彼女の事情① ~夜のお喋り~
エルザは、村の西の外れの家を訪れた。
その家は、他の民家からは、少し離れた場所にあった。
この村の規模には少し似合わない、しっかりどっしりした作りの、ちょっと大きな二階建ての家。ドアにも真鍮のノッカーがついていて、横に小窓もついている。
また、家の横に立派な馬小屋もあった。
今は、さっきエルザが連れていた馬が繋がれている。
しばらく使われていなかったみたいだけど、手入れはしっかりされている様子。小奇麗で、馬も居心地が良さそうだ。
僕、あそこでも文句ないんだけどなぁ。
エルザが、ノッカーでドアを叩く。
少しして、扉の小窓が開いて、中の光が漏れてきた。
僕が、その小窓の中を確かめる前に、ぴしゃりと閉められ、即座に扉が開かれた。
「あらあらエルザ。やっと帰って来たわ~。遅かったのねぇ」
中から現れたのは、中年の女性だった。
エルザと同じ黒髪で、結構美人(の面影がある)の女性。
よく見ると、エルザと似てる。
「おばさん、ただいま」
エルザは、今まで見せた中で一番幼い笑顔を、その女性に向けた。
この家は、エルザの伯母(さっきの女性)のもので、もともとエルザもこの家で、宮廷へ仕官する事になるまで母親と伯母の三人で暮らしていたとか。
といっても、エルザはこの国でもっとも若い、十四歳という年齢で仕官したので(おばさんがめちゃくちゃ自慢してた)、住んでいたのはもう随分前だと言っていた。
エルザの母親は、エルザが仕官する事になる一年前に、病気で亡くなったらしい。
今は、エルザは王宮の宮廷騎士団の寄宿舎に住んでいるので、今日はこの辺りに来たついでに、泊まることになっていたとか。
「宮廷騎士団長のエルザが、どうしてこんな辺境に独りで来たんですか?」
遅い夕食をとり終わり、久しぶりの満腹感に浸っている時。
僕は何気なく、テーブルを挟んで向かい側に座るエルザに尋ねてみた。
伯母さんはすでに休んでいる。
遅くなったエルザを心配して、居間と玄関を何度か往復していたとか。
気疲れしたんだな。
不躾に手土産もなくいきなり来た僕にも、伯母さんは
『ご相手できなくて申し訳ありません』
と丁寧に挨拶をしてくれて、夕食が終わった直後に二階への引き上げて行った。
エルザは、テーブルの中央に置かれたランプの灯をじっと見ながら、ワインを飲んでいた。
手にしたグラスを、ゆるゆると回して、一口飲んでからぽつりと呟く。
「偵察に来ていたんだ」
その、ゆったりとした動きとは裏腹の内容に、僕は『えっ?』と聞き返してしまった。しかしエルザは特に気にした様子もなく、酔って解けたような笑顔で続きを話し始めた。
「この国には、石化樹という魔物が住んでいてね。まあ、魔物といっても、滅多に人を襲う事はない。むしろ、共存──お互いに不可侵で、共にこの国で生活しているんだ。
石化樹は、人が縄張り内に入って来る事を酷く嫌がるが、逆に縄張り内に無断で入らなければ、特に何かするわけじゃない。
そしてこの国は、その石化樹の習性を利用し、点在する石化樹の縄張りを壁──国境にして、それに囲まれるようにして存在してるんだ。
石化樹に、国を守ってもらっているんだね。
国を拡大する気さえ起こさなければ、この国は、石化樹のおかげで、ずっと平和に暮らしていける──はずだったんだけどね……」
エルザは一度話を切り、空になっていた僕のグラスに、ワインを注いでくれた。
続けて自分のグラスにもワインを注ぎ、また、グラスをゆるゆるを回し始める。
「最近、『石化樹に襲われた』という話が王宮にも聞こえるようになってきたんだ」
手を止めた。
グラスを両手で握り、紫の水面を凝視してる。
緑の瞳に、紫の色が映ってる。
「事故なら今までもあったんだ。間違えて石化樹の縄張りに入ってしまって──
この国の人間は、『縄張りに入ってはいけない、入ったら命はない』と、小さい頃から教えられて育つ。
だから、間違えて入るのは旅人だったり、狩りの最中に、とか──この国では、何件かはそういう事故が起きる。当たり前だったんだ。
なのに『石化樹に襲われた』という話が王宮にまで聞こえるようになった──という事は、いつもの事故の範疇を越えているんじゃないか、という話になったんだ」
そうか。
それでエルザは、その話の原因を探る為に、こんな辺境まで来たんだ。
「でも……なぜ独りで?」
僕は、疑問をぶつけてみる。
だって、何かしらの事件が起きているんであれば、独りじゃ何にもできないんじゃないのかな?
いや、エルザは強そうだけど、でも相手が石化樹っていう魔物であれば、さっきみたいはいかないだろうし……
っていうか、そもそも、宮廷騎士団長のエルザが出張ってくるのが変な話だ。
普通の偵察であれば、一兵卒でいいんでない?
「密命、だからだよ」
僕の、疑問のその先まで判ったのか、エルザはニヤリとして僕の顔を見た。
み……密命?
ふ……不穏な響き……
その意味深な言葉に、僕はゴクリと喉をならしてしまった。
すると、エルザはさっきまでのニヤリ顔をいきなり崩し、人懐っこい笑みをうかべた。
「ごめんごめん。ちょっとからかい過ぎた。密命、は言いすぎ。
独りで来たのは、おおっぴらに大勢で動くと、村人が心配するからだよ。『何かあったんじゃないか』ってね。
で、騎士団長のアタシが来たのは、別に『騎士団長』だからじゃなくて、偵察をしに来たアタシが、たままた『騎士団長』だっただけさ」
意味がよく判らない。
どういう事?
もしかしなくても、僕頭悪い?
「王の個人的な命令なんだ。偵察に行って来いっていうのが。実はまだ、王宮でもさほど大きく取り沙汰されてる問題じゃないんだ。
でも、王がこの件についてちょっと気になったらしくてね。まだ取り沙汰されてない問題に対して、正式に兵を使う事ができないから、一番近しいアタシに無理矢理休暇をとらせて、『ちょっと調べて来い』だってさ」
エルザは、その精悍な顔つき──出会ったばっかの時の鋭い雰囲気を完全になくし、ケラケラと笑っていた。
ワインで酔っているからかな。
それとも、これが素?
──ん? ちょっと待って。
今、『王に一番近しい』みたいな事言わなかった?
「エルザって……もしかして王族なんですか?」
僕が、きょっとんとして尋ねると、エルザは急に笑うのをやめて、一瞬間を置いたのち、手にしたグラスを一気にぐいっとあおった。
一息ついて、何か、少し、苦笑みたいな感じの顔で、僕を見た。
「まさか。違うよ。アタシは……──ただ、王の乳母の娘なだけさ」
そう呟いたエルザの顔は、笑ってたのに、なんだか悲しい色をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます