは伝わってたんだよっ」
『・・・』
「よかったね!」
『・・・うむ』
国の英雄は、満足そうに頷いた。
「そういえば、高祖は美女に目がなかったらしいな」
ぽつりと宗麟が呟く。
「妾が後宮に入りきらなくて、別に宮を用意するほどだったとか。母上を気にしてたのは、そういうことか?」
「? そーゆーことって?」
「惚れたんじゃないか?」
「え!?」
慧㕮を振り見ると、腕を組んでむすっとしている。
『だから、このガキは好かんのだ』
「当たってるの?」
『ふん』
「あ、そっぽ向いちゃった」
「図星か」
『余が見えぬくせに、うるさい奴だ』
わずかに宗麟をねめつけて、慧㕮は空の高くに飛んだ。
『よいか、そなたは消えた命を忘れるな。今在る命を大切にせよ。――人の上に立つは人だ。そなたの覚悟、これから長い時をかけて見定めるとしよう』
恭国の初代王は、若き王に聞こえぬ声で言葉を授け、溶けるように姿を消した。
それでも気配はこの城に留まっている。彼の望みは国の行く末を見届けること。
これからもこの国で起こるすべてを見守る。時に、何もできない自分に苦しみながら。
「――またね、慧㕮!」
星彩は皆に聞こえない声も聞けるから。
いつでも、彼のもどかしい胸の内を聞いてあげようと思った。
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