彼女の秘密
家に戻ると、セシーリアはリヴとロルフの怪我を治療した。
幸いな事に、軽い切り傷と打撲があった程度で、大事には至らなかった。
リビングの暖炉の前に、セシーリアと僕は座って話をした。
ロルフは僕の膝に頭を乗っけて寝息を立てていて、リヴは彼女にピッタリとくっついて寝そべっていた。
セシーリアは、僕に秘密を教えてくれた。
彼女は、人に似た姿をしているが、人とは少し違うのだそうだ。
人のように暖かな体温を持たず、人よりももっと長い寿命を持つ少数民族。
人と魔物の中間のような存在で、生まれながらにして氷のように冷たい魔力を持っているらしい。
「間違ってもアタシの素肌に触ってはいけないよ。
アタシの身体はその冷気の魔力で、体温を持つ生き物の生命活動を低下させてしまうからね」
確かに。手袋を外したセシーリアに掴まれた熊の毛が、その冷気の魔力により色を失っていったのを見た。
そうか、だからか。
今更気付く。セシーリアはなるべく肌を露出しないようにしている。外に出る時も防寒しないほど寒さに強いのに、露出しているのは顔だけだ。それに、リヴやロルフを撫でる時も手袋を外さないし、撫でるにしても、いつもひと撫でだった。
なるべく、接触しないようにしてたんだ。
しかし、そんな閉ざされた世界が嫌になったセシーリアは、
最初は、自分に似た姿を持つ人に興味を持って交流を持っていたそうだが……
いつまでも歳をとらず(実際は歳をとってるけど、人よりもその速度はずっと遅い)、暖かな体温を持たない彼女に、村の人々は畏怖の念を抱くようになった。
邪険にはされないが親しくもなれない。
畏怖を持って接せられる事に疲れたセシーリアは、村を離れて一人で過ごす事を選んだらしい。
そして、次第に人と交流を持たなくなっていった。
それを聞いた時に、熊が出てくる前にセシーリアが言っていた言葉の意味が分かった。
拾った子供を、村へ帰した。ここであまり長く過ごさない方がいいから、と。
彼女は、その拾った子供が村人たちとは同じように、自分に畏怖の念を抱くようになるのが、きっと怖かったんだ。
その事に気付いて、僕はセシーリアに言った。
「その子の事、大事に思っていたんですね」
大事な人に拒否されたくない。
彼女は村人たちに距離を置かれる事で過去傷ついた。
もう一度傷つくのが怖かったんだ。
そしてさっきも。
熊を追い払うのを見た僕が、その力を恐れて距離を置くのではないか──そう思ったんだろう。
でも僕は怖がらなかった。
だから、きっと、笑ったんだ。安心して。
「大事に……か。確かにねェ。可愛がったよ。その子は最初、死んだような目をしていてねェ。今にも生きる事を諦めてしまいそうだった。
でも、自分から生きる事を諦めるなんて愚かな事サ。生きてさえいえば、その後幸せになる事だって、きっと出来るからねェ。
状況が変われば、今までと同じ幸せは得られないかもしれないけれど……でも、違う形の幸せなら、手にできるかもしれない。その可能性は、生きている者にしか手にできないのサ」
そう言って、セシーリアは横で寝そべるリヴの身体を軽くひと撫でした。
「リヴはね……狼の世界から追放されたんだ。
お腹に子供がいたんだけど……病気を持っててねェ。他の狼たちは、群れを維持する為にリヴを見放すしかなかったんだよ」
愛おしそうに、セシーリアはリヴを見る。
「アタシの力でリヴの病気は治してあげられたけど……ロルフ以外は死産だった……」
彼女の瞳に、悲しみの色が浮かんだ。
「リヴは、群れの狼としての幸せは手にできなくなった。でも、ロルフと仲良く暮らしているよ。あの時死んでいたら、ロルフも生まれなかった。今の幸せは、生きていればこそ、サ」
ムニャムニャ寝言(?)を言うロルフを、セシーリアは眩しそう見た。
「子供を拾ったのは、ちょうどロルフが生まれた頃だったねェ。よくロルフとその子で、アンタたちがしてたように雪まみれになりながら転がって遊んでいたよ」
そう、懐かしそうに笑った。
彼女によると、雪原で拾ったのは、リヴのように病気に侵された、まだ幼さの残る男の子だったそう。
それをセシーリアが拾って治療し、暫くは一緒に過ごしたそうだ。
ロルフが人懐っこいのは、生まれた時からその子と一緒にきっと過ごしていたからだろうな。
撫でられたり抱きしめられたりするの好きだし。
男の子の病気が治ってからも暫く一緒に過ごし、生きる気力を取り戻したと確信できたセシーリアは、男の子を村へと帰したそうだ。
僕が、村にもっとゆっくり滞在していたら、もしかしたらその男の子に会えたかもしれない。
彼女の話を聞いて、少し会ってみたいと思った。
それから、一番の疑問を聞いてみる。
セシーリアが、山で何をしたのか。
『春が来ない理由が分かったよ。何者かが春の風をどこかに繋ぎ止めて、寒波を引きずりおろしていたのサ。
今までは寒波を凌ぐ事しかしてなかったけど……もうそれも終わり。楔は壊したよ』
セシーリアはそう言ったが……意味は全く分からなかった。
詳しく聞くと、こうだ。
この地域は、冬は北から流れ込む寒波によって寒くなる。
春は南からの暖気によって暖かくなる。
本来なら既に春の暖気に包まれてもおかしくない時期だったのに、いつまでも暖気は来ない。
それどころか、普段なら来ないであろう猛烈な寒波の風が、北から吹き込んできていた。
セシーリアは、最初はたまの天候異常でそんな事もあるだろうと思い、村がその猛烈な寒波に襲われないように風の力を借りて防いでいたそうだ。
しかし、いつまで経っても暖気が訪れない。
寒波を防ぐにも限度がある。
セシーリアの力が尽きれば、村が猛烈な寒波に襲われてしまう。
それで山の頂へ様子を見に行ったそうだ。
そこで見たのは人為的な魔術の跡。
春の暖気を南に繋ぎ止める魔術と、普段ならこの地域にまで来ないような猛烈な寒波をこの地域にもたらしている魔術。
春を繋ぎ止める方は壊れた形跡があったが、もう一つの寒波をもたらす魔術の影響でまだ効力を失っていなかったらしい。
セシーリアが壊したのは、寒波をもたらす魔術の方だとか。
これで、両方の魔術が消えて、春がやっと訪れるだろう、という事らしい。
──実はよく分かってないけど。
とにかく、これでやっと長い冬が終わるんだ。
当初の目的である青い花の群生も、やっと見れるようになるって事だ。
良かった良かった。
でも──
青い花が咲くという事は、セシーリアたちとの別れも来るって事だ。
僕はもともと、青い花の群生を見るためにこの地域に来た。
青い花の群生を見終わったら……僕はまた別の場所へと流れて行く。
ここにはずっとはいられない。
暖炉を見つめるセシーリアの横顔に目をやった。
すると、僕の視線に気づいて彼女が振り返る。口の端を持ち上げて、優しく微笑んでいた。
リヴが微睡みつつも、片目を開けて僕を見ている。リヴはそうやって、いつも僕の事を気にかけてくれていた。
ロルフは、蕩けた顔して僕の膝で寝息を立ててる。ロルフとはまるで、仲の良い友達のようになれた。
この幸せな時間も、そろそろ終わりなんだ。
僕は、いつもは感じない後ろ髪引かれる思いを、暖炉に目をやる事で飲み込んだ。
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