冬が終わらない①

 骨折三箇所なんて大怪我を負ったのに、僕の身体はみるみる回復していった。

 セシーリアのお手製薬が良かったのか。

 白黒茶狼のロルフとの取っ組み合い──もとい、リハビリが効いたのか。

 多分、両方。


 セシーリアは毎日薬をくれた。

 あのクソ不味い──いやいや、独特な味の治療回復食はもとより、湿布が特に効いたように思う。

 数種類の薬草を混ぜてすり潰した貼り薬だ。貼ってもらうと、炎症も痛みも溶けるように引いていくのが分かった。


 あとは、ロルフとのリハビリ。

 吹雪いていない日には、よく外でロルフと転げ回った。

 ロルフの首元にしがみつくと、ロルフは転がってお腹を出し、僕の右肩を軽くアグアグしながら手足でパシパシと僕を蹴る。

 僕は僕で、これでもかという程ロルフの全身をモフモフわしゃわしゃ撫で回した。

 そして、体勢を逆転されて、今度は僕が下からロルフの顎の下や胸辺りをワシャワシャ撫でると、ロルフが僕の顔をベロンベロン舐め回す。

 ロルフは立ち上がると僕よりも大きかったが、いつも手加減してくれていて、怪我をすることはまずなかった。

 でも、何度も何度も転がって雪まみれになり、セシーリアとリヴに呆れられることが多々もあった。


 リヴは新雪の上を駆け回るのが好きらしく、時々追いかけっこした。(時々ロルフも混ざった)

 新雪なら倒れこんでも痛くなかったし。筋力増強にはもってこいだった。

 ん? リヴはもしかして、単純に僕を走らせて体力を取り戻させようとしていただけなのでは……?


 狼の怖さをすっかり忘れた頃。

 僕は、セシーリアの家のリビングの床に座り込み、暖炉に向かいながら自分の荷物の中から紙とペンを取り出して、この地域に来てからの奇跡と出会いを記していた。

 セシーリアの事。

 リヴの事。

 ロルフの事。

 僕の横では、ピッタリくっついてロルフが寝息を立てていた。

 その穏やかな寝息を聞きながら書き物をしていると、とても筆が進む。

 本当に幸せで、穏やかな時間だった。


 その時、ロルフの耳がピンと動く。

 顔をのっそりと上げて隣の部屋の方へと視線を向けるのとほぼ同時ぐらいに、リヴを連れたセシーリアがゆるりとリビングに入ってきた。

 手には杖が。透し彫りが美しく頂点に青い石を嵌めた白く美しい華奢な杖だ。

「ヤン、少し留守にするよ。遅くなるかもしれないから、夕飯は自分で用意しておくれ」

 それだけを告げると、セシーリアは踵を返す。

「どこ行くんですか?」

 彼女は時々、薬草などを取りに外出していたが、その時は杖などは持って行っていなかった。

 違和感を感じて尋ねる。

 すると、セシーリアは細い首を傾げて少し逡巡すると、小さくため息をついた。

「山の様子を見に行くのサ」

「……山の?」

 山の様子を見に行くとは、どういう事だろう?

「冬が終わらないからサ。もう春になっててもおかしくない時期なのに、山から吹き下ろす寒気の風がおさまらない。これは何かあるんじゃないかと思ってね」

 尋ねる前に、彼女は僕の疑問に答えてくれた。

 何かって……なんだろう。

 怖い事なのかな?

「あの……僕も一緒に行っても大丈夫ですか?」

 純粋に興味があった。

 冬が終わらない。

 春が来ない。

 何かがありそう──それが何なのか、見てわかるようなものなのか──

 セシーリアは、視線を横にいるリヴに落とす。

 リヴは、クゥンと小さく鳴いた。

 その様子を見て、彼女は自分の白く美しい一房の髪を撫でて口を開く。

「構わないけれど……防寒装備はしっかりしといで」

 しょうがない子だね──そんな声が聞こえて来そうな顔だった。

「すぐ用意します!」

 僕は膝においていた紙を雑にまとめて横に置き、すぐさま防寒装備に着替えに走った。


 セシーリアの家は、天を穿つ山脈のそばにある。

 崖にある洞窟の一部と家がくっついた不思議な形をしていた。

 手前側の家の部分には暖炉やリビング、ダイニングなどがあるが、奥の洞窟側は彼女の部屋と物置状態になってる客間がある。

 僕は普段リビングの暖炉のそばの床の上で寝起きしていた。フカフカの布団を敷いてロルフがいつも一緒に寝ているので寒くない。時々リヴも一緒に寝てくれた。

 家の外は畑になっているらしいけれど、今は雪が積もってその形跡は分からず、僕とロルフの遊び場となっている。

 畑の先は木々が生い茂り、これといった道などはない。

 冬は特に葉の落ちた木々と雪により、目印となりそうなものがなくて迷子になりそうだった。


 僕は前を歩くセシーリアとリヴの姿を見失わないように気をつけて歩いた。

 ちなみにロルフは僕の横を歩いてくれている。

 ところで……

 僕はここへ来た時と同じ完全防寒装備だ。吹雪対策として、帽子を目深に被ってマフラーを口元まで引き上げ、目しか出してない。

 なのに。

 セシーリアは、家で過ごす時と同じ、濃紺のロングドレス一枚のままだ。

 いくら二の腕まである長い手袋してるからって、あれは防寒にもならないよね。

 寒くないのかな。

 いや、寒いでしょ。

 絶対寒い筈だよ。

「セシーリア……寒くないんですか?」

 堪り兼ねて、前を歩く彼女の背中にそう問いかける。

 半身で振り返って僕の顔を見るセシーリア。

 口の端を持ち上げて、ふっと少し笑う。

「寒くないサ」

 そう一言告げて、また前を向いて歩き出した。

 その姿はまるで──


 まるでそう──雪の女王様のよう。


 白銀に輝く長い髪、白く透き通った肌。

 ……冷たい手。

 本当に、雪の女王様だったりして。

 いやいやいや。

 だって、セシーリアの家には暖炉あるし。部屋あったかいし。彼女も僕と同じ暖かい食べ物食べてるし。

 ただ、外を歩く時の、あの尋常じゃない薄着は、彼女が普通の人間ではない事を示していた。

 セシーリアって、何者なんだろう。


 そうこうしているうちに、家から一番近い低めの山の中腹まできていた。

 セシーリアが立ち止まり、山の上の方を見上げる。

 眉根を寄せて、その頂を睨んでいた。

 セシーリアの横に立ち、同じ方向を見てみるけど、僕には別段変わった様子は見て取れなかった。

「セシーリア?」

 僕より背の高い彼女に問いかける。

 すると、彼女は突然僕の肩を抱き寄せた。

「飛ぶよ」

 短くそう告げる。

 え? と、聞き返す暇もなく──突然僕たちの周りに激しい風が巻き起こった。

 雪が舞い上がり、視界が真っ白になる。

 激しい吹雪に突然見舞われたかのような感覚。目を開けていられず、風の音しか聞こえない。

 しかし、そんな状況も一瞬で終わった。

 風が止む。

 閉じた瞼の向こうが明るく感じられたので、恐る恐る目を開いた。

 眼下に広がる白く広大な大地。

 空は果てしなく広い。

 地平線が、緩やかにカーブを描いて見えた。


 そこは、天を穿つ山脈の、まさに頂きだった。

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