第8話 事件

 翌朝、星彩は元気に起き出し、張りきって掃除に取りかかる。

 昨夜はすっかり遊んでしまったので、その分も働かなければと気合を入れて腕まくりなどし、一生懸命に床を磨いた。

 そうして昼も近くなり、ようやく掃除も終わろうかという頃。

「おい、大変だっ」

 買い出しから帰ってきた下働きの男が、慌てた様子で仲間に言った。

「貴族屋敷に盗賊が入ったらしいぜ。しかも鬼嚢、とかいう奴らの仕業らしい」

「――え?」

 雑巾を片付けていた星彩は、手を止めて男の言葉に耳を傾けた。他の下働きの仲間たちも男の周りに集まる。

「盗賊だって? 確か、五日前もなかったか?」

「ああ、噂じゃそんときと同じ奴だってよ。壁に鬼の一文字がでかでかと書かれてたのを、見てきた奴がいるンだ。なんでも、そりゃ鬼嚢って賊連中が仕事をしたとこに残す印らしい」

「待てよ、鬼嚢っつったら、昨夜の客ン中にいなかったか?」

「そうだよ、星彩、おめえ一緒に飲んでたって言ってなかったか?」

「う、うん」

 水を向けられ、星彩は頷いた。

「ねえ、それってほんとに昨夜のことなの?」

「らしいぜ」

「でも、鬼嚢たちはずっとお店にいたよ?」

「そんなの俺は知らねえよ。とにかく、賊をもてなしちまったンだ。役人どもが押しかけて来なきゃいいが・・」

 ぶるる、と男は身を震わせた。そんな事態になれば、店の評判も悪くなってしまうと案じているのだ。

「・・・わたし、確かめてくるっ」

 星彩は、ぱっと雑巾を投げて駆けだした。

 勢いで店を飛び出して、はっきりと行く宛てがあったわけでもない。それでも、気付けば賭博場の方へ走っていた。

 今日も熱気に包まれた店の奥に、目当ての姿はあった。

「鬼嚢っ!」

 円卓と椅子のひしめき合う隙間を天祥を抱えてかいくぐり、札遊びをしている鬼嚢に飛び付いた。

「よぉ、星彩。また来たのか?」

「鬼嚢! 盗みなんてしてないよね!?」

「あぁ?」

 まるで何のことだかわからないと言うように、鬼嚢は訝しげに眉をひそめた。そこに貴族屋敷を盗賊が襲って、それが鬼嚢の仕業であるらしいとの噂が流れていることを告げると、途端に鋭い顔つきになる。

「―――ンだと? 俺にゃ身に覚えがねえぜ」

「だよね! 鬼嚢は昨夜はずっとお店にいたし、恭では悪い事しないって言ってたもんね!」

「手下どもが勝手に動くわきゃねえし・・・・確かめに行くか」

 鬼嚢は札を投げ出すと、その場にいた四人の手下を連れて店を出た。星彩も後ろに付いていく。

 貴族屋敷が並ぶ場所は、色街からもそう遠くはない。

 品の良い大きな屋敷が見えてくると同時に、鎧を纏った兵士が多数、うろついていた。街の巡回兵だけではない。紫微城の兵士が、ある屋敷に集まっていた。

 厳戒態勢であまり近づくことはできなかったから、他の野次馬たちにまざって遠巻きに屋敷の様子を窺う。離れたところからでも、門の横に大きく丸で囲まれた鬼の一文字はよく見えた。

「・・・ありゃあ、確かにこの鬼嚢さまの印だな」

「鬼嚢の印?」

「仕事をした場所にゃあ、必ず鬼の一文字を残していくようにしてンだよ。俺の仕業だってことを役人どもに知らせてやってンのさ。でもまあ、アレに関しちゃまったく覚えがねえな」

