第9話 おもてなし?
「まったくもって信じ難い!」
うろうろと政務室をせわしく歩き回って、縻達がぶつぶつと言っている。
伯符ものんびりとした口調で上司に同意する。
「信じ難い、というより、理解に苦しむ、といったところですかねえ僕は。一体どうやったら、人食い虎を手懐けられるんでしょうか」
「そのようなことはどうでもよいわっ! 問題は衆の面前で公子を辱めたことぞ! しかもあんなものが妃であると知られてしまったではないか!」
「あんなもの言うな」
見るからに動揺している家臣たちがおかしくて、言い返しつつも宗麟は堪え切れず笑った。
「なかなかいい出だしじゃないか? 俺をおどかそうと持ってきた品で、逆におどかしてやったんだ」
「見事な怯えっぷりでしたよねえ。さすがは星彩さま。なさることが違う」
徐朱までくすくす笑うので、横から韓当が肘で小突いた。
「笑い事じゃないぞ。効き目があり過ぎだ」
「しかし、虎なんて危険なものを持ちこんできたのはあちらだ。自業自得と言えばそうだろう」
「と言っても公子にとっては、屈辱でしょうねえ」
徐朱に反論しつつ、伯符はまるで他人事のように視線をどこかあらぬ方へ向けている。
「多少は取り繕わないと、ますます反感を抱かれかねません。さて、どうなさいます? 陛下」
「そうだな・・・」
少し考えて、宗麟はふと思いついた。
「この際、星彩に任せてみるか」
「は?」
「年も近いし、その方が公子も気楽だろう。本人も仕事したがってたし」
「陛下っ!」
一番に声を荒げたのは例に漏れず縻達だった。
「妃殿下に接待など務まるわけがありませぬっ! ましてや公子を辱めたのは他でもないあの方なのですぞ!? 火に油を注ぐおつもりか!」
「星彩は奴らが敬愛してやまない淸の血筋を引いている。多少無礼を働いたとしても、もともと蔑まれている俺たちよりは良く見られるだろう」
「されどっ――」
「それに」
いつまでもうるさい縻達を制して、宗麟は決定を下した。
「ある意味、これは星彩の得意分野だ。ま、少し黙って見てろ」
*
「ねえねえ宗麟、変じゃない?」
普段と違う、慣れない衣裳に星彩は落ち着かなくて、不安げに問いかけた。
今日は不格好な三つ編みではなく、長い髪をさらりと垂らし、頭の両脇にだんごをちょこんと作って、綺麗な花の髪飾りをつけてある。薄桃色の柔らかな衣と、陽にきらきらと輝く白い羽衣を両の腕に掛けて、立派に妃らしい姿となっていた。
「可愛い可愛い」
宗麟は椅子に腰かけてその様子を眺め、上機嫌に頷いた。
「こういう格好も久しぶりに見るといいもんだな」
「本来であれば毎日ご覧いただけるはずなんですけどねっ」
ふん、と楊佳は鼻を鳴らし、衣裳の入っていた葛籠を部屋の隅へと片付ける。着付けも化粧も、日頃できない鬱憤を晴らそうとでもいうように、楊佳が気合を入れてやってくれたのだ。そのため、星彩本人ですら、鏡を見たとき一瞬誰が映っているのかわからなくなるほどだった。
「ちゃんと王妃に見えるかな?」
「ああ。むしろ見せるのが勿体ないくらいだ」
宗麟は言いつつ星彩の髪の端をつまんで、軽く口付けた。
「失敗した。こんなに可愛くなるなら会わせるなんて言わなきゃよかったな」
「ええ!?」
何気なく呟かれ、星彩はわたわたと慌てた。
「そんな、わたし、がんばるよ!? ちゃんとおもてなしするから―――」
せっかく貰った仕事を取りあげられてしまうかと思い焦ったが、宗麟は「わかったわかった」と星彩の頭に手を置いた。
「今回は全部星彩に任せる。気負い過ぎず、好きにやってみろ」
