第12話 剣術訓練

「皓大、大丈夫? また落とされちゃったの?」

「あ、妃殿下おはようございますっ。今朝もお散歩っすか? ぜひぜひお供するっすよ!」

 復活の早い皓大はもう起き上がって嬉々として申し出る。

「でもこの前、皓大はわたしのお供をして徐朱にたくさん怒られちゃったでしょ? だからいいよ」

「いやあ、見つからなければ大丈夫っす!」

「そんなに訓練が嫌いなの?」

 土や擦り傷だらけの顔を見ていると、なんとなく彼の苦労の度合いが窺える。

「せ、星彩どの? その者は?」

 皓大の登場に若干引いていた瑞其は、ようやく硬直が解けて尋ねた。

「兵士の皓大です。とってもおもしろくて頑丈なんです!」

「おもしろいはともかく、頑丈って紹介はどうなんすか!? いやまあ頑丈ですけどね!? 嗜虐的な先輩が定期的にいびってくれるおかげで!」

「皓大、こっちは亜の公子の瑞其さまだよっ。今日は一緒に遊んでるの!」

「わ、我々は遊んでいる、のですか?」

「あー公子さまだったんすかー。そーいえば今、亜の使者が来てるんでしたっけ」

 改めて、皓大は瑞其に向き直り礼を取った。

「どうぞお見知りおきくださいっ。俺がここを追い出された時は雇ってくださいね!」

「・・・いきなり何を申しているんですか、この男は」

 にこやかな相手に、瑞其は不快そうに顔をしかめた。その時、ぐう、と腹の虫が鳴った。

「っ!」

 鳴らしたのは瑞其で、つられて星彩もお腹が鳴った。

「そういえば朝ご飯食べてないんだったね~。こっそり抜け出してきたから」

「では本日の練習はここまでにして、召し上がってらしてください」

 白龍の手綱を持って、烏淵がそう言ってくれた。

「なんなら、兵舎に食べにいらっしゃいますか? こんな早朝じゃあ、王宮の厨房は準備できてないでしょーし。あの粗末な粥でよければあるっすよ」

「行く行く! お粥おいしかったもん!」

『行く!』

「こぉらクソガキぃっ!」

 と、隣の柵から教官の怒声が響いた。

「うわ、やべっ。妃殿下、公子さま、すんません、俺が捕まるんで走ります!」

「わわ!?」

「おいぃっ!?」

 皓大は両脇に星彩と瑞其を抱えて、長槍を振り回し怒鳴り散らしている教官から一目散に逃げ去った。ようやく降ろしてもらえたのは兵舎の前。今朝も幾人かの兵たちが訓練のため、表に出ていた。

