彼女との出会い ~危険な美脚と美しい歌~
もうすぐ、もうすぐ借金が返し終わるんだ。
散々泣き、やっと落ち着いてから──
なぜあんな無茶な戦いをしたのか、僕は聞かずにはいれなかった。
そして、返ってきた言葉がそれ。
借金を返し終わる──
もう、こんな死闘をしなくて済むようになる。
──愛しいミンシアの側に帰る事ができる。
ラッツは、もうすぐそこまで迫っていた幸せに焦り、こんな戦いをしてしまったらしい。
思わず『馬鹿!』と叫んだら、ラッツはにかっと笑って、わしわしと僕の頭を撫でた。
優しく、ゆっくりと。
一言ぽつり。
「心配させて、ごめんな」
ラッツは、再びボロボロと泣き始めた僕を、ずっと、泣き止むまで撫で続けてくれた。
ラッツは、しばらく闘技場の救護室にお世話になる事になった。
怪我をした剣闘士みんながみんな、そんな扱いをされるわけではないらしいんだけど、今回のラッツは特別らしい。
超絶不利な戦いに勝って、闘技場が大儲けしたからだと、ラッツが苦笑してた。
それから──僕は、ラッツに手紙を預けられた。
離れた所に暮らす、ミンシアに届ける手紙。
もうすぐ借金を返し終わるから、ミンシアを呼び寄せる為。
二人で一緒に暮らす為。
──でも、来た時の砂漠をもう一度渡らなければならない事実に、僕は思わず『そんな簡単に言わないでくださいよ』と思わず言葉を返してしまったが、ラッツが抱える想いを改めて思い出して、(泣く泣く)承諾したのだった。
承諾するしかないでしょー……。
二人の幸せに水差すわけにもいかないしさー……
『それに、他のヤツは信用できねぇし。頼めるの、ティムだけなんだ』
とか言われたら、むしろ、なんでもござれ! とか言っちゃうよね?
僕がお調子者とかYESマンだからってだけじゃないよねッ?
──と、いうわけで、僕は砂漠越えの旅支度をして、いざ、単身砂漠に挑むのだった。
無謀だった……
街を出て砂漠を歩く事三日目の真昼間。
僕は見つけた岩場の影に蹲り、早く日が落ちないかと切に、切に願っていた。
砂漠の旅は、太陽が高い位置にいる時は、暑くて移動できない。なので、朝方か夕方の、比較的日差しが弱くなった時を狙って、旅するしかなかった。
来た時は、キャラバン隊が一緒だったから進むのは早かったけど、今の僕はラクダを一匹連れてるだけ。しかも、ラクダ自身も疲弊させないように、乗らずに横を歩いているから、まったく、一向に、全然進まない。
しまった。こりゃ手紙を届けるどころか、無事に生きて戻れるかどうかがマズ疑問……
でも! ラッツの幸せの為だ! 頑張るしかないッ!
いや! その前にマズ自分が生き延びる最善の事を考えなきゃ!
でもでも! ラッツの大切な手紙預けられちゃったし!
いやいや! 手紙も大事だけど、自分の命が一番でしょッ!
でもでもでも──
──だめだ。考えるだけ徒労。
っていうか頭の中で葛藤してるだけだし。
答えなんかでないし。
考えるのやめよう……
僕は、夕方にできるだけ距離を稼げるように、しばらく眠って体力を温存する事にした。
日が落ち始めた頃、僕は岩陰から這い出し、ラクダと一緒の旅を再開した。
太陽を背にして歩いているから、僕とラクダの影が、砂の上に長く伸びてるのが分かる。
しばらくその影を見ながら歩いていると、そのうち空が橙色になり、紫色になり、そしてやがて深い藍色になっていった。
気がつくと星が沢山出ていて、大きな月が昇り始めていて、すっごく綺麗だった。
しかし──その綺麗さに酔いしれているうちに、辺りが段々寒くなってきてしまった。
砂漠の夜って寒い!
