第13話 一時休憩

「せ、星彩、どの、も、もっと、ゆっくり・・」

 途中で、瑞其が息を切らせながら嘆願した。乗馬の後の激しい打ち合いで、すでに体力は限界に達しているのに、無理やり走らされればきついことこの上ない。

「あ、ごめんなさいっ」

 星彩は言われて初めて気付き、袖を離した。そうして瑞其に合わせ、ゆっくりと歩き出す。

「疲れました?」

「え、ええと、まあ、少し」

 尋ねると、瑞其は息を整えながら答えた。

「普段はあまり部屋から出ませんので、こんなに動き回ったのは本当に久しぶりです」

「ええ? ずっとお部屋にこもってるんですか?」

「はい、まあ・・・」

「すごいですね。わたしなんか部屋でじっとしてられなくて、後宮から出てばっかりだから、いつも楊佳に怒られるのに」

「・・・はあ、あの、後宮からお出になってばかり、なのですか? でも、星彩どのは王妃であらせられるのですよね? その、格好も・・」

 とてもとても聞きにくそうに瑞其はちらりと視線を送っては逸らす。彼の言わんとすることがわかったから、星彩は気恥ずかしさを誤魔化すように笑った。

「ごめんなさい。ほんとは、瑞其さまにこんな姿見せちゃいけないんですよね。これ、普段のわたしの格好なんです。これでいっつも城内を遊び回って、怒られてるんです」

「・・・は、あ」

「後宮で大人しくしていることは、わたしには難しくて。部屋の中で箏の練習をしたり、勉強したりするのはもちろん大事です。けどそれだけじゃなくて、わたしは、もっともっと、いろんなことが知りたいんです」

「いろんなこと、ですか?」

「はい。淸にいた頃、わたしは何も知らなかったんです。国で何が起きていたのか、父さまや、兄さまや姉さまたちが、どんなことで困っていたのか・・・どれだけ、自分が何も考えないで生きてきたのか気付けなかったんです」

 王族であるのに、王族としての自覚もなく、勉強もしようとしなかったし、父や兄姉たちの苦労を聞こうともしなかった。

「立派な兄さまや姉さまたちをうらやましがって、あこがれるばっかりで、そこにどんな努力や苦労があるのかも知りませんでした。わたしも誰かの役に立つことしようって決めても、よく考えずに動いて空回ってばかりで、結局、いつも最後は瑛勝兄さまに怒られてました。もっとしっかりしろ、でなきゃ王家の恥になるって。・・・自分がすごくすごく情けなかったです。あ、今も、あんまり変わってないんですけどね」

 えへへ、と頬を掻く。

「こんな格好でうろついてるから、縻達にはこの恥知らずがーって、ついこの間も怒られちゃいました」

「・・・では、おやめになればよいではありませんか。格好など、いくらでも直せましょう? 王妃は後宮にいさえすれば、誰も文句を申してはこないでしょうに」

「はい。でもさっきも言った通り、わたしはじっとしてるのが苦手なんです。もっともっと、この国のことが知りたいんです。後宮にこもってたら、わたしは今何が起きてるのかもわからないままです。最近までわたしは瑞其さまが来ることも知らなかったんですよ? この格好で歩き回ってたときに、偶然それを知ったんです。自分で知るまで、誰も教えてくれませんでした」

「・・・」

「わたし、決めたんです。わたしはわたしのやり方で、わたしなりにできることをしようって。たとえ宗麟にも―――他の誰にも必要とされていなくても、助けになりたいんです。そしたら後宮にこもってるだけじゃダメなんです。いろんなことを見て、聞いて、知って、考えれば、わたしにだって何かできることが見つかるはずです。わたしは物知らずで、弱くて、礼儀もなってなくて、箏もうまく弾けないし、詩も作れないどうしようもない子供だけれど、これまでだって、できることはありましたっ。わたしはそれを知っています!」

 だから、頑張ろうと思える。許される限り、失敗しても突き進もうという気力が湧く。兄や、姉たちのように、父や宗麟のように、立派な人間でなくとも構わない。できないことはできないこととして、できることを探してゆければそれで良い。

