第10話 疑念

「・・・うまくいかないねえ」

『ねえ』

 星彩と天祥はぐったりと道端にへたれこんだ。

 一刻ほど、貴族屋敷の辺りを中心に街の人間に聞きこみをしていたのだが、鬼嚢という賊が入った、という以上の情報はなく、当日犯行を目撃したという者もなく、よって賊の姿を知る者は皆無だった。

 思い切って兵士にまで尋ねてみたのだが、案の定、子供は首を突っ込むなと邪険に追い払われてしまった。

「誰も見てないんだもんね。これじゃあ偽物がどんな人なのかもわからないよ」

 貴族屋敷など、そもそも用の無い人間はあまり近寄らない区域だ。たとえ怪しい者があったのだとしても、目撃し得るのはせいぜい屋敷に勤める奉公人だろう。だが。

「大体、盗みに入られたのって真夜中みたいだし。起きてる人なんて、いないよねえ?」

『天祥たち、は、起きてた!』

「わたしたちは別だよ。普通の人は、夜中は寝てるものなんだよ?」

『じゃあ、普通じゃない人、見てないか、探す!』

「普通じゃない人って?」

『知らない!』

 無邪気に返されてしまったので、星彩はしばし黙考した。

(普通じゃない人・・・夜中に起きてる人・・・夜中に起きてる、モノ?)

「あ!」

 ひらめきに弾かれて立ち上がる。

「そうだよ天祥! 普賢たちがいる!」

 どうしてすぐに思いつかなかったのだろうと、自分を叱りたくなった。

 猫ならば夜にも街中をうろついているし、よくよく思い出せば普賢らは貴族屋敷の方まで縄張りだと言っていた。だったら何か知っているかもしれない。

「普賢を探そう!」

『おー!』

 決まった住処のない野良猫を探すのは困難である。しかし、色街に戻ってきょろきょろと辺りを見回していれば、わりとすぐに、誰かの足にすり寄る白い猫を見つけられた。

「普賢!」

『? っ! ちょ、ぎにゃあっ!』

 勢いそのままに普賢を抱えて連れ去る。別に連れ去る意味はなかったのだが、なんとなく止まれず、結局どこかの店の裏側まで行って星彩はようやく普賢を降ろした。

『なんなのよ星彩! アタイは抱っこが嫌いなのよ!?』

「ごめんね! 普賢に聞きたいことがあったの! 普賢は昨夜、貴族屋敷に盗賊が入ったのを知ってる?」

『ああ、それなら、人間どもが朝からずっと噂してるわよね。何がおもしろいのかわからないけど』

「そのことで今、わたしの友達に疑いがかけられてるの! でもその人がやったはずはないんだよ! ねえ、普賢は夜に怪しい人を見なかった?」

『・・・見たっちゃ、見たかしら』

「え、ほんと!?」

 普賢は思い出すように小首を傾げながら、昨夜のことを語ってくれた。

『夜の巡回をしてたときよ。盗賊に入られた家かどうかまではわかんないわよ? ただ、どっかのでかい屋敷から、荷物を満載積んだ大きな荷車が出てきたのを見たわ。盗賊ってか夜逃げって感じだったけど。三、四人くらいの人間だったかしらね、そのまま別の屋敷に入っていったわ』

