第15話 変化のきざし

「・・・ええと」

 床の上に正座して、頭の上には天祥を乗せて、側には蘭々がお行儀よく座っている。

 目の前には仁王立ちしている小柄な宰相がいて、横には妙に姿勢良く立つ侍女がいる。

「―――星彩さま。私どもに、ご説明願います」

 楊佳が低い声で問う。

「私は今朝方、星彩さまのお支度をと、お部屋に参りましたが、寝所に寝ていたのはなぜか虎のみで、陛下がいらっしゃってお助けくださるまで、私は虎に押さえつけられ、身動きも取れない状態でおりました。一体、どういうことなのでしょうか?」

「ご、ごめんなさい。楊佳をちょっとだけ足止めしてくれるようにお願いしてて・・・・・あの、まさかそんな大変な目に遭ってたとは思わなくて」

「ええ、本当に。まさか人生で一度でも虎の足に踏まれることがあるなど、思いもいたしませんでした」

「ごめんなさい・・」

 心からお詫びを込めて頭を下げた。

 武器庫の前で縻達らに見つかってから、夕方になるまで星彩は瑞其を連れて城のあちこちを逃げ回ったのだが、蘭蘭がいるとどうしても目立つため、追手を撒くことができず、ずっとずっと走り続け、途中、瑞其がへばったことで捕まった。星彩は時折、蘭蘭の背中に乗せてもらっていたのだが、瑞其は頑として拒んだため、もともと疲労のたまっていた彼の体力はついに限界を迎えたのである。

 そうして後宮の自室にて、説教の時間となったのだ。

「前代未聞、どころの話ではございませぬ」

 縻達は縻達でとうに怒りの限界点を突破したらしく、むしろ声は静かになり、一層凄みを増していた。

「他国の公子を連れ出し、供の一人もなく、童のように遊び回るなど一体何を考えておられるのです?」

「・・・た、確かに、ちょっと強引だったかもとは、思うけど」

 もじもじと膝の上で拳の位置を動かして、精一杯の弁解を試みる。

「公子さまが、なんだか落ち込んでるみたいだったの。いっぱい遊んだら、元気出るかなあと思って」

「・・・妃殿下は、己が子供だという自覚はあっても、王族であるという自覚はありませぬのか」

 縻達はこめかみを押さえた。

「これで、亜に恭の恥を知られてしまいました。彼らが淸を悪く申すことはありませぬ。蛮賊どもの影響で姫君の気がふれたと、更なる悪評が広まりましょうな」

「・・・」

 じわ、と涙が滲んだのを、星彩は慌てて拭った。

 ここで泣いてはいけないと思った。今日の星彩は、これでも一生懸命考えたのだ。どうしたら瑞其を元気づけられるのか、考えて、自分なりにできることをしてみたのだ。そして、その結果はまだ出ていない。縻達の言うことは間違ってはいないのかもしれないが、瑞其から直接聞き出したわけではない。

 だから、泣くのはまだ早いと思うのに、一旦零れそうになると、なかなか止まらなかった。

 もしかしたら、今日、自分がしたことは全く意味の無いことで、余計なことで、それで宗麟に迷惑がかかってしまうのかもしれないと、わずかでも思わなくはなかったから、その不安が縻達の言葉で引き摺り出されて、そのせいで涙が止まらないのだった。

