第2話 兵舎見学
「―――皓大! 待ってよ、訓練しなくていいの?」
星彩が尋ねるも、皓大はへらへらと軽く笑って受け流す。
「いやほら、俺は妃殿下のお供っすから。訓練より妃殿下の方がよっぽど大事っすよ」
「でも、訓練の邪魔してまで皓大にお供してもらわなくて平気だよ? 天祥もいるし」
『天祥いる! 皓大いらない!』
追い付いて、天祥が星彩の肩に飛び乗りながら言うが、皓大には残念ながら聞こえない。
「いやーほら、ここんとこ訓練続きで、体の調子悪いんすわ。たまには休ませてもらわないと俺、倒れちまうっす。したら、陛下をお守りするどころじゃないっしょ?」
「え? 具合悪いの?」
星彩の顔が途端に心配そうになると、皓大はしめたとばかりにほくそ笑む。
「大丈夫? 家で寝てた方がいいんじゃない?」
「いやそれはさすがに怒られるんで。仕事はせにゃならんのですよ」
「そーなの? 厳しいんだね」
「そーなんすよぉ。だから妃殿下ぁ、この憐れな下っ端兵士を救ってやると思って、お供させてくださいよぉ。じゃなきゃ、またあのこわーい教官にしごかれて、つらーい訓練をさせられるんすよぉ」
「うーん、それはちょっと可哀想・・・じゃあ、無理しない範囲でいいから、お供してもらえる? つらくなったらすぐに言ってね?」
「やった星彩さま最高! 一生付いて行くっす!」
「え、ええと、そんな長くはお供してもらわなくてもいい、かな?」
皓大が予想以上に歓喜し、星彩はちょっと戸惑う。
「どっか行きたいとこあるっすか!? 俺が案内しますよ!」
「そう? じゃあわたし、兵舎を見てみたいな!」
「兵舎? そんなとこでいいんすか?」
「うん!」
「まあいいっすけど・・・」
皓大の案内で、城の東にある兵舎へとやって来た。
建物の前では多くの兵士が槍や剣、弓の鍛錬をしている。彼らは時間ごとに区切り、交代で城の見回りをし、見回りに行っていないものはこうして鍛錬をするか、休憩をしている。
「わ、すごいねっ」
本当の戦場のような気迫で打ち合う兵士たちの様子に、圧倒されてしまう。
「恭の兵士はとっても強いって聞いたけど、こうやって毎日鍛錬してるからかな?」
「好戦的な気質ってのもあるんじゃないっすかね? 所詮、喧嘩なんて気合いの問題っすから。腕は多少なまくらでも、いけいけどんどん、気持ちで勝てるっすよ」
「ふうん? じゃあ、わたしも気合い入れれば戦えるかな?」
「あはは、そりゃ無理っす」
「あれ!?」
一も二もなくすっぱり言い切られ、思わずこけた。
「でも、気合いで勝てるんでしょ?」
「最低限の腕力はいりますよ。妃殿下は剣も振れないっしょ」
「え? う、うーん、触ったこともないからわからないよ」
「ではどうぞ」
皓大が腰に差していた剣を星彩に渡す。
ずっしりとした重み。抜いて鞘を置いても、星彩のひ弱な腕では振るうのに両手を使うし、重みに振り回されて体勢を崩す。
「わ、ととっ」
「ほら、無理っしょ? しかもそれ、片手剣っすよ? 片手で扱うモンです」
「こんなに重いの、みんな使ってるの?」
激しく打ち合う兵士たちを見ると、確かに片手に剣を持ち、もう片方には盾を持っている。それなのに、とても素早い動きで剣を突き出している。
「剣っつーのは、重さで斬ってるようなモンすからね。まあ俺の剣は軽いんで、斬るっつーよりは刺す武器っすけど。両手剣になると、人の首ぐらい飛ばせますよ」
「・・・皓大、そのお話ちょっと怖い」
「仕方ないっすよ。武器ってつまるところ殺しの道具っすから。だから妃殿下は、そんなもの使えなくたっていいんす」
「・・・そっかあ」
星彩は何度も頷き、剣を皓大に返した。
「・・・やっぱり、戦うのはわたしにできないことなんだ」
「? どうしたんすか?」
「ううん、なんでもない。―――ね、中も見たいなっ」
「どうぞ。なんもないとこっすけど」
兵舎は兵士たちの休憩所になっている。煮炊きができるよう竃などがあったり、仮眠用の寝台があったりして、夜番を終えた兵がうたた寝をしたり、軽い食事を取っていたりしている。
それを見ていたら、星彩の腹の虫も天祥も騒ぎ出した。
『ご飯! 食べる!』
「そーいえば朝ご飯まだだったね~」
「あ、じゃあ食べていきます? まあ、ホントは妃殿下にお出しできるようなもんじゃないんすけどね」
皓大は気前よく木の椀に粥を分けてくれた。