 塀の文字を睨みつけながら、忌々しそうに鬼嚢は舌打ちした。

「どこのどいつだ? 俺の名を騙りやがって」

「偽物が出たってことっすか? 親分」

 手下たちもまた、目つきを鋭くしている。

「親分の名ぁ借りて、夜中にこそこそ盗みなんざしやがって、ただじゃおかねえ!」

「親分! 皆を集めやしょうぜ! 偽物見つけて宝ごと分捕ってやりやしょう!」

「おうよ! この俺の名を騙ったこと、死んで後悔させてやる!」

 拳を鳴らしつつ、鬼嚢は不敵な笑みを浮かべた。

「てめえら、一旦帰るぞ! 策を練らにゃあなんねえ」

「鬼嚢! わたしも手伝うよ!」

「あ?」

 踵を返す鬼嚢の袖を引っ張ると、一瞬呆けたような顔をされて、それから苦笑された。

「おめえは気にすんな。これは俺らの問題だからよ」

「でも、このままじゃ鬼嚢が疑われちゃうんでしょ? わたしも偽物探し手伝うよ!」

「ガキに何ができるよ? 余計な心配してねえで、まじめに仕事してろぃ」

 がしがしと乱暴に星彩の頭をなでて、鬼嚢は行ってしまう。何十人もの手下を引き連れている彼に、子供の助けなど必要ないということだろう。

「・・・・確かに、どーしたらいいのかなんて、わかんないけど」

 この広い豊邑、ろくに道も知らない星彩が、どうやって姿も知れない偽物を見つけられるというのか。

(わたしには、できないことかな?)

 店へと戻る途中、どう考えてもやり方が思い浮かばない。手当たり次第探し回っていては、ただ迷子になってしまうだけという可能性が大きい。

(今、わたしにできることって、何かな?)

