第2話 兄と姉

「―――ようこそ、太子どの」

 うやうやしい礼と共に、宗麟は伝統と格式の国、淸に迎えられた。彼の国の衣装とは、また少し異なる赤を基調とした美麗な衣装を纏い、殿の前まで迎えに来たのは、この国の太子。

 太子は、ほう瑛勝えいしょうと名乗った。

 年齢なら、二十四の宗麟の一つ上と聞いている。瑛勝は毛先の丸まった柔らかそうな髪の上に冠を乗せ、その下で少し大きな、自信に満ちた瞳をまっすぐ前に向けていた。いかにも意志が強く、堅物そうな男である。

 型通りの相手に対してこちらも定型的な礼を返し、いよいよ謁見の間に招かれると、奥の玉座に淸国の王が、向かって左脇に男が二人、右脇に女が三人並んでいた。皆、おのおの美しく着飾っている。

 右にいるものが、問題の品。

 ともあれ、宗麟はまず玉座に跪いた。

「お初にお目にかかります。私は恭国太子、姓名をとう宗麟と申します。この度はお招き頂き誠に光栄にございます。また、この若輩者の無粋な願いもお聞きいれくださったことに、この上なき感謝を。我が国よりその御礼と、此度の同盟を祝い、ささやかな品を持って参りました。どうぞお納めください」

「・・・恭から、淸までの長旅、大儀であった。今日は、ゆるりと休まれい。余の子らが、貴殿を歓待しよう」

 年季の入ったしわがれた声が、じっくりと間を挟んで紡がれた。宗麟はそれにまた礼を述べる。

 王への挨拶が終われば、今度は左右に並んだ淸国の公子、公女らの番だ。

「ご紹介いたします」

 太子の瑛勝が代表して弟妹たちを紹介していった。

「お初にお目にかかります。太子どの」

 第二公子、攸恭ゆうきょうは薄く茶がかかった髪の、優顔の男だった。宗麟を窺う目つきは内にある興味を隠す気もないらしく、やや軽薄な印象を受けた。しかし余裕をもって相手を観察できる様子は、なかなか肝の据わった相手であるように思える。

「此度の同盟、祝着至極に存じます」

 第三公子、羅鑑らかんは体つきのしっかりした者だった。青年と少年の間くらいの年頃だろう。どことなく幼さが残っているが、背は兄たちより大きい。ただ、緊張で表情が堅くなってしまっており、まだこういう場には慣れていないようであった。

 さて、問題は三人の公女である。

「お目もじ叶い、光栄にございます」

 第一公女の紅淑こうしゅくは、絵に描いたように整った女だった。背も低くなく、華奢な体はまるで百合が立っているようだ。囁くようでも声はよく通る。控えめで、慎み深い印象を受けるが、臆せず相手を直視できる芯の強さも垣間見えた。

「・・・・」

 第二公女の芻稟すうりんはじっと無表情で、相手から目を逸らさない。自己紹介でも一言も声を発さず、ただ礼を取っただけ。見た目は一番華奢で儚げなのだが、切り揃えた前髪の下からのぞく双眸は、ふてぶてしいとさえ言える。

「よ、ようこそ、しん、淸国へ」

 第三公女の春麗しゅんれいに至っては、すっかり堅くなって、爪の先が白くなるほど己の手を握り、緊張を通り越して警戒している様が見受けられた。まだ幼いが、三人の中では一番派手な顔立ちをしている。猫のように吊った目は、始終、宗麟を直視できず伏せられていた。

「では名乗りも終えたところで、今日のところはお休みください。宮へご案内します」

 太子に促され退出すると、外で待機していた淸の兵士と宗麟の従者二人とが後に続いた。どちらも影のように、主の後を付いてゆく。

「南の別宮をご用意いたしました。何かご不便がおありでしたら、どうぞ遠慮なくお申し付けください」

「お気遣い痛み入ります」

 丁寧な物腰の者には、宗麟も礼を持って答える。もっとも、腹の内で相手がどう思っているかなどわからないが。

「――ところで先刻のことですが」

 特に宗麟からは何も言わないでいると、瑛勝がやや厳しい顔付きで切り出した。

「なんでも馬番が城の馬を脱走させたそうで」

「ああ、そのことですか」

 何刻か前のことを思い出し、宗麟は口元に笑みを浮かべた。目の前の男はきっと汚点を見せたと悔いていようが、宗麟としては粛々とした太子らの出迎えよりも、城門での賑やかな出迎えの方がずっとおもしろく、気に入っていた。

「監視が行き届かずまことに申し訳ない。お怪我などはございませんでしたか?」

「ええ、まったく。どうかお気になさらず」

「大変失礼をいたしました。馬番にはしっかりと仕置きいたしておきますゆえ」

 この生真面目な様子では、太子のお仕置きは叱るだけでは済まなそうではある。

「あまりきつく咎めないでやってください。こちらに被害は全くなかったのですから。馬番もまだ幼い娘です。多少の失敗はありましょう」

「・・・・は?」

 瑛勝がぽかんと呆けたように口を開けた。

「娘、の馬番ですか?」

「? ええ。確か、星彩とか名乗りましたか」

 ぴき。

 なぜだかそんな音を立てて、太子は硬直した。

「ど、どちらでその娘を?」

 相手からは落ち着きが消え、急にどもりだす。

(なんだ?)