 どちらも小柄な子供とはいえ、皓大は二人の人間を抱えて走ったというのに、息も切らしていない。

「さあどうぞどうぞ!」

 教官から逃げられた喜びからか、皓大は上機嫌に先導しようとして、

「ま、待て!」

 それを瑞其が止めた。

「お前、無礼を働いておきながら申し開きの一つもないのか!」

「? 無礼、っすか?」

 突然怒り出した瑞其に、皓大はきょとんしている。

「私は亜の公子だぞ!? 一介の兵士の分際で気安く触れるな!」

「え? ああ、そういやそうっすね。いやあ妃殿下のお相手してると感覚狂っちゃうんすよねえ。どうもすんません」

「なっ!? もっとしっかり詫びろ!」

「? どーしてそんなに怒ってるんですか?」

 星彩はよくわからなくて、首を傾げた。

「どうしてって・・・」

 王妃にもきょとんとした顔を向けられて、瑞其の方が困惑してしまう。

「星彩どのはお怒りになられないのですか? こんな薄汚い男に抱えられ、無理やり連れて来られたのですよ?」

「わたしは皓大に抱えられて走るの、楽しいから好きですっ。肩車して走ってもらうともっとおもしろいですよ!」

「・・・」

 満面の笑みを返され、瑞其は閉口してしまった。

「瑞其さま、早くご飯食べましょうっ」

『ご飯、ご飯!』

 星彩は天祥と一緒にくるくる回りながら兵舎に入って行く。その後を、もはや半ば諦めた様子の瑞其が続いた。

「あ、これは妃殿下っ」

 中には夜番を終えたらしい渠斗とその同僚がいて、皆で机を囲んで食事をしていた。

「おはよう! ねえ、今日もご飯もらっていい?」

「どうぞどうぞ、こんなものでよければいくらでも。あ、ここお席空けますんで」

 気乗りしていない瑞其を引っ張り席に着けば、渠斗が器に粥をよそってくれる。

「・・これは?」

 瑞其は差し出されたものに愕然としていた。その横では星彩が天祥と分け合いながら遠慮なく頬張っている。

「とってもおいしいですよ? 食べてみてくださいっ」

「い、いや、しかし、これは・・・」

「兵士が食べるモンっすから、栄養満点、腹も膨れるっすよ!」

『えいよう、おいしい!』

「・・・」

「ほら瑞其さまも! 食べて食べて!」

 横でもりもり頂いている妃に勧められれば、公子としては断るに断れない。仕方なく、舐めるように一口食べた。

「・・・」

 沈黙したのは、意外にも美味であったからだ。

 もちろん、粗野な味付けで見た目も雑多で悪くはある。が、腹が空いていたため、余計にそう感じたのかもしれない。

「ねえ、これって誰が作るの?」

 食べながら星彩が問うと、渠斗が答えた。

「その日の食事当番がいるんですよ。厨房から米と具材を貰ってきて、味を付けて煮るだけですが、皓大の奴なんかがやると酷いもんで」

「あぁ? いつ俺がそんなもん作ったよ?」

「作ったろうが。っていうかこの前、焦がしたばっかじゃねえか。こんな料理とも言えないようなモン、よく失敗できるよな」

「うるせえ! ここの竃は使いにくいんだよ!」

 渠斗と皓大が掴み合いを始めると、周りもやいのやいのと囃し立てる。本気の喧嘩ではなくて、じゃれ合っているのがわかるから星彩も一緒になって手を叩いた。

「・・・あの、星彩どの」

「なんですか?」

「星彩どのは、もしかして、こんな所に普段から通ってらっしゃるのですか?」

「うーんと、ここに来るようになったのは最近です。皓大に連れて来てもらって、みんなと一緒にご飯食べて、仲良しになりましたっ」

「なぜこのような所に? 何か御用事でも?」

「いいえ、遊びに来てるだけです。早起きした朝は暇だから、よく城内をお散歩して、あちこちで遊ぶんです。今日は瑞其さまも一緒に遊びましょう! お茶を飲んでるより絶対楽しいです!」

「あ、遊ぶんですか、やはり」

 食事を終えて兵舎を出ると、兵士たちの本格的な訓練が始まっており、あちこちで真剣を使った打ち合いがなされていた。

「うわっ!?」

 激しい剣戟に瑞其は思わず一歩後ずさった。

「な、なんだこれは? まさか殺し合いをしてるんじゃないだろうな!?」

「まさか」

 瑞其の反応に、見送りに出た皓大と渠斗は苦笑した。

「多少の怪我くらいはするっすけど、滅多なことで死にはしませんよ。亜では打ち合いに真剣を使わないんすか?」

 皓大の尋ねに、瑞其はぎこちなく頷く。

「え、そうなんですか?」

 どこもこういうものなのかと思っていたので、星彩は驚いて聞き返した。

「亜の兵は木刀を使っております。布陣の訓練のときは武器も持ちますが、個人の打ち合いで真剣を持ったら危ないでしょう」

「そっか。そーですよね」

 こくこくと星彩は頷くが、横にいる渠斗は首を傾げた。

「しかし木刀と真剣では、重さも振りも異なりますよ? たとえ木刀で無敗でも、真剣では即殺される、なーんてことはざらにあります」

「え、そうなのか?」

 初めて聞かされた事実に瑞其は目を丸くしている。頭の後ろで手を組みながら、皓大が笑った。

「こーゆー危ないことすっから、恭人は野蛮だなんて言われるのかもなー」

「訓練は実戦的じゃなきゃ意味ないだろーが」

「・・・恭の兵は精強と聞くが、こういう訓練を積んでいるから、なのか?」

 そうして、おもむろに瑞其は己の腰に差してあるものを見た。一応、身を守る術として王族は帯刀する習慣がある。

「・・・」

 しかし、剣を使えない彼にとって、それはただの重りでしかない。

「―――ねえ、皓大! 渠斗!」

 瑞其の様子を見遣った星彩は、二人の兵士を呼んだ。

「入ったばっかりの新兵は、どんな訓練をするの? はじめからみんなが剣を使えるわけじゃないよね?」

「え? まあ、そりゃあそうっすよ」

「まず何をするの?」

「とりあえず剣を持たされて、教官に斬りかかるんす」

「・・・へ?」

 皓大と渠斗はそれぞれ渋い顔をして腕を組む。何か嫌なことを思い出しているようだ。

「あんときの教官、徐朱さんだったんだよなあ。俺、入って早々死を覚悟したぜ」

「俺も。だが不思議と怪我は大したことなかったんだよなあ。肉体より精神攻撃がきつかった」

「な、なにがあったの?」

「俺たちは、剣技なんて呼べるよーな大層なモンは習わないんす。どこを刺せば素早く仕留められるのか、どこに隙が生じやすいのか、実際に教官に斬りかかって、体に覚え込まされるんす」

