戦い ~彼女が護りたかったもの~

「まったく……無茶をする……。手討ちにされたらどうするんだ」

 エルザが苦笑しながら言った。

 ぱっかぱっか馬にゆられながら、後ろに乗せた僕に向かって背中ごしに。


 ここは、サリア街道。

 石化樹が目撃された隣村に行く途中。

 空は曇天。

 昨日までとはうって変わって、今にも雨が降り出しそうだった。

 風はぬるくて、あまり気持ちがよくない。

 ──まるで、これから起こる悪い事を、予兆してるかのように──


 謁見が終わり、僕は一度部屋に戻り、簡単な身支度をした。

 ジャンに、『一度城に戻れ』と言われたから、全部の荷物は持ってこなかったけど。

 その後、城の西門で待機していた宮廷騎士団と合流する。

 みんな、忍ぶように灰色の地味な外套を纏っていた。

 エルザも、王と謁見した時にしていたショルダーと群青のマントを外して、みんなと同じ灰色の外套をつけている。胸当てだけはそのままで、微妙に白い色が浮いて見えた。

 目立たずに城下を出て行く為だ。

 今回の事は、大事にしないように、との事らしい。

 僕も吹聴しないようにと言われた。

 ──余計な混乱を招かない為に。

 小さな村だったら、村人を避難させれば良いが、この街の大きさから言って、全員の避難は簡単な事じゃない。

 というか、実質無理。

 しかも、石化樹の怖さを知ってる人たちだ。

 我先に逃げようとしてパニックを起こしちゃう。

 この前の幼樹事件どころじゃないぐらいの大混乱が起こって、もっと大変な事になるのが目に見える。

 城を出る時も、城下街を出る時も、人が少ない裏門を使った。

 いくら目立たない格好をしているとはいえ、馬にのった人間が十七人もいたら、やっぱり何かあったと感づかれてしまうから。

 ヘタな混乱を生まない為に、秘密裏に行動する。

 でも、逆に言うと、ここにいるエルザと十五人は、なんとしても石化樹を撃退しなければならない事になる。

 城下の人々が、石化樹の事を知らずに過ごせるように。

 ──それこそ、命を賭してでも。

 結果をいち早く伝達する為の早駆け用の馬と人員も二人いた。

 この二人が、結果如何を城に報告するのだ。


 成功しても──

 ──失敗しても。


 エルザの馬に一緒に乗りながら、僕は言葉少なだった。

 というか、軽口が叩けなかった。

 だって、ここにいる全ての人が、これから、死地に赴く──死ぬかもしれないのに、部外者で非戦闘員の僕が、明るくなんてできなかった。

 代わりに、エルザが明るく僕に話しかけてくれた。

 僕は曖昧にしか答えられないのに、それでも明るく。

 しばらくして、エルザも話すのをやめた。

 前を向いて、いつ現れるとも知れない石化樹の姿を、森や道の向こうに探す。

 周囲に神経を向けて、少しの違和感も見逃さないように。

 僕が見ても、周りはいつもと変わりなかった。

 鳥の声、虫の音、馬の蹄の音。

「──でくれ……」

 突然、エルザがぽつりと呟いた。

 上の空だったんで聞き取れなくて、僕は『えっ?』と顔を上げる。

「悲しまないでくれ」

 その声は、とても小さかった。

 エルザは振り返らない。

 でも声は確かに僕に向けられていた。

「アタシたちは犬死しに行くわけじゃない。人数は少ないが、少数精鋭だ。石化樹一匹であれば、なんとか倒す事ぐらいできる。まあ、できれば、穏便に事を済ませたいけどね」

 ふと、苦笑。

 エルザの肩から、少しだけ力が抜けたのが判る。

「石化樹が現れたら、最初に私が対峙する。なんとか、それで事が終われば、それに越した事はないし。もし駄目だったとしたら──ここにいる全員で、石化樹を止めるさ」

 ちょっと待って……

「最初にエルザがって……全員でかからないの?」

 石化樹を倒すのに、エルザだけの力でなんとかなるとは思えない。

 確かに、エルザは強いと思うけど、相手はでっかい石化樹でしょ?

 あんなちっちゃな幼樹ですら大変だったのに……

 絶対一人じゃ無理だって!

