第二話 風の歌

砂漠の国 ~出来心は後悔のもと~

 僕の手には、銀色に鈍く光る、一枚のプレートが握り締められている。


 ここは、すり鉢状になってる建物。まわりを観客席がぐるっと囲み、その中心には砂が敷き詰められた舞台がある。観客席は階段状になってて、後ろに行く程高い。舞台は、建物の中央にして一番下。

 僕が立つ位置から、その舞台の全てが見渡せた。

 闘技場。

 僕は、その観客席で、プレートを握り締めて、舞台の中心を見つめていた。


「うおおおおお!」

 男が、対峙する獣に向かって吼えた。

 両手で握った超大振りの剣を、目の前の獣に向かって振り下ろす!

 しかし獣は、その猫科特有の体のしなやかさで、後ろにヒラリとかわした。

 猫科といっても、そこいらのニャンコとは比較にならない程のデカさだ。そして、その両犬歯は、有り得ないほど太くて長い。(ところで、猫に対しても犬歯って言うのかな?)

 どこかで見た、象の牙のように長く鋭く──そのデカイニャンコの滴る唾液で、異様にてらてらと輝いていた。

 サーベルタイガーという名前らしい。僕は、その生き物を、今日初めて見た。

 こんな動物がいるなんて、世界は本当に広いなぁ。ってか広すぎるよ!

 今まで旅で出会わなくて本当によかった。出会ったら最後、僕なんかきっと、猫が鼠をいたぶるように弄ばれるだけ弄ばれて、最後にあの牙で串刺されて、即死・だね★

 なのに、舞台の中心にいる男は、そのサーベルタイガーに果敢にも戦いを挑んでる。

 まあ、好き好んで、あの人もサーベルタイガーと戦ってるんではないだろうけど。


 ここは闘技場。

 戦いを見せる場所。

 そして、今繰り広げられている戦いは、人とサーベルタイガーの死闘。

 でも、なぜ僕は、こんな所で、プレート──賭け券──を握り締めてるんだろう?

 もとはと言えば、『闘技場に行ってみたい』とか言い出したのが悪いんだ。


 戦いとか、争いとか無縁で生きていたのに、なんの気の迷いか、『闘技場を見て見たい』とか口にしたのが、神様のカンに触ったんだ。

 ごめんなさい神様。

 心から反省してるから許して。

 もう思いませんから。

 死んでも思いませんから。

 もう二度と血迷い事も口にもしませんから!

 頭にも思い浮かばせませんからッ!

 でも、僕のそんな悲痛な想いも届かず、こんな所に立たされている。


 最初は、噂を耳にした。

 『闘技場』という面白い場所があるんだよ、という噂を。

 僕は、どんなものか想像がつかなくて、『へー。どんな場所なんですか? 見てみたいです』なんて軽~く、雲より軽~~く、口にしてしまった。

 それが運のツキ。

 たまたま、僕が街と街の間だけ同行していたキャラバン隊が、丁度、闘技場のある国に行くからという事で、連れていってもらう事となった。

 そしたら、問答無用で船に乗せられた。

 いきなり海を渡りましたとも。

 ええ。

 聞いてませんでしたけどねッ!。

 そしたら結構凄いシケに見舞われて、今までで最凶最悪の船酔い。

 海の上にいる間中ずっと、ずっと、ず~ッと、部屋でゲロゲロやってました。

 内蔵まで吐くかと思いました。

 そして待ってました。ドデカイ砂漠。

 僕が同行したキャラバン隊は、砂漠越えはよくしているらしく、装備はばっちりだったけど、僕はさっぱりさ。

 ええ。

 さっぱりさっぱり。

 暑いし、喉渇くし、強い日差しで顔や腕が物凄い日焼け──むしろ火傷──して……船酔いで衰弱してた僕は、何度か天使を見かけましたよ。

 ええ。

 綺麗でした。

 幻ですが。

 砂漠を越える事──どれぐらい? もう死にそうな気分だったから、日にちも覚えていないさ。

 っていうか無理だよ無理!

 たぶん、キャラバン隊が一緒だったからよかったけど、これが一人だったら、僕は砂漠の真ん中で干からびてたよ!

 はるばる海を越えて砂漠を越えて。

 やっとこさ、闘技場のある、大きなオアシスのほとりの街に辿り着くことができた。

 着いてすぐ、丁寧にお礼を言って、キャラバン隊の人たちとは別れた。

 もともと、キャラバン隊の目的地は、この街を抜けた更に先──この国の中心部にある城下町──で、ここはまだ旅の通過点だからだ。闘技場のある街に立ち寄る予定があったから、丁度いいという事で、僕をついでに連れてきてくれたわけ。

 更なる砂漠越えの準備で忙しいキャラバン隊の人たちに、これ以上甘える事もできず、まわりの人に聞いてまわり、やっとこさ闘技場の場所にたどり着いた。

 そう!

 やっと辿り着けた!