「実戦において必要なのは、優れた技量よりも覚悟です。新兵はまずそこから叩きこまれます。死んでも相手を殺してやるってくらいの気迫がなきゃいけません」

「こ、怖いよ・・・」

「い、いきなり実戦形式というわけか・・?」

 星彩も瑞其も震えて兵士たちを見上げている。

「お上品な剣技は試合でなら通用するみたいですが、実戦で役に立つかどうかまではわかりません。大切なのは、恐怖の中でも冷静に、機を計って攻守に転ずること。それができれば、大抵の場合で勝てますよ」

「気持ちの問題ってこと?」

「はい。あ、もちろん、基礎的な体力や筋力があって然りの話ですよ? だからはじめのうちは、走り込みや素振りなんかも訓練内容にありますね。自分たちは今もやらされております」

「へえ~。兵士はほんっとに大変だなあ」

「・・・剣技の型を覚えなくても、戦えるということか?」

 ふと、瑞其が尋ねた。

「へ? ええ、まあ、おそらくは。要は、剣を思った通りの場所に振ったり突いたりできればいいわけです」

「兵士の中でも、剣技なんて格好のついたモン知ってる奴なんかいないっすよ。ぜーんぶ自分流。だけど強いことに変わりはないっす」

「そう、なのか?」

 むううっと、瑞其は何やら難しい顔で唸りだした。

「どうしたんですか、瑞其さま?」

「・・・亜では、剣を教えてくれる者がいるのですが、その型を覚えるのが私にはどうにも難しくて、未だにうまく扱えぬのです。兄上は、早々に習得してしまったらしいのですが」

「じゃあ、その剣技は、瑞其さまにはあまり向かないものなのかもしれないですね」

「え?」

「どうしてもできないことは、無理にしなくたっていいんです。それに、剣技が覚えられなくたって、戦うことはできるんでしょう? だったら何も問題ないと思いますっ」

 笑顔を向けると、瑞其は呆けたように口を開けていた。

「え、公子さまは剣が使えないんすか? 持ってらっしゃるのに?」

「っ!」

 皓大が何気なく問うと、瑞其はかっとなって睨み返した。しかし睨まれた本人は気にしたふうもなくからからと笑っている。

「にゃーるほど、だから訓練内容なんか聞いてきたんすね? だったら俺がちょろっと見て差し上げましょうか? こー見えて、なかなか強いんすよ?」

「お前はただ体が馬鹿みたいに頑丈で、痛みに鈍いだけだろうが。頭悪いから」

「悪くない! つーかお前が毎日小突いてくるから悪くなるんだ!」

「やっぱ悪いのかよ」

「お、お前ら、私を無視して喧嘩するなっ」

 やいのやいのとまた騒ぎ出した兵士たちに瑞其が怒鳴ると、二人はすぐに争いをやめた。

「すんませんっ。ちゃっちゃとやりましょうか」

「え、いや、私はやるなどとは・・・」

「男がグダグダ言いっこなしっすよ。怖いんすか?」

「っ! こ、怖くなどない!」

「うっし、その意気っす」

 すらり、と皓大は剣を抜く。

「え、し、真剣でやるのか?」

「だーいじょぶっす。俺からは斬りかかったりしないっすから。公子さまの剣を受けるだけっす。ほら、公子さまも抜いて」

「う・・・」

 瑞其はためらいがちに、鞘から白刃を引き抜いた。鏡のようによく磨かれているそれは、おそらくは一度も人に向けられたことがないのだろう。

「公子さまのは片手剣でしょう? 片手で持って、半身引いて」

「う、む?」

 両手で柄を握り締めていた瑞其は、皓大に言われて右手に剣を持ち直し、左足を一歩下げた。

「左手は、どうするのだ」

「盾を持つのが一番良いですが、今は鞘を掴んでいればいいんじゃないですか?」

「う、うむ」

 渠斗の助言に従って、左手は鞘に添えられた。

「もちろん、臨機応変ですよ。いつまでも掴んでらっしゃらなくて結構です。いざとなったら空いた手で目潰しなりなんなりと。相手は皓大ですから遠慮なく殺してしまってください」