「ありがとう! いただきまーす!」
部屋の中央の長机の上に椀を置き、元気よく挨拶して食べ始める。
「おいしい!」
粥には細切れにされた具材がたくさん入っていて、これだけでも力が出るようだ。冷ましてやってから、天祥にも分けてやると、尻尾を振って喜んでいた。
星彩らの周りにも、食事を摂っている兵士が数名おり、皆、突然やって来た子供を不思議そうに見ていた。
「・・・おい、皓大。どこの子だ? つか、お前、訓練中じゃねかった?」
粥を食べながら、一人が代表して尋ねた。
「聞いて驚け。この方は畏れ多くも国王妃の星彩さまなんだぜ? 兵舎の視察をなさりたいとおっしゃたので俺がお連れしたんだ」
「はあ?」
なぜか誇らしげに胸を逸らして言う皓大に、同僚の兵士たちは一様に首を傾げた。
「何言ってんだ? お前」
「とうとう頭やられたのか?」
「とうとう!? いや俺は日ごろから正常よ!? マジでお妃さまなんだって! ねえ、ほら星彩さまも、食べてないで早くこの紋所が目に入らぬか―ってやってくださいよ!」
「? モンドコロ? 小物入れのこと?」
そうして自己紹介ついでに紋章を見せれば、ある者は目を剥き、ある者は慌てて平伏し、ある者は皓大の胸倉を掴み上げた。
「おいぃぃマジかいっ! てめえ妃殿下になに粗末なモン喰わせとんじゃあぁぁっ!」
「ちょっちょ落ちつけって渠斗! 大丈夫だって! 妃殿下は格好からもわかるように超庶民派だ!」
「そーゆー問題じゃねえっ! てめえこれで首が飛んだらどーする!?」
「その前に俺の首がと、取れ・・・」
皓大は締めあげられて口をぱくぱくさせている。
「ええっと・・・」
その様子を眺めながら、星彩は困って頬を掻いた。
「あの、やっぱりわたしがいたら邪魔だった?」
「いえそんなことはございません!」
ぱっと手を放して、若い兵士が向き直る。後ろで白目を剥きかけた皓大が重い音を立てて落ちた。
「お目にかかれて光栄です妃殿下! 自分は渠斗と申しまして、恥ずかしながらこの愚物の同僚です! 妃殿下におかれましては、本日はどういった御用向きでかような粗末な所にお越し下されたのですか?」
「今お散歩中なのっ。ねえ、もし邪魔じゃなかったら、ここでご飯食べててもいい?」
「は? いえ、あの、もちろん我々は構わないのですが、粥など、妃殿下のお口に合うかどうか」
「とってもおいしいよ!」
「は、はあ」
「ほらぁ、平気だろ?」
復活した皓大が、渠斗を肘で突く。
「渠斗たちもいいから座って座って! みんなで食べよ!」
「は、あ、よろしいので?」
「うん、お願い!」
その後は恐縮しっぱなしの兵士たちと並んで食事をした。はじめは緊張していた彼らも、星彩があまりに自然体なのにつられて、色々な話を聞かせてくれた。
そうして賑やかな食事を終え、本格的に邪魔になる前に、星彩は兵舎を出た。
「つっぎは~どこ行こっかな?」
「ご機嫌っすね」
「ご飯おいしかったし、いろんな話が聞けたからね! あ!」
と、星彩は行く先に知った姿を見つけて駆けだした。
「朧月!」
少女に手を引かれ、歩いていた者は声に気付き、立ち止まった。
肩口で切りそろえた短い髪に、落ち着いた臙脂色の衣を纏っている女は、若く見えるがもう三十は超えているはずである。顔は星彩の方を向いていても、その瞳は閉じられている。
「そのお声は、星彩さまですか? おはようございます」
朧月はにこりと綺麗に微笑んだ。
「おはよう! ちょびっとだけ久しぶりだね!」
「申し訳ございません。家の方で用事を済ませておりまして」
「うん、楊佳から聞いてるよっ。法事、終わったの?」
「ええ、おかげさまで。星彩さまのもとへは明日より参じようと思っておりましたが、まさかこのような所でお会いできますとは」
「えへへ、お散歩してたのっ。朧月はどこに行くの?」
「舞妓の宮でございます。七日に一度、楽を鳴らしに来てくれと頼まれているのですよ」
「舞妓? わあいいな! わたしも行きたい!」
「ふふ、ではご一緒に参りましょうか?」
「いいの!?」
「もちろんでございます。舞妓たちも喜びましょう」
「やったぁ! ありがとう朧月!」
「・・あのー妃殿下、どちらさまっすか?」
皓大が後ろから星彩をつついて、こそこそと訊いてきた。
「朧月はわたしの琴の先生なのっ。いろいろ話も聞いてくれて、優しいんだよっ」
