第7話 星彩の価値

 占星官の仕事場は、奇妙な所だった。

 大きな水晶が置いてあったり、紙の羅針盤が壁に貼ってあったり、占星官たちは何かの絵の上で玉を転がしていたり、皆で書物を広げて難しい顔をしていたり、正直、何をしているのか全くわからない。

「どうぞ」

 静かに話し合いをしている占星官たちを横目に、そっと部屋に入ってそっと隅の来客用らしき円卓に、洞玄と向き合って座る。天祥は星彩の膝の上に乗る。そこはもはや彼の特等席となっていた。

 気を利かせた若い占星官が茶を持ってきて、それを啜りながら、二人はほのぼのとした午後の日差しを浴びていた。

「―――そうだ、結局、洞玄はどうしてわたしに会いたかったの?」

 縻達が割って入ってきたため、途中で消えてしまっていた疑問だ。

「どういうお方であろうかと、気になりましたでの」

 背もたれに寄りかかり、洞玄はゆっくりとした口調で語った。

「星彩さま。優れた人物にはそれぞれ、宿星という運命を表す星がございます」

「? 宿星?」

 いきなり聞いたこともない単語を出されて首を傾げる。

「宿星はその人の運命を表します。星の動きを辿ってゆけば、その人生が見えまする。―――星彩さまが恭にいらっしゃった夜、天上の高き場所に一点、白く光る星が現れました。陛下の星と並んで、辺りの闇を晴らすかのように、燦然と輝くものを見て、わしは確信いたしましたのじゃ。陛下が淸より持ち帰られたのは、何より素晴らしき姫なのだと。かの御人はきっと、恭へ僥倖をもたらしてくださるお方なのだと。ゆえに、ひとたびその御姿を拝見いたしたく、以前より面会を願い出ておりましたのじゃ」

 そしてにっこりと、洞玄は笑った。

「思った通り。星彩さまは恭に神獣をお呼びくだされた。更に陛下を深く愛され、この恭を故郷の如く大切に想うてくださる。これほどに良き妃は他におられぬでしょうなあ。まことに祝着、祝着」

「そ、そこまで言われると、自信ないけど・・・」

 居た堪れない気持ちになって、なんとなく天祥の長い耳を指先でいじる。すると天祥はくすぐったそうに、ころん、と仰向けになった。

「天祥とは、街で偶然会っただけだし・・・宗麟も恭も、もちろん大好きで、大切に想ってるけど、具体的にはなんにもしてあげられてないし・・・怒られてばっかりだし・・・」

「ふむ、どうやらご自身では御身の尊さに気付かれぬらしい。よろしい。ご説明いたそう」

 星彩が思わずしゅんとなってしまうと、洞玄は少しだけ声を張った。

「恭が五十年前に興ったばかりで、しかも初代恭王の慧㕮さまが、お仕えしていた浬国を裏切って建てたがために、諸国から蛮国であるとの誹りを受けていることは、知っておられますな?」

「? うん」

「蛮国と呼ばれる所以は、主君を裏切り、天意なく国を建てたがためです。天意とは淸の高祖が天女の導きを得たというような、つまりは世の者が伝説と讃えている神話にございますな。嘘か真か、腹の中では皆どう思うておるかわかりませぬが、表向きではそれを建国の根拠として持っております。それが恭にはないのですよ」

「神話がないと、蛮国なの?」

「天に認められずして人倫の王として君臨することは、この世では許されておりませぬ。ゆえに恭はこれまで、なかなか国としては認められずにおったのです。それが時を経て、大国淸と結んだことで、徐々に他国にも受け入れられつつあります。そこへ、浬国の時代から、この地の守り神である雷獣が現れた。これぞまさしく、生ける伝説。恭はようよう、天意を得たと、他国へ自慢できますのじゃ」

