事件② ~王都の危機~

 事件は急に起きた。

 僕が王宮に滞在するようになって、六日程経った頃の朝方だった。

 豪華ふかふかフヨフヨベッドにもやっと慣れ、その日はぐっすり眠れていた。

 しかし、外のバタバタと慌しい足音に目が覚める。

 寝ぼけ眼で、何事かと廊下に顔を出すと、厳しい顔つきで廊下を足早に歩くエルザとばったりと出くわした。

 あまり寝ていないのか、目の下に薄く隈ができていて、かつ顔にも少し疲れが見える。

 そういえば、王宮にお泊りするようになってから、エルザと顔を合わせる事が少なくなった。

 エルザが、仕事の用件でジャンの執務室を訪れた時に、顔を合わせるだけ。

「丁度よかった。今、アルに挨拶しに行こうと思ってたんだ」

 挨拶?

 いまいちハッキリしない頭を振って、改めてエルザを見る。

 エルザは、王様に謁見した時とは違う、鎧の正装をしていた。

 白いショルダーのついた白い胸当てに群青色のマントを翻し、ガントレットではなく肘まである白いグローブをしてる。

 腰には、僕を助けてくれた時に抜いていた、この国の紋章が入った細身の剣が。

 頭のてっぺんから足の先まで決まってる。

 カッコイイ。

 いかにも『騎士』って感じ。

 きっと、城下にはエルザのファンクラブとかありそうだ。

 この姿に惚れた女の子たちが……

 ……ってあれ?

 城の中で鎧を着てる。

 それに、今『挨拶』って……

「何か、あったんですか?」

 何か悪い予感がして、恐る恐る尋ねてみた。

 少しだけこけた頬に、笑みを浮かべるエルザ。苦笑に近い。

「これから、石化樹討伐に出向く」

 石化樹……討伐?

 朝から尋常な話じゃない。

 石化樹って、あの石化樹でしょ?

「どうして?」

 何も──僕は何も聞いてない。

 なんでいきなりそんな話になってるんだろう。

 王様の側にいたのに。

 滞在中、エルザが時々ジャンの執務室に来る事もあった。

 でも、仕事の用件だけのようで、書類を渡したり短い業務連絡だったり──二人は会話らしい会話なんてしてなかったし、業務連絡の内容にも、特に石化樹の話は出てなかった。

 僕の疑問に、エルザは困ったような顔になった。

 まるで、駄々をこねる子供を見るみたいな。

 説明しにくい事だったのかな

 聞いちゃいけない事だったのかな?

 エルザは、誰もいないのを確認する為か左右を見渡すと、僕を部屋の中へと押し込み、自分も一緒に入って来た。

 後ろ手に扉を閉め、視線を落とす。

 ──どう言ったものか──そんな顔をして。

「石化樹が、この城下に向かってるみたいなんだ。街に着く前に食い止めないと、この街が大変な事になる」

 石化樹が?

 この街に?

 まさか……

「なんで……」

「恐らく、手引きした者がいる。──あの幼樹事件は、その一端だったみたいだ」

 あの幼樹事件が一端?

 一体なんの?

 駄目だ。

 なんかいきなり過ぎて、理解できない。

 どういう事?

 エルザが、目頭を押さえる。

 疲れてるみたいだ。

 大きなため息をついて──

 その場に崩れ落ちた。

「エルザッ?」

 扉を背中に、エルザはその場にしゃがみこんでいる。

 慌てて僕は、エルザに駆け寄った。

「ははは……ごめん、アルの顔見たら、気が抜けた……」

 俯いてるから表情は判らないけど、なんだか、少し泣きそうな声だった。

 この六日間に、一体何があったのだろう?