 あまりの様子の変わりように、さすがに不審を感じた。

「件の暴れ馬の背に乗っておりましたが」

「・・・・なるほど。よぉぉく叱っておきます」

 瑛勝はこめかみに青筋を浮かべ、あさっての方向を睨みつけていた。

 どうやらあの星彩という娘を太子はよく知っているようだ。馬番は王族の乗るための馬を管理する者であるから、その顔を彼が知っていたとしてもおかしいことではないが。

「・・・そういえば、少し不思議な娘でした」

 試しに、宗麟はこの話を続けてみることにした。

「あの娘が馬に語りかけると、まるで馬の方でも言葉がわかっているかのように頷き、兵が娘を捕らえようとすれば突如鷲が飛来し、馬と共にまるで娘を守るようでした」

「・・・・・・・・・」

 瑛勝はしばらく無言となり、やがて憮然として応えた。

「馬番には、きつく申し付けておきます。その娘は今後一切、太子どのの目端にも映らぬよういたしますゆえ、どうかご容赦ください」

「・・・なに、大したことではありませんので、貴殿もお気に病まれぬよう」

「そうおっしゃっていただけると助かります。――――先へ参りましょうか」

 止まった歩みを再度進めたそれからは、通りがかった建物などの紹介もしてくれたが、表情はまるで感情を必死に抑えているかのように堅かった。

 しかも宮に着くと、瑛勝は挨拶もそこそこにさっさと消えてしまった。

 多少の引っかかりはあったものの、たかが馬番の話でこれ以上どのようにも尋ねることはできないので、この場ではもう思慮の外に放ることにした。

 どっかりと椅子に腰をおろし、宗麟は詰まった息を吐き出した。

「殿下、どうですか? どの姫になさるかお決めになりましたか?」

 従者の一人、徐朱じょしゅという名の男が薄笑いを浮かべながら聞いてくるのに、渋い顔で答える。

「難しいな。第一公女はともかく、あとの二人はあからさまに警戒してる」

「まあ、つい先ごろ国を築いたばかりの恭国と、二百年に渡り続く淸国とじゃあ、大体にして同盟も組みたくないと思ってる輩もいるくらいですからねえ」

 徐朱の言葉には頷くしかない。

 それにもう一人の従者である韓当かんとうという名の男が、不満そうに言い返す。

「しかし、歴史ある大国とはいえ、ここには歴史しかないように思われますが。二百年続いているといっても惰性でしょう。この国に恭のような勢いはありません」

「長く続けば続くほど、自負ってのは積もり積もっていくものだ。淸にとって、いまだに恭は蛮国なんだろう」

「その蛮国に嫁ぐなどという外れクジは、できれば引きたくないというのが姫君たちの本音でしょうかねえ」

「ま、そんなところだろ」

 つい何月か前に、恭国と淸国は同盟を結んだ。そしてその同盟をより強固なものとするため、両国間では婚姻を同時に結ぶことと相成った。

 つまり、宗麟は淸の公女を一人、妃に貰う予定なのだ。

 本来であれば自国で適当な姫が送られてくるのを待つものだが、この年若い太子は己で連れて行く妃を選ぶと言って、はるばる淸国までやって来たのだった。

「しかし、ひと月もかけて来て歓迎されないとは虚しいものですねえ」

「表面だけでも歓迎してくれてるのなら十分だろ」

「まあそうかもしれませんがね。ああでも、派手に歓迎してくれた娘もおりましたね」

「あの馬番か」

 くすくすと、徐朱も思い出し笑っていた。

「良かったですね、殿下」

 暢気な同僚とは対照的に、もう一人の従者は口を尖らせる。

「馬番に歓迎されたって仕方ないでしょう。それにしても嫌がられることがわかっていて、なんだって殿下はご自分で選ぶなんておっしゃったんです?」

「そりゃあ三人も娘がいれば、当たり外れがあるだろう。新興国と侮られ、外れが送られてきては困る」

「外れとは? 醜女ということですか?」

「そうじゃない。重要なのは、どれだけ現王の寵愛を受けてるかってことだ。妃なんて所詮は人質だ。まあ、ともかく」

 窓の外へ目を向けながら、楽しげに宗麟は笑った。

「時間はある。じっくり見定めるとしよう」



**



「少しは反省せんかっ!」

「はいぃぃっ!」

 自室で正座し、星彩は泣きべそを掻きながら悲鳴のような返事をした。

 目の前に仁王立ちしているのは長兄の瑛勝。至らぬ妹のしつけ係の怒鳴り声は、今日も後宮の離れに響き渡る。

「お前は、毎度毎度、面倒ばかり起こして、本当に反省しているのかっ!」

「し、します、してます! ご、ごめんなさい、ほんとに、兄さまにご迷惑かけちゃって、宗麟にも、ほんとに申し訳ないって、おも、思います! ごめんなさい!」

 必死で謝り倒す半泣きの妹に一通り怒鳴り終えた瑛勝は深く溜息をつき、今度は諭すような口調になる。