「あまり苛めるな」

 少し離れて様子を静観していた宗麟は、見かねて口を出した。

「説教は事が全部終わってからまとめてしろ。お前の話はいちいち長くて厭味ったらしい」

「陛下はお黙りください」

「黙らない。見たところ、公子もなかなか楽しんでいるようだったぞ。多少、変則的な接待ではあるが、客を退屈させないというなら十分に目的を果たしてるさ」

「それが一番の目的ではありませぬっ! それにあのような接待で楽しめる者などどこにおります!」

「それが、おられるようですよ」

 不意に、戸口から徐朱が現れた。

「星彩さま、公子さまからご伝言です」

「・・・わたしに?」

 涙目で正座させられている子供に、徐朱はやわらかく笑いかけた。

「もしよろしければ、明日も遊びに誘っていただけないか、今度は格子を切らずとも宮の前でお待ちする、とのことです」

「・・・それって」

「はい。どうやら星彩さまのおもてなしが、お気に召されたようですよ」

「~~~~やっっったぁーーっ!!」

 星彩はその場をぴょんぴょん跳ねて喜び、天祥や蘭蘭に抱きついた。

「蘭蘭、天祥! やったね! 大成功!」

『やった! やった!』

『ふうん? 意外に冗談のわかる坊やだったのねえ。ちょっと見直したわん』

 喜ぶ星彩と獣たちを尻目に、縻達はより一層頭痛が増したように頭を押さえた。

「・・・まったくもって、信じ難い」

「いつもお前の常識が通用するとは限らん」

 苦渋の表情を浮かべる宰相を、それ見たことかと王は笑っていた。



 *



「・・・んん?」

 暇潰しに紐解いた書簡を見て、伯符は唸った。

「―――うん。――――うん」

 まるで誰かの話を聞いているかのように、文字を追うごとに相槌を打って、

「―――うん。これもおかしい」

 ぽいと横へ放る。狭い机の右半分には、広げられたままの書簡が二、三、重なっていた。

「・・・以上。気晴らし、終了」

 ぐーっと両腕を伸ばして、背もたれに思い切り寄りかかる。

「あーーー」

 詰まった息を無気力な声と共に、天井に向かって吐き出した。

「だらしがない」

 固い声に瞬きをして見れば、さかさまの老人がいた。

「あー、これは縻達さま」

 体勢を戻し、いつもながら皺深く厳めしい上司に向き直る。

「珍しく、書庫には籠っておらぬか」

「ええ、まあ」

 伯符がいるのは、縻達と共有の執務室。基本的に日々の雑務はこの場でこなし、下からの報告もここに来る。しかし、伯符は調べ物ついでに書庫でまとめて片付けてしまう癖があり、ここに座っていることは比較的少ないのだ。

 実を言うと書庫に籠る一番の理由は、このやたら目端の利く小うるさい老人の目から逃れるため、というのはもちろん、本人には秘密だ。

「何をしておった」

「えーっと、気分転換に、ちょっと。ここ数カ月の会計を調べてまして」

「法案改正の草稿はまとまったのか」

「まだです」

「なぜ、そなたは仕事が終わっていない内から仕事を増やそうとするのだ」

「いや別に増やしたくはないんですけど。まあ、増えてしまいましたけど」

 すると縻達の片眉がぴくりと跳ねた。

「今度は何を見つけた」

「幽州の砦構築、それから城壁の修復、燕尾宮の修復、の普請代が、びみょーにおかしいよーな気がするんですよねえ」

「多いということか」

「はい。使用した資材などが、一両か二両くらい、相場より高い気がします。正直、この程度なら見逃したいです」

「馬鹿なことを申すなっ。しかと調べ上げ報告せよっ」

「はあ・・・縻達さまが、やってくださったりは」

「儂はもっと頭の痛い問題を抱えておる。そなたが責任持って処理せよ」

 縻達は自分の椅子に座り、深い溜め息を吐いた。

(おや)

 何やら上司の様子がおかしい。

 老人が普通だろうが異常だろうが、別に興味はないのだが、考えることはもはや癖になっていて、勝手に思考が巡る。

「―――ああ、妃殿下かな」

 つい、声が漏れた。この世に怖いもの無しの老人が、怒りを発散し切れず鬱屈するようなことがあるとすれば、例の変わり種の妃に関することであろう。

 最近の縻達が、亜の公子の接待を任された妃が起こす問題の事後処理に奔走しているということは、彼の補佐官である伯符はよく知っている。

「・・・なぜ、妃殿下は連日、騒ぎを起こすことがおできになるのか」

「今日は、一体何をしでかされたのです?」

「内密に公子を連れ出し、お二人で厩に兵舎に舞妓の宮に、あちこち遊び歩いたのだそうだ」

「うわあ」

 さすがに、二の句が継げなかった。

 まずどうやって公子をこっそり連れ出したのかということと、なぜそんなことをしなければならなかったのかということと、色々疑問が浮かび、瞬時に思考が巡ったが、何一つ納得のいく答えを導けなかった。