「別の屋敷?」

『でっかい屋敷よ。あれもたぶん、貴族の屋敷ね』

「・・・え? あの、貴族の屋敷から出てきた盗賊が、別の貴族の屋敷に入っていったの?」

 きょとん、としてしまう。

「どーゆーこと?」

『知らないわよ。しばらくしたら空の荷車だけ出てきて、また元の屋敷に帰ってったわ』

「・・・・それ、盗賊じゃないんじゃない? ただの荷物運び?」

『だから知らないわよっ。アタイは盗賊だったなんて一言も言ってないしっ。ただ、夜中に荷物運び出すなんて怪しさプンプンでしょ?』

「それは、確かにそーだけど・・・他には何も見てない?」

『ずっとあの辺にいたわけじゃないもん。兄弟たちにも聞けば、何か知ってるかもわからないけど』

「じゃあ聞いてもらえないかな? わたしも付いていくから」

『いいわよ。ただし、饅頭一コ』

「・・・あとでもいい?」

『ツケね。特別に許したげる』

 普賢はぴんと尻尾を立てて、街に散っている兄弟たちのもとへ先導してくれた。

『妙なことしてたヤツなら見たぜ』

 幾匹か目に、そんな情報が入った。

『夜中によ、塀に文字だか絵だか、でかでかと書いてたぜ』

「! それ、鬼って文字!?」

『さあ。オレ、字は読めねえし』

「書いてた人の顔は見た?」

『後ろ向きだったし、そこまでは見てねえよ。だけど妙なことによ、書いたあとは屋敷ン中に戻ってったンたぜ。てめえの家に落書きして、どーゆーつもりなんだろうな?』

「・・・?」

 もし、その落書きが鬼の一文字であったなら、落書きをしていたのは盗賊の一味であろう。

「ねえ、それを見たのはどこのお屋敷?」

『どこって・・・んじゃあ、案内するから付いて来いよ』

 気になった星彩は、再び猫に連れられて、貴族屋敷の並ぶ街へ行った。

「・・・ここ?」

『ああ。まさしくアレだ』

 普賢の兄弟が案内してくれたのは、兵士の集まった屋敷。鬼の一文字を指し、あの落書きに間違いないのだという。

「ど、どーゆーこと?」

 天祥と顔を見合わせ困惑していると、辺りを見回していた普賢が前足で星彩の靴をつついた。

『ねえ、アタイが見た荷車が出てきた屋敷ってのも、確かアレよ。門に見覚えがあるわ』

「そーなの?」

 であれば、真夜中に夜逃げのように出てきた荷車は、盗賊に襲われた屋敷のものであるということになる。そうして鬼の一文字を書いた人間は、屋敷に、戻った。つまり、屋敷の人間であったということ。

「ま、待ってっ。よくわかんなくなってきたっ」

 鬼の一文字を落書きしたのは盗賊であるはずで、しかし実際書いた人間は屋敷の者で、ということは、どういうことになるのか。

『・・・そーいえばさ、星彩。アタイらみんな、屋敷から出てきて戻っていく人間は見たけど、外から入ってきて出ていく人間は見てないのよね』

 普賢が獲物を見定めるような鋭い目つきになる。

『臭うわよねえ。ほんとに盗賊なんて来たのかしら?』

「ど、どーゆーこと?」

『ほら、たまにあるじゃない? 屋敷の下女がさ、泥棒が入ったとか騒いで本当は自分の懐にいれちゃってんの』

「そんなことあるの?」

『奉公人だって魔が差すんでしょ。ひどいのよ? おかずの魚をつまみ食いして、アタイらのせいにしたりすんの』

「・・・じゃあ、盗賊の正体は屋敷の奉公人たちってこと?」

『アタイはそう思うわ。そうするとさ、荷車が怪しいじゃない? あの荷物、もしかして金銀財宝だったのかもっ』

 普賢は楽しそうに、にゃあと鳴く。金など猫にはあまり関係ないものだが、宝という響きには胸が躍るのだろう。

 しかし、星彩はまだ首を傾げている。

「・・・でもさあ、荷物を運んだ先って、貴族の屋敷だったんでしょ? どーして奉公人が盗んだ宝を他の屋敷に運んじゃうのかなあ? まさか、もう自分たちの屋敷を買ってたってわけじゃないよね?」

『いいじゃない、その考え』

 普賢が軽い調子で同意するが、自分で言った星彩は納得いかない。

「普賢、その屋敷の場所、覚えてる?」

『たぶんね。道を辿ってれば思い出すっしょ』

 ぽてぽてと、記憶を確認しながらゆっくり進む普賢の後に付いてゆくと、やがて大きな屋敷に行き当たった。

「ここ、誰の家だろう?」

 そこまでは普賢にもわからないので、星彩はちょうど通りかかった振り売りの男に尋ねてみた。

「ここは田甫さまという方のお屋敷さ。大臣さまなんだとよ」

「大臣? それって、すっごく偉い人だよね?」

「おうよ。五日前に盗賊に入られたって話だけど、高給取りにゃあ大した痛手じゃないのかねえ。気前よく買い物してくださるよ」

「え? このお屋敷も、盗賊に入られたの?」

「ああ。ほら、あっちの曼成さまのお屋敷にも賊が入ったろ? それと同じ奴らの仕業らしいぜ。田甫さまのお屋敷にも、門に鬼の一文字が書かれてたっつーんだからよ」

「・・・」

「聞きたいことはそれだけかい? もう行っていいかい?」

「あ、うんっ。ありがとねっ」

 気の好い振り売りにお礼を言って別れ、星彩は、墨の痕などもうどこにも残されていない大きな門を見上げた。

「・・・大臣の屋敷に、どうして別の屋敷の奉公人たちが宝を持ってきたんだろう? 五日前に盗みをしたのは誰? 田甫の屋敷の奉公人? だとしたら、その宝はどこに運んじゃったんだろう? こっちとあっちの屋敷の奉公人は、仲間なの?」

