思い出話

 この違和感はなんだろう……?

 僕は、マティアスの家の中を見回して、違和感の正体を探ろうとした。

 簡素な卓と二脚の椅子。

 壁には外套や冬の装備を吊るすフック。今は何もかけられていない。

 部屋の中心の天井からはランプが吊るされており、部屋の片隅には小さな棚が一つ。

 隣の部屋の扉が開いていて中が見えていたが、簡素なベッドが一つ置かれているだけだった。


 そこで気づく。

 そうか。なんか荷物が異様に少ないんだ。


 セシーリアの家なんかは、薬草やら本やら何に使うか分からない道具なんかが、部屋のいたるところに置かれたり吊るされたりしていた。

 床にもカーペットが敷かれていて、雪山の家なのに、中はなんだか暖かそうに見える。

 僕の家も、ぶっちゃけ今まで書きためた紙や集めた本で足の踏み場もないぐらいだ。


 なのに、この家は違う。

 必要最低限の物しかない。

 物が少ないせいか、酷く寒々しく見えた。


「暖炉で温まろう。ここに座るといい。疲れただろうから今お茶を入れるよ」

 マティアスは、そう言って僕を暖炉の前のクッションを勧める。

 言われたまま僕はそこに座り、今感じた感想をそのままマティアスに伝えた。

「あー……俺はさ、あんまり物を置くの好きじゃないんだ。最低限の物があればそれでいいから」

 お茶の準備をしながら、マティアスは背中越しにそう告げる。

 なるほど、と僕は納得して、暖炉に視線を戻した。


 お茶を貰ってゆっくり飲むと、五臓六腑に暖かさが染み渡った。

 ここのお茶は、牛のミルクで茶葉を煮て作る。仄かに甘くて濃厚で美味しい。

 ちなみに、セシーリアが淹れてくれたお茶は、今まで飲んだ事ないような爽やかな風味のお茶だった。

「セシーリアが淹れてくれたお茶って、温かいのに飲むと余計に寒くなりそうなヤツでしたね……」

 僕がお茶を飲みつつそう呟くと、マティアスはブフッと吹き出した。

「分かる。俺も飲んだけど……正直好きになれなかったなぁ」

「……僕もです。暑い時に飲めば、また違ったかもしれませんが」

 そう言って、お互い笑った。

「そういえばさ、ロルフは? デカくなったろうな」

 マティアスが、僕と同じように床に座って暖炉に向かいながら尋ねてきた。

「はい。それはそれはデッカく。リヴより大きいですよ。立ち上がると僕の肩に両手置けるぐらいです」

 ロルフと転げ回った事を思い出す。

 僕のその言葉に、マティアスは目を丸くした。

「そんなに! 俺がいた頃は、まだまだ小ちゃくてさ。最初は子犬みたいに小さかったんだぜ? そのうちみるみる大きくはなっていったけど……よく走り回ったり転げ回ったりして遊んだなぁ」

 暖炉に視線をうつしながら、マティアスは懐かしそうに呟く。

 きっと、ロルフにとってはマティアスが兄弟のような感じだったんだろう。

 生まれた頃から一緒にいて、一緒に育ったお兄ちゃん。

 だからきっと、ロルフは人に慣れていたんだ。


 対してリヴは、自分からは寄ってきてくれるのに、僕から行こうとすると逃げることもあったし、下手に手を出すとガウッと怒る事もあった。

 リヴも人に慣れてるとはいっても、そこはやっぱり犬とは違うんだ。

「リヴは、いかにも気高い狼って感じでしたね」

 野生の狼を間近で見たことはないけど(そんな危険な状況になったら速攻で逃げるし)、きっと本来の狼はきっとリヴのような感じなのかも。いや、もっと危険か。

「リヴにはよく怒られたなぁ。撫でたくて手を出すと唸るんだよ。触るなって。セシーリアがいる手前、噛まれたりはしなかったけど。……いや? 甘噛みぐらいはされたかな? とにかく、怒るとすげぇ怖いの。