「―――いいか、星彩。お前は王家の末席の者とはいえ、人は王族として見る。であればそれなりの振る舞いをしなければならない。わかるな?」

「は、はい、わかります」

「お前の不用意な行動が淸王家全体を貶めることに繋がるのだ。今回は馬番と思われたから良かったものを、これが公女と知られれば他国の誹りを受けることとなろう」

「は、はい。ご、ごめんなさい・・・」

「反省したのなら、せめて太子が滞在しておられる間はここから一歩も出るな。わかったな?」

「・・・」

「返事だ」

「・・はい」

「それから隣国の太子を呼び捨てるな。もう会うこともないが、本人のいないところでも太子さまとお呼びしろ」

「・・はい」

 説教を終え鼻息荒く去ってゆく瑛勝の背を見送って、星彩は肩をすくめた。

「これじゃあ郭とも遊べないね」

『元気を出せ、星彩』

 周迂は星彩の側に降り立ち、羽の先で目の端についた雫を払ってやった。

『要は恭の太子と瑛勝に見つからなければ良いのだろう? いつものようにこっそり抜け出せばわからぬ』

「それは、そうだけど・・・」

 はう、と星彩の口からは覇気のない吐息が漏れる。

「・・・父さまにも謝らなくちゃ」

 そうして星彩は窓から空の様子を確認した。今日は全然遊べないまま、すっかり陽は西に傾いてしまっている。

「夕方だから、そろそろお部屋に戻ってるかな?」

『我も行く』

 周迂と一緒に庵を出ると、不意に風が後ろから吹いた。

 星彩は立ち止まり、凪いでゆく風に耳を澄ませる。

「――――うん、うん、わかった。ありがと」

 虚空に笑いかけ、また歩き出す。

 向かう父の私室は塀で囲まれ、一つだけある門には兵士が二人付いている。公女として全く周囲に知られていない星彩を兵士は通してくれない。だから正面を避けて横に回りこむ。

 巡回兵の隙を突き、塀の側に生える植え込みの下へ、周迂を抱いて素早く潜った。植えこみは、ただの植えこみではない。よく注意して見なければ気付かないが、塀には女子供なら通れるような小さな穴が開いており、それを外と内から見えぬように覆っているのである。

 これは最下位の王妃として、なかなか父に会うことができなかった母が、せめて日の落ちるまでの数刻だけでもと願い、見つけた抜け穴だ。今は、最下位の公女として、公の場でも私的な場でも父に会うことができない星彩が使っていた。

 茂みを抜けると庭に出る。花々よりかは、背の低い木々の方が多く植わっており、それらを見渡せる欄干の向こうに、老いた王が一人、庭に面した椅子で休んでいた。

「こんばんは父さま!」

 星彩は小走りに父の元へ駆け寄る。突然茂みから現れた娘に王は驚くでもなく、また叱るでもない。皺と髭とに隠れた表情は全く微動だにしなかった。

「父さま、今は忙しくない? 話してもいい?」

 ゆったりと、王は頷きを返す。

「あのね、父さまに謝らなくちゃいけないことがあって来たの」

「・・・恭の太子に、暴れ馬をけしかけたことか?」

「け、けしかけたわけじゃないよっ。止まらなくなっちゃっただけ。宗麟が助けてくれたんだよ。そのときはまさか恭の太子だったなんて知らなくて、普通に顔合わせちゃったの。ごめんなさい」

 頭を下げる。父は瑛勝のようにわざわざ庵まで叱りに来ることなどないから、星彩からきちんと報告して謝らねばならなかった。

「父さま、怒ってる?」

「・・・いや」

 おずおずと伺う星彩に、王は今度はゆるく首を横に振った。

「もう、良い。瑛勝に、十分叱られたのであろう?」

「すっっごく怒られたよ。宗麟が帰るまで外出禁止だって」

「恭の太子と、会わねば良い」

「いそうなところには近づかないようにするよ。だから、厩とかには遊びに行ってもいい? ずっと部屋にいるのは退屈なんだもの」

「・・・良い」

「ありがとう父さま!」

 許しを得られたことに星彩はほっと安堵する。

「でもほんと言うと助けてもらったお礼がしたいんだけど、ダメなんだよね?」

「・・・お前は、太子と会ってはならぬ」

「うう、やっぱり?」

 がっくりとうなだれる。恩人にお礼すらできない自分が情けない。足元では周迂が慰めるように羽で星彩をなでた。

「―――じゃあ、父さまのお邪魔になる前に、もう帰るね」

 父と二人だけで過ごせる時間は極めて短い。巡回の兵が戻って来たり、誰かが訪ねてくれば星彩はつまみ出されてしまうのだ。

「父さま、今夜は風が出て少し冷えるから、窓は開けない方がいいよ」

 それじゃあ、と手を振り、星彩は再び周迂を抱えて植えこみをくぐる。兵士に見咎められぬうちに、後宮の端へと戻った。

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