第3話 舞妓見学

 門を入るとすぐに、小蓮と似たような格好をした舞妓たちが教坊へぞろぞろと向かっている列に遭遇した。年端もゆかぬ少女が多く、一番上でもまだ二十かそこらだろう。皆、整った顔立ちであり、星彩は妓楼の歌妓たちを思い出した。しかし、舞妓は彼女らのように普段から化粧をしているわけではないようだ。装飾品も、あくまで長い髪をまとめるのが目的の地味な簪を一本か二本、挿してあるだけだ。

 彼女らは朧月を見ると「先生!」と口々に挨拶をし、彼女のために道をあける。星彩も後について教坊に入った。

 板張りの広い床の上には、ほとんど何も乗っていない。脇の方に楽師が座るための布敷きがあり、琵琶、笙、篳篥を持った楽師がすでに並んでいる。朧月は小蓮に琴の置いてある所まで導いてもらい、その前に座った。星彩は天祥を抱え、朧月の隣に隠れるようにちょこんと座る。

 何十人もの舞妓たちが整列すると、彼女らの前には厳しい顔つきの老婆が立つ。皺深く、相当に年老いて見えるが、背筋をしゃんと伸ばし、若い娘たちを見つめる姿は淸王である星彩の父にも似た威厳がある。

 老婆が来るとすぐに小蓮は駆けてゆき、星彩や朧月を指し示して事情を説明する。老婆は厳めしい顔付きを崩さぬまま、一度頷くと、星彩のもとにやって来て礼を取った。

「お初にお目にかかります、妃殿下。私は桜璃と申します。この者たちに舞を教えている者にございます」

 固い口調でしっかりと挨拶されたので、星彩も合わせて背筋を伸ばした。

「はじめまして。わたしは星彩で、こっちは天祥です。今日は、朧月に連れてきてもらって、舞妓の見学に来ました。でも邪魔するつもりはないので、いつも通りにしてくれるといいなって、思います」

「承知いたしました。妃殿下はごゆるりと、お気の済まれるまでご覧なさってくださいませ」

 うやうやしく礼を取って、桜璃はもとの位置に戻ると、まるで何事もなかったかのように練習を開始した。

「今朝も乱舞です! 各々、昨日までの反省を生かし、今日こそ合わせなさい!」

 張りのある老婆の声が堂内にこだますれば、「はいっ!」と舞妓たちの高い返事も響き渡る。

 桜璃の合図で楽曲が始まると、整然と並んだ舞妓たちはくるくると舞い始めた。舞ながら、右へ左へ、前へ後ろへ、飛んだり跳ねたり、見事に皆が同じ動きをする。

「わあ・・すごい・・」

『すごい!』

 身軽に動く彼女らに星彩も天祥も圧倒されて、ただただ口をぽかんと開けてしまう。きちんとした形で宴に出たことの無い星彩は、舞妓たちをこんな風に近くでじっくりと眺めるのは初めてであった。

 完璧に思えた乱舞も、一人が拍子をほんの少し外すと、すぐに桜璃が手を二度叩いて楽を止める。そうして怒鳴るわけではないにしても、厳しい口調で叱りつける。舞妓が理解すれば、楽曲が途中から、あるいは最初から始まる。

「・・・」

 宴中の舞妓は、いつだって微笑みを浮かべているもの。しかし今は、兵士が真剣で斬り合うときにも似た、必死の様子。笑ってなどいられない、張り詰めた空気。

 はじめは単純に楽しんでいた星彩も、いつしか笑みを消して、彼女らをじっと見つめた。何度も何度も同じ舞を繰り返し、師に怒られ、謝り、再び舞う。

「・・天祥、舞妓ってすごいね。こんなに大変なことしてるのに、宴のときはちっともわからないようにしちゃうんだもん」

『舞妓、苦労、隠す?』

「うん。つらいことは、隠しちゃうよね、みんな。・・・見たり、聞いたりしなきゃ、やっぱりわからないんだ」

『うん』

 しみじみと、天祥と頷き合う。

 しばらく見学を続けていると、桜璃がまたあるところで曲を止めた。誰を叱ると思いきや、列の中から小蓮を引っ張り出して、外に追い出した。

「あ・・」

 小蓮は先程から何度も注意を受けていた。今度は泣きそうになりながら謝っても、容赦なく桜璃によって追い払われた。

 一人抜けて、また楽曲が始まってからも、星彩はまるで捨て犬のような顔をした小蓮が気にかかって、いてもたってもいられなくなった。

「朧月、わたし、小蓮のとこ行ってくるっ」

「あ、星彩さま・・」

 演奏中の朧月が止める間もなく、ぱっと駆けだして教坊を出た。

 小蓮の姿を探せば、程なくして、宿舎の庭石の上で泣いて座っているのを見つけた。

「小蓮っ!」

 呼びかけると、小蓮は驚いたように涙目を見開いた。

「お、お妃さま? え、あ、あの、どうして?」

「小蓮、大丈夫?」

 心配になって来たのだと言うと、小蓮は力なく笑った。

「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。お妃さまは、どうぞ私のことなどお気になさらず、お戻りくださいませ」

