第14話 追いかけっこ

「うわあああああああああああああああああっ!」

「うぎゃああああああああああああああああっ!」

 少年と少女の悲鳴が、静かな城内にこだまする。

 遊びに入った舞妓の宮で、練習から外され泣いていた小蓮を拾ったまでは穏やかだったのだが、その後、楊佳の足止めをお願いしていた蘭蘭が飽きて星彩を探しにやって来たのに合流し、大混乱となった。

 巨大な虎に小蓮がまず悲鳴を上げて逃げ出し、蘭蘭が野生の本能で思わず追いかけ、星彩と瑞其が後を追い、と思ったら狙いを変えた蘭蘭に襲われ、逃げ回っているうちに星彩と天祥は、

「あははっ! こっちこっち!」

『追いかけっこ~』

 と、遊び状態に入ってしまい、誰も収拾をつける者がいなくなってしまった。

『ほーらガキどもぉ、逃げないと食べちゃうわよぉ♪』

「きゃーっ」

『きゃーっ』

 蘭蘭はもちろん本気ではなくて、それがわかっている星彩と天祥は暢気に逃げ回っていられるが、瑞其と小蓮はそうもいかない。

「いやあいやあいやあっ! 私の短い一生が終わってしまううううっ!」

「こ、こんなところで終わってたまるかあああっ!」

 瑞其はあるところで立ち止まると、剣を抜いた。

『なあに坊や? やる気?』

 舌をなめずり、蘭蘭は試しに吼えてみせた。

「っ・・・」

 獣の咆哮に圧倒されて、瑞其は一歩下がったが、そのとき片足が何かを踏みつけた。

「みぎゅっ」

「!? なんだ!?」

「私ですぅっ!」

 小蓮がすぐ後ろで転んで倒れていたのだ。

「何をしている!? 早くどけ!」

「腰が抜けたんですぅぅっ!」

「はあっ!?」

 ともあれ、瑞其はそれ以上さがることはできなくなってしまった。

 半泣きの子供が二人、大虎と対峙している。

「お、星彩」

 後方から声を掛けられ振り向くと、側近の二人を連れた宗麟が、ちょうど渡り廊下を歩いて来ているところだった。追いかけっこに夢中になっていたら、いつの間にか政務室のある方へ来てしまっていたらしい。