「私達の使命は、石化樹を城下に近づけない事。下手に全員でかかっていって、全員が石化されたら意味がない。だから、まず私から行くだけだ。一番、死ににくいアタシから。

 ──アタシが失敗したら、陣形をとって準備の整った状態で応戦する。そうする事が、一番、確実なんだよ」

 凛としたエルザの声。

 迷いなんて一切ない、

 覚悟の声。

 僕に、有無を言わさない、声。

「石化樹の事件が起こったら、他の犠牲者を出さないように、アタシが真っ先に出向く。これは、アタシが宮廷騎士団に入る時に、誓った事なんだ。

 ──この国を守る為、この国の人を守る為──」

 そこで、不意に、エルザが言葉を切る。

 エルザの背中に緊張が走ったのが解かった。

 心なしか、馬も落ち着かない。いななきながら、進むのを嫌がってるように見えた。

 ──そういえば、いつのまにか、小鳥の声がしなくなってる。

 明らかに雰囲気がおかしい。

 真っ昼間だというのに、街道の横に広がる森には、異様な静けさ。

 動物の声も、虫の声もしない。


 ──ざざッ…… ざざざざ……


 木々の向こうから、何か大きなものが地面を這いずるような音が微かに聞こえてきた。

 何かが、こちらに近づいて来る。

 エルザや、他の騎士団のみんなが、馬を止めて静かに下りた。

 着けていた外套を外し、馬の鞍から、それぞれ武器や道具を下ろして、音のする方向へ意識を集中する。

 僕は、馬の上に取り残されている。

 というか、急に沸き起こってきた恐怖で、動けなくなっていた。

「Aグループ、私の後ろに展開。Bグループ、木の上へ。Cグループ、馬をどけて待機」

 エルザが指示を出す。

 みんな、無言でそれぞれ動き始めた。

 僕は、Cグループと呼ばれた人たちに、馬と一緒に少し離れた場所に連れて行かれる。

 Aグループと言われた人たちは、手に箱を持っている。

 中には、ごとごと動いている箱もあった。

 ──もしかして……


 ざざざざざッ ざざざざざざざざッ


 音が大きくなる。

 確実にこっちに近づいて来てる。

 真っ直ぐに。さっきより足早に。


 ぎぎぎぎぎぎぎぎキィィィィ……


 鳴き声がした。

 幼樹の時とは全然違う、錆びた扉を無理矢理こじあげた時みたいな音。


 ぴしぴしぴしぴし……


 エルザたちが凝視する先の木々が、次々に石化し始めた。

 来るッ!

「止まれッッッッ!」

 エルザは、渾身の気合を放つ。

 怒号のようなそれは、ビリビリと周囲の空気をも打った。

 少し離れた所にいた僕ですら、その声というか気合に打たれ、馬から落ちそうになる。


 ぎギャァ……


 木々の向こう側に、周囲の木よりも二回りぐらいデカイ、灰色の木が現れた。


 あれが……石化樹……


 それは、幼樹とは比較にならないぐらいのデカさだった。

 しかも、『樹』という名前を冠している割には、樹というより──なんて言うんだろう……強いて言えば、とてつもなくでっかい灰色のブロッコリー──わっさーと天に広がるアフロみたいな頭(?)と、幹から無数ににょろにょろ伸びる触手。

 本来、大地に根付く筈の根っこを、ムカデの足のようにワサワサ動かしている。

 他の生き物とまるで違うのを、肌で感じた。

 これが、魔物……

 エルザと対峙して、向こうも警戒しているのだろう。

 一定の距離をおいて、こちらの様子を伺っているみたいだった。(目があるのかないのか判らないけど……)

「石化樹よ! お前が探しているのはここにある! だからこれ以上人里に近づくな!」

 人間の言葉を到底理解しそうには見えないんだけど、エルザは構わず腕を広げて声をかける。

 それにともなって、Aグループの人たちが、手にした箱の蓋を次々に開けた。

 そして、中身を対峙する石化樹の足元(?)に投げる。

 綺麗に放物線を描いて、石化樹の足元に落っこちる中身。

 それは、六日前幼樹を捕まえた、捕縛網と呼ばれるものに包まれた、幼樹や種たちだった。


 ぎキィ……


 そのドデカイ石化樹は、触手を足元に伸ばし、その捕縛網の上から幼樹たちを撫でている。

 ──ほ……本当に親みたいだ。

 そして最後にエルザが、腰に下げていた皮袋の口を開け、布に包まれた何かを取り出し、石化樹に向かって投げた。

「それが……私が殺してしまった、幼樹だ」

 布に包まれた何か──僕を助ける為に、エルザが押しつぶして殺した、あの幼樹。

 ドデカイ石化樹は、それを器用に触手で受け取る。受け取り──


 ぎぎぎぎぎぎぎゲェェェェェェ!