昼間は焦げるぐらい暑いのに、夜は震える程寒くなる。
自然の大神秘……
しばらく寒さに耐えて歩いたけど、やっぱり昼間の暑さに体力を奪われていたせいか、足が段々と重くなってきてしまう。明日の朝も早く起きて歩かなければならない為、近くにあった岩場の影で、今日は野宿する事にした。
岩場を背にして、焚き火にあたる。
それだけで、寒さでかじかんだ体が、解されていくようだった。
砂漠といっても、周りが完全に砂だらけって事はない。まあ、歩いてる途中にはそういう場所もあるけど、大体は岩場だったり、枯れかけた木が立ってたり。
僕が今燃やしているのは、そういった道中拾った枯れ枝たちである。
ぱちぱちと燃える火を見てると、なんだか不思議な気持ちになった。
風のない日の湖面を見てるみたいに、なんだか凪いだ気持ち。
──僕は、なんでこんな所にいるんだろ。
どうして、出会って間もない人の大切な手紙を預かって、こんな所で命張ってるんだろ。
なんでラッツは、出会ったばかりの僕を信用してくれたんだろう。
ラッツは凄く人懐っこいところがあると思う。
それに感化されたのかな?
命を助けられたって事もあるけど、なんだかラッツを放っておく事ができなかった。
いつもなら自分から危険な事とかしないのに──
たいせつな あなたのために あたしは 歌い続ける すべて かれるまで
どこからか──歌のようなものが聞こえてきた。
とうとう幻聴?
いとしい あなたのために あたしは 生き続ける すべて なくすまで
幻聴じゃないみたい。
よかった。現実逃避した僕の空耳かと思ったけど。
確かに聞こえる。
風に乗って。そんなに遠くじゃない気がする。
僕は岩場から這い出して、辺りをキョロキョロと見回してみた。
すると、少し離れた岩場の影に、かすかに灯りが見えた。誰かが、僕と同じように野宿の為、焚き火をしてるんだ。きっと、あの闘技場に向かう旅人。
あの焚き火の主が歌ってるんだ。
とっても、澄んだ、綺麗な歌声。
風に共鳴し、空気に溶けて、どこまでも届いていきそう。
僕は岩の上に腰かけて、その歌に聞き入っていた。
涙は風に溶け 声は海に沈み あたしは ここで──
歌が急に途切れる。
今まで目を瞑って酔いしれてた僕は、はっとして目を開けた。
「誰?」
焚き火の主の声。
若い女の人の声。
──あれ? もしかして、一人なのかな?
「誰かいるんでしょ? 姿を現しなさい」
もしかして!
僕の事ですかッ?
ごごごごごごごごごめんなさい!
盗み聞きするつもりはあったんですがなかったんですッ!
しかし、こんなに遠くにいる僕に気がつくなんて!
気に障ってしまったんなら仕方ない。
ここで下手に隠れて追われてもアレなので、素直に姿を見せる事にした。
敵意はないんですよって。
僕は、岩場から降りて、あっちの焚き火の方へと足を向け──
「よく気がついたな」
──ん? なんで野太い声もするの?
僕は足を止めて、よくよく目を凝らしてみた。
すると、焚き火のまわりを取り囲む、黒く蠢く影が四つ程見えた。
もしかしてもしかすると……野盗さん?
そしてそしてもしかすると……さっきのは僕に向けられた言葉じゃない?
しかし、足を踏み出してしまったからにはもう遅い。
黒い影は、岩場から出てきた僕の姿にも気がついてしまった。
「なんだ、もう一人いたのか。まあ、丁度いい」
ああああああああ!
なんか僕最近こんな事多くないッ?
だから余計な事ってしたくないんだ!
僕、動かなきゃ気づかれなかったのに!
その存在感の薄さで!
蠢く黒い影は、向こうの焚き火に照らされて、うっすらとその姿を浮かび上がらせた。
砂と同じ色をした外套を腰に巻き、皮でできてるブレストメイルをした、四人の男たち。
一人は髭モジャ。
一人はハゲ。
一人はアフロ。
そして最後の一人は、妙に背のちっちゃい前歯のないオッサン。
うーわー。
ガラが悪いなんてもんじゃない。僕なら、見たら土下座どころじゃなくリュック置いてでも一目散に逃げるような人たちだ。
その中の、ハゲたおっちゃんとアフロが、僕の方に歩いてくる。
はい、逃げません。
逆らいません。
だから痛いのだけは許してくださいッ!
