第6話 賭神、降臨
「・・・」
星彩はひたすらに困り果て、手元の札を見つめていた。
「賭け金は十っ! さあ張った張った!」
勝負には加わらない店員が音頭を取って、ぱあんと景気よく手を叩く。
星彩と対戦しているのはいずれも強面の男たち。おそらくは街のゴロツキ連中で、それぞれに持ち金を数枚、自分の前に出した。降りる者は一人もいない。
星彩は隣の鬼嚢を振り見た。すると「行け」と無言で顎をしゃくられる。仕方なく、自分のすぐ横に山のように積まれた銭から一部、差し出す。
「開っ!」
ぱら、と四人が一斉に卓上に九枚の札を見せ合う。瞬間、周囲にどよめきが広がった。
「水生木っ! 水が十五の木が十二だ!」
「すげえ、また嬢ちゃんの勝ちだぜ!」
いつの間にか集まった観衆からは称賛、対する相手からは悲嘆の声が上がる。
星彩の作った役は水生木。木は水によって養われ、水がなければ枯れてしまう相生の関係。星彩は余計な札の一枚も持たず、しかも点数の高い三の札ばかり、水を五枚、木を四枚も集めてしまったのだ。
当然ながら、これに勝てる者はいない。星彩の側の銀銭の山は、再び高くなった。
「やったぜ星彩!」
「う、うん」
こうして鬼嚢に褒めてもらうのも何回目だろうと、星彩は指折り数えてみるが、途中で指が足りなくなった。
「やっぱ俺の見立ては正しかったぜ! おめえには賭けの神が憑いてンだ!」
「そ、そんな神さまいるの?」
だったらもう十分だから帰ってもらえないかなあと、はしゃぐ鬼嚢を端目にこっそりとお願いした。あまりに勝ち過ぎて、だんだん相手が気の毒になってきてしまったのだ。
「他に勝負するヤツぁいねえか!」
鬼嚢が両手を広げて声高に相手を募る。しかし、名乗り出る者はなかった。
はじめこそ、おもしろがって勝負をしてくれる人は大勢いたのだが、星彩が十連勝した辺りからそれは激減した。
今度はなんのズルもない。ただ単純に良い札ばかりが回ってくるのである。相手の手の内を読んだり、出方を窺うなどという高度な駆け引きをする必要もないくらい、半端でなく強い役が、まるで吸い寄せられるように集まる。その異様な強運に、誰もが尻ごみして勝負できなくなってしまっていた。
ところが一人だけ、観衆の中から一歩進み出た者があった。白髪頭で顔のあちこちに傷のある、目つきの鋭い老人だ。
「若ぇの。ガキ使って悪さしちゃあいけねえよ」
低い、渋みのある声で小柄な老人は鬼嚢を睨みつけた。二人の身長差はかなりのものだが、老人はそれにも負けない迫力を有している。
「ンだよ、爺さん」
「おれぁこの店仕切ってる几鍔ってモンだ。十年来やってきて、ここまで大勝ちしたヤツぁいねえ。キサマが裏ぁでイカサマやってたンだろぃ?」
「はーん、言いがかりつけるってか」
鬼嚢は薄く笑う。
「爺さん、俺ぁ確かにせこい賊だがよ、こんなとこで、こんなガキ使って、ちんけな真似はしねえよ。ンなことすりゃあ、男がすたるってモンだぜ」
「実際、すたってンじゃあねえのか?」
「お頭を侮辱すンのか!?」
店内にいた鬼嚢の手下たちが、いきり立って几鍔に掴みかかろうとした。が、それを鬼嚢は片手を上げるだけで鎮める。
「疑うなら、てめえンとこのヤツとこのガキとで、いっちょ勝負しようじゃねえか。爺さんはガキの隣で、イカサマしねえかよぉく見てりゃあいい。俺は離れてるぜ」
「え!?」
焦ったのは星彩だ。
「わたし、鬼嚢がいないと役ができてるのかどうかわかんないよ!」
「ンなのは爺さんに聞け。そんくらいは教えてくれンだろ?」
「ふん。この勝負で負けたら、覚悟しとけよ若ぇの」
几鍔は鼻を鳴らして、先程鬼嚢がいた場所にどっかりと座った。そうして店の男を三人呼び、席に着かせる。
「あの、わたし星彩っていいます。ええと、よろしくね?」
几鍔に一応頭を下げたが、じろりと睨まれてしまった。
隣から重圧を感じつつ、星彩は配られた九枚を見る。
いずれも三の札で、水が三枚、金と土とが二枚ずつ、木が一枚。それから見慣れぬ絵札が一枚。
「あ!」
と思わず声をあげると皆に注目され、慌てて下を向いた。
それから改めて絵札を見る。
深紅の両翼に、五色の鶏冠と長い尾羽。孔雀にも似ている鳥は、紛れもなく、忘れもしない、星彩の故郷の守り神にして一番の友達であった神獣、鳳。
(周迂だ!)