「うん! がんばる!」
両の拳を握りしめ、気合を表す星彩の背後には、巨大な虎と、その上に乗った青い神獣がいる。
「よーし、じゃあ公子さまのとこに行くよっ!」
『おー!』
『いっざ出陣ー♪』
獣たちは星彩の掛け声に合わせてそれぞれ楽しげに吼えた。
「星彩」
部屋を出て行こうとする彼女らを、宗麟が呼び止めた。
「そいつも連れていくのか?」
と、蘭蘭を指す。
「うん! 蘭蘭は公子さまに会いたいんだって!」
「そうか・・・」
答えを聞くと宗麟は下を向いて、肩を震わせた。
「宗麟? 笑ってるの?」
「いや。公子を存分に楽しませてやってくれ」
『望むところよ』
星彩ではなく、蘭蘭が牙を見せて応じる。
「・・・どうなっても知りませんよ」
もはや注意も諦めて、楊佳は大人しく後に続いた。
公子とは、庭園を散歩することになっている。
これは別に星彩が計画したのではなくて、もともと予定として立てられていたものである。急遽、公子の相手をすることになった星彩に、もとより考えておく時間などなかった。
「こんにちは! わたしは宗麟の妃の星彩といいます!」
庭園の入り口で、待ち合わせた公子に向かってまず自己紹介をした。
「昨日は驚かせてしまってごめんなさい。そのお詫びに、瑞其さまが恭にいる間はわたしが精一杯おもてなしします!」
星彩がにこやかに微笑むのに対し、公子は大きく目を見開いて、青ざめている。
花のような装いの娘の後ろで、黄色い猛獣が舌を舐めずり佇んでいるがゆえである。
「あ、このコはね、蘭蘭です」
公子の視線が自分の背後にあることに気づいて、星彩は慣れない敬語で紹介した。
「わたしが勝手に付けた名前だけど、気に入ってくれたみたいです。この青いコが天祥で、雷獣です。こっちが侍女の楊佳で、こっちが宗麟の側近の徐朱で、こっちが万が一の時のために典医の瑪岱と見習いの志季で、あっちにいるのが・・・」
「星彩さま」
供の者まで全員、一人一人紹介しようとすると、苦笑気味の徐朱に止められた。
「我々のことはどうぞお構いなさらず。公子さまが固まっておられます」
「え?」
見遣れば公子が先程よりずっと引きつった顔で、一歩後ずさっていた。
「ま、万が一、とは?」
どうもそこが引っ掛かったらしい。
「蘭蘭を連れて行くなら、一応いたほうがいいって宗麟に言われたんです。あ、でも蘭蘭はもう怒ってないから瑞其さまを襲ったりしません。安心してくださいっ」
「・・・は、はあ」
「むしろ、蘭蘭は瑞其さまと仲直りしたいって言ってます。だから今日は、わたしと一緒におもてなしするんだって、張り切ってるんですよ!」
『仲良くしましょ、坊や?』
蘭蘭が一歩前に出るや、「ひっ!」と公子は悲鳴を上げて家来の後ろに隠れてしまう。
『いいわねえ、その反応。いびり甲斐がありそう』
「う~ん、蘭蘭は見た目がちょっと怖いから・・・でも大丈夫! きっとそのうち仲良くなれるよ!」
『うふふ、励ましてくれるのね?』
蘭蘭は猫のようにごろごろと喉を鳴らし、星彩にすり寄った。
「・・・よ、よく馴れているのですね」
家来ともども距離を置きながら、公子は怖々と尋ねた。
「蘭蘭は友達ですから!」
「と、ともだち?」
「はいっ。瑞其さまも、一緒に遊べばきっと友達になれますっ」
「・・・け、結構です」
「そう言わずに! さ、行きましょう!」
尻ごみする瑞其を先導して、庭園に入って行った。