 大海原を越え、大砂漠を越え、死線を何度も潜り抜け、何度か天使に導かれそうになりながら、やっと! やっとッ! (若干脚色アリ)

 でも、闘技場で行われる事の意味を、僕は知らなかったんだ。


 街の人に聞いてまわり、着いたそこには、石と鉄で組まれた大きな円筒状の建物が鎮座していた。雲一つない真っ青な空の下、そそり立つその建物の中から、怒号のような人の声やざわめきが聞こえてきていた。

 僕は、はやる気持ちを抑えながら、その建物の中に近づいて行った。

 しかし……ただ見物できるものと思っていたら、中に入るには『券』が必要なんだと、入り口に立つ警備兵に言われて、けんもほろろに追い返された。

 途方に暮れて、どうしたらいいか悩んでいたら、ちょっとガラの悪いお兄ちゃんたち五人が、気さくに話しかけてきた。

 本来の僕なら、何もされてなくても、土下座して謝って逃げていた筈なのに──死ぬような思いまでして、やっとここまで来れたのに、みたいな気持ちがして──そのお兄ちゃんたちの口車に……乗ってしまった。

 乗ってしまったのだ。

 そして、『券』を手に入れた。

 どちらが勝つか、賭ける券を。

 しかも、ほとんど全財産分☆

 って!

 『☆』つけてる場合はじゃないよ!

 でも知らなかったんだもん!

 そんなに大金出さなくてもいいって事!

 一口から買えるって事!

 よく判らないから、『いくら持ってるんだ?』って言われて、持ってるはずの大体の金額を正直に言っちゃって……

 その金額分、無理矢理全部賭けられてしまった……

 自分が担がれた事に気がついたのは、銀色のプレートを握らされて、中に突っ込まれた後。たまたま横にいた、ちょっと気の良さそうなおっちゃんが、どっちに賭けたんだ? って声かけてきたから、よく判らないんで、手にしたプレートをおっちゃんに見せた。

 そしたら、おっちゃんが、半ば腰を抜かしかけた。

 そして教えられる。

 この戦いで、不利な方──男の方に、信じられない高額を賭けている事。

 賭けだから、男がサーベルタイガーに負けたら、勿論、お金は返ってこない事。

 あの、ちょっとガラの悪いお兄ちゃんたちは、おのぼりさんの僕を見つけて、からかうような軽い気持ちで、僕を担いだんだろう。

 はぁ……

 やっぱり、僕が何かを望むって事事態が、無謀、無茶、身の程知らずなんだ。

 神様ごめんなさい。

 調子に乗って──乗った覚えはないけど──ごめんなさい。


 そんな、僕の想いとはまったく別の所で、男とサーベルタイガーの戦いは続いていた。

 男は、剣を両手で握って中段に構えている。サーベルタイガーの方は、剣の間合いから随分離れた所で、身を低くして、飛びかかるタイミングを見計らっているようだった。

 確かに、この戦いは、男の方が不利だ。

 剣は大振りで、間合いは広いだろうけど、でもその分重たくて敏捷性はどうしても低くなるはず。

 対して相手は、デカイといっても猫科の動物。その俊敏さは他のどの動物にも負けないだろう。

 男が剣を振りかぶる、その時間だけで、サーベルタイガーは男の懐の中に飛び込める。

 たぶん、勝負は一瞬で決まるはずだ。──男が、剣を振り上げて、切り込もうとした瞬間──あの獣の牙が、男の胸を貫いちゃう!

 もう、僕は怖くて見てられない!

 でも、全財産かかってるから、見ずにはいれない!

 帰りたいけど帰れない──そんな葛藤が僕の頭の中で繰り広げられていた。

 しばらくの睨み合いの後──

 男が動いた!

 地面を蹴り、サーベルタイガーとの間合いを詰める。そして、信じられない速さで剣を振り上げると、サーベルタイガーの頭を斬り飛ばす為に、一気に斜めに振り下ろした!

 しかし、獣の見事な反応が、剣を簡単に避けさせた。少し下がって攻撃を避けると、男のがら空きになった肩口に、サーベルタイガーの見事の牙が迫る!

 もう駄目だ!

 僕が、怖くて目を背けそうになった時──

 男の体が横に一回転した!

 それは、突き刺されたからじゃなくて。男は、剣から片手を離し、斜めに振り下ろした勢いのまま、体を翻して踵落としを放っていた!

 どがっ!

 見事に男の足が、サーベルタイガーの脳天にクリーンヒット!

 予想だにしなかった一撃を食らい、獣は一瞬よろける。なんとか倒れないように四肢を踏ん張り、再度男を捉えようと顔を上げた瞬間──

 勢いに乗ったまま、再度両手で握り締められて振り上げられた男の剣が、サーベルタイガーを左肩口からばっさりと、袈裟懸けに切り裂いた!

 物凄い量の血が飛沫となって宙を舞う。

 勝負は一瞬でついた。

 サーベルタイガーの大きな体が、大量の血を噴出しながら、どぅっと地面に倒れた。

 闘技場が、一瞬シーンと静まりかえり──

 うおおおおおおおお!

 地響きのような大歓声が沸き起こった。

 か……かかかかかっかかかッッッ……勝ったーッ!

 男が勝った!

 僕が賭けた方が勝った!

 僕の全財産が返ってきたッ!

 もう、びっくりと感激の嵐で、頭がおかしくなるかと思った。

 いや、実際おかしくなってたかもしれない。

 隣にいたおっちゃんと、抱き合いながら喜びまくり、叫びまくった。しまいには号泣して、神様に何度も何度も、なぁ~んども、お礼を言った。

 ──これから、更なる不幸に見舞われる事も知らずに。

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