『さっぱりわかんないわねえ』

 普賢も天祥も、首を傾げて困惑している。

 星彩も悩みに悩んだ挙句、

「・・・鬼嚢に相談してみよっか」

 いつもなら宗麟に、と言うところだが、城には帰れないので星彩は色街へ走って戻っていった。

 しかし、その日は鬼嚢に会えなかった。居場所をそもそも知らないというのと、聞き込みでかなり時間を喰ってしまい、店に戻らなければならなくなったためである。

『アタイらが探しといてあげるわよ』

 普賢から嬉しい申し出もあり、星彩は今日は諦めて彼女らにお願いし、慌ただしい開店準備の中に加わった。

 夜になり、店の者の忙しい時間となる。

 星彩は皿を運びながら、鬼嚢が店に来ないかとその姿を探していたのだが、さすがに騒ぎの起きた当日に、飲み来ることはないのだろう。鬼嚢らがよく使う二階にもちょくちょく皿を運びに行くが、今日は広間を使っている客もいないらしい。

 誰もいない広間を覗いて少しだけ落胆するが、気を取り直して厨房に戻ろうとしたとき。

「うわっ!」

「っ!」

 どん、と振りかえりざま、側を通った男にぶつかった。それほど勢いよくではなかったのだが、相手の方が大きかったので星彩はよろめいて尻餅をついた。

 そこへ、はらり、と紙が落ちてきた。丁寧に折りたたまれた、おそらくは手紙である。

「?」

 手にとって眺め、男の物だろうかと思い返そうとした瞬間に、素早くそれを奪われた。

「――見たか?」

「え?」

 低く、呻くような声で男は問い、その手が腰に帯びた剣の柄にかかった。

「ひゃっ!」

 しゅらん、と涼しい音がして、冷たい刃物が首筋に触れた。怖々と男を見遣れば、尋常ではない、怖ろしい目をしていた。

 もし、すでに床に尻餅をついていなかったならば、星彩は恐怖で立っていられなかったかもしれない。叫ぶことも憚られるような、殺気がひしひしと感じられる。

「もう一度聞く。中を見たのか?」

「・・・」

 声が出なかった。だが首を振るという動作をすると、押し当てられた刃物が皮膚を切るような気がして、動くこともできなかった。

「答えよ」

「み・・・て、ない」

 急かされて、どうにか絞り出すように言葉を紡ぐと、男は一つ、頷いた。

「それでよい。もし見えたのだとしても、内容は忘れよ。今宵、私に出会ったことも忘れよ。でなくば、小娘といえど斬る」

 わずか、頷けば、刃物は離れた。

「星彩!?」

 すると背後からぱたぱたと駆けてくる足音が聞こえ、ふわりと花のような良い匂いに包まれる。

 歌妓の格好をした明玉が、いまだ抜き身の刃を持つ男から庇うように、震える星彩の体を抱きしめていた。

「・・・この者が、何か無礼をいたしましたでしょうか」

「不注意にもぶつかってきおったのだ」

 剣を収めながら、男は悠然として答える。先程の、どこか切羽詰まったような感じはすでに消えていた。

 明玉は少しの間、男を睨みつけるように鋭く見つめていたが、やがて星彩を離し、床に手を付いて深々と頭を下げた。

「失礼をいたしました。この者は最近店に入ったばかりの下働きでございまして、私の方からきつく叱っておきますので、どうかお客さまはお怒りをお静めくださいますよう」

 普段のきゃんきゃんした声音とは違う、低く落ち着いた口調で明玉が丁寧に赦しを乞う。

 下げられた頭を見おろして、男は鼻から息を吐くと、「よい」と一言放って横を通り過ぎた。

「―――はあ、まったく」

 男の気配が消えて、明玉が溜息交じりに星彩を振り返る。

「あんたねえ、なんつー厄介な相手に絡まれてんのよ」

「め、めい、ぎょくっ」

 安堵して名を呼ぶと、明玉はぎょっと目を見開いた。

「ちょっと、血ぃ出てるじゃないの!」

 刃物が押し当てられていた辺りを触られる。深くはないが、血が滲む程度には皮膚が斬られていたのだ。

 一歩間違えば、本当に殺されてしまっていたのかもしれない。

「こ、こわかっ・・・」

 恐怖にせき止められていた涙が溢れる。明玉は泣きじゃくる星彩を抱きしめて、その背をぽんぽんと優しく叩いてやった。

「おーよしよし。怖かったわよねえ。―――ったく、とんだ客ね。ぶつかったくらいで、剣まで抜く? 偉いお役人のくせに、気が短いったらないわね」

「お、やく、にん?」

「愠州の大士さまらしいわよ。翠玉姐さんのお客。だからあたしも一緒に接待してんだけど、厠に行ってちょっと帰りが遅いからってんで、様子見に出てきたらこんなことになってんだもん。びっくりしたわよ」

