第16話 彼の事情

 城に帰った星彩は、まず心労でげっそりした楊佳に泣きつかれ、たくさん怒られた。皓大には何度も謝られて、白龍にはとても喜ばれた。

 何日も城の外で寝泊まりしていた妃の体を気遣った楊佳に、今日一日は絶対部屋から出るなときつく言い付けられて、星彩は朝に白龍に無事な姿を見せに行った以外は寝台で天祥と一緒にごろごろしていた。

 久しぶりに昼寝などもして、夕方に目が覚めた。

 枕元では、天祥はまだ寝ている。昨夜は不思議な力を発揮した彼が、なんであるのかはやっぱりわからなかったが、丸まって寝ている姿はただただ可愛い。

 ふわふわの毛をなでていると、思わぬ訪問者があった。

「星彩、いるか?」

 戸を開け、やって来たのは宗麟だ。いつもこの時間はまだ仕事をしているから、本当に予期せぬ、そして嬉しい訪問だった。

「宗麟! いらっしゃい!」

「少しは休めたか?」

「うん! お昼寝までしたからすっきり!」

「ならよかった」

「今日はお仕事もう終わりなの?」

「早めに切り上げてきた。一応、星彩にも田甫の件で報告しとこうと思ってな」

 そう言って、寝台の上に腰かけた。

「田甫が喋ったから、謀反の事実は確定だ。連判状に名があった奴で、豊邑にいる者は昼間の内に捕らえた。愠州にも兵を向かわせたところだ。どうやら田甫は、あちこちでならず者たちに暴動を起こさせて、政治不安を煽ろうとしたみたいだな。で、俺の信用が落ちたとこで他に王を担ぎあげて反乱軍を作り、一気に攻めるつもりだったらしい」

「・・・それ、すごく大変なことだよね」

 現実となればかなりの人が犠牲になっただろう。暗殺などではなく、なまじ正面から戦う分、余計に被害は大きくなりそうだ。

「星彩のお手柄だ。恭を救ってくれた」

「みんなが助けてくれたからだよっ。わたしの手柄じゃないよっ」

「星彩が調べ回って、皆に協力を求めてくれたからこそ解決できたんだ。いきなり知らない街に放り出されたっていうのに、よく頑張ったな」

 そう言って宗麟は頭をなでてくれる。

 この感触も久しぶりだなあと思って、改めて宗麟のもとに帰れたことを実感した。

 だが一つ、疑問に思うことがあって、星彩は笑みを引っ込めた。

「宗麟、ちょっと訊いてもいい?」

「ん?」

「田甫は誰を王さまにしたかったの?」

 自国に内乱を起こしてまで、大臣が玉座に据えたいと願った人物。それだけは、どうしてもわからない。

 宗麟も、問われることは予想していたのだろう。

「―――宗麒。俺の異母弟だ」

 答えて、小さく笑った。

「昔話、聞くか? 楽しい話じゃないが」

「・・・うん」

 田甫が言った惨劇という言葉からも、今の宗麟の、笑っているがどこか暗い表情からも、決して美しい思い出ではないことが察せられる。

 それでも、これを聞かなければ今回の件をすべて解き明かしたことにはならない。だから、星彩は頷いた。

「―――宗麒は一応、弟ってことになってるが、実際の年は二カ月程度しか違わないんだ。子供の時から良い遊び相手だったよ。通り道に落とし穴を掘ってみたり、侍女や官吏をからかったり、勝手に街に出てみたり・・・弟というより悪友に近かったな。大抵、遊びに誘ってくるのはあいつからだった」

 宗麟の視線は部屋の外へと移った。その目は外の風景を通り越し、懐かしい昔を見ているようだ。

「年が同じなのは、俺たちにとっては気が合う条件に過ぎなかったが、周りにとってはそうじゃなかった。要は、どっちが太子になるか、大揉めに揉めたわけだ。公子は俺と宗麒の二人だけだったし、文字通り一騎打ちだったんだよな。――――俺の母は正妃だったが、宗麒の母も家挌としては劣ってない。なにより宗麒自身が、人に注目されやすい奴だった」

 宗麒は、いわゆる傑物だった。他人とは違う物の捉え方ができ、誰もが頭を悩ませることも一瞥の内に解決してしまう。頭が良く、武芸も達者だった。そのかわり随分と破天荒であったが、型破りな性格は恭人のからっとした気風に受け入れられた。実際、宗麟もそういう弟を好ましく思っていたし、中には深く心酔する者もあったのだ。

「宗麒が太子になればいいと、俺も思った。と言っても、宗麒のほうも、何が何でも王にって感じではなかったんだが・・・きっかけは、劣勢を悟った俺の側の人間だった」

 笑みが消え、眼差しが冷える。ここからがきっと、忌まわしい過去の出来事。

「宗麒を刺客が襲った。本人は無事だったが、計画を企てた母の親戚が数名、処刑された。そうしたら今度は計画を暴いた宗麒側の人間が刺客に殺された。復讐の復讐のつもりか、俺のところにも刺客が寄越された。そしてそれに関わった者が処刑された。・・・俺や宗麒や、その支援者たちが次々と襲われ、企てた者どころか、謂われなく嫌疑をかけられた者も処刑された。宮中に、こんなに人がいたのかと思うくらい、殺された。嘘か本当かもわからない疑惑だけで、死んでいったんだ。後半なんて、その人間がなんの嫌疑で処刑されるのか、王もわかっていなかった」

「・・・王さまは、止めなかったの?」

「さあ、止めるつもりがあったのかなかったのか。とにかく家臣は暴走を続けて、人は死に続けた。それでとうとう、決定的な事件が起きた」

 淡々と、宗麟は語る。

「後宮の裏庭に、呪詛が行われた形跡があった。木片に俺の名が書いてあって、釘を打たれていたらしい。それで俺自身に何かあったわけじゃないが、呪詛を行ったとされる宦官や、侍女たちが処刑された。官吏でもない、女までもが殺された。これが決定打になった。―――宗麒が、公子を辞めると宣言したんだ」

「え?」

「殺された侍女の中に、宗麒の恋人がいたんだ」

 名を、涼杏といった。ちょうど同じ年ごろの娘で、飛び抜けて美しい顔立ちではなかったが、人当たりがよく、物腰が柔らかで、突飛な行動で侍女や女官たちに敬遠されていた宗麒の相手をよく務めていた。宗麒は、彼女をいずれ妃にとまで望んでいた。

 それが、本当かどうかもわからない嫌疑をかけられ、あっけなく殺された。

「宗麒は王や家臣の居並ぶ前で、冠を投げ捨て、衣を斬り裂き、馬に乗って城外に出て行った。兵が追いかけたが、山の中まで逃げて最後は馬ごと谷へ飛び降りたそうだ。捕まって連れ戻されるより、死ぬことを選んだらしい。――――谷の下には馬の死体と衣の切れ端があるだけで、宗麒の死体はなかった。川の下流も探したが見つからなかった。結局は、流れに引っ掛かってるところを獣に持っていかれたんだろうということで落ち着いた。王位継承の問題も、これで解決した」

「――――」

 確かに、解決はした。一人が死に、一人が残ったことで、何も争う必要がなくなった。

 解決はした。しかし、それだけだ。誰も救われてはいない。

「田甫は宗麒が生きていると言っていたが、居場所についてはだんまりだ。それが本当にしても嘘にしても、もう一生そのことで口を割ることはないだろう」

 真実、生きているのであれば、居場所を言えば宗麒の身が危うくなり、嘘であれば、もとより喋ることなどないのだ。

「宗麒の名を借りて、田甫自身が上に立とうとしていたのかもしれない。田甫は涼杏の父親だ。ただ俺に復讐しようとしただけって可能性もある」

「―――」

 宗麒の恋人は、田甫の娘。

(だから、あんなに)

 田甫が宗麒に傾倒するのは、それも理由の一つなのではないか。娘の愛した人であれば、田甫にとっても宗麒は大切な人だったのだろう。

 だが涼杏が殺され、宗麒が死んだのは、宗麟が画策したことではない。権力に眩んだ周りの人間たちの、泥沼の争いの中で、殺されていったのだ。それは、誰か一人が悪いと言えるものではない。

 すべてはもう、終わってしまったこと。どんなに悔んで、誰が悪いと叫んでも、死んだ者は戻らない。取り返しのつかない過去なのだ。

 どうしようもない。

 最後はその言葉にぶつかって、無性に悲しくなった。

 しかし後から話を聞いただけで、根本は部外者の星彩よりも、実際に泥沼に埋まって、近しい者が殺されるのを目の当たりにした宗麟の心のほうが、もっとずっとずっとつらいのだろうと思ったら、簡単に泣くことなどできなかった。

「宗麟・・・」

 遠くを見つめたままの、彼の横顔に、せめて声をかける。

「生きてるといいね」

 宗麟が星彩を振り見た。

 星彩は瞳を潤ませながらも、やわらかく微笑んだ。

「宗麒が、今度は大切な人が殺されない場所で、自分を殺さなくてもいい場所で、幸せに暮らしてるといいね」

 死体が見つかっていないのなら。少しでも可能性があるのなら。

 王に成り代わろうと乱を望んでいるのではなく、自分と周囲の人々の幸福を願って、生きていると信じたい。

「―――そうだな」

 ふっと肩の力を抜いて、宗麟も笑った。

 そうして今にも零れ落ちそうだった星彩の涙を、指先で優しく掬う。

「わずらわしい地位は捨てて、あいつらしく奔放に生きていればいい」

(あ・・・)

 その言葉に、星彩は気付かされた。

 宗麒が消えたことで、宗麟はそのわずらわしい地位を背負うことになった。様々な人間の血がついた玉座に、座る羽目になった。

 宗麟は王位を望んでいたわけではない。宗麒が捨てて、他に誰もいないから、それを拾うしかなくなっただけ。それも、途中で投げ出すことの許されない、半端でなく重い責任を、仕方がなく拾ったのだ。

(宗麟も、公子辞めたいって、思わなかったのかな?)

 たくさんの人間が死んだのだ。宗麒が恋人を殺されたように、宗麟の大切な誰かも殺されてしまっているかもしれない。たとえそうでなくとも、連鎖的にどんどん人が死んでいく状況で、逃げ出したいと欠片も思わない人間が、あろうはずもない。

 それでも、

「・・・宗麟は、逃げなかったんだね」

 もう、涙は堪えられなかった。

 奔放に生きることはすでに叶わず、かわりに弟にそれを願いながら、玉座にある人が心から愛おしくて、星彩はその額にそっと口付けた。

「・・・星彩?」

 少し驚いたような相手を、こみあげるもどかしさに耐えきれず抱きしめる。

(わたしは、どうしたら宗麟の役に立てるんだろう?)

 すべてを背負って立つ、強くて優しい、この人のために。

 自分は一体、何ができるのだろう?

 わからない。

 わからないが、これだけは言える。

「わたしは、いつだって絶対に宗麟の味方だからね」

「―――」

 宗麟は何も答えなかったが、背に回った腕は、いつもより強く星彩を抱きしめるようだった。

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