「―――だから、瑞其さま!」

「は、はい?」

「一緒にがんばりましょう!」

「・・・は」

 突然それだけ言われも、瑞其は困惑するだけだ。

 星彩が更に言葉を続けようと息を吸ったとき、

「あ」

 不意に視界に映ったものがあって、動きを止めた。

「妃殿下・・・」

 ふつふつと、込み上げる何かを押さえるような様子で、廊下に立っているのは朝議に向かう途中であった頑固宰相。

「わ、まずい!」

『爆発するぅっ!』

 星彩が瑞其の手を取って駆け出したその直後、


「何をしておるかあっっ!」


「きゃあっ!」

「うわあっ!」

 大音声に悲鳴をあげつつ、星彩も瑞其も必死に逃げた。

「誰ぞ! 誰ぞ捕まえんかっ!」

 背後で縻達が兵を呼ぶ声が聞こえる。

 あまりたくさん呼ばれれば、逃げ切れない。

 そう判断した星彩は、咄嗟に見つけた建物に飛び込んだ。もちろん、そこがどこであるのかはわかっている。

「玄じい!」

 飛び込んだ占星官の仕事場には、洞玄が窓際で茶を啜っていた。

「ほ、これはこれは星彩さま。こんな朝からお慌てになって、どうなさいました?」

「追われてるの! かくまって!」

 言うがいなや、星彩は瑞其と一緒に机の下にもぐりこむ。

 それから少し遅れて、兵士が二人ほど部屋へやって来た。

「失礼いたします! こちらに妃殿下はお越しになっておられませぬか!」

「おられぬよ」

 他の占星官たちが答える前に、洞玄が声を張った。その一言だけで、兵士たちは部屋を調べはせず、「失礼いたしました!」と出て行った。

 足音が完全に遠ざかってから、星彩らは机の下から這い出る。

「ありがとう玄じい、助かったよ」

「ほっほ、縻達めに見つかりましたかな?」

「そうなの。よくわかったね」

「兵士を使ってまで妃殿下を追いなさるのは、いかにも頑固宰相らしいことですからのう。事が静まるまで、しばし、ゆるりとしてゆかれませ」

 そう言って洞玄は二人に席を勧め、茶を出した。

「ありがとう! よかったあ、瑞其さまにお茶を飲んでもらえて」

 厨房には行けなかったが、これで水分が摂れる。ほっとして湯飲みに口を付けた。

「あの、星彩どの。この者は?」

 流されるまま、なんとなく茶を飲んでいた瑞其が遅れて尋ねた。

「あ、そうでした。玄じいはほんとは洞玄っていって、占星官です。玄じい、こっちは亜の公子の瑞其さまだよっ」

「はいはい、存じ上げておりますよ」

「む? なぜだ」

 基本的に表には出て来ない占星官は、公子に会うはずがない。ついでに言えば、瑞其は今、一目で公子とわかる格好でもない。

「昨夜の星が、ここへ公子さまが訪ねていらっしゃると教えてくれましたのじゃ」

「星はそんなことまで知ってるの? 今度わたしも聞いてみようかな?」

「ほっほっ。お二方は、今朝からお遊びに? ようございますなあ」

「うん! これからまだまだ遊ぶよ! でも瑞其さまが疲れちゃったみたいだから、ちょっと休憩なのっ。ね、聞いて聞いて玄じい! 瑞其さまはとってもがんばったんだよ! あのね―――」

「せ、星彩どのっ」

 今朝の瑞其の活躍を、星彩は余すことなく洞玄に語った。横では瑞其が終始狼狽していたが、まさか相手の口を塞ぐわけにもゆかず、手をこまねいていた。

「ほうほう、それはそれは。ようございましたなあ」

 知らぬ老人に微笑ましい眼差しを向けられ、瑞其は憮然として茶を啜った。

「良き気分転換となりましたでしょう? 恭では煩わしいことは忘れ、存分にお遊びなされ」

 洞玄は相手に構わずにこにこしながら話しかけた。

「たまには、うるさい大人から離れるのもようございます。鬱屈した気は吐き出さねば凝り固まり、悪しき影をその身に落とすこととなりましょう」

「? 何を申している」

「ほれ、それですじゃ」

「どれだ」

「遊びのときくらい、肩肘張るのはおやめなされ。それは本来の貴方さまではありませぬ」

「お、お前が私の何を知っていると申すのだっ」

「当てずっぽうですじゃ。なぁんとなくそんな気がいたしましたでの」

 あっけらかんと洞玄が言うので、瑞其は思わず閉口してしまった。

「すべては運命。公子さまが恭に遣わされ、我らに出会った意味はありまする。貴方はこの地で己の欠片を手にされるでしょう」

「・・・本格的にお前の申すことがわからんのだが」

「占星官は、はっきりしたことを申せませぬ。我らは兆しを見つけ、注意を促すのが役目でありますゆえ」

 そう言って、洞玄は星彩に視線を移す。

「公子さまをどうぞご存分に振り回して差し上げなされ。貴女さまの行いは、すべて良い結果を生みまする」

「ほんと? わかった、瑞其さまに楽しんでもらえるようにがんばるよ!」

「待て、お前。今、私を振り回せと言ったか?」

「あ、瑞其さま、お茶飲み終わりましたか? 遊びに行きましょう!」

「もうですか!?」

 星彩は再び瑞其を引っ張り、外に飛び出していった。

「今日も平和じゃのう」

 ほのぼのと陽光を浴び、洞玄は残った茶を啜った。

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