「そう・・・なんだ?」

 星彩は膝の上であくびしている天祥を見た。

「ねえ、天祥は恭を認めてくれたから、出てきてくれたの?」

 尋ねてみると、天祥は藍の目をぱちくりさせて、小首を傾げた。

『天祥、星彩に、会いにきた』

「え?」

『天祥、星彩に、ずっと会いたかった。星彩、天祥の土地、来た。だから、会って、一緒いる』

「・・・恭を認めてくれたとか、そういうのでなく?」

『天祥、人のこと知らない』

「そ、そうなんだ・・・」

「どうなされました。雷獣が、何か言っておりますかな?」

 天祥に向かって話している星彩に、洞玄は驚いたふうもなく問う。

「天祥はわたしに会うために出てきただけだって。人のことは知らないって」

「さようでございますか」

 ほっほっほっ、と老人は愉快そうに笑った。

「天とはそういうものでありましょうな。大騒ぎしているのは、人ばかりです」

「ええと、でも、じゃあ、恭に天意はないってことだよね?」

「なあに、天意など、きっかけさえあれば人が勝手に作り申す。雷獣がここにいるということが肝要なのです」

「・・・いいのかなあ」

 つい首を傾げてしまう。

「大人はいい加減なのですじゃ」

「ふうん? なんだかやっぱり、わたしは役に立ってないような」

「星彩さまがいらっしゃるだけで、我らは恩恵を受けるのです」

「・・・いるだけで?」

 星彩はほんの少し、うつむいた。

「洞玄も、わたしは余計なことはしないでいるのがいいと思う?」

「いいえ」

 思い切って尋ねてみると、洞玄はかぶりを振った。

「天地を漫遊する風がごとく、心のおもむくまま、自由になさってくださいませ。それらはすべて、周囲の幸福へと繋がりましょう」

「―――」

「貴女さまの星は、そう申しておりますよ」

 自信を持って、洞玄は言う。

 何でもしてみろ、と。

「――ありがとうっ」

 優しい言葉がとても嬉しくて、自然と笑みが零れた。

「ねえねえ、洞玄のこと、玄じいって呼んでもいい?」

「ほ」

 淸で、仲の良かった馬番の呂遜を遜じいと呼んで慕っていたように、この気の好い老人のことも、そう呼びたくなったのだ。

「ダメ?」

「よいですとも。何やら孫が増えたようですのう」

 洞玄もまた、嬉しそうに笑った。

「玄じい、わたしは、まだ自分が何をしたらいいかわからないけど、がんばってみるっ。わたしにだってきっと、できることがあるはずだもの!」

「ほっほ、その意気ですじゃ。星彩さまは、元気でいなさる方が似合うておられる」

「ありがと! ―――ねえ、もっとお話聞かせて! なんでも知りたいの!」

「ふむ・・・では、わしからは国のことではなく、陛下のことについてお話しいたしましょうや。陛下の幼き頃のお話です」

「わあ、聞きたい聞きたい!」

「あれは、暑い夏の日のことでしたか―――」

「うんうん!」

 そうして、洞玄による若い恭王の恥ずかしい思い出話は日暮れまで続いた。



 *



「―――って言ってたよっ。宗麟って、よく妓楼で遊んでたんだねっ」

「・・・まあ、昔な」

 寝台に寝そべりながら、宗麟は腕の中で嬉々として話す妃から目線を逸らした。

 仕事を終えた宗麟が星彩の部屋を訪ね、約束通り一緒に寝ることになり、そこで今朝の出来事や、洞玄に聞いた昔話などを報告していたのだ。

「・・洞玄に会わせたのは失敗だったか」

「え、なんで?」

「いや別に」

 尋ねても、宗麟は頭をなでてくれただけで答えなかった。

「まあ、星彩が楽しめたならいい」

「? うん。楽しかった。だって、」

 くい、と宗麟の着物を引く。

「考えてみたら宗麟はわたしの話をたくさん聞いてくれるけど、わたしは宗麟の話、あんまり聞いてあげられてないよね? もしかしたら、わたしは宗麟のことをよく知らないのかもって思って・・・だから、今日は玄じいにいっぱい聞けて嬉しかったのっ」

