第15話 実行

 夜。

 屋敷に侵入するというのに、今夜は満月だった。煌々と照る光によって黒い影を落とされながら、賊たちは次々と高い塀を越え、寝静まる母屋に忍び寄る。

「ここからずぅっとまっすぐ奥まで行ったら、宝があるよ。上の床板は外せるようになってた」

 鬼嚢にこそこそ耳打ちし、先日入ったの縁の下と同じ場所を指す。

「上から行ってもわかるか? 大体の位置まででいい」

「たぶん、大丈夫。天祥と協力すれば」

『おまかせ!』

 ぴょいと星彩の肩から飛び降り、天祥は縁の下に潜りこむ。

『こっち!』

 床下から、天祥が星彩にしか聞こえない声で導いてくれる。

「こっち!」

 星彩は鬼嚢らを連れて母屋へと乗り込んだ。

 大臣の屋敷は、鬼嚢らがあらかじめ忍び込めるように色々と調べていてくれた。だから夜の見回りをする者がいることもわかっており、一部の手下たちはそれらを黙らせに、一部は後から来る兵たちが突入しやすいように門を開けに、そして鬼嚢を含む残った数名が星彩に付いて宝探しへと繰り出した。

 中は月光が届きにくいが、明りを点けるわけにもいかないので、暗いところは壁を伝って慎重に進んでいく。縁の下を行く天祥と違って、間取りのために回り道をしなければならなかったり、見回りの人間を避けたりこっそり倒したり、手間がかかったが、その都度天祥と声を掛け合ってうまくはぐれないようにする。

 後ろで鬼嚢が怪訝そうにしているのは感じられたが、説明は後だ。今はただ信じて付いてきてもらえればそれでいい。

 やがて、突き当りの部屋の扉を前にして、天祥の歓声が響いた。

『ここ!』

 声は扉の奥から聞こえる。

「鬼嚢、この部屋の床下に宝があるよ」

「おう。おい、一人、外に知らせに走れ。兵どもが来たらここまで案内してやるンだ」

「うっす」

 一番後ろにいた者がさっと来た道を戻っていった。

「どれ、まずは宝を拝見といくか」

 舌を舐めずり、鬼嚢はわずかに扉を開けた。隙間から中の様子を窺っている。

「・・・寝所、だな。大臣のか?」

 宝の隠し場所としては、もっともだろう。

「? いねえな」

 もう夜も遅い時間、人は寝ていていい頃だ。しかし奥の寝台には寝そべる影が見えない。

「どれ?」

 星彩も隙間を覗きこもうと前に出たとき、鬼嚢に引き寄せられた。

 瞬間、中から勢いよく扉が開き、頭上で堅い物同士がぶつかる音がした。続いて怒号と共に、鬼嚢が何かを蹴り飛ばした。

「鬼嚢!?」

「大臣が待ち伏せしてやがった!」

 短く答えると、鬼嚢は星彩を放して部屋に入った。

 星彩も慌てて中へ入って、状況を確かめる。窓からの月明かりを照り返す剣を握って、寝間着姿の田甫が一人、じっと鬼嚢を見据えて部屋の中央に立っていた。

 田甫は武器を持って扉の後ろに隠れていたようだ。そうして奇襲を仕掛けたわけだったが、鬼嚢は金属の腕輪をしており、それに弾き返されたのだ。

「さすが恭人。勇敢だねえ」

 鬼嚢たちは田甫を囲み、それぞれが短剣を抜く。奇襲には少々泡を食ったが、数の上で彼らが負けることはない。

「・・・賊か」

 低い声が静かに響いた。

「狙いは何だ」

「てめえの隠した財宝」

 鬼嚢はとん、と足で床を叩く。

「星彩、床下めくってみろや」

「あ、うん。天祥?」

『ここ、ここ!』

 鬼嚢と田甫の間の辺りで、こつん、こつん、と下からつつく音がして、四つん這いになって床を探る。そのとき鬼嚢がさりげなく田甫から星彩を庇う位置に移動した。

「っと――」

 床にわずか、窪みを見つけた。指を引っ掛けると、がぽ、と綺麗に四角い板が取れる。人が入るには十分な穴の中から、天祥が飛び出して星彩に抱きついた。

「天祥、ご苦労さまっ」

『星彩、ここ、宝!』

「うんっ」

 天祥を抱いたまま下に降りて確かめると、以前見た木の蓋があり、開けて中の物を一掴み、床の上に取り出せば、月光に輝く玉や銀銭が姿を現した。

「鬼嚢! ここで間違いない! 宝がいっっっぱいある!」

「ふーん? なあ、大臣さまよぉ。財産根こそぎ盗まれたっつーわりには、景気いいじゃねえの、えぇ?」

「・・・」

「おめえの企みは全部わかってンだ。勝手に俺の名まで使いやがって、覚悟はできてンだろーな?」

「・・・」

 沈黙を続けていた田甫の体が、ゆら、と傾いだ。

 ちょうど穴から顔を出していた星彩は、一瞬、自分の方に田甫が倒れてくるのだと思った。しかし肉付きの良い体よりも先に、辿りつくのはきらりと光る無機質な刃。

「危ねっ――!」

 鬼嚢が咄嗟に田甫の剣を払おうと身をかがめたそのとき、田甫は大きく足を踏み出して体勢を立て直し、部屋を駆け出していった。

「なっ!? 追え!」

 焦った鬼嚢の檄が飛ぶ。大きな足音を響かせながら、山賊たちが田甫を追った。

「天祥、わたしたちも!」

『うん!』

 急いで駆けだしたものの、穴に入っていた星彩は皆より遅れて、田甫どころか鬼嚢らの姿さえ見失う。

 足音を頼りにしようにも、騒ぎに住人たちが気付き、静かだった屋敷には怒鳴り声や悲鳴が飛び交い、何が何だかわからない。

 闇雲に走り続け、ようやく外に出た。

 母屋の前では奉公人たちが逃げ惑い、田甫の子飼いの護衛たちと山賊たちが入り乱れ、どこに田甫や鬼嚢らがいるのかわからない。

 門の方を見遣ったが、まだ閉じられたまま。兵は来ていない。

「田甫を先に捕まえて、待つつもりだったのに・・・」

 逃げられてしまったのは誤算だった。もし、このまま塀の外にまで逃げられ身を隠されてしまったら、せっかくの努力が水の泡になってしまう。

「天祥、門のとこに行こう!」

 まさか田甫に高い塀を乗り越える術はないだろう。であれば、退路は門しかないはずだ。

 はぐれないように天祥を抱え上げ、騒ぎの中に飛び込んだ。

 あちこちで起こっている小競り合いを、身を低くしてかいくぐり、目標へと一直線に走った。

 星彩の身長二人分はありそうな門の、閂は外されていたが、山賊が二人、誰も逃げないよう見張っている。

 これならまだ田甫は逃げていないだろう。安堵して歩を緩めたその直後、横合いから剣を突き出され、山賊たちが飛び退いた。

 屋敷の護衛が二人、襲いかかってきたのだ。

「わっ!」

 いきなり門前でも戦いが始まって、星彩は逃げ場を失いおろおろと足を迷わせた。

 山賊たちは皆戦い慣れており、訓練した護衛相手にも一歩も引けを取っていない。が、彼らがそれにつきっきりになってしまうと、門を守る者がなくなってしまう。

「え、ええと、わたしも何か・・・」

 少しでも加勢できないかと、辺りを見回して、手の平ほどの小石を見つけた。拾って様子を窺ったちょうどそのとき、鍔迫り合いをしている山賊の背後から、別の、剣を持った男が近づいて行くのに気付いた。

「危ない!」

 慌てて男目がけて石を投げる。力一杯投げたつもりだったが、ところが石は手を滑ってゆるく弧を描き、男の肩をかすめただけだった。

「・・あ」

 全く打撃を与えられず、しかも男は星彩に気付き、進路を変えた。

「やっ・・・」

 逃げようと数歩駆け出したところで、襟首を捕まえられた。

『放せ!』

「痛っ!」

 天祥が腕に噛みつき、男が小さく悲鳴を上げる。それで襟首から手は離れたが、直後に背を思い切り蹴飛ばされた。

「っ!」

 衝撃と共に地面にうつぶせに転んでしまう。胸を打って、一瞬、息が止まった。

 見えないが、男はすぐ側にいる。早く動かなければ剣が振り下ろされるだろう。早く動かなければ。そう思うのに、体の反応は極めて遅い。

「ぎゃっ!」

 ようやく半身起こしたとき、悲鳴が響き、すぐ横に、重い音を立てて男が倒れ伏した。

「・・・あれ?」

 呆然としていると、誰かの手が伸びてきた。

 ふわりと体を持ち上げられる感覚。その後力強い腕にしっかりと支えられ、松明の炎に照らされる赤い耳飾りが見えた。

「久しぶり、星彩」

 星彩を抱え上げたまま、相手はにっこり笑う。

「――宗麟っ!」

 ぎゅう、と首に抱きついて、嬉しくてたまらずその名を叫んだ。

 日を数えれば五日間。短いようでとても長い。自分で帰らないと決めてからも、本当は一刻だって早く会いたかった。それがようやく会えて、触れ合っていることが心から嬉しくて、危うく泣いてしまいそうだった。

 周りは気付けば松明の炎がいくつもあり、昼のように明るい。鎧を着た兵士たちが開いた門から続々中に入り、屋敷の護衛たちを捕らえ、幾人かは山賊の案内で母屋の中まで侵入していた。

「いつの間に来たの? っていうか宗麟が来るなんて思わなかったよ!」

「妃が頑張ってるのに、何もしないわけにはいかないだろう。それより星彩、危ないことはしないんじゃなかったか?」

「え?」

 再会の感動が大きくて、一瞬、何を言われているのかわからなかった。ややあって、つい先ほどまで自分は殺されかけていたのだということを思い出す。

「え、えと、やっぱり今の、宗麟が助けてくれたんだよね?」

「ああ。かなり焦った」

 宗麟は笑っている。笑っているのに、なぜだが怖い。

「あ、あのね! その、仲間が危なかったから、石を投げたんだけど、思ったより威力がでなくて、まさかこっちに向かって来るとも思わなくてっ」

「て?」

「ご、ごめんなさい。あと、ありがとう」

「・・・ま、無事だったのは良しとしよう」

 軽く肩をすくめて、宗麟は星彩を降ろした。

『星彩!』

 少し遠くの方から、天祥が急いで駆け寄って来た。男に噛み付いたとき、振り払われて飛ばされてしまっていたのだ。

「天祥!」

 ぴょんと跳ねて腕の中に飛び込んできた小さな体を抱きとめる。

「良かった! 無事だったんだね!」

『星彩は!? 無事!?』

「うん! 宗麟が来てくれたから!」

『宗麟?』

「あ、そっか、ふたりとも初めて会うんだよね」

 宗麟の方に向き直って、一人と一匹を対面させた。

「天祥、この人がわたしの旦那さまで、恭の王さまの宗麟だよ! ―――宗麟、こっちは街で会った友達の天祥! ずっと一緒にいて協力してくれたんだよ!」

 宗麟は星彩の腕の中に収まっている天祥をじっと観察していたかと思うと、その額を指差した。

「・・・これ、角か?」

『うん』

 天祥が頷きで答えると、何か考えるように腕組みをしたが、やがて「まあいいか」と呟き、考え事を打ち切った。

「とりあえず、挨拶は後だ。先にこっちを片付けよう」

 そうして母屋の方に向き直る。

 奉公人たちは別棟へと戻され、刃向かった護衛は縛られて、あれだけの騒ぎはすっかり収まっていた。

「陛下っ」

 母屋の中から韓当が出てきて、宗麟の前に跪いた。

「田甫の寝所の床下で、大量の銀銭や装飾品を発見いたしました! 目録と照らし合わせましても、以前盗まれたという品々に間違いございません!」

「ほんと!?」

 宗麟の後ろからひょっこり顔を出すと、韓当が不意打ちを喰らったようにびくりと跳ねた。

「星彩さま!」

「韓当ひさしぶり!」

「わわわ!?」

 抱きつくと、慌てた韓当にすぐに引き剥がされた。

「星彩さま! 不用意に男に抱きついてはなりません!」

「だって韓当の顔見たら嬉しくなっちゃったんだもの!」

「それは光栄ですが、その、陛下の御前でもありますし・・」

 ちらちらと韓当は主の顔色を窺う。宗麟は腕を組んで悠然と構えている。

「このくらい許容範囲だ。怯えるな」

「本当ですか? 後で嫌がらせとかしてこないでくださいよ?」

「? なんのお話?」

「いえ、お気になさらず」

 ごほん、と一つ咳払いをする韓当。

 その後ろから更に、別の人間もやってきた。

「徐朱!」

「おや星彩さま。ご無事で何よりにございます」

 こちらにも抱きつくと、徐朱は韓当のようにすぐ引き離しはせず、やわらかく星彩を受け止めた。

「これはむかつく」

「微妙ですね許容範囲。さっきの私の対応で実はギリギリですか?」

「独占欲が強いと嫌われますよ」

「ねえ、だからなんのお話?」

 星彩は三人に訊いてみるのだが、口を揃えて「気にするな」と言われてしまった。

「―――で、徐朱、報告は?」

「田甫が見つかりました。こちらです」

「よし」

 徐朱の案内で、一同は屋敷の庭へ移動した。

 縁側に立ち、周りを兵たちに囲まれ、剣を手にしてじっと前を睨み据えている田甫が、松明に照らされていた。

 宗麟が来ると、前方の兵士が左右に割れて道をあける。

 田甫の視線も、王に注がれた。

「・・・なるほど。すべて貴方の企みか」

 すでに田甫も、これがただの賊の復讐ではなかったことを悟っている。宗麟に向ける顔は苦々しい。対して宗麟は特段の感情も浮かんでいない顔で答える。

「企んだのはそっちが先。暴くのは当然の行為だ」

「そのために賊まで用いますか」

「使える者を使ったまでだ。それに、あいつらは恭においては賊ではない」

 宗麟は素っ気なく、しかしはっきりと告げた。

「逆賊はお前だ、田甫。明日より審議にかける。大人しく投降せよ」

 星彩のあまり聞いたことのない、冷たい声だ。おそらく王としてあるときの宗麟は、こういうものなのだろう。まるで別人のようでもあり、少し不思議に感じた。

「逆賊・・・」

 投げかけられた言葉を反復し、田甫は低く嗤った。

「我はもとより麒に依る身。我にとっては、貴方こそ逆賊だ」

 追い詰められつつも焦った様子はなく、むしろ泰然としている。

 田甫は、天を仰いで長い息を吐いた。

「・・・・貴方は、違うのだ」

 呟き、再び宗麟を見据えた。

「どれほど時が過ぎようと、あの惨劇を、我は忘れぬ。誰をも血にまみれさせ、罪無き者の命までも奪った玉座に、座る者があの方以外であってはならぬ。――我は、待ったのだ。意に沿わぬ服従に耐え、動く時を待った。そしてついに、天機が訪れた」

 かっ、と田甫の目が見開かれた。

「天はあの方を生かした! これはまさしく天意ぞ! かの御人を玉座に据えんとする天の意志ぞ! 天意に背き、逆賊たり得るのは貴方だ麟の王!」

 剣先を宗麟に向け、叫ぶ。

「天意ある限り、諦めはせぬ! どれほど時をかけようと、いくら血を流そうと、必ずや玉座を取り戻そうぞ!」

 喚きながら縁側を飛び降り、田甫は進路を阻む兵士に斬りかかった。なお足掻き、逃げるつもりなのだ。

「星彩、下がっていろ」

 宗麟も剣を抜き放つ。

 その背越しに田甫を見つめながら、星彩は無性に悲しくなった。

 田甫の言うことは半分も理解できていない。

 だが、たとえどんな事情があるにせよ、他の誰かを玉座に据えようとするその行為は乱を呼ぶ。今ある平和が壊れ、血が流れる。

 それでもいい、それが天意なのだと、叫ぶ声に胸が痛む。

 思わず、天祥を抱く手に力がこもった。

 そのとき、ぱり、と小さな音がした。

「―――?」

 視界の中に、青白い光が見える。一瞬、光っては消え、消えては光る。

『星彩の――』

 腕の中で、天祥が吼えた。

『悲しむことするなあっ!』

 角が光り、暗い空から屋敷へ、青白く太い線が走る。

 同時に轟音が響き、音の衝撃で地が揺れた。

「かみ・・・なり・・・?」

 満月のよく照る空には、雲など一欠片もなかったのに、天から稲妻が落ちて屋敷を真っ二つに割った。

『この地に乱、いらない。星彩悲しむ、するのダメ』

 天祥はふん、と鼻息一つ。

 星彩が田甫を見遣れば、他の兵士らと同様、地面の上に転んで、崩れ落ちる屋根瓦を呆然と見つめていた。

 天意であると豪語したその直後に、自然ではあり得ない落雷に見舞われた。それを、男はどう捉えるか。

「・・・雷獣が、怒ったか」

 空を仰いで、宗麟が終わりを告げる。

「お前に天意はない。諦めろ」

「――――・・・」

 茫然自失となった田甫は、それ以上、ろくな抵抗もできずに捕まった。





「―――星彩!」

 田甫が連行されてゆくのを見送っていると、背後から名を呼ばれた。振り返ると、ちょうど鬼嚢がこちらへ歩いてきていた。

「うまくいったみてーだな」

「鬼嚢! 無事だったんだね!」

「おうよ。ちゃーんと大臣追い詰めて、兵どもに引き渡してやったンだぜ」

 どうよ、とばかりに胸を張る。

「他のみんなも無事?」

「ああ。全員ぴんぴんしてンぜ」

「よかった! ―――鬼嚢、ほんとにありがとう! おかげでぜんぶ、解決したよ!」

 彼らにとっては何の利にもならないことであるはずなのに、たくさん協力してくれた。心からの感謝をこめて、星彩は深々と頭を下げた。

「何言ってやがるっ。最初は俺らのためにって、走り回って調べてくれたんだろ? 俺らがおめえに協力すンのは当たり前ぇだ。礼なんざ要らねえンだよっ。っつーか、おめえからは前に賭博場で稼いだ金をたくさん頂いてンだよな。あれが今回の報酬だと思えば安いモンよ」

「ううん、それでも、ありがとうって言うよ! 鬼嚢がいてくれて助かったし、とっても楽しかったもの!」

 笑顔を向けると、鬼嚢はおもむろに星彩の頭を掴んで自分の方に引き寄せた。

「ほんっっと、可愛いなあおめえは! 姐貴分が世話焼きたがるのもわかる気がすンぜ!」

「き、鬼嚢っ」

 わしゃわしゃと、まるで猫か犬をなでるように髪の毛を掻き回すので、星彩はだんだん目も回ってきて、なにがなんだかわからなくなる。

 と、そのとき、急に手を引かれた。それで鬼嚢の腕の中からは出られたが、今度は別の腕に後ろから抱きしめられる。

「気安く触るな」

 宗麟が、乱れた星彩の前髪を整えてやりながら言う。事後処理のため家来たちに指示していたのだが、星彩の様子に気付いて戻って来たのだ。

「あぁ? 誰だてめえ」

「星彩の旦那で、この国の王だよ。お前が鬼嚢か?」

「王、だとぉ?」

 鬼嚢は隻眼を見開いた。

「王がこんなとこまで出て来ンのかよ?」

「机仕事ばかりで体が鈍ってたからな。良い運動になった」

「・・・っつーことは、やっぱ星彩は王妃なのか」

 改めて鬼嚢はまじまじと星彩を見る。

「おめえみてーなガキが、王妃ねえ?」

「信じてもらえた?」

「ここまできたら信じるっきゃねえだろ。・・・信じ難ぇーけど」

 がりがりと、頭を掻く。

「・・・もう二、三年もしたら、買ってやろうかと思ったんだが」

「?」

「悪いがすでに俺のだ。諦めろ」

「へいへい。ご執心なこって」

 宗麟が言えば、鬼嚢はおどけたように肩をすくめた。

「―――さて、朝になる前にズラかるとすっか」

「行っちゃうの?」

「ああ。おめえは城に帰ンだろ?」

「うん・・・」

 鬼嚢は恭の人間ではない。星彩が城に戻って、もう一度街に出て来られたときには、おそらく彼らがいることはないだろう。他国を荒らし回っている山賊に、ただでさえ会うのは難しい。再会は、もしかすると、ないかもしれない。

「鬼嚢は山賊を辞めないの?」

「辞めねえよ。これが俺の生き方だ」

 悪びれもせず、鬼嚢は笑う。

「俺らのことは気にすんな。勝手に生きて、どっかで死ぬさ。おめえは旦那と国のことだけ心配してりゃいい」

 くしゃりと最後に星彩の頭をなでて、「じゃあな」と背を向けた。

「鬼嚢!」

 去ってゆく背に、大声で呼びかける。

「また札遊びしようね!」

 鬼嚢は振り返らずに、片手を挙げた。

 それだけで、十分だ。

 優しく気さくな彼らにいつか再び会えることを、星彩は天に祈った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る