「野盗? こんな所で女一人を襲うなんて、イイシュミじゃないわね」
女の人が吐いた言葉は、男達を挑発するには充分すぎるものだった。
なんで!
なんでそんな事言っちゃうかなッ?
僕まで危なくなるじゃん!
「言うじゃねぇか。気の強い女は好きだぜぇ。たっぷり可愛がってやるよ」
物凄い下品な物言いをする髭モジャ。ちっと舌打ちして、腰に佩いた剣を引き抜き、焚き火の前に立つ女の人に向けた──と思う。僕からじゃ、女の人は岩場の影になってよく見えなかった。
と、いうか、そっちを気にするより、僕は目の前のハゲさんたちに気を向けなきゃ。
いかにして穏便に事を済ませるか、それを一番に考えよう! 考えなきゃ僕ッ!
「こいつはどうする?」
ハゲさんが、僕まであと五歩って所で剣を抜き放つ。
月に輝く刀身が、冷たく光ってた。
どうしよう。
どうしよう!
どうしようッ!
とりあえず、まず考える前に、僕は土下座した。
「ぐぼッ!」
髭さんの返事は言葉じゃなかった。
腹の中の空気を、強制的に吐き出された呻き。
「ッ……?」
ハゲさんとアフロは、突然の異変に慌てて後ろを振り返った。
その二人が見たのは、地面に仰向けに伸びる髭モジャと、今まさに顔面から鼻血を噴きながら後ろに吹っ飛ばされる、歯ナシおっちゃんの姿。
そして──
「こんなに弱くて、どうやってアタシを可愛がってくれるのかしら?」
そして、その二人をあっけなくのした、美人のお姉さんだった。
そのスレンダーな足からは、想像もできないぐらいの威力の蹴りが、ハゲさんのわき腹に命中。くぐもった『ボキッ』って音がしたから、恐らくアバラ、折れたんじゃないかな。
「てめぇ!」
空気を切り裂きそうなぐらいのその蹴りの鋭さに、今まで油断していたアフロが、その油断の一切を消し飛ばし、腰の剣を抜き放って、鋭い突きを繰り出した。
しかし美人のお姉さんは、半身を翻して、その剣の腹にそっと触れる──という風に見えた。あまりに優雅な動きで。でも、突き出された剣の腹に触れるなんて、普通できないよ──少しだけ軌道をズラされた剣は、あえなくお姉さんの横の空を突いた。
次の瞬間、お姉さんがぐっと身を沈みこませる。
一瞬、その姿が消えたように見えた。
そして、現れたのはアフロの懐の中!
どずんッ
物凄い重たい音がして、アフロの体が一瞬にして後ろへ吹き飛ばされた。
す……凄い……本当に、あっという間に、四人のおっちゃんたちを倒してしまった……
僕は、ぽかーんと口を開け、その場に両膝をついたまま。
美人なお姉さんは、構えを解き、ゆらりと背を伸ばすと、僕の方に振り返る。
振り返った瞬間、左足首のアンクレットが、しゃらんと鳴った。
腰まで伸びた黒髪は、艶やかで真っ直ぐで、まるで水の流れのよう。切れ長の目は少し垂れてて、少し小さめではあるが、とても涼やかだった。鼻筋の通った、整った顔。
着ている服は、民族衣装なのか、ここいらへんでは見たこともない形をしてる。長いスカートなのかと思ったら、腰のあたりまで深いスリットが両横に入っていた。そこから、スラリと伸びた綺麗な脚が見える──男四人をあっけなく伸した、綺麗だけど危険な脚。
小さな鈴のついたアンクレットが、動く度にしゃらしゃらと鳴るが、むしろその音が、甘い危険な調べって感じで、逆に恐ろしく感じる。
怖いよ!
綺麗だけど怖いよッ!
「貴方は? 敵?」
その危険な脚を前後させ、美人さんが近づいてきた。僕は再びフカブカと頭を下げる。
そう、再び土下座。
「敵じゃありません! こっちで野宿していた、しがない旅人です! 貴女の歌声に惹かれて、のこのこ出てきてしまった愚か者です! ごめんなさい! 許してください!」
敵だと思われて、あの魅惑の脚に蹴り飛ばされたりしたら堪らない!
