最後の願い

 最初、そんな状態では無理だろうと、セシーリアは拒否した。

 しかし彼は食い下がる。

 這ってでも行きたいと。


 そこまで黙って見守っていた僕は、拳を握って立ち上がった。

 僕が担いで行きます!


 そう声を上げた僕を、セシーリアは呆れた顔で見返した。

 でも僕は諦めなかった。マティアスの望みを叶える為だもの。


 大丈夫です!

 いつも重い荷物を背負って旅してるので、腕は非力だけど足腰は強いんです!

 折れた足の骨がどれだけ頑丈にくっついたのか見せてやりますよ!

 後生ですからヘタレな僕に活躍の場を下さい!

 お慈悲を、どうかお慈悲を!

 そうマティアスと一緒に懇願すると、最終的にはセシーリアは折れてくれた。

 分かった、分かったから、と詰め寄る僕を押し返しながら。


 雪原に行く時。

 防寒着を着せたマティアスを紐で僕の背中に固定した。

 彼を背負って立ち上がった時──その軽さに愕然とする。彼は僕より大きいのに……きっと、今は僕より軽い……

 僕でも大した苦労なく背負って歩けるレベルだ。

 ……そんな身体で、行方知れずになった僕を山へ探しに行き、ロルフを庇って沢山の人から暴力を受けた。

 こんな軽くなってしまった身体で……

 僕は、歯を食いしばって涙が零れ落ちそうになるのを我慢する。

 泣いてる場合じゃない!

 僕は両頬を両手でバシンと叩き、気合いを入れた。


「いいかい? あの雪原は聖域だから風の力を借りて行けるのは、その手前までだよ。そこからは歩きサ。頑張るんだよ」

 マティアスを背負った僕と、グッタリとした彼にそう声をかけるセシーリア。

 そこに、痛めた右前足を地面につかないように、ヒョコヒョコ歩くロルフが来た。

 そんなロルフに、リヴはガウッと吠えかかる。

 お前は留守番だ、そうリヴが言ってるような気がした。

「ロルフ、お前の身体は万全じゃない。今日は家にいるんだよ」

 セシーリアもそうロルフに声をかける。

 しかし、ロルフはリヴに怒られても、セシーリアにそう言われても、家に戻ろうとしなかった。

 僕に背負われているマティアスの足をペロリと舐めて、頭をすりつけた。

 セシーリアはため息を一つ。

「まったく……どいつもこいつも頑固だねェ」

 そう苦笑いして頭を掻いた。

「じゃあ行くよ」

 セシーリアは手にした杖を天へと翳した。

 例の如く、僕たちは猛烈な風に巻き込まれる。僕は、バランスを崩さないように踏ん張った。


 暫くの浮遊感の後、新雪の上にズボッと落ちる。

 マティアスを背負っていた為、後ろに倒れそうになったところを、気合いを入れて前のめりに。

 新雪に頭から突っ込んで倒れこんだ。

「着いたよ。ここからは歩きだ」

 その言葉になんとか顔をあげると、そこが山間へと入る入り口だと分かった。

 誰かが歩いた跡はまったくなく、真っさらな新雪がひろがっている。

 セシーリアは……に立っていた。

「なんで?!」

 僕が踏ん張って立ち上がると、膝ぐらいまで足が埋まるほど雪が積もっている。

 リヴとロルフも、胸元近くまで雪に埋まっていた。

「そういう体質なんだよ。さ、行くよ」

 僕の疑問にサラッと答えて、セシーリアは雪原へと足を向けた。

 新雪の上に立てる体質って……なに?!

 しかし、そんな事を突っ込んでる暇はない。

 僕は必死に新雪を掻き分けつつ、スルスルと進むセシーリアの後を必死で追いかけるのだった。


 どれぐらい歩いたんだろう。

 流石に膝が悲鳴を上げ始めた頃。

 山間を抜けた途端、突然目の前が開けた。


 日差しを照り返し、眩しいまでにキラキラと輝いた雪原が、地平線まで広がっている。

「うわぁ……」

 その見事なまでの光景に、僕は感嘆の声を漏らした。

 暫く歩くと、セシーリアが振り返る。

「着いたよ」

 雪原の上を駆け抜ける風が、振り返った彼女の髪を舞い上げた。

 美しい──

 キラキラ輝く何処までも続く雪原に立つセシーリアは、息を呑むほど美しかった。

 この姿を見たら……誰だって雪の女王様だと思うよ。

「マティアス」

 僕は、背中の彼に声をかける。

 彼は、声で答える代わりに僕の肩をポンポンと叩いた。

 紐を外して、彼を雪原の上に下ろしてあげる。

 倒れてしまいそうな彼の上体を支えた。

「ヤン、ありがとう」

 マティアスは、眩しそうに雪原の風景に目をやった。

 懐かしそうな顔で辺りを見回し、雪原に立つセシーリアを見る。

「セシーリアはやっぱり綺麗だな」

 笑って彼はそう言った。

「おべっか使っても、何にも出ないよ」

 はにかむ笑顔のセシーリア。

 セシーリアが近寄って来たので、僕はマティアスを彼女に任せてその場を離れる。

 疲れた様子でハァハァ息をするロルフと、彼に寄り添って歩いていたリヴの側に立った。


 セシーリアは、マティアスの背中にそっと手を置いて彼の上体を支えている。

 なるべく人に触れないようにしている彼女にしては珍しい事だった。

「……あの時は、この辺は青い花が咲き乱れていたねェ」

 風に弄ばれる髪を抑えながら、彼女はそう呟いた。

「ああ……」

 マティアスはか弱く頷く。

 青い花……?

 そうか、もしかしてここは、僕が来ようとしていた青い花の群生地なのか!

 まだ咲いていないから分からなかった。

「覚えてるかい? あの時アンタは、軽装で死んだような目で一人でここに佇んでたねェ」

 クスリと笑うセシーリア。

 彼女の視線の先には──きっと当時の光景が浮かんでいるのだろう。

「あの時は、親父も死んで天涯孤独になって……自分の体調もおかしくなってて、自暴自棄になってたんだ……」

 マティアスは、義手になった左手を握りしめる。

「俺さ……あの時本当は、ここに死にに来たんだ」

 突然、マティアスが物騒な言葉を呟いた。

 ぎょっとした僕を尻目に、彼はそのまま続ける。

「最後は、美しいモノを見てから死にたい。そう思ってここに来たんだ」

 セシーリアはそれを黙って聞いていた。

「でも、ここに来て……青い花よりも、もっと美しいものを見つけたんだ……」

 マティアスは、横にあるセシーリアの顔を真っ直ぐに見つめる。

「この人の側でなら、もう少しだけ生きてみたい……そう思ったんだ」

 青い花が一面に咲き誇る雪原に、悠然と佇む女性と、それに魅入る少年。

 僕の目にその光景が思い浮かぶようだった。

「もう少しだけと思ってたけど……セシーリアは俺に命をくれた。生きる愉しさも。

 俺は、アンタの側で生きられるのが嬉しかった。

 だから──」

 マティアスが、義手と折れてる右手でセシーリアの腕をそっと掴む。


「今度は俺を、ここで終わらせてくれないか。セシーリアの力で……俺をここで眠らせてほしい。

 ──最期のその時は、貴女の側に居たい」


 彼女の腕を掴む手に、力を込めて彼はそう言った。

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