「はーん、じゃあ貴族の娘さんっすね。どーりで上品な感じがすると思った」
「あら? 星彩さま、お一人ではないのですか?」
話し声に気付いて、朧月が首を傾げる。
「何やら少々獣臭い匂いがしておりましたが、人、なのですか?」
「えっとぉ、それまさか俺のことっすかね?」
己を指して皓大が尋ねた。
「皓大は人だよっ。兵士で、わたしの友達なのっ。今日はお散歩のお供をしてくれてるんだよっ」
「なるほど。てっきり新しい獣のお友達を連れているのかと思ってしまいました」
「やっぱ獣臭いんすか!? つかこの距離でも匂います!?」
「ああ、いえ、私はこの通り目が見えませんので、代わりに鼻がよく利くのです。ですからあまり気になさらないで?」
「二回も言われたら気にしますよ!?」
朧月は口元に手を当ててくすりと笑った。
「ふふ、おもしろいお供ですのねえ」
「うんっ、わたしも皓大はおもしろいと思うっ」
「いじるのがってことっすか!? いじるのがってことっすね!?」
「では星彩さま、私のお供もご紹介いたしますわ」
朧月はずっと横で黙っていた少女の手を引いた。
星彩と同じか、少し年上くらいの娘だ。髪をうなじでまとめて簪で留め、額を出しているのが特徴的。愛らしい顔立ちなのだが、豊邑の街娘と違って化粧気がなく、どこか土臭い感がある。状況もあまりわかってないらしく、おどおどと困惑していた。
「舞妓の小蓮と申します。年は十六で、燕州の農村から去年こちらにやって来たんですよ。―――小蓮、この方は国王妃の星彩さまです。きちんとご挨拶なさい」
「・・・こ、国王妃? え、あ、あの、こちらのお嬢さまが、ですか?」
小蓮は目をぱちくりさせて、なお混乱したように見てくるので、星彩はにっこり笑いかけた。
「はじめまして小蓮! わたしは星彩! このコが天祥で、こっちが皓大だよ!」
「こ、これはどうもご丁寧に・・・わ、私は小蓮と申します。は、はじめまして、今後ともどうぞご贔屓に」
「小蓮、落ち着きなさい。言ってることがおかしくなっていますよ?」
「は、はいっ、申し訳ありませんっ」
ぺこぺこと朧月や星彩に何度も頭を下げて、小蓮は慌てて言い直す。
「わ、私のような卑賤の身がお妃さまにお目にかかられ・・かかれましたこと、ま、誠に恐悦至極に存じる・・存じまする・・・ええと、あの・・・ほ、本日はお日柄もよく・・」
口調はほとんど棒読みで、目は泳ぎに泳いで定まらない。あきらかに動揺しまくっているのがわかる。
「小蓮? なんだか喋りにくそうだよ?」
「いいえ! めめ滅相もないでございまう! ます!」
「ほんとに大丈夫? 具合悪いの?」
心配になって顔を覗きこむと、小蓮はますます焦ったように真っ赤になって何度も首を振る。
「いいえいいえ! お妃さまにご心配いただくようなことはございませんです! はい!」
「ほんとに? 医局に行かなくて平気?」
「星彩さま、小蓮は緊張しているだけですよ。お忘れかもしれませんが、御身はとても尊いご身分なのです。普通の者は、いきなりお妃さまにお会いしたら腰を抜かしてしまいますよ」
「そうなの? だったら妃って言うのやめたほうがいいかな?」
星彩が本気で悩み出し始めたので、朧月が慌てっぱなしの舞妓の背を押し、先へ促した。
「では、そろそろ行きましょうか」
「うん!」
舞妓の宮は城の端。辿りつくまでには、朧月や小蓮が色々な話をしてくれたので、移動中も少しも退屈ではなかった。
宮は周りを塀に囲まれて、中には宿舎と教坊がある。立派な門が一つだけあって、そこから中に入れる。
「舞妓かぁ~。俺、実はあんまり見たことないンすよね。宴の警備はいっつも外に配置されるから」
普段見ることの少ない舞妓に会えると思ってか、皓大は心なし表情が明るい。うきうきしている、という感じに近い。
「女の園っすよねっ。楽しみだなあ」
「あ、悪いけれど、楽師や王族以外では男子禁制なんです。皓大さんは外で待っていてくださいね」
「ええ!?」
あっさりと希望を打ち砕かれ、愕然とする皓大。
「すぐ戻って来るから、ちょっと待っててね? 天祥、行こっ」
『皓大、るっすばーん!』
星彩と天祥だけ、楽しそうに跳ねながら門の向こうへと入った。
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