門をくぐれば、見事な花々が咲き乱れ、大きな池があり、水路がぐるりと庭を巡っている。星彩もたまに遊びに来ては、天祥や楊佳と追いかけっこをしている場所だ。むろん、そのときの楊佳には遊んでいるつもりなど毛頭ないわけであるが。
「瑞其さま、これ、見てください!」
庭園の中では、星彩の供も瑞其の供も、少し離れて付いてくる。星彩が先導に立ち、すぐ横に瑞其、その後ろに天祥を頭に乗せた蘭々がぴったりと続く。
「ここはユラの花専用の花壇なんです! このコたちはちょっと変わっていて」
「ぎゃあっ!」
「!?」
悲鳴と共にどおっと倒れる音がして、見れば瑞其が地面にひっくり返っていた。
「だ、大丈夫ですか!?」
ほんの少し、花に目を向けていた間に転んでしまったのか。星彩は慌てて瑞其を助け起こした。
「どうしたんですか?」
「と、とら、虎が・・・」
瑞其は怯えながら蘭蘭を指すが、当の蘭々はお行儀よく座っている。
「蘭蘭が、どうかしましたか?」
「い、いま、私を噛もうと口を開けて・・」
『違うわよお』
蘭蘭は毛づくろいなどしつつ、のんびりと答えた。
『今のは、あ・く・び。偶然、ほんっと偶然、アナタの手がうっかり口の中に入りそうになっただけよ』
「なーんだ。瑞其さま、蘭蘭はあくびをしただけで、噛もうとしたわけじゃありません。平気ですっ」
「ええええいいや今のは確実に・・・」
『なによぉ。因縁つける気?』
「く、来るなぁっ!」
のそりと蘭蘭が近づこうとするだけで、瑞其は叫んで星彩の後ろに隠れた。
『あら。女の子を盾にするなんて、ちょっと情けないんじゃない?』
「蘭蘭、瑞其さまをおどかしちゃダメっ」
星彩は背後で小刻みに震えている瑞其と、どこか楽しそうな蘭蘭とを交互に見遣って、ほんの少し、困ってしまった。
(やっぱり、仲良くなれないかなあ?)
昨日、怒りにまかせておどかすような真似をしてしまったことを、後悔、とまではいかなくとも、悪いことをしてしまったかもと感じている。
亜人が蘭蘭にした仕打ちを酷いと思いはしたが、ここまで怯えている瑞其を見ると可哀想になってくる。考えてみれば、山に道を作らなければ物資が流通しないわけで、やむをえぬ事情があったのだ。かといって蘭蘭の棲みかを壊して良いとはならないが、瑞其一人が責められる謂われはない。
だからできれば、蘭蘭と仲直りしてほしかった。しかしここまで怯えるとなると、無理強いをするのは悪い気がした。
「瑞其さまは、蘭蘭のことが怖いですか?」
「・・・は」
「わたし、瑞其さまが蘭蘭と仲良くなってくれたらなあと思ったんです。だってこのままで別れちゃったら悲しいですから。でも、瑞其さまが怖いならあきらめます」
「・・・いえ、お待ちください」
星彩が蘭蘭に部屋に戻ってくれるようお願いする前に、瑞其が堅い声で制した。
「私は怖がってなどおりません。ええそれはもう全く。私とて、誇り高き亜国の公子ですからっ」
背筋を伸ばして堂々と宣言する。
星彩には先程から彼は怯えっぱなしのように見えたのだが、違うのだろうかと首を傾げる。
「虎の一匹や二匹、どうってことはありませんっ。どうぞ、お気になさらず。我々からの贈り物をここまでお気に召してくださったのであれば、光栄にございますゆえ」
「・・・ええと」
青い顔のままにこりと微笑まれて、ちょっと戸惑う。
「蘭蘭が一緒にいても平気ってことですか?」
「無論ですっ」
「わあよかったです!」
手を合わせて、星彩は喜んだ。
『うふっ、そうこなくっちゃね。ここで降参なんて、いびり甲斐がないわん。ねえ?』
のそっと蘭蘭が公子に歩み寄る。
「っ!」