「おはよう宗麟! 韓当! 徐朱!」

「おはよう」

「おはようございます」

「いえあの、暢気に挨拶してる場合じゃないですよね?」

 平然としている主や同僚を半眼で睨みつつ、韓当が言った。

「見間違いでなければ、あそこにいらっしゃるのは亜の公子さまだと思うのですが」

「うん! そうだよ!」

「ええと・・・どういう状況なんです?」

「追いかけっこ!」

「・・・星彩さま、できれば詳しくご説明願えませんでしょうか。今朝から公子さまが行方不明だと、亜の使者たちが散々騒ぎ回っているのですよ?」

「え、そうなの?」

「亜の連中は、公子が神隠しに遭ったとか言ってたぞ。どこから連れ出したんだ?」

「えとね、天祥に雷で格子を切ってもらったの。あ、ちゃんと元通りにくっつけたから平気だよ!」

「へえ、そんな器用なことができるのか」

『えっへん!』

 宗麟に感心されて、天祥は鼻をつんと高く上げた。

「それで、どこに連れて行ってやったんだ?」

「厩と、兵舎と、玄じいのとこと、中をぐるーっと回って舞妓の宮に行ってー、蘭蘭と合流してからはずっと追いかけっこして、気付いたらここまで来てたよっ」

「追いかけっこだと思われているのは、おそらく星彩さまだけでしょうね」

 徐朱は愉快そうに、追い詰められた少年少女を見遣った。

「いやぁ、公子さまもなかなか男ですねえ。娘を庇って虎と対するとは」

「壁際に追い詰められて二人とも逃げられなくなっただけじゃないのか?」

「止めなくていいんですか?」

「星彩が焦ってないんだから大丈夫なんだろ」

「うん! 蘭蘭は本気で襲ったりしないよっ。・・・え? っていうか、瑞其さまたちは遊びだと思ってないの?」

「まあ、虎に追いかけられるのがお遊びになるのは星彩さまくらいでしょうねえ」

 逆に尋ねれば徐朱に苦笑を返されてしまった。

「じゃあ、もしかして二人は本気で怖がってるの?」

「気付いておられなかったのですか?」

 韓当に問われ、

「うん」

「・・・」

 素直に頷いけば沈黙されてしまった。

「・・・えと、あ、じゃあ、止めてくるよ」

 なんとなく気まずさを感じて、蘭蘭のもとへ小走りに向かう。

「―――うわああっ!」

 ところが星彩が辿りつくその前に、意を決した瑞其が蘭蘭に突っ込んだ。

 兵舎で教わったように、体重を乗せて素早く、まっすぐ剣を突き出す。

「お、なかなか良い突きですよ」

 徐朱が褒めた直後、

『甘いわ!』

 あろうことか蘭蘭は口で刀身を受け止め、そのまま真っ二つにへし折った。

「――」

 ばりん、ばりん、と目の前で唯一の武器を粉々に砕かれ、顔面蒼白になった瑞其はその場に力なく座り込んでしまう。

「強いなー、虎」

「この分であれば星彩さまに人の護衛はいりませんね」

 宗麟と徐朱が暢気に感想を述べている横で、絶体絶命と思いこんだ少年と少女は静かに死を覚悟していた。

「蘭蘭、もう終わり」

 星彩は後ろから虎の首に抱きついた。

「小蓮も瑞其さまもいじめちゃダメ。仲良くしよ?」

『うーん、もうちょっとからかって遊びたかったけど、星彩に言われちゃしょうがないわねえ』

 蘭蘭は戦闘態勢を解き、ごろごろと猫のように喉を鳴らした。

「瑞其さま、小蓮、大丈夫? 蘭蘭は人を襲ったりしないから怖くないよっ」

「・・・」

「・・・」

 言ってはみたものの、二人の眼差しは猜疑に満ち溢れている。

「ええと・・・」

「公子どの、お怪我はないか?」

 戸惑う星彩の頭に手を置いて、宗麟が側にやって来て尋ねた。まさか無視するわけにもいかないので、一応無事を確認しに来たのである。

 宗麟の顔を見るや、瑞其ははっと目を見開いて急いで立ち上がった。

「恭王! いらしていたのですか!?」

「ええまあ。それより申し訳ない。剣が壊れてしまったな」

 宗麟は瑞其の握っている、半分の長さになった剣を見遣った。

「詫びに剣を差し上げよう」

「い、いえ、そのようなお気遣いは」

「遠慮なさるな。星彩と遊ぶなら身を守る道具が必要だろう」

「宗麟? それどーゆーこと?」

「まあ、何があるかわからないってことさ」

 宗麟は曖昧に答え、星彩の手を引き、瑞其には「こちらへ」と声を掛けて先導した。

「小蓮! 小蓮もおいでよ!」

「へ!?」

 呆然と見送ろうとしていた小蓮に、声を掛けると舞妓はぱたぱたと慌てて星彩を追いかけた。

「え、わ、私なんかがお供してよろしいので?」

 国王に妃、挙句は亜国の公子までいるとあっては、一介の舞妓にすぎない小蓮にとってこれほど肩身の狭い状況はない。蘭蘭を警戒しつつ、宗麟らに恐縮しつつ、星彩にこっそり耳打ちした。

「うん! だってまだまだ遊ぶもんっ。瑞其さまが剣をもらったら庭に行こ! また踊って!」

「は、はあ」

「宗麟、小蓮は舞がとっても上手なんだよっ」

「へえ」

 ちらと宗麟が視線を向けると、小蓮は慌てて目を伏せ頭を下げた。

「なら、明後日の宴ではよく見ておこう」

「え、宴があるの!?」

 何気なく呟かれた一言に、星彩の目が輝いた。

「公子どのの歓迎の宴だ。ちょっと遅くなったが」

「それ、わたしも出れる?」

「もちろん」

「ほんと!? やったぁ! わたし、宴に出るの初めてだよ!」

 というのも、恭に来てからは一度だけ、婚儀の後に宴があったのだが、その時は慣れない環境の中、色々と大変なことが起き、星彩はへとへとになって夜の宴に出る余力がなくなってしまったのだ。