 凄まじい鳴き声を上げた。

 それは、悲鳴のようにも聞こえた。

 石化樹の、親の、悲鳴。

「そいつを殺したのは私だ! 殺すなら私を殺せ! ただしお願いだ! これ以上進むな! 縄張りへ引き返してくれ!」

 言葉が通じてるとは思えない。

 でも、気持ちは通じるはず。

 そんな思いで、きっとエルザは叫んでるんだ。

 両手をいっぱいに広げて──上げるのも辛いはずの左腕も広げて。


 げギィィィィィィィィィ!


 エルザの叫びに耳を傾ける気もないのか、石化樹が無数の触手をばっと広げ、大きく威嚇する。

 そして、次の瞬間、その広げた触手を、物凄いスピードでエルザの左後ろにいた兵士に集束させる!


 じゅるるるッ!


 肉が焼け爛れるような音が響く。

 触手が兵士に届く寸前、エルザが左腕で触手を絡めとったのだ。

 物凄い音と煙が、エルザの左腕からたちのぼる!

「──……ッぐぅッ……」

 悲鳴をかみ殺すエルザ。

 その姿を見て、狙われた兵士はばっと後ろに退き、腰から剣を抜き放とうとした。

「待てッ! 攻撃するな!」

 それでもエルザは戦意を見せない。

 石化樹は一端触手をひく。

 しかし、相変わらず、エルザたちを威嚇するかのように触手を広げてゆらゆらとさせていた。

 エルザは、膝をつきそうなのをなんとか耐えて、さらに一歩前に出る。

「お願いだ! 我々に戦う気はないんだ! 引き返してくれ!」

 喉から振り搾り出されるような叫び。

 兵士たちも、エルザのその言葉に、腰の剣の柄から手を離す。

 エルザは、本当に──まず自分だけでなんとかしようとする気だ。

 言葉が通じるか判らない相手なのに、戦意を見せない事で、説得しようとしてる。


 きるきるきるきる……


 石化樹は、エルザたちの様子を伺っているようだ。

 少しは、エルザたちの気持ちが通じたのかな?

 っていうか通じて!

 僕からもお願い!

 お願いだからッ!


 くケェ……


 そんな時、デカイ石化樹の足元に転がっていた、一匹の幼樹から、悲鳴みたいな鳴き声があがる。

 その瞬間、デカイ石化樹が怒りを思い出したかのように、再び物凄い叫び声を上げて、触手を思いっきり広げた。


 げギィィィィィィィィィ!


 触手が、今度はエルザの右側の兵士に差し向けられる。

 物凄いスピード!

 痛みにフラついていたエルザの反応が、一瞬遅れた。

「うわぁぁぁぁ!」

 触手に右手を掴まれた兵士から悲鳴があがる。

 幼樹が馬を石化したのとは、比較にならないような早いスピードで、兵士の右腕がぴきぴきと石化していく。

「アーク!」

 兵士の名前だろうか。

 エルザは叫ぶと、兵士を絡め取る触手に左手を伸ばした!

 しかし触手は、エルザを石化できないと知ったためか、エルザの左手が届く前に、兵士を引きずり倒し、自分の方へと引っ張る。

 その瞬間、エルザは覚悟した顔をし──

 腰の細身の剣を引き抜いた。

「アーク……すまん!」

 僕には、光が一瞬、瞬いたようにしか見えなかった。

 光が一閃。

 そして迸る赤い飛沫。

 僕はそれの意味が解からなかった。

「うあぁぁぁぁぁ!」

 アークと呼ばれた兵士の絶叫。

 触手に捕まれ、右腕の大部分を石化された兵士の二の腕の半ばから、鮮血が噴出していた。

 エルザが切り飛ばしたのだ。

 石化樹の触手は、引っ張るものの重さを急に失って、少しだけ後ろによろける。

 その隙をついて、エルザは剣を投げ捨て、倒れる兵士のもとへ駆け寄った。

 左腕のグローブを半ば引きちぎるように脱ぎ、兵士の右腕があったところに押し付ける。

 白かったグローブは、あっという間に真っ赤に染まる。

 そのまま、兵士の左側から肩を抱いて、立ち上がらせた。

「マイク! アークを!!」

 後ろに振り返り、一番最初に狙われた兵士に、負傷した兵士を預けようとした。

 そう、エルザが、石化樹に背中を向けた瞬間だった。

 無数の触手が、エルザの体に巻きついた!