周迂は普段は鷲の姿をしており、星彩もついこの間まではただの鷲であると信じて疑わなかったのだが、恭へと嫁ぐ間際、真の姿を現し別れを告げた。
いつでも側にいられる形に変化して、気付けば本当にいつも側にいてくれた存在。それがどれだけありがたく、心を支えてくれたことか。小さな札に収まった美しい姿を、懐かしく見つめた。
「おい嬢ちゃん」
「っ、はいっ!」
隣から肩を叩かれ、我に返る。ふと周りを見遣れば、いつの間にか星彩が札を交換する番になっていた。
(そうだ、勝負中だったんだ)
気持ちを切り替えて、手札を検討する。
鳳は四枚の役札の一つ。他に青竜、白虎、玄武がある。これらは神獣の中でも別格の四神と呼ばれるものたちで、この遊びでは、それぞれが土以外の札と対応する。鳳は火、青竜は木、白虎は金、玄武は水というように。
今、星彩は鳳を持っているから、火を八枚集めれば役ができる。それもかなりの高得点だ。ただし、同じ札ばかり八枚も集めるのはなかなか難しい。もし集まらなければ役ができなかったということで、得点は入らない。
星彩の手札には火が一枚もない。よって、五回の交換で八枚の火を集めるのは不可能だ。であれば、ここは鳳を捨て、水が多いので、また水生木を狙うのが無難だろう。
しかし、
(・・・周迂、捨てたくないなあ)
大切な友の姿が描かれた札だ。ぎりぎりまで、手元に残しておきたいと思った。
星彩は二枚ある金を場に捨て、目ぼしいものがない場札は無視し、山札から一枚引いた。
「あ」
出てきたのは白虎。真っ白な体に黒い線で模様が入った勇壮な虎。
これも綺麗な絵だ。なかなか手放したいとは思えない。
二回目も役札には手を出さず、土を一枚捨てた。そして山札から一枚取る。
「・・・」
今度は青竜。緑に輝く鱗に覆われた蛇のような体をくねらせ、大きな目を剥いている。白虎の右隣にいれると、二匹がちょうど睨み合っているような格好になった。
(・・・これ、役になりそう?)
鬼嚢に教えてもらった役の中で、確か、まだ作ったことのない役があったことを思い出す。それは滅多にできないものだから、覚えなくてもいいと言われたのだが、印象的な札の組み合わせであったから一度で覚えられた。
星彩は三回目に、思いきって水を捨てた。そして山札から一枚取る。
出たのは玄武。黒い甲羅に仙人の髭のような長い尾がついた亀。淸とは敵対関係にある魯の守り神で、魯は星彩にとって少し嫌な思い出がある国だが、玄武自体が悪いわけではない。姿はやっぱり美しい。
四回目、もう一度水を捨てた。祈るように山札から一枚取り、現れたのは、火の三。
「・・・ねえ、おじいちゃん」
星彩は札を隣の几鍔にもよく見えるようずらした。だがそんなことをする前から几鍔は遠慮なく星彩の手札を覗いており、皺で潰れていた目をぎょっと見開き、体を微かに震わせていた。
「これ、役できてる?」
尋ねると老人は骨が折れてしまうのではないかと心配になるくらい、首を激しく上下に動かした。
「よかった」
ほっとして、五回目は何もしなかった。
「賭け金は・・・」
「待て」
仕切り役の男が金額を提示しようとしたところを、苦虫を噛み潰したような顔の几鍔が止めた。
「よぉくわかった。こいつぁイカサマなんかじゃねえ。もっと性質の悪ぃ、豪運ってヤツだ」
几鍔は星彩の手から札を奪うと卓上に並べた。
「九天九地だと!?」
途端、周囲が悲鳴に近い歓声を上げる。
「え? な、なに?」
男たちがあちこちで叫び、詰めかける中、困惑しているのは星彩ばかり。正直、役ができたというくらいの認識しかなく、どうしてここまで場が湧いているのか、まったく理解できていなかった。
