彼の秘密

 マティアスは重傷だった。

 全身の至る所を打撲し、所々骨折していた。

 こんなになるまで殴る蹴るする村人って……

 集団心理が働いたのだとしても恐ろしい。

 昨日まで一緒に生活していた人なのに……

 ロルフの方はといえば、打撲と捻挫、そして所々に切り傷のようなものができていたけれど、こちらは比較的軽傷だった。

 

 今、リビングの床──僕がいつも寝ていた場所に、今度はマティアスが横になっている。

 その側に、ロルフとリヴが寄り添って寝ていた。

 僕とセシーリアは暖炉の前に座っている。

 僕は、手にした革の書類入れを見つめていた。

 セシーリアの家に忘れて、ロルフが届けに来てくれた、あの書類入れだ。

 これは、マティアスが服のお腹の部分に隠し持っていたのだ。


 多分あの時──村人にボコボコにされてる時に、服の中に隠してくれたんだ。


 僕は憎々しげに書類入れを握りしめた。

 こんな物の為に……マティアスとロルフを酷い目に遭わせてしまった。

 僕が……忘れ物をしなければ……

 そう思っていると、セシーリアの手が書類入れの上にそっと置かれた。

「忘れ物を届けると言い出したのはロルフだよ。アタシは、ヤンは戻ってくるからそのまま置いとけと言ったんだけどサ。どうしてもって言うから。

 てっきり群生地に行ってると思ったから許可したんだけど……まさかアンタの後を追って村にまで行ってしまうとはねェ。あの子が迂闊だったのさ」

 そう優しく言い、握りしめた僕の手を軽くポンポンと叩いた。

 セシーリアの顔を見上げると、優しい眼差しで僕を見つめていた。

 その表情に、僕の胸が詰まる。

「……マティアスは大丈夫でしょうか……」

 その慈愛の目に耐えられなくて、書類入れを脇に置いて僕はマティアスの方へと顔を向ける。

「……分からないねェ。いくら集団暴行されたとはいえ、こんなに骨折箇所が多いのは異常だよ……それに……」

 僕と同じようにマティアスに視線を移したセシーリアが、気になるところで言葉を切る。

 少し逡巡し、溜息に混じらせて言葉を吐き出す。

「異様に痩せ細ってる事が気になるよ……」

 さっきセシーリアは、マティアスの治療をする為に服を一度全部脱がしたのだ。

 確かに、手伝った僕も見た。


 頰が少しコケてるなとは思ったけど……防寒着で分からなかっただけで、その手足は細く、肋骨も若干浮いてるぐらいに痩せていた。


 痩せぎすな人はいる。

 正直、僕も軽く肋骨ぐらいは浮いてる。

 筋肉がないからね。

 でも彼のソレは、また僕とは違った痩せ方に見えた。

「……もしかしたら……」

 セシーリアは宙を見つめて、思い至った言葉を口にしようとした。

 しかし、それはマティアスによって阻まれた。

「……病気が再発したんだよ……」

 いつの間にか気がついていたマティアスは、虚ろな目で天井を見つめていた。

「マティアス!」

 僕は四つん這いでマティアスのもとへと駆け寄る。

 セシーリアも、ゆらりと立ち上がって彼のもとへと近寄った。

「あの病かい……」

 セシーリアが眉根を寄せて言葉を吐く。

 とても苦々しく。

「ああ……気がついたのは数ヶ月前……転んだだけで、脛を骨折した時だった」

 マティアスは、横で寝息を立てるロルフの頭を撫でながら穏やかに語る。

 まるで、昔話を語るかのような口調。

「もうその時には手遅れだったようだ……多分、全身に転移してる……正直、殴られる前から身体中が痛かったんだ……」


 嘘……

 マティアスの病気って、あの子供の頃に腕を切断した理由になった……あの病気だよね?

 それが全身に転移……じゃあ……


 僕は、そこである事に気が付いた。

 マティアスの家が、異様に片付いてて物がなかった事に。

 そうか……彼はもしかして、死を覚悟して身辺整理をしてたんじゃ……そう思うと、納得できる。いくら物を持たない性分だとしても、あれは余りに少な過ぎた。

 彼はそこまで先を見越して……

 僕は目の前に横たわるマティアスの、添え木に固定された右手をそっと握った。


「だとしたら……もう、手の施しようがないねェ……」

 マティアスに負けない穏やかな口調で──死の宣告をするセシーリア。

 しかし、顔は苦しそうだ。

 マティアスの枕元に膝をつき、その髪をゆっくりとひと撫でする。

 ──と、セシーリアが歯ぎしりをしたのが分かった。

 マティアスを撫でた手を強く握りしめている。

「……お前を村に帰したのは……間違っていたんだね……」


 彼女は──後悔しているんだ。

 彼を村に帰した事を。


 村に帰さなければ、マティアスの病気にもっと早く気づけたかもしれない。

 村中からボコボコにされる事もなかったかもしれない。


「間違ってはいなかったんじゃないかな……」

 そう言いながら、握りしめられたセシーリアの手をマティアスは義手でそっと上から包んだ。

「確かに、ここに残れればとは思った事もあった。でも、俺は村に戻った事で自立出来たんだ……大人の男として。セシーリアに甘える事もなくな」

 そう言って、苦笑い。

 僕はそのマティアスの言葉に嘘が含まれる事に気がついた。

 マティアスは言ってた。セシーリアのもとに残れれば、と。

 彼は残りたかったんだ。

 でも、それを言ってしまったらセシーリアがより後悔してしまう。

 強がりだ。彼女を思い遣っての。

 だから僕も何言わない。

 マティアスの手からそっと手を離し、二人のやりとりをじっと見守る。


「病気も……何度食い止めたとしても再発はしていたさ……母は流行病だったけど、俺の父親もきっとこの病気が原因で亡くなったんだ」

 セシーリアから手を離し、自分の義手をじっと見つめるマティアス。

「俺はあの時、死ぬ筈だったんだ。

 ここまで生きられたのは、セシーリアのお陰だよ。新しい腕と──人生を貰えたんだ。

 俺は幸せ者さ」

 全身痛い筈なのに、マティアスは朗らかに笑う。

 そして──


 半ば無理矢理上半身を起こすと、セシーリアに向き直って義手でその手を取った。

「セシーリアにお願いがあるんだ」

 真摯な瞳でマティアスはセシーリアを真っ直ぐに見る。

 セシーリアは一瞬たじろいだが、彼から視線は外さなかった。

「貴女と出会った──あの雪原に行きたい」


 彼は、最後の願いを口にした。

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