 一瞬にして後ろ向きに引き倒され、石化樹のもとに引き寄せられる。

 やばい!

 エルザは今丸腰だよ!

「エルザ!」

 思わず僕は叫ぶ。

 身を乗り出したせいで、馬から落下。

 でも、そんな事はどうでもいい!

 転げるようにエルザの方への駆け出した。

「団長!」

 兵士たちも、剣を抜いてエルザを助けようと駆け出すが──

「近寄るな!」

 エルザが叫ぶ。

 思わず、僕も兵士も急ブレーキ。

 なんでッ?


 じゅるるるるるるるるるるるるッ!


 物凄い煙が倒れたエルザの全身から発せられる。

 一気に、全身で石化樹の魔力を吸収し始めたんだ!

 今までの比じゃない音と煙が巻き起こる!

 どうしよう!

 どうしようッ!

 なんでエルザは止めるのッ?

 あっという間にエルザは石化樹の足元に転がされ、更に多くの触手に絡め取られた。

 しかし、僕も兵士たちも動けない。

 エルザが駄目だって言ったから。

 でも!

 このままじゃエルザ死んじゃう!

 物凄い音と煙を撒き散らしながらも、エルザは、右手で自分の体に巻きついた触手を掴み、半身を起こす。

 しかし、取り払おうとするのではなく、ぎゅっと掴んで、石化樹の方に向き直った。


「お……願いだ……。引き返してくれ……──私達は……敵ではないんだ……」


 悲痛な、悲痛なエルザの声。

 石化樹の足元に跪くかのような体勢で、エルザは石化樹を見上げている。

 僕も兵士も、その場で立ち尽くすしかなかった。

「お願い……」

 もう一度。

 エルザの懇願。

 延々と立ち上る煙。音。

 永遠と思われるような一瞬が流れて──


 きるきるきるきる……


 石化樹が……触手を離した。

 するするとエルザの体から触手を解き、ゆらゆらとゆらめかす。

 束縛から解放され、エルザの体は、ゆっくりと前のめりに倒れた。

「エルザ!」

 僕は、危ないとかそういう事はまったく頭になくて、とにかくエルザが心配で駆け寄って行った。

 兵士たちは、呆然として見ているだけ。

 きっと、信じられない光景だったんだ。

 石化樹が、攻撃をやめたんだから。

 僕は、転げるようにしてエルザのもとにたどり着く。

 エルザの体に触れると、びっくりするぐらいの熱をもっていた。

 エルザを抱き上げたかったけど、僕のひ弱な腕じゃできなくて。

 上半身だけ抱き起こして近くの木の根元までひきずって行って、寄りかからせるだけしかできなかった。

 息がある!

 エルザはまだ生きてる!

 石化樹の方を見上げると、ゆらゆらとゆらめかせていた触手で、足元に転がっていた、種や幼樹たちを拾い上げていた。

 全ての子供たちを触手で拾い上げると、自分の頭(?)の茂みの中にしまい込む。

 そして──

 ゆっくり、ゆっくりとした動きで、ずるずると後退し始めた。


 石化樹が……帰っていく……


 それを見たら、僕の全身からも力が抜けた。

 へろへろとその場にへたり込む。

 腰が……抜けましたよ……

 やがて石化樹は、森の奥へと、その巨体を揺らしながら消えて行った。

 来た時と同じように、まわりの木々を石化させつつ、森の奥へと。

 石化樹の姿が見えなくなって、やっと、兵士たちはその金縛りから解放される。

「団長!」

 さっき、腕を切り飛ばされた兵士や、その肩を抱いている兵士、木の上や陰で待機していた兵士たち──ここにいる全員が、一斉にエルザの元へと駆け寄って来た。

 木の根元にもたれかかるエルザの肩が、息で上下している事に安堵し、兵士たちもエルザと僕を囲んでその場に膝をついた。

 エルザの呼吸は、凄く落ち着いていた。

 あれだけデッカイ石化樹の魔力を吸い取ってたわりには、痛みとかは感じていなさそう。

 ゆるゆると、エルザが目を開いた。

「どう……なった……?」

 石化樹が退いて行った事に気がつかなかったみたいで、その視線だけでゆっくり辺りを見回している。

 しばらくしてから、石化樹の姿がなく、全員の兵士と僕が側にいる事に気がついたのか、凄く、安心した笑みを顔いっぱいに浮かべた。

「よかった……みんな、無事か……?」

 こんな時まで他人の心配かい!

