彼の事情② ~彼の後悔~

 気がついたのは、扉がノックされた音を聞いたからだ。

 顔をゆるゆると上げると、また、扉がノックされた。

 いつの間にか、部屋のランプに灯がともってる。僕が自失している間に、誰かがともしてくれたんだろう。

 気づかなかったけど。


 こんこん


 ノックはしつこく繰り返される。

 僕が返事するまで続くだろう。

 もう、動くのも面倒だったので、『どうぞ』とだけ告げた。

 扉がゆっくりと開く。

 向こうに立っていたのは、ジャンだった。

「入るぞ」

 僕の返事を待たず、部屋につかつかと入ると、扉を閉める。

 ベッドに腰掛けたままの僕の横に、どかっと座った。

 ジャンの重みでベッドが揺れて、僕の体がぽよぽよと上下する。

「気分はどうだ?」

 ジャンは、僕の方を見ずに言う。

 手を組んで膝に置き、僕と同じように扉を凝視してる。

 僕は答えない。

 と、いうか、答えられない。

 ジャンと、話す気分には到底なれない。

「俺を、恨んでいるか?」

 僕が……

 ジャンを……

 恨んでる?

 わからない。

 僕が恨むような事じゃないような気がする。

 腹は立った。

 でも、僕が恨むのは、違う気がした。

 ──エルザも、恨み言なんか言ってなかった……

 むしろ──

 また、涙が滴った。

 枯れたかと思ってたけど。

「……エルザは……誓いが守れて、幸せだって……」

 最期の、彼女の言葉が浮かんだので、そのまま口にした。

 すると、苦笑したような吐息だけが聞こえる。

「幸せ……か」

 ジャンは俯いていた。

 ランプの灯の影になって、表情までは見えなかった。

「お前は、腹を立てていたな。エルザとの謁見の際、俺がエルザに『無事に戻って来い』と言わない事に」

 ──そうだった。

 そんな事もあった。

 もう、どうでもいいけど。

「なぜ言わなかったか、解かるか?」

 解かるわけない。

 僕は小さく、首を横に振った。

「俺が騎士団長に一番に望む事は、なるべく犠牲者を少なく、事態を大事にしない事。俺がエルザの心配をする前に──俺とあいつは──王と騎士団長なんだ」

 聞いてもよく判らない。

 考えられないからか、僕はそのままジャンの言葉を聞くだけ。

「そう、俺とあいつは……幼馴染である前に……国を守る立場なんだ。──言えなかった」

 ジャンの声が、段々小さくなる。

 僕は、長時間同じ姿勢をしてて固まってしまった体を軋ませながら、ジャンの方を向いた。

 ジャンはまだ俯いてる。

 組んだ手を、硬く、握り締めて。

 ──少しだけ、震えてた。

「エルザが……俺に騎士の誓いを立てた時点で……──もう、昔に、戻れるわけ……」

 なかったんだぞ、と。

 ジャンが、息とともにそう、吐き出した。

 誰かに──エルザに、言うみたいに。

 しばらく、沈黙が続いた。

 ジャンは何も言わなくなった。

 僕も何も言わない。

 段々戻ってきた思考回路に、ジャンの言葉が蘇る。

 ──そうか。

 ジャンは、言いたくても、言えなかったのか。

 王様だから。

 国を一番に考えるから。

 王様なら、命に代えてでも国を守れと、言わなきゃいけない立場だから。

 でも、エルザに死んでも国を守れとも言えない。

 だから何も言わなかった。

 それを解かっていたから、エルザも何も言わなかったんだ……

 だめだ……やるせない。

 やるせないよ!

 なんでこんな事になったのッ?

 ジャンが王様だから?

 エルザが騎士団長だったから?

 ジャンとエルザが幼馴染だったから?

 最初から、違う立場だったら良かったのかな?

 二人とも──王様でも、騎士団長でもなく──普通の、幼馴染だったら。


 何か、違う未来があったのかな……?


 何も言わず、ジャンは立ち上がった。

 顔を上げているけど、ランプを背にして立っている為、僕には表情が見えなかった。

「明日、発つのか?」

 聞かれて、僕は頷く。

 もう、ここに居る意味もないから。

 エルザは、もういないから。

「そうか。明日、国の外まで送ろう。夜明け頃、迎えに来る」

 王様なのに……送る為に迎えに来るなんて……。

 でも、僕は構わず頷く。

 なんとなく、予想できた。

 なんで、送ってくれるのか。

 ジャンは、僕が頷くのを見届けると、そのまま扉から出ていった。


 最後に、何か呟いたみたいだったけど、僕には聞きとれなかった。

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