最後の旅立ち

 眠った彼を家に連れて帰った彼女は、家の奥──普段物置になっていた部屋から物を退かし、魔力で作った氷の透明なケースの中に彼を横たえた。

 春の暖かさが、彼の眠りを妨げないようにだそうだ。

 ビックリするぐらい青ざめたマティアスの顔を見て、不安になってセシーリアに尋ねてみると、詳しい事を教えてくれた。


 彼の、新陳代謝──生き物としての生命活動を極限まで低下させ、眠っているのと死んでいるのの、丁度間くらいの状態にしているそうだ。

 こうすれば、彼は死なずに、病気の進行も抑えられるとの事。

 よく分からないけれど、彼は大丈夫なのだと、セシーリアの顔を見て確信した。


 翌日。

 僕は、眠ったマティアスに別れの挨拶をする。

 氷の──そう、まるで棺のような──ケースの中で眠る彼。

 きっとセシーリアは、病気を治す方法が見つからない限り、彼を目覚めさせないだろう。

 彼が目覚める頃には……僕はこの世にいない。


 なんて事だ! 病気に侵された彼より僕の方が先に死ぬなんて!

 なんて不条理!

 でもなんか面白い!


 僕は、ケースにそっと触れる。

 それは、肌に張り付きそうなほど冷たかった。

「幸せに……なってね、マティアス。今まで本当にありがとう。

 ある意味、僕の命を救ってくれたのは、マティアスなんだよ。マティアスが、僕に雪山装備を貸してくれたから、僕は助かったんだ。

 ……ありがとう」

 心からそう思い、お礼を言う。

 そして、マティアスが眠る部屋を後にした。


 その後、リビングで待機していたロルフに飛びついて、彼の全身をこれでもかというほど撫で回した。

 興奮しすぎてハァハァいうロルフ。

 全力で撫で回したので疲れてハァハァいう僕。

 最後に、彼の顔を両手で包み込み、ゆっくり撫でた。

「ロルフ。死にそうだった僕を見つけてくれてありがとう。忘れ物、届けに来てくれてありがとう。

 僕のせいで、色々大変な目に合わせちゃってごめんね。

 楽しかったよ」

 そっと手を離すと、名残惜しそうに少しだけ僕の手を目で追う。

 しかし、僕が立ち上がっても、彼は座ったままだった。


 次に、少し離れたところで僕とロルフの様子を、床に横たわりながら見守っていたリヴのもとへ行く。

 彼女の前に膝をつき、ぺこりと頭を下げた。

「リヴ。僕を守ってくれてありがとうございました。リヴと一緒に寝られた時は、とても安心できて幸せな気分になりました。

 ロルフを危険な目に合わせちゃってごめんなさい。

 本当に……ありがとう」

 彼女のアイスブルーの目を真っ直ぐに見つめて、お礼を言った。

 すると──

 ベロリ。

 リヴが僕の頬を舐めてくれた。

 リヴが舐めてくれた!

 ロルフはよく舐めてきたけど、リヴは鼻をくっつけるぐらいしかしてこなかったのに!

 彼女がくれた僕への旅の餞別に、思わず感動して飛びつこうとした。

 が、頭を下げられ空振る。

  調子にのるなって事ですねスミマセン……

「ありがとうございました」

 僕は立ち上がって、家の玄関へと向かった。


「色々、お世話になりました」

 家の前に立つセシーリアに、僕はぺこりとお辞儀をする。

 これが、本当に最後の挨拶だ。

「もう、忘れ物するんじゃないよ」

 セシーリアは、いたずらっぽく笑ってそう告げた。

 意外と意地悪だね、セシーリアって。

 僕が笑って誤魔化すと、彼女は僕の頭をクシャリと撫でた。

 手には勿論、長い手袋がされている。

 僕は、その手を取った。

 氷のように冷たい彼女の手。

 しかし、とても優しいひとなのだと、僕は知ってる。


 どこかの国の言葉で『手が冷たい人は心があったかいんだよ』と聞いたことがある。

 それはまさに彼女の事だと思った。


「ありがとうございました」

 僕は強く握手して、その手を離す。

「……アンタの旅路に、マティアスと同じように輝く未来が待っていますように」

 酷く優しい声で、僕にそう告げてくれた。

 僕は再度深々と頭を下げて、その場を後にする。

 その背中に、彼女が声を投げかけてきた。

「何かあったら、アタシを思い浮かべて名前を呼びな! そうすれば、その声はアタシに届くから!」

 僕はもう一度彼女の方へと向き直ると、大きく手を振った。

「ハイ! 本当に! 本当にありがとうございました!」

 両肩がモゲるかと思うほど大きく何度も手を振った。

 僕のその姿を見て、セシーリアは朗らかに笑ったのが遠くからでも良く分かった。




 村へと戻ってきた。

 僕の荷物が、マティアスたちが捕まっていた空き家の脇の木陰に、隠したままになっていたからだ。


 隠していた荷物は手付かずだった。

 どうやら誰にも見つからなかったらしい。

 良かった。


 人に見つかると面倒な事になりそうだったので、荷物を持ってこっそりとマティアスの家の様子を見に行ってみた。

 少し気になったから。


 そして、マティアスの家──があった場所に辿り着いて愕然とする。


 家は、無残に焼け落ちて、炭になった柱を残すだけとなっていた。

 誰かが放火したんだ。

 いや、きっと『誰か』じゃない。

 村人全員でだ。

 物事が上手くいかなかった鬱憤を晴らす為──


 僕は、なんだか言葉にできないモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、その村を後にした。


 諸国を旅している自分には珍しく、思った。

 もうこの村には、二度と来ないだろう。


 来たくもない、と。

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