「いやいや殺すって。でも、まあ、そんくらいの覚悟で来て頂いた方がいいっすね」

 さあどうぞ、と皓大も構えた。

 瑞其はぐっと手に力を込めて、大きく一歩踏み出した。

 ぎぃぃん、と鋭い音が響き渡る。

「弱いっす! 片手剣は軽いんで基本攻撃は突きっす!」

 言いつつ、皓大は軽々と瑞其を押し返す。

 たたら踏んで後退し、瑞其は改めて剣を握り直す。今度はまっすぐ前に突き出した。しかしそれはあっさり横に流される。

「ただ突くんじゃ駄目っす! よく隙を見つけて、しっかり体重乗せて抉りこむように!」

「ぐっ・・・」

「ほらほら、ぼうっとしてると斬られるっすよ!」

「わ!?」

 皓大の剣が頭の上をぎりぎりのところで通過していった。咄嗟にしゃがまなければ本当に斬られてしまっている位置だ。

「お前は斬りかからないんじゃなかったのか!?」

「当たらないようにはしてますから大丈夫っす。ちょっとくらい緊張感がないとやる気失せるでしょ?」

「どういう理屈だ!」

 わめいて瑞其が再び剣を繰り出す。

「わあ・・・」

 その攻防を眺めている星彩は、開いた口が塞がらないでいた。

「瑞其さま、剣、使えてるよね?」

『ね』

「いやあ、あれで使えてると言っていいのかどうか」

「え?」

 隣の渠斗を見上げると、彼は手合わせの様子を眺めて苦笑している。

「公子さまのは、ただ振り回してるだけです。たぶん、お国じゃゆるーい剣技ばかり習ってらしたんでしょうね」

「つまり?」

「おそらく公子さまが教わってきたのは試合で使う木刀での型であって、実戦的な剣の使い方ではないんでしょう。武器にはそれぞれ特徴があり、ふさわしい戦い方があります。公子さまはご自身の武器がどういったもので、どう使うのが一番効果的なのか、わかってらっしゃらないんですよ。それを今、皓大がお教えしているわけです」

「ふうん? なんだか難しいね」

「それから力も弱いですねえ。もっと鍛えなきゃどうしようもないですよ。あれでは押し負けてしまいます」

「力? でもそれって、訓練すれば誰でもつくものだよね?」

「はい、嫌でもつきます」

「なら、いいのっ」

「?」

 訝しげな渠斗を尻目に、星彩はにこにこしつつ打ち合う二人へと視線を戻した。

 手合わせはほどなくして終わった。一撃一撃全力の瑞其が、そう長く斬り合いができるわけもない。剣を取り落とし、石の地面に両手両膝をついてしまった。

「お疲れさまっす!」

 ぽん、と皓大に背を気安く叩かれても、睨みつける体力も残っていないようだ。

「瑞其さま、お疲れさまです! かっこよかったですよ!」

 懐から清潔な布を取り出して、星彩は瑞其の汗だくの顔を拭ってあげた。すると、どんよりとした半眼が、星彩を見た。

「・・・ど、どこが、です? 始終、簡単に、あしらわれて、ましたけど」

 息も切れ切れに言う。どうやら気に障ってしまったらしいが、星彩は少しも怯まず微笑んだ。

「弾かれても流されても、瑞其さまは一生懸命がんばってましたっ。それが、かっこよかったです!」

「・・・っ」

「確かに、その根性だけはすごいと思うっすよ。真剣での斬り合いは初めてなんでしょう? 俺の挑発に乗ったとはいえ、あそこまで斬り込んでいけるってのは度胸があると思うっす!」

「・・・根性、だけかよ」

 瑞其は大きな溜息を吐いて、それから再び顔を上げた。たくさん運動した後であるせいか、どこかすっきりした表情で、自然に笑っていた。

「覚えてろよ、馬鹿兵士」

「もしやと思いますが、俺のことっすか?」

「他に誰がいると思ってるんだ」

「ええぇぇ? 俺、いいことしたっすよねえ? なんでそんな爽やかな笑顔で罵られなきゃなんねえんすか?」

 釈然といかない様子でいる皓大を無視し、瑞其は着物の襟首をゆるめ、手の平で煽いで風を送っていた。

「ふう、少し喉が渇いたな」

「あ、じゃあ厨房にお茶をもらいにいきましょう!」

 呟きを聞いた星彩は、すぐに瑞其の袖を引いた。

「ちょ、星彩どの!?」

「皓大、渠斗、またね!」

「気をつけて遊ぶんすよー」

「お怪我をなさいませんように」

「うん!」

 手を振って別れ、一番近くの厨房まで走っていった。

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