 淸にいた頃は公の場に出られる立場ではなかったから尚更のこと、王族としてそういう場に出るのは本当に初のことなのだ。

「ありがとうございます瑞其さま!」

「は?」

 いきなりお礼を言われて、瑞其が困惑したように星彩を見る。

「なぜ私に礼などおっしゃられるのです?」

「だって瑞其さまが恭に来てくれたから宴が開かれるんだものっ。わたし、ずっと宴に出てみたいなあって思ってたんです!」

「星彩どのは、宴に出られたことがないのですか? 一度も?」

「はい! 淸にいたときは恥になるからって言われて出してもらえなかったし、恭ではまだ宴が開かれるようなことがなかったので、初めてなんです!」

「・・・はあ」

「だから、とっても楽しみです! 恭に来てくれてありがとうございます瑞其さま!」

「っ・・・」

 星彩が満面の笑みを向けると、瑞其は視線を逸らして、手の甲を自分の鼻先に当てた。星彩からは見えないが、袖の下に隠れた顔はほんの少し朱が差していた。

 そうとは知らず、星彩は今度は小蓮の方を向き直った。

「宴なら小蓮も舞うよね?」

「はい!? なななななにをおっしゃいます!?」

 小蓮はぶんぶんと千切れるのではないのかと思うほど首を横に振った。

「わ、私は宴には出れませんっ」

「え!? どうして!?」

「御存じの通りです! 私は舞が下手で乱舞から外されてしまっているのですよ!? きっと宴の場にも連れて行ってもらえませんっ」

「ええ!? そんなことないよ、小蓮は舞がとっても上手だもの!」

「いいえいいえ、私ほど下手な舞妓もおりません! 皆ができることをどうしてもできない、グズでノロマな人間なんです! 私なんてただお情けでここに置いていただいてるだけです! もし私などが宴に出れば、せっかく星彩さまがお楽しみにされている催しを台無しにしてしまうに決まっています!」

「そんなことないよ! だってわたし、小蓮の舞が好きだもの!」

 励ますように、星彩は一層声を張った。

「前にわたしの笛で舞ってくれたでしょう? あのときの小蓮、すっごくのびのびしてて楽しそうで、見てるわたしまで楽しくなったものっ。乱舞の練習だって、小蓮は一生懸命がんばってるっ。あれだけがんばって、できないなんてことないと思うっ」

「ですが実際、私は毎度毎度、練習から外されておりますし・・・」

「でも次の日にはまた入れてもらえるよね? それって、本当に外す気はないってことなんじゃないの?」

「・・・え?」

 まるで初めて気付いたかのように、小蓮はぽかんと口を開けた。

 星彩が舞妓の宮を訪れる度、小蓮は練習を途中で外されて泣いていた。ということは、外されるその度に、入れてもらっていたということだ。本当に小蓮ができなくて要らないのなら、そもそも練習に加えることなどしないだろう。

「っていうか、わたしは小蓮の何が悪いのかわからないよ。乱舞も、上手に舞えてると思うけどなあ」

「・・・いいえ、星彩さま」

 小蓮は胸の前で両手を握りしめて、ゆっくりと首を横に振った。

「桜老師に外される以上、私はできていないのです。・・・できていない、なのに、あの方は毎日私を練習に混ぜてくださる」

 小蓮は、ぶつぶつと独り言を呟き出した。

「桜老師は無駄なことなど一切なさらないのに、何度も何度も、できない私を練習に参加させてくださる・・・その意味を、私は考えもしなかった・・・ただ泣くばかりで・・・私ってなんて馬鹿なんだろう?」