 僕はゆるんだ気持ちで心の中だけでツッコミ。

 でも、よかった。

 本当によかった。

「アーク……すまなかった……。お前の腕を……」

 エルザの右側で、仲間に肩を抱かれた兵士に対し、エルザはすまなそうな顔をする。

 片腕をなくした兵士は、ベルトで止血されているといってもかなりの重症で痛みも物凄い筈なのに、気丈にも笑顔を見せる。

「団長。命を救っていただき、ありがとうございます。もしあそこで団長が咄嗟に腕を切り離していなければ……私は全身を石化されていました。本当に、ありがとうございます」

 エルザに深々と頭を下げた。

「でもエルザ……どうしてあんな事したの?」

 本当なら、後で聞けばいい事なのかもしれないけど、僕は聞かずにはいれなかった。

 だって、もし石化樹があそこで攻撃をやめてくれなかったら、エルザは死んでたかもしれない。

 戦うならまだしも、まったく戦意を見せずに対峙するなんて。

「あそこで石化樹を殺したら……新たな石化樹が復讐しに来るかもしれない……

 もっと、沢山で城下まで押し寄せて来たら、いくら宮廷騎士団や警護隊が優秀でも、犠牲者が沢山出てしまう……

 だから、殺す事だけは……避けたかったんだ……

 幸い、石化樹にも、私達の誠意が伝わったみたいだし……」

 エルザの、弱々しい笑み。

 そっか……だから、エルザは必死だったんだ。

 なんとか、お互いに一番犠牲を出さずに済むように──

 これが、エルザが思う、最善の方法だったんだ。

 よかった。

 その想いが、石化樹に伝わって。

 そこそこ知恵があるって本当なんだな。

 何はともあれ、みんななんとか命があってよかった。


 ぴしっ……


 僕が、安堵の息を漏らした時だった。

 妙な音が、した。


 ぴしぴしっ……


 なんだろう、なんだろう……

 嫌だ……

 嫌だよ……

 なんか嫌な予感がする……

「アル……聞いて……欲しい事が、あるんだ」

 エルザが、弱々しい声で呟く。

「さっき……アタシは、この国を守る為……この国の人たちを守る為と、言ったけど……本当は……違うんだ」

 ぴしぴしという音が絶え間なく続いてる。

 なんの音かなんて──考えたくなかった。

 僕は、言葉が出てこなくて、独白するエルザの言葉を、聞いてるしかできなかった。

 だって、

 だって、

 この音は……

「アタシは、ただ……ジャンの……国を……守りたかっただけなんだ。

 ジャンが、治める、この国を……守る事が……」

 段々と小さくなるエルザの声。

「だから……アタシは、仕官する時に……誓った……絶対に……守るって……」

 音の正体が、エルザの、首まで侵略してきた。

 黒い、成形に失敗したような歪な黒い硝子が──

 エルザを、じわじわと冒していく。

「エルザぁ……」

 いつの間にか、僕は泣いてた。

 沢山、言いたい事があるのに、名前しか呼べなかった。

 そうだ……あれだけの魔力を吸い取って、

 エルザの体が無事なわけないじゃないか……

 わかってたけど、

 考えたくなかった。

「悲しまないで……アタシは──誓いが守れて……幸せ……」

 最期の言葉は、漏れた息でほとんど聞き取れなかった。

 エルザは目を閉じて、凄く、安らかな顔してる。

 その顔が、サラサラだった髪が、全部、全部──


 黒く、染まって。


 エルザは、動かなくなった。

 とても、とても安らかな顔をして。

 まるで微睡んでいるかのように、木にもたれかかって。

 昔の芸術家が作った、女神様みたいに。

 エルザは微笑みながら、木の根元で──


 ──黒曜石になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る