「あうう~、明玉が来てくれてよかったよぉ~」

「はいはいはい、よしよしよし。もう立てる? 廊下のど真ん中でいつまでも泣いてちゃしょーがないでしょ?」

「うん」

 と、立ち上がろうとしたのだが、なぜだか力が入らない。

「あ、あれ?」

「腰抜けてんの? なっさけないわねえ!」

「ご、ごめん」

 明玉に肩を貸してもらいながら立ち上がり、ゆっくりと階段を降りる。

「腰が抜けるって、こーゆー感じなんだね。わたし、初めて体験したよ」

「あたしも本当に腰抜かすヤツなんか初めて見たわ。今日はあんた、休んでなさい。張さんにはあたしから話しておくから」

「え、でも・・・」

「またあのお役人にぶつかりでもしたら、今度こそ首を刎ねられるわよ?」

「や、休む!」

「良い子ね」

 明玉は意地悪く笑って、下働きの者がいつも寝ている部屋まで連れて行ってくれた。それから一旦部屋を出て、再び戻って来たときには、厨房に置いてきていたはずの天祥を持っていた。

『星彩!』

 事態を察しているのか、天祥が急いで駆け寄って、膝に飛び乗った。

「あんたのワンコロ、肝心な時にご主人さまの側にいないのね」

『星彩、ごめん! ごめんね!』

 傷のついた首筋を天祥が謝りながら一生懸命なめてくれる。くすぐったくて、星彩は笑ってしまった。

「大丈夫だよ、天祥。明玉が助けてくれたから」

『天祥、星彩の側、もう離れない! 天祥が、守る!』

「ありがとっ。その気持ちだけで嬉しいよっ」

 ぎゅっとふわふわの体を抱きしめる。温かい感触に、心に巣食った恐怖が取り除かれるようだった。

「あたしは仕事に戻るけど、大人しくしてなさいよ」

「うん! ありがとね、明玉!」

 落ち着いた星彩を見て明玉も安堵し、部屋を出て行った。

 いつもは大所帯で眠るから狭い部屋も、誰も居ないととても広い。真ん中に天祥と一緒に寝転がって、星彩は半分より少し太った月を眺めていた。

『星彩、平気?』

 天祥はまだ心配そうで、鼻をひくひくさせている。

「平気だよ。怖かったけど、なんともなかったもん」

『なんともなくない。ちょっと斬られてた。誰、星彩いじめた?』

「いじめられたわけじゃないよ。ぶつかったわたしが悪かったの」

 天祥にそう言って、しかし星彩は違和感を感じていた。

「・・・でも、あの人、ぶつかったからじゃなくて、紙をわたしが見たと思ったから怒ってたような?」

『紙?』

「手紙みたいなのだったよ。きれいに折り畳んで、字が透けて見えたの。なんて書いてあったかまでは読めなかったけど」

『それ、見たら怒るもの?』

「う~ん・・・手紙って、確かに関係ない人には見せないものだけど、あんなに怒るほどではないと思うよ。よっぽど大切なものだったのかな?」

『じゃあ、しまっとけばいいのに! そしたら星彩、怒られなかった!』

 天祥が短い手足を振りまわして憤る。星彩も、首を傾げていた。

「ほんとに、どうしてしまっておかないんだろうね? そんなに大切なものを持ってお酒飲んで、酔っぱらって落としちゃったりしないのかな?」

 疑問は、なかなか解決されない。

 この事とは別としても、今日の一日だけで、随分とたくさんの疑問を抱えてしまった。解決しようにも、情報が足りず推測ができない。推測ができないと、次にどのように動けばいいのかもわからなくなる。

(やっぱり、わたしたちだけじゃ、無理だなあ)

 とにかく全ては明日、鬼嚢にも相談してみてからだ。自分たちで話し合っていてわからないことも、また別の知恵が加われば、新たな発見があるかもしれない。

「明日は明日の風が吹く。―――ね、天祥っ」

『? うん!』

 わかっているのか、いないのか、一拍の後に同意した天祥の毛に顔を埋めて、星彩は目を閉じた。

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