「星彩!」
「わあっ!」
突然、後ろから鬼嚢に抱きあげられ、そのまま肩車されてしまう。膝の上で丸くなっていた天祥は咄嗟に星彩の肩まで駆けのぼり、なんとか床に落ちずに済んだ。
「おめえは神だ! 天女だ! 小賭神だ!」
「ちょ、ちょっと鬼嚢っ、あんまり動くと、お、落ちるっ」
星彩は床や机や椅子の上を跳ねまわる鬼嚢に振り落とされまいと、必死にしがみついていた。
「ね、ねえ、どーしたの? わたし、なにかした?」
「なにかしたって!? 木火土金水の札に、四神の札で九天九地! 滅多にお目にかかれねえ、最っっっ強の役を作りやがったンだよ!」
「そ、そうなんだ?」
なんとなく役札を捨てられずにいただけなのだが、よもやそんなすごいものができるとは、夢にも思わなかった。
もちろん周囲は事の大きさを知っており、なぜかあちこちで星彩を拝んだり、讃えたり。中には御利益にあずかると言って星彩の長い三つ編みから毛を一本引き抜こうとする輩までいた。実際、二、三本抜かれた。
終いには星彩の揃えた札が神棚に飾られ、鬼嚢の手下が星彩の座っていた席にその名を彫っていた。
「こんな騒ぎになっちゃうほど、すごいことなの?」
「ああ! 九天九地なんざぁ作れンのは、まさしく神しかいねえンだ!」
「偶然なんだけど・・・」
「だから神だってンだよ!」
その後、店内を肩車されたまま一周して、ようやく降ろしてもらった。
「はーびっくり」
「疑って悪かったな、嬢ちゃん」
几鍔がきっちりと頭を下げて謝った。
「おめえさんの運は本物だ。こんなすげえモンを見してもらえるなんて、冥土の土産にしちゃ贅沢過ぎるぜ」
「そんな、偶然だよっ。もう二度とできないと思うもの」
「いやあ、嬢ちゃんなら何度でもできちまいそうだ。悪ぃがよ、ここにゃあもう、おめえさんの相手になれるヤツぁいねえ。今日のとこは勘弁してやってくんねえか」
「うん、わたしももう十分! これ以上やったら頭が壊れちゃうかもしれないよ」
ほとんど運の勝利ではあったものの、星彩だって星彩なりに考えながらやっていたのだ。十何回もの勝負で、すっかりクタクタになっていた。
「星彩、これどうするよ?」
鬼嚢が積み上がった銀銭に腕を乗せ、上機嫌に尋ねる。
「こンだけありゃあ、一生遊んで暮らせるぜ? 妓楼の下働きなんざ辞めちまえよ」
「それはダメだよっ」
星彩が下働きをしているのは、泊めてもらってご飯を食べさせてもらったお礼なのだ。大金が手に入ろうが入るまいが、関係はない。
「そうだっ、鬼嚢にあげるよ。もともとは鬼嚢にお金借りて遊んだわけだし」
「・・・は?」
当然のことだと思ったのだが、本人にはぽかんとされた。
「おまっ、よく見ろよ大金だぜ? これをそっくり、俺にやっちまうってのか?」
「だってこんなに持てないもん。どうぞ鬼嚢たちで分けてっ。楽しいことを教えてくれたお礼っ」
笑顔を向けるとなお一層、呆れたような顔が返ってくる。
「・・・星彩よぉ、あんまし無欲でも、人間ってなあ問題なんだぜ?」
「? よくわかんないけど・・・あ、だったら一枚だけもらっていい?」
星彩は山の上からひょいとつまんだ。
「天祥、これでお菓子買おう!」
『やった! おかし、おかし!』
星彩は天祥と喜び踊りながら、さっそく菓子屋を目指して店を出た。
「・・・ガキ、ってことだよな」
その背を見送り、鬼嚢はどっと疲れたように肩を落とした。
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