「やだっ、だって小蓮泣いてるものっ」

「いつものことですから。私、出来が悪いんです。こうやって追い出されるのも、初めてじゃないんです」

「桜璃はよく追い出すの?」

「ええ、桜老師は厳しい方ですから。私が悪いんです。何度も教えていただいてるのに、ちっとも覚えないから」

「小蓮は上手だと思うけどなあ。何が悪かったんだろう?」

「そんな、お妃さまが私なんかにお世辞をおっしゃらないでくださいっ。大丈夫です、私、ちゃんと下手だってことは知ってますから」

「お世辞なんかじゃないよ? 小蓮、下手じゃないよっ。すごくがんばってたと思うっ」

「いえ、下手なんです、私。覚えが悪くて皆ができることがちっともできないんです。だから、外されてしまうんです」

 と、ますます小蓮は落ち込んでうつむいた。

「小蓮は、今日はもう教坊にも行けないの?」

「はい・・・」

「そっかー・・・」

 舞に詳しいわけでもない星彩には、これ以上どう慰めて良いかわからなかった。だが、うまく舞えないと言って泣く小蓮を放っておくこともできなくて、どうにかしようと頭を捻る。

「ええっと・・・うーんと・・・・あ! じゃあさ、わたしと遊んでもらえない?」

 解決策ではないが、気晴らしになりそうな方法はひとつ、閃いた。

「ちょっと待ってて!」

 驚く小蓮を置いて、星彩は教坊に走っていった。そうしてしばらくし、細長い棒を持って戻って来る。

「朧月から借りて来た!」

「? 笛、ですか?」

「うん! わたしね、琴が弾けなきゃダメなんだけど、ほんとは笛の方が得意なの。ね、わたしが演奏するからさ、小蓮、舞ってもらえない?」

「え、ええ!?」

「舞曲とかは知らないけど、なんか適当に!」

「適当に!?」

「小蓮が舞ってるとこもっと見たいの! ダメ?」

「いえああのだだめではないですけど、その、即興では、そんな大した舞はできないのですが・・・あ、即興でなければ大した舞ができるというわけでもないんですが・・・」

「なんでもいいよ! わたしも久しぶりに吹くから変な音が出ちゃうかも。そのときは許してね?」

「は、はいぃ! それはもちろん!」

「じゃあいっくよー!」

 星彩はおーっと手を振り上げてから、笛にそっと唇を当てた。

 瞬間、澄んだ音色が流れ出る。

 まるで風に溶け込むように、音は天地に響き渡る。

 曲は子守唄のように穏やかでもあり、一方で、どこか心持ちをうきうきさせるようでもある。

 これは大地の歌。

 星彩の耳には、時折、自然の歌が聞こえることがある。自然も歌うのである。星彩は自然の奏でる楽曲を彼らから直に教わって、ただの人にも聞こえる笛で再現できるのだ。

「―――」

 小蓮は、ゆっくりと、旋律に合わせて踊り出した。

 袖がふうわりと風を含んで広がり、その足元で天祥が宙返りをする。庭木が枝を広げ、虫が跳ねる。鳥がやって来て、二人の周りを舞い飛ぶ。風が小さな渦を巻き、朝陽が揺れる。

 天地に生きるすべてが星彩の奏でる笛の音に呼応して、小蓮と共に舞っていた。

 星彩もだんだん楽しくなって、吹きながらくるくると回る。

 生き物は狭い舞妓の庭にどんどん集まる。集まって、皆で舞う。決まった振りなどはなく、ただ心のままに、自由に舞う。

 いつしか、そこに笙や琵琶、篳篥、琴の音も加わった。見遣れば教坊の入り口で、朧月や楽師らが並んで星彩に合わせ、楽を奏でていた。舞妓たちも、外に飛び出して舞っている。

 星彩と小蓮も、舞いながら教坊の前へと移動した。多くの人、鳥、虫、木、風、光が合わさって、より賑やかになる。

 そうして楽しさがいつまでも続くかと思われたとき、曲は余韻を残して終わった。

 ほう・・

 誰からともなく、霊の抜け出るような溜息が洩れた。皆、しばらくはぼうっとして口もきかず、虚空を眺めていた。

「星彩さま、やはり貴女さまはすばらしい」

 うっとりと、朧月が呟き、見えないはずの目を星彩に向けた。

「この世で唯一、天上の楽の音を知るは、貴女さまのみでございましょう」

 側では小蓮がぷるぷると震えて、感極まったように星彩の手を取った。

「せ、星彩さまっ。い、今、私は舞を通じて天地と一体となれたような気がいたしましたっ。舞うことがこんなに、こんなに楽しいことだったなんてっ!」

 せっかく泣き止んだのにまた泣き出しそうで、星彩はちょっとびっくりしたが、小蓮が悲しんでいるわけではないことがわかったから、嬉しくなった。

「小蓮、元気出たの?」

「星彩さまはすばらしい笛の上手でありますっ! こんなすばらしい音に乗って舞えたこと、わ、私は、光栄に思います!」

「そ、そんなに褒められると、さすがに照れちゃうけど」

 達者な楽師たちに混じり、久しぶりに奏でた拙い笛を絶賛されれば、気恥ずかしくもなる。それでも、嬉しいことには違いなかった。

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