「星彩が聞きたいならいくらでも聞かせてやるさ。ただ、そんなにおもしろい話は、もうないと思うが」

 宗麟は苦笑する。

「色んな事を見て聞いてくる星彩の話の方が、よっぽどおもしろい」

「でもわたしは、もっと宗麟の話を聞きたいよ」

 星彩は窓から差し込む月明かりに、白く照らされる相手の顔を見つめる。

「昼間も言ったけど、わたしはもっと知りたい。宗麟がどんなことで悩んでるのか、わたしが、してあげられることはないのか」

「・・・星彩」

「わかってるよ? 宗麟の役に立ちたいっていうのはわたしの気持ちで、宗麟はきっと、わたしの助けなんかいらないんだろうけど、でも、だからって何も知らないままは嫌なのっ。淸で暮らしてたときみたいに、わたし一人が蚊帳の外で、遊んでるだけなんてヤだっ。そんなの、ぜんぜん味方じゃないものっ」

「・・・」

「それにね? わたしだって、わかったことがあるよ。国にはいろんな人がいて、それぞれの暮らしの中で、みんなつらいことや、悲しいことがある。それでも笑って、生きてる人たちがたくさんいるんだって。そーゆーのぜんぶ、大切にしたい。一緒に、守りたいの。だから、宗麟が背負ってるもの、少しでもいいから教えて。わたしじゃ頼りないかもしれないけど、がんばるからっ」

 頑張ってどうにかできる確かな根拠も自信も、持っているわけではないけれど、いつもいつも皆が働く姿を横目に見ている自分が、とてももどかしかったから、つい、宣言してしまっていた。

 宗麟が、どう思ったかはわからない。

 子供が何を、と呆れているかもしれない。それでもいい。どうせ何もできはしまいと、思ってくれていてもいいから、せめて教えてほしい。

 きゅっと着物を強く握ると、背に回っている腕に優しく抱き寄せられた。温かい胸が額に当たって、とくとくと、脈打つ鼓動が聞こえる。

「・・・こうして側にいてくれるだけで、かなり助かっているんだと言っても納得しないんだろうな」

「宗麟・・・?」

 顔を見ようとしたが、ぴったりと体が密着しているため、できなかった。

 宗麟の長い指が、耳の後ろから髪を梳くように、ゆっくりと流れていく。

「三日後、亜国の公子が使者として来る」

 囁くような声音で、宗麟は教えてくれた。

「淸と同盟を結んだのを機に、諸国が恭を認めようという動きに傾いてきているんだ。今回、公子は同盟の調印のために来るわけだが、ついでに見物がてらしばらく滞在するようだ。・・・同盟国、と言っても、いまだ恭を蛮国と見なしていることに変わりはない。丁重にもてなす必要はあるが、こちらを侮ってる者に、下手に出過ぎるのも悪い。どーしたもんかと、最近はあれこれ議論してる」

 そもそも他国の王族を迎えること自体、慣れていないのだと言う。

「公子って、どんな人なの?」

「十五くらいの、まだ若い奴らしい。たぶん、社会見学のつもりで寄越されるんだろう。この時点で、わりとなめられてる」

「ふうん?」

 星彩はいまいちわかっていないが、国と国どうしの同盟とは重要なもの。その調印に来るのが交渉に携わったわけでもない年若い公子であるというのは、亜が恭との同盟をさしたるものと考えていない表れなのである。