「? 小蓮?」

「星彩さまっ!」

 突然、小蓮は星彩の空いた方の手を取った。星彩の隣に王がいることも、ついでに恐ろしい猛獣が控えていることも、忘れたように真っ直ぐに星彩だけを見つめている。

「私、二日後の宴で星彩さまに見ていただけるよう頑張ります! きっときっと乱舞を会得して宴に出てみせますから!」

 一方的に言い放つと、小蓮は踵を返す。

「あ、小蓮!」

 この後に遊ぶという約束も忘れてしまったのか、星彩を顧みることもなく、あっという間に塀の向こうに消えてしまった。

「どうしたのかな? 急に」

「星彩の言葉にやる気を出したんだろう」

 横ではくつくつと宗麟が笑っていた。

「励ませたってこと?」

「ああ。あの舞妓が宴に出れるといいな」

「うんっ」

 遊べなくなったのは残念だったが、小蓮の気が晴れるのが何よりだったから、星彩も笑顔を浮かべた。

「・・・」

「どうかなさいましたか、公子さま」

「あ、いや」

 舞妓の過ぎ去った方向を無言で見つめていた瑞其は、徐朱に話しかけられ、少し慌てたように、視線を彷徨わせた。

「あの舞妓もなのかと思って・・・」

「はい?」

「い、いや、なんでもない・・・星彩どのの前では、無礼という言葉は存在せぬのだなと思っただけだ」

「ええ、さようにございます」

 徐朱はにこにこと笑って頷いた。

「我らが王と姫君は、細かいことがお気になられぬ性質なのです」

「・・・寛大なことであるな」

「目端を利かせるのは我ら臣下の役目。上はそのくらい悠然と構えていただいている方がより威厳が増します」

「まさか、星彩どのはそこまでお考えになって?」

「いえ、星彩さまは色々な意味で大物でございますゆえ、そのようなせこいお考えはお持ちではありません」

「・・・それは、褒め言葉、なのだろうな?」

「勿論にございます」

 無駄に爽やかに笑う王の側近を前に、瑞其はしばらく考え込んでしまった。

「なぜ、王やお前たちは星彩どのを咎めぬのだ?」

「星彩さまは、星彩さまなりのお考えと目的を持って行動しておられます。一見遊んでおられるだけのようでも、我らが知らぬところで思わぬ事実を見つけ出し、問題を解決に導いてくださることもしばしばございます。であれば、どこにお咎めせねばならぬことがございましょうか」

「―――」

「もっとも一番の理由は、陛下が星彩さまを非常に異常に可愛がっておられるから、なのですがね」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・公子どの、そのような目を向けられても困るのだが」

 何かの疑念を抱いた視線を背に受けて、宗麟が少しだけ後ろを振り返った。

「妃を可愛がって悪いか」

「いえいえ全く」

 主に睨まれ、徐朱は微笑みを返す。

「陛下は星彩さまだからこそ、お可愛がりなのですよね。決して年の離れた幼女がお好みというわけではございませんよね」

「徐朱! その話は我らの胸に留めておこうと決めたろう!?」

「お前らまだ勘違いしてたのか」

 同僚の口を塞ぐ韓当のことも睨んで、宗麟は軽く溜息を吐いた。

「? 宗麟、どうかした?」

「アホな家来どもをどうしてやろうかと思ってな。というか同じネタを引っ張りすぎなんだよ」

「ええと、怒ってるの?」

「星彩は気にするな。人の妃を幼女呼ばわりする奴らにはそのうち天罰が下るさ」

「・・・宗麟たちって時々、よくわかんない話してるよね」

『男どものくだらない話だから、星彩は一生わかんなくていいのよ』

「蘭蘭はわかるんだ?」

 不毛な会話はくだくだとしばらく続き、公子の剣を探しに武器庫まで行くのにやけに時間がかかってしまった。

 それが悪かった。

「妃殿下ぁっっ!」

「星彩さまっ!」

「瑞其さまっ!」

 剣を選び終え、武器庫から出てすぐ、たまたま通りかかった縻達と、星彩を探し回っていた楊佳と、瑞其の家来たちに見つかった。

「わ、まずい! 瑞其さま逃げましょうっ!」

「やっぱり逃げるんですかっ!?」

 即座に星彩は瑞其の手を掴み、走る。その後を獣たちが、更に後を縻達が呼んだ兵士と楊佳と亜の使者たちが追った。

「陛下! こんなところにいらっしゃいましたか!」

 置いていかれた宗麟だけが、縻達に怒鳴られた。

 頑固宰相は今日も不機嫌そうで、ぶつぶつ文句を垂れている。

「妃殿下を捕まえられたのであれば、即刻後宮へとお戻しなされ! もはやあの方の振る舞いは目に余りまする!」

 はあ、と宗麟は大仰に溜息を吐く。

「お前はつくづく間が悪い」

「は!?」

「おかげで、妃が他の男と手を取って逃げるとこなんぞを見る羽目になったじゃないか」

 宗麟は星彩たちの去っていった方向をつまらなそうに見遣った。

「早く亜に帰らないかなあ」

「大人げないですよ」

 呟いた本音は、韓当に諌められてしまった。

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