 楽しいことを教えてくれた恩人の鬼嚢に、してあげられることはないのだろうか。

 そのとき、ふと兵とすれ違い、足を止めた。

「・・・ちょっと忘れてたけど、わたしって、王妃なんだよね」

『? 星彩?』

「宗麟に、鬼嚢が犯人じゃないよって言えば、誤解が解けるかも」

 紫微城の兵士が動いたということは、この件は当然、宗麟の耳にも入っているのだろう。ならば宗麟に事情を話せば偽物を見つけてくれるかもしれない。

「・・・ただし、問題はお城に入れてもらえるかってことだよね」

『星彩、城、戻る?』

「うん。とりあえず掃除を終わらせて、休憩になったら行ってみよっ」

『わかったっ』

 星彩は急いで店に戻り、残った中の掃除を済ませた。

 その後は星彩だけ外の掃除も言いつけられたから、急いでゴミや塵を掃く。これが終わったら休憩に入る。

「急げ、急げっ」

『急ぐ、急ぐ!』

 天祥も今日はほうきで遊ばず、狐のような尻尾を使って雰囲気、手伝ってくれている。

 そんなふうにせわしく掃除していた星彩が、不意に空へ注意を向けたのは、本当に偶然だった。

「?」

 青の中に、黒い点が見える。それがどんどん、大きくなっていく。

「―――っ!」

 すぐに何かを察した星彩は、慌てて天祥を掴んで店の中に飛び込んだ。

『どぎゃあっ!』

 先ほどまで星彩のいた辺りにまっすぐぶち当たり、てん、てん、と道を転がる黒い物体。盛大にまき散らした羽を布団に、仰向けになって伸びている。

「雨鳥っ!」

 星彩にとってはお馴染みの、天祥にとっては初めて出会う天下最速の渡り鳥。大きな嘴と黒い体が特徴の彼は、星彩がまだ淸にいた頃からの友達だ。

 恭に来てからも時々近くを通っては星彩を訪ねてくれる雨鳥は、なぜか自分で止まることができないらしく、いつも何かにぶち当たっては目を回している。

「大丈夫?」

『な、なんとか』

 ぴくぴくしながらも片翼を上げて応える雨鳥。声を掛けてすぐに反応できるなら、今日はまだ軽傷な方だ。星彩はほっとして友を助け起こした。

「雨鳥、こんなことばっかりしてたら、いつか死んじゃうよ? もっとゆっくり飛びなよ」

『いやあ、星彩のとこで遊んでいこうかと思ったからよお。群れに置いてかれないように速め速めで飛んできたわけさ。オイラがいないと、星彩、寂しがるだろ?』

「確かに雨鳥がいると楽しいけど、毎回部屋に突っ込んできたり体当たりされるのは嫌だよ」

『照れんなって!』

 ケパケパと雨鳥は上機嫌に鳴く。

『ところで、今日は旦那はいねえの? つーかここ、城じゃねえよな?』

「うん。ちょっと色々あって―――あ、そうだ! 雨鳥って宗麟の部屋わかるよね!?」

『? それがどーした?』

「宗麟に伝言があるの! 雨鳥、頼まれてくれない?」

 空を飛ぶ鳥なら、門も兵士も関係ない。雨鳥は宗麟の顔も知っているし、まさに適任なのだ。

『別にいいけど、あいつはオイラの言葉わかんねえじゃん?』

「手紙を書くよ! それを宗麟に届けて!」

『なるほどな~。伝書鳩ならぬ伝書雨鳥さまだな? オイラならあんな間抜け面の鳥よりずっと速く届けてやるぜ!』

「ありがと! ちょっと待ってて!」

 星彩は店の中に戻ると、道陳に頼んで筆と紙を借りた。紙は何かを書き損じたものの裏で、本当は落とし紙になるはずのものであったから、気前よくもらえた。

 綺麗にした円卓の上で墨をすって、天祥と雨鳥に横で見られながら書きだした。

「えっと、まず、わたしの状況を教えなきゃだよね」

 うっかり街に出て明玉に拾われて、鬼嚢に会ったところまでをかいつまんで書く。あまり心配をかけないように、スリに遭ったことや酔っ払いに絡まれたことなどは伏せておいた。それから貴族屋敷に盗賊が入ったこと、犯人は鬼嚢ではないことを順に書いていく。

 鬼嚢の偽物を探してほしい旨を記し、ついでに星彩が城に入れるようにしてほしいと続けて書こうとして、筆を止めた。

「・・・帰っちゃっていいのかな」

『? 星彩?』

「お城に帰っちゃったら、また街に出てくるのは難しいかもしれないよね」

 淸で誰にも注目されず育った時ですら、街にはそう簡単に出られるものではなかった。妃となった今なら尚更、気軽にもう一度、というのは無理だろう。

 だとすれば、城に帰れば星彩は鬼嚢たちのために何もできなくなる。無論、星彩が何もしなくたって、宗麟が解決してくれるのだろうし、鬼嚢たちも動いているのだから問題はないだろう。だが。

「・・・天祥、雨鳥。わたし、鬼嚢のことを友達だと思ってるの。友達には、力になってあげたいよ」

 もしこんなことが起こらなければ、星彩はすぐにでも宗麟のもとに帰りたい。それでも、事件を目の当たりにしてしまえば、何かしたくてたまらない。気になってしょうがない。このまま城に戻っても、もやもやした気持ちのまま、鬼嚢は捕まえられてしまってはいないかと、心配し続けなければならないのだ。

 そんなのは、嫌だった。

「鬼嚢はわたしの助けなんか要らないんだろうけど、だったら勝手に調べるよっ。わたしだって、考えれば何かできるかもしれないものっ」

 部屋に閉じこもって結果を待つより、動いた方が性に合っている。そうして動き続けていれば、わかることもあるかもしれない。もし何もわからなければ、そのときはそのときだ。大人しく城に帰ればいい。とりあえずやってみることに、意味はあるはずだ。

「せっかく街に出たんだもん、このまま帰っちゃもったいないし!」

 星彩はさらさらと続きを書いた。


 ・・・鬼嚢の偽物を探してあげてください。わたしも自分なりに調べてみます。なのでお城にはしばらく帰りません。危ないことはしないので、心配しないでください。何かわかったら連絡します。


「―――ん、と、一応、あのことも書いておこうかな?」

 少し迷ったが、前の前の晩に、宗麟の悪口を聞いたことを追申として記した。悪口を本人に伝えるなど気が引けることではあったが、後半のよくわからない会話がどうも心につかえていたので、この際だからと洗いざらい書いてしまった。

「でーきた! 雨鳥、よろしく!」

『おうよ! 任せとけ!』

 雨鳥は紙の束を咥えると、即座に大空へと羽ばたいた。

 それが紫微城の方角に飛んでいくのを見送って、星彩は天祥を振り返る。

「よーし、まずは情報収集だよ、天祥! みんなに事件のことを聞いて回ろう!」

『了解!』

 星彩は天祥を肩に乗せ、意気揚々と街へ繰り出していった。

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