僕は、なんとか警戒を解いてもらおうと、何度も何度も頭を下げ、地面にこれでもかというほど、額をこすりつけた。
「ふ……そんなにしなくても大丈夫よ。使い手かどうかなんて、見れば分かるから」
美人さんは、クスクスと笑いながら、僕の前にしゃがみこむ。
顔を上げると、その美人の顔と目があった。
目尻を下げて、とても優しそうに笑ってた。
「そんなに弱くて、この砂漠を一人旅なんて、勇気があるのかしら? それとも……」
みなまで言わないでください!
はい!
僕はタダの馬鹿です!
「僕は、今急ぎの旅をしてて……この先の港町にいる、ミンシアさん──歌姫さんに、手紙を届ける最中なんです!」
キレイな顔を直視するのが申し訳なくて、僕は三度土下座。
すると──
「あら、それアタシの事よ! ミンシアは、アタシの名前」
美人さんは、びっくり声をあげた。
ミンシア。
ラッツの恋人。
砂漠を越えた先の港町で歌姫をしてる。
そのミンシアが、なぜここにいるかと言うと──
簡単に言うと、痺れを切らしたのだ。
自分を置いて、一人で出稼ぎに出てる恋人は、滅多に連絡をくれない。
生きてるのか死んでるのかすら、よく判らない。
剣闘士をしてる事は知ってるから、連絡がないと心配。
ラッツ自身は、剣闘士をしてる姿を見せたくないらしいが、もう離れて暮らすのは限界。
『あたしは、待ってるだけの女じゃないからね』
ミンシアは、ラッツによく似た人懐っこい笑みを浮かべて、そう僕に話してくれた。
ミンシア自身も、港町でかなり稼いでいたらしく、そろそろ借金が全額返し終わりそうとか。だから、闘技場のある街に引っ越す事に決めたらしい。
もともと、ラッツがミンシアに宛てた手紙も、そろそろ借金を返し終わるから、一緒に暮らそう──そういう内容のものだった。
二人とも、同じタイミングで同じ事を考えていたんだね。
流石、恋人。
結局、僕は闘技場の街に引き返す事になった。
手紙を渡す当人と、途中で出会えた事だし。やっとお役ごめんになったわけだ。
しかし、そのままこの国から出て行っちゃうのも、なんか申し訳無い気がした。
せめて、ラッツに別れの挨拶をしてから、と思って。
引き返す途中の夜、ミンシアは僕の為だけに歌を披露してくれた。
ラッツからの大切な手紙を届けてくれたお礼、と言って。
岩場に座って、大きな月をバックにして歌う彼女の姿は、とても、綺麗だった。
左足首のアンクレットが、月の光を反射して、キラキラ瞬いてる。
たいせつな あなたのために あたしは 歌い続ける すべて かれるまで
いとしい あなたのために あたしは 生き続ける すべて なくすまで
涙は風に溶け 声は海に沈み あたしは ここで
あなたを想い あなたの影を抱き あなたを愛し あなたのために
あなたがあたしを忘れても あたしはここで 想い続ける
本当に、その歌声は美しかった。
透明で、澄んでいて、切なくて。
風と交じり合いながら、満天の星空に響いていく。
僕は聞きながら、じんわりと涙ぐんでしまった。
──なんだか、僕の体の奥底で、冷たく硬く凝り固まっていたものが、暖かさでゆっくりと溶けていくような──膿んでしまった傷が、暖かい水で洗い流されるような感覚。
ミンシアの歌が、みんなに愛される理由が分かった。
人々が、それぞれの生活や人生の中で受けた、疲れや心の傷を、ミンシアの歌声が優しく癒してくれるんだ。
──今、僕が癒されてるように。
ミンシアは、いつまでも歌い続けてくれた。
僕が自然と笑顔になるまで。
そして最後に、岩場からひょいっと飛び降り、うやうやしく頭を下げた。
僕は、手が痛いを通り越して感覚がなくなるまで、彼女に拍手を送り続けるのだった。
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