「恭との同盟は、友好国の淸に付き合って、という理由以外にないんだ。昔から、亜は淸と特別仲の良い国だから」

「・・・そーいえば、春麗姉さまが前に亜国からの贈り物だっていう玉とか簪とか、見せてくれたっけ」

 使者と会うことはなかったが、話だけなら、兄姉たちから聞いたことがある。よく思い出してみると淸で式典など何かがある度に、品を見せられていた気がする。

 頻繁に贈り物をしてくれるくらい、亜は淸を重要視しているということだ。

「亜の公子かぁ・・・わたしは? わたしも何かすることある?」

「そうだな・・・今のところは、特に考えてない」

「会わなくていいってこと?」

「ああ。ただ、もしかすると向こうが言ってくる可能性もある」

「?」

「淸と関係の深い国だからな。淸に貰った妃を見てみたいと、言われるかもしれない。そのときは星彩に出てもらうしかないな」

「ほんと!?」

 星彩は、つい大きな声を出してしまう。

「じゃあ、わたしもお仕事あるかもしれないんだね? やった!」

「接待なんて面倒なだけだぞ?」

「がんばるっ。楊佳にずぅっと礼儀の勉強させられてるもん、たぶんできるよっ」

 勉強は恭に来てからほとんど毎日やっているが、その成果を発揮したことが実はない。畏まった礼を取らねばならない場所に、基本的に出ないためだ。

「ま、本当にお呼びが掛かるかはわからないし、あまり気を張り過ぎなくていい。星彩はいつも通りにしててくれ」

「うん! 遠慮なく呼んでくれていいからね!」

 そうして意気込めば、頭の上で苦笑するような声が聞こえた。

「そんなに頑張らなくていいさ。――――大体な、星彩。何もしてないと言うが、ついこの間、反乱を止めてくれたのは星彩なんだぞ? 縻達はそこのところをよく知らないだけで、これが一介の家臣ならかなりの褒賞ものだ」

「田甫のこと? でもあれは宗麟が捕まえてくれたんだよ。それに、あれからは遊んでばっかりだし、ちゃんと役に立つことしたいよっ」

 うっかり街に放り出されて、偶然噂話を聞いて、皆の協力を得て解決したひと月前の事件を、星彩は手柄などとは思っていない。

 自分は未だに、遊び暮らしてばかりの情けない妃なのだ。

「―――だから、がんばるっ!」

 決意をこめて、しっかりと宣言しておいた。



 *




「―――・・・」

 安らかな寝息を立てて、今日もまた、夜が更ける前に眠ってしまった娘の頭を、宗麟は優しくなで続けていた。

 いつもきらきらと輝く鈴のような瞳が閉じられ、あどけない寝顔はただただ可愛らしく、絹のような手触りの髪は、ずっと触れていたくなる。

「・・・こうして腕の中に閉じ込めて、どんな面倒にも関わらせないようにはできないか?」

 答えない相手に尋ね、やわらかな頬に口付ける。

 宗麟が星彩に教えていない事柄はたくさんある。公子の件以外にも悩みごとは尽きないし、仕える者の中には若い王に反抗的な者や、妃に疑問を抱く者も少数であれいまだあり、必ずしも味方ばかりではない。

 星彩がそういったことに気付かずいられるのは、宗麟が意図的に家臣らが妃に会う機会をなくしているからでもある。野心を抱く者どもが、ただ一人の寵姫にたからぬよう、隠している。だから星彩が知り合うのは、烏淵やら皓大やら小蓮やら、あまり政治には影響のない下の者たちばかりであるのだ。

 できれば一生、この小さな頭を余計なことで悩ませたくはない。この無垢な瞳に、わざわざ人の醜さなど映したくはない。

 星彩には何の不安も恐れもなく、この世の全てが善であることを信じ、無邪気に笑っていてほしい。

 しかし一方で、皆のために何かしたいという優しい願いを、無下にもできない。心配するなと言い聞かせ、閉じ込めてしまうことは簡単だが、それは星彩が最も嫌う、心を殺す行いなのである。

 宗麟は、星彩の心を自由なままにさせておきたかった。

 たとえ好ましくない事柄であっても、望んで真正面から向き合い、泣いて焦って、一生懸命考えて、奔走するのはこの娘らしいことであって、その純粋な心を大切にしてやりたいと思っているのも事実で。だが危ない目にも、悲しい目にも遭わせたくないと思う己の心も無視はできなくて。

「どーしたもんかな・・・」

 他のどんな複雑な国事より何より、この腕の中にある問題こそが、一番の難物であるように思えた。

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