「この間の幼樹事件で、何か嫌な予感がして──最初は、王が狙われているのかと思って、毒見を強化した。──気づいた? 食器が全部、銀だったろ」

 俯いたまま、エルザは呟く。

 僕は、何もできなくて、エルザの向かいで膝をついた。

 銀の食器──そうか、思い出した。

 銀は、毒が仕込まれていたりすると、変色しやすいから、そういう暗殺を防止する為に使われるんだ。

「アタシはアルの事信用していたから王宮まで入れたんだけど、他のみんなはやっぱり違ってね……最初はアルが疑われてた。アタシが調査していた先にも居たし、幼樹事件にも関係していたから……でも、特に変わった様子もなく、王と一緒に同じ物を食べているし、その疑いはしばらくして晴れたんだ」

 僕、疑われてたんだ……。

 泊まった翌日から一緒に食事をさせられていた事も、こんな理由があったからかもしれない。

 まったく、全然、思い至らなかったな……

「そうこうしているうちに、石化樹との遭遇事故や、目撃情報が増えて行って……とうとう、昨日、隣の村の近くで石化樹が目撃された。──とびきり、デカイやつがね」

 とびきりデカイやつ……

 この前のこぶし大の石化樹ですら、馬を石化するのにそんなに時間がかからなかった。

 それが……大きなものとなると……どれだけの被害が出る事になるんだろう。

 もしかして、村の一つや二つ、簡単に石だらけにできちゃうのかも……

「石化樹は魔物だが、そこそこの知能があって、仲間意識もある。

 ──ここからは推測なんだけど、あの幼樹は、石化樹の縄張りから種の状態の時に誘拐されたんだ。あの後の調査で、街に持ち込まれていた石化樹の種がいつくか発見されてる。他にもまだあるかもしれない。

 ──こちらに向かっているというデカイ石化樹は、それらの親みたいなもんで、誘拐された種や幼樹たちを、助けに来たんだろう」

 ちょっと待って……

「それって……」

「ああ。誰かが、この城下を石化樹に襲わせようとして、意図的に石化樹の種をこの街にばらまいたんだ」

 誰かが、悪意を持って、この街を石像だらけにしようとしているなんて……

 一瞬、この活気のある街が、石化という死に静まり返る様子が浮かび──

 うすら寒くなった。

「犯人は見つかってない。他の国の侵略かもしれないが……調査は続けている。そのうち見つかるだろう。幸い、うちの騎士団や城下警護隊は、優秀な人材が揃ってるしな」

 エルザが、やっと顔を上げた。

 泣いてはいなかった。

 むしろ、何か強い思いを秘めた瞳で、真っ直ぐ前を見ていた。

 僕の顔──その先を。

「これから、最新の目撃情報があった隣村まで行ってくる。恐らく、その巨大な石化樹が、近頃世間を騒がせていた、遭遇事件や目撃情報の張本人だ。

 もともと、事故や目撃情報は、そいつが来た方向からのものに限定されている。──幼樹たちの親だろう。許してくれないだろうなぁ。一匹、この手で殺してしまったしな……」

 エルザはすくっと立ち上がり、少し崩れた髪を撫で付け、改めて顔を上げる。

 僕も一緒に立ち上がったが、なんて声をかけたらいいか、よく判らずにマゴマゴする。

 止めるべきなのかな……

 止められるのかな?

 無理だろうな……エルザはこの国が好きで、この国の人たちが好きで、助けたいから騎士団長にまでなったのに。

 ここで引き下がるワケがない。

 僕には……何も、言えない。

「これから、王との謁見だ。そろそろ行かなきゃ」

 エルザは、できるだけ明るく振舞ってるように見える。

 空元気。

 判ってるんだ。

 巨大な石化樹なんか相手にしたら、いくら魔力を吸収する体を持っているとはいえ──

 無事では済まない事が。

 ──いや、無事で済まないどころじゃない。

 ヘタをしたら、命だって──

「僕も、一緒に行っていいですか?」

 僕がそう呟くと、エルザは一瞬びっくりした顔をする。

 が、すぐに『ああ』と納得顔。

「王との謁見にか。いいよ。一緒に行こう」

 そして、エルザは部屋の扉を開いた。

 廊下からの光が、なんだかやけに眩しく感じた。

 これから、最後の挨拶をしに行くんだ。

 ジャンに。

 ジャンは、どんな顔をするんだろう……

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