「しかも、なぜか公子はそのもてなしを気に入り、明日も誘って欲しいなどとおっしゃった」

「・・・はあ」

「聞けば公子は厩では馬から落ち、兵舎では下級兵士に真剣で手合わせを挑まれ、虎に追いかけ回され剣まで破壊されたとか・・・そこまでされて懲りぬ公子も公子だが、一体、妃殿下は何を目的とされておられるのか」

「嫌がらせじゃないですか?」

 適当なことを返すとぎょろ目に睨まれた。

 このままだととばっちりで怒鳴られそうなので、慌てて付け足す。

「まあ、公子も妃殿下も、王族といえど年端もゆかぬお子様ですし、子供には、子供なりのもてなし方が、あるのではないですか? いや知りませんけど」

「誰も彼も、立場というものを理解しておらぬのか」

「知りませんよ。僕に聞かないで下さい」

 正直なところ、あの奇妙な思考回路を持つ妃には、なるべく関わりたくはない。現在進行形で振り回されている縻達を見ていればわかる。

 正しいと思えぬことを正さずにおれぬのはこの老人の性質であるが、あいにくと伯符にそんなご立派な心構えは備わっていない。

 実入りの無い、余計な事には首を突っ込まない。それが、黒い髪を持つ民族の中で、異質な毛色を持つ男の、精一杯の処世術であった。

 眉間により深い皺を刻む上司を尻目に、伯符は無関心を決め込んで手元の書簡を取った。



 *



 とっとっとっと。

 ゆっくりと走る白龍の背に跳ねられながら、懸命に乗っていようとする少年を眺めて、柵の上に腰かけた星彩は我知らず笑みを浮かべていた。

 今朝は公子を密かに連れ出したわけではないが、人の供はやはりいない。天祥と蘭蘭がいるからと、瑞其が自ら護衛を断ったのだ。そうして、また白龍に乗せてはくれないかと頼まれ、厩舎に連れて来た。

「ねえ、なんだか瑞其さま、昨日より楽しそうだよね」

『瑞其、楽しんでる!』

『心境の変化でもあったのかしらねえ。今日はアタシにもあんまり怯えないから、楽しくないわ』

『蘭蘭、楽しんでない!』

「そーゆー楽しみ方は、あんまりよくないと思うよ?」

「うわあっ!」

 悲鳴が上がり、気付けば瑞其は地面を転がっていた。

 それでも星彩は慌てて駆け寄ることはなく、瑞其を教えている烏淵も助け起こしにはいかない。もう幾度目かにもなる落馬で、瑞其も落ち慣れてきており、心配せずともすぐに立ち上がって馬に乗れるようになったのだ。