 でも、一緒に寝てくれるんだよなぁ」

 マティアスは喉の奥で笑いながら、リヴの事も懐かしそうに語る。

 そういえば、僕も最初はリヴのお腹を枕にして寝かせられていた。

 セシーリアがそう指示したとは思えないから、怪我した僕を労ってくれていたんだろう。

 リヴはやっぱり優しい……怒ると怖いけど。

 たぶん。リヴにとって、マティアスは息子同然だったんじゃないかと思う。

 マティアスが来たのは、ちょうどロルフ以外の子供を失ったタイミングだからだ。

 病気で弱ったマティアスに……きっとリヴは、我が子のように寄り添っていたんだろうと、容易に想像できる。


 そこで、ふと、とある可能性に気づいた。

 クレバスに落ちた僕を、ロルフが助けてくれた理由。


 僕は、マティアスから雪山装備を借りていた。

 勿論、クレバスに落ちた時も、その装備を身につけていた。

 僕を見つけたロルフは、僕が身につけてる装備からマティアスの匂いがする事に気がついて、助けてくれたんじゃないのかな?

 リヴも、現れた僕からマティアスの匂いがする。だから優しくしてくれたんじゃないだろうか?

 リヴとロルフにとって、マティアスは家族も同然だった筈だ。

 その家族と同じ匂いが僕からする。

 二匹はきっと、僕をマティアスの友達だと思ったんだ。

 だとしたら……僕は恐ろしいまでの幸運に恵まれていた事になる。

 もし、冬山装備をマティアスに借りていなかったら……

 想像するだけで怖い。


 僕は頭を振って、気を取り直す。

 そして、一番思い出深いあの人の事を思い描いた。

「セシーリアは……綺麗ですよね」

 彼女の立ち姿を思い浮かべて、僕は単純な感想を口にする。

 セシーリアは綺麗だった。

 ピンと張った背筋、流れるようにサラサラな白銀の長い髪、アイスブルーの瞳に、抜けるように白い肌。

 濃紺のタイトなドレスがとても似合っていた。

 動きは優雅で上品。声は低めでハスキーだけど、落ち着いていて聞いていると安心した。

 マティアスも、僕の言葉に呼応して頷く。

「ああ……本当に。

 俺最初さ、セシーリアを見た時に『雪の女王様ですか』って聞いたんだよな。

 違うよって言われたけど……雪原に立つ彼女は──本当に、そう思えたよ」

 遠くを見ながら語るマティアスの目に、暖炉の炎が揺らめいていた。

「ずっと……あそこに居られたらなぁ……」

 マグカップを揺らめかせながら、マティアスがポツリと呟く。

 その言葉に彼の顔を改めて見ると、まるで泣き笑いしているかのような表情になっていた。

「あそこにいた間は楽しかった……。嫌な事全部忘れられたよ。

 リヴとロルフは俺を家族の一員みたいに扱ってくれて、言葉は通じないのに気持ちはなんとなく分かるんだ。

 セシーリアは色んなところに俺を連れて行ってくれたし、色んな事も教えてくれた。

 読み書き計算、薬草やハーブの見分け方や効能、異国の物語を読み聞かせてくれた事もあったっけ……」

 次第に、マティアスの表情が苦しそうなものになっていく。

「ずっとあそこに居たかった……でも、セシーリアはそれはダメだと言ったんだ。

 長くここに居ない方がいいって。

 セシーリアがそう言うから……俺は村に戻るしかなかった……

 ──子供だったしな」

 最後は、そう自嘲気味に吐き捨てた。


 セシーリアにはセシーリアの、マティアスにはマティアスの苦悩がきっとあったと思う。

 お互いにきっとそれは知らないんだろう。

 セシーリアはまた孤独となり、

 マティアスは子供一人で村で生きる事になった。

 お互い……種類の違う孤独に、耐える事になったんだ。


 確かに……セシーリアが違う選択をしていたら──違う今が、あったのかもしれないな。


 今となっては、それは分からない事だけれど。

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