一瞬、退却しかけた瑞其だったが、寸でのところで堪えた。その手に蘭々が頬を寄せる。
「っ・・」
少し固い毛の感触に耐えるかのように、瑞其はぎゅうっと目を瞑っている。その額からは汗が一筋垂れた。
すると、不意にかぱっと蘭蘭が口を開いた。そうしてかぷ、と瑞其の左手を齧る。
「~~~~っ!?!?!?」
『そんなに慌てなくても、甘噛みよぉ』
俊敏に手を引いた瑞其を、蘭蘭は笑っている。
「よかったですね、瑞其さま! 蘭々が甘噛みしてくれましたよ!」
「よよよよいことなんですかねえ!?」
『そうよぉ。仲良くしましょうってことなんだから』
瑞其は何度も左手をさすり、無事であることを確かめた。
「はぁ・・・今、絶対喰われたかと・・・」
言いかけて、瑞其はじっと見つめている星彩の視線に気づき、慌てて胸を張った。
「どうです、少しも怖がってはおりませんでしょう?」
「え? あ、は、はいっ」
本当は怖がっているように見えたのだが、本人が言っているのだから口出しはしないことにした。
その後、庭を回る間も、星彩がふと目を離した隙に、瑞其が悲鳴を上げたり転んだりしていた。蘭蘭の挙動がいちいち気になるらしく、しかしやっぱり怖いのかと尋ねると瑞其は必ず怖くないと答えた。
「あの」
一回り終えた頃、星彩はおずおずと提案した。
「東屋で休憩しましょう? お茶を淹れます」
「・・・ええ。ぜひ」
ぐったりした瑞其は、もはや笑顔をつくる気力もないようだ。
向かう東屋は、池の中心にある。石橋を渡って行くのだ。澄んだ水の中には綺麗な鯉たちが悠々と泳いでいて、それを眺めながら休めば、公子の気も晴れるのではないかと思った。
ここで茶を飲むのは予定通りのことであるので、女官がすでに用意してくれている。
『せーいさい!』
橋の真ん中辺りで、突然、蘭蘭が背後から星彩に向かって飛び掛かった。その時、大きな体は間にいたものを横に弾き飛ばす。
「どわっ!?」
蘭蘭が星彩の側に降り立ったのと、派手な水音を立てて瑞其が池に落ちたのとはほぼ同時だった。
「瑞其さまっ!?」
『あらー? アタシはただ星彩にじゃれようとしただけなのにぃ、うっかり落としちゃったわー』
蘭蘭の口調はとてもわざとらしい。
公子の着ている礼服は、袖も裾も必要以上にたっぷりとしているから、ただでさえ重い。水面下でもがいているのは見えるが、浮いてこない。
人間たちが青ざめるなか、蘭蘭と天祥、ついでに言えば池の鯉たちや通りすがりの鳥たちも愉快そうに鳴いていた。
「は、早く助けなきゃ!」
「落ち着いてください、星彩さま」
咄嗟に池に飛び込もうとした星彩の肩を、徐朱が掴む。
「今、兵士たちが参ります」
徐朱の言う通り、すでに何人かの身軽な者が池に入り、沈んでいる公子を拾って陸に上げた。主の沈没にただおろおろしていた亜の家来も慌てて駆け寄り、無事を確認する。
星彩も石橋を戻って瑞其に駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
瑞其は全身ずぶ濡れで、冠はずり落ち、靴は片方脱げてしまっている。立派な衣裳であっただけに、今の様相は限りなくみすぼらしい。
ぽたぽたと髪から顔にしたたる雫を拭うこともせず、瑞其は虚ろな瞳を星彩へ向けた。
「・・・申し訳ございませんが、本日はこれにて失礼してもよろしいでしょうか」
「・・・は、はい」
掛ける言葉は見つからず、頷くしかなかった。
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