「公子さまは落ち方がお上手です」

 星彩の側にいる烏淵が、からからと笑っていた。

「落ち方にも上手と下手があるの?」

「ございますよ。無理にしがみつかず、すんなり落ちれば怪我をいたしません。下手な落ち方は」

「どわあああっっ!」

 烏淵の言葉を遮り、隣の柵から人影が飛んで来た。地面を転がり、ちょうど通りがかった白龍が踏みつけた。

「むぎぅっ」

「あ」

『あ』

「・・・ま、あのような落ち方ですかね。毎度毎度、よく怪我をしないものだと感心します」

 もの凄い勢いで吹っ飛ばされ、白龍に踏まれてもなお、皓大はすぐに起き上がって「あ、どうも!」などと挨拶をする。

「これはこれは公子さま! 乗馬の訓練ですか? また兵舎の方にいらっしゃいます? 俺でよければいつでもお稽古に付き合うっすよ!」

「いらぬ」

 馬上から、瑞其はにっと歯を見せた。

「お前が訓練を抜け出す口実にはなってやらん。稽古は他の者でよい」

「ええ!? そんな、つれないっす!」

「うるさい。あっちに行け」

 と、瑞其は白龍を走らせてしまう。その後をぎゃーぎゃー騒ぎながら皓大はしばらく追っていたが、

「さっさと戻れクソガキぃっ!」

「痛だだだだっ!?」

 長槍を振り回す教官に耳を鷲掴まれ、連れ戻されてしまった。

「皓大は今日も元気だなあ」

「いつになったら騎馬訓練は終わるんですかね? いい加減にして欲しいんですよねえ」

 ほのぼのとしている星彩の横で、烏淵は渋い顔をしていた。

 烏淵に、今日はこのくらいでいいだろうと言われるまで、存分に乗り続けた瑞其は、次には兵舎に向かった。

 ちょうど渠斗がいて、粥を食べた後は剣の稽古が始まった。

「進退を迷ってはいけません! 退くなら退く! 突っ込むなら突っ込んでください! 思い切りの良さも肝要ですよ!」

「ぐっ!」

 受け止めた刃の重さに顔をしかめながらも、瑞其は懸命に剣を振るった。昨日、宗麟から貰った新しい剣は、以前持っていたのと同じ片手剣。雷獣の印章が入った恭の剣は、軽くしなやかで、切れ味も良い。

「―――」

 徐々に激しくなっていく打ち合いに、星彩は言葉もなく、ただ見守っていた。瑞其がよろけるたび、はらはらとしたが、そんな心配をよそに負けじと鋭い剣戟が繰り出される。何度も何度も簡単にあしらわれてしまうのに、まるで無我夢中だ。瑞其の体力が尽き、剣を取り落とすまで、必死の打ち合いは続いた。

「お疲れさまです!」

 星彩は汗を拭く布を持って、地べたに座り込む瑞其に駆け寄った。

「すごい、すごかったです! 見ててちょっと怖いくらいでしたっ」

 本当に剣がどちらかに刺さってしまうのではないかと思うくらい、もの凄い気迫だったのだ。

「さっきのようになされば、その辺のならず者くらいは公子さまお一人でも追い払えると思いますよ」

 渠斗が剣を鞘に収めながら言う。

「ただ、やはりもう少し体力をお付けになった方がよろしいかと。手合わせも良いですが、まずは基礎的な力を鍛えた方が上達への近道となりましょう」

「む、う、そうか」

 瑞其は己の細腕に眉根を寄せた。毎日鍛えている兵士と比べれば、非力であることは一目瞭然だ。

「何をしたら良いのだ?」

「簡単なところで、素振りなどですね。あとは、走り込みも効果的ですよ。武芸の基本は足にありますから、妃殿下と城内を遊び回られるのも体づくりになるでしょう」

「ほんと? それなら、わたしすっごく協力できるよ! また追いかけっこしますか?」

「・・・虎に追いかけられるのは、ご勘弁を」

 やはり、まだ怖いらしい。

 追いかけっこはやめて、ゆっくり歩きながら今度は舞妓の宮へ向かった。

 楽の音が響いているから、練習はもう始まっているらしい。まず庭を見に行ったが、そこに小蓮はいなかった。

 期待を込めて、扉が大きく開け放たれた教坊をこっそりと覗くと、飛んだり跳ねたりする舞妓たちの中に、小蓮の姿が見えた。

「瑞其さま、あれですっ」

「む、どこです?」

 指を差して小蓮の位置を瑞其にも示す。

 舞うには煩わしそうな袖や裾を優雅に振り、周りの仲間たちに合わせて懸命に舞っている。時折、老師によって曲が止められ、やはり小蓮が怒られることがあったが、追い出されるまではいかなかった。小蓮は真剣に老師の言葉に耳を傾け、叱られても泣かず、むしろより一層気合が入ったかのように、次の曲ではもっときびきびと動いた。

「・・・」

 星彩も瑞其も、無言で舞妓を見つめていた。

 気付けば練習が終わるまでそうしていた。

「あ、あれ? 星彩さまに、公子さま? ひっ、虎も!」

 教坊から出た小蓮は、待ち受けていた二人と獣を見つけて飛び退った。

「小蓮! 今日は追い出されなかったんだね!」

 星彩は相手の反応も構わず小蓮の手を取った。すると、小蓮は少し戸惑うように笑った。

「ご覧になっておられたのですね。・・・あの、でも実は、今日は一度、すでに追い出されているんです」

「え? でも・・・」

「追い出されても、今日は泣きに行かずに、入口でずっと皆が舞うところを見ていたんです。そうしたら、皆の動きがとても良く見えました。――私、振りつけを間違えないことだけに必死で、周りをちっとも見ていなかったんです。皆の舞なのに、独りよがりな舞をしていたんです。それに気付けたから、老師に頼み込んで練習に参加させていただきました」

 小蓮は星彩の手を強く握り返す。

「星彩さま、私、きっと明日の宴に出てみせますから。こんな駄目な私を励ましてくださった星彩さまに恩返しするつもりで、明日はきっときっと最高の舞をご覧にいれますっ」

「うん、うん! 楽しみにしてるよ!」

 あの自信なげに泣いていた小蓮が、こんなにも強い決意を見せてくれたのが心から嬉しくて、星彩は何度も何度も頷いた。

「公子さまも!」

「え?」

 不意に小蓮に声を掛けられ、瑞其は何故か慌てて居ずまいを正した。

「どうか恭の舞をご存分に堪能なさっていってくださいませ! 我ら舞妓一同、公子さまの御為に頑張ります!」

「う、うむ」

 笑顔を向けられた瑞其は袖で口元を隠し、視線を逸らす。ややあって、

「・・・楽しみに、している」

「はいっ!」

 ぼそりと呟き、新人の舞妓を喜ばせた。

 その後は、小蓮はまだ練習があるというので、邪魔になる前に宮を出た。

「瑞其さま、次は昨日行けなかった庭に行きましょう! この前みたいな立派な庭じゃないけど、お昼寝するのにぴったりな木陰がありますっ」

「昼寝をしに行くのですか?」

「あ、行くまでに追いかけっこしましょう! たくさん遊んだ後に寝ると気持ちいいですよ!」

「ええっ!?」

『じゃあ、アタシが追いかけてあげるわん』

 蘭蘭は舌を舐めずり、慄く瑞其にまず飛び掛かった。

「やややめろぉぉっ!」

「きゃー」

『きゃー』

 星彩と天祥も、蘭蘭に捕まるまいと駆け出す。もっとも、天祥は星彩の肩に乗っているため、走ってはいないが。

 初めは瑞其を追っていた蘭蘭だったが、そろそろ追い掛けられるのも慣れてきた瑞其の逃げ足は格段に上がっていた。よって、まだ近くにいた星彩へと標的が移る。

 星彩もわりとすばしっこい方ではあるが、さすがに獣には敵わない。

 後ろを振り見ればすぐそこまで蘭蘭は迫っていた。

『星彩、前!』

「っ!?」

 天祥に言われたときには、星彩は前を歩いていた誰かの背中に激突していた。その直後、蘭蘭が突撃し、星彩らはもんどりうって地面に倒れた。

「痛たた・・・」

 下は人、上は虎に挟まれて動けない。

 と思えば、下敷きになっていた人間が無理やり星彩らを持ち上げて這い出た。

「ひっ! 虎!?」

 人間は官吏らしき男で、蘭蘭を視認するや転びまろびつしながら、逃げて行った。

 それが建物の陰に消えてしまってから、星彩は体の下にある異物に気付いた。

「ん?」

 蘭蘭にどいてもらうと、どうやら抜け出す際に官吏が落としていったらしい書簡が二つ、あった。

「わっ、たいへん! 返さなくっちゃ!」

 と慌てたものの、建物の中まで追い掛けても官吏は見当たらなかった。

「・・・どーしよ、これ」

 一応、中を広げてみたが、数字がずらずらと箇条書きに並んでいて、何のことかはわからない。とりあえず、仕事に関係するものなのだろう。

『そんな重要なものでもないんじゃない?』

 横から書簡を覗きこんで、蘭蘭が言った。

『落としたのにも気付かないくらいなんだからさ。後で適当な誰かに渡しとけばいいじゃない』

「それでいいの?」

『そうすりゃ届けてくれるでしょうよ。それより先に公子を探した方が良いと思うわよ。どっか行っちゃった、あの坊や』

「そだね、今はおもてなしが優先だよねっ」

 その後、物陰に隠れていた瑞其を無事見つけ出し、目的地へと向かった。

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