第7話 ガラン洞穴 下
洞窟の中は静かで、意外にも人が通れる程度には整備されていた。
壁や床が少し湿っているのは、数日前に降った雨の影響がまだ残っているからか。
ガラン洞穴に到着したゲンとカリナは馬を近くの手ごろな木に結わえ、早速探検を開始した。
これはゲンの提案で、ランとナギが到着するまでに採集を終えてすぐに移動できるようにしておきたいという配慮によるものだ。
その提案にわずかな間沈黙したカリナだったが、合理的と判断して受け入れた。
「この道で合ってるのよね?」
「ああ、ノーランがそう言ってる。この先の分かれ道を左に行くと、目的の物がある場所に辿り着けるそうだ」
「今のところ魔物がいる気配はしないわね。でも、油断しないでね」
「わかってるよ。頼りにしてるからな、カリナ」
あと少しで開けた場所というところで、突如カリナが足を止める。
カリナの真剣な横顔を見たゲンは、足を止めるのと同時におしゃべりも止めた。
「……前方に魔物が数体いる。私がさっさと倒すから、それまでゲンはここで待機してて」
「わかった。何かあればすぐに知らせる」
「無理しないでね」
「それはカリナに言われたくないな。一応、まだ火扇は使えるから、万が一厳しくなったら言ってくれ」
「……わかったわ。その時はお願いする」
一気に魔物たちの元へと駆け出したカリナは、魔法を駆使しながら突貫した。
広範囲制圧の火魔法「竜炎」で先手を取りつつ、雷魔法の「雷線」を五本放つ。
突然の炎に魔物たちが浮足立って統率が乱れたところをカリナは見逃さず、手負いの魔物から一撃で屠っていく。
〈ゴブリン〉たちは仲間の死を見てさらに慌て、あるモノは逃げ出し、またあるモノは武器を放り投げてカリナを牽制しようとした。
しかし、その全てが無意味だった。
放り投げられた武器は風魔法で軽くはじかれ、逃げ出したモノの背中をカリナは容赦なく貫いた。
ここに至ってようやく秩序を取り戻した魔物たちだが、残っているのはたった三体。群れのリーダーらしき〈リザードマン〉と、そのペットの〈トゲトカゲ〉、武器を握りしめている〈ゴブリン〉が一体のみとなっていた。
「まだ戦意はあるようね。いいわ、かかって来なさい。返り討ちにしてあげる」
言葉は分からずとも挑発されたと悟ったのか、革の鎧を身に着けた〈ゴブリン〉が果敢にも攻めかかった。
それを見て〈リザードマン〉は〈トゲトカゲ〉を援護に向かわせつつ、自身は口から粘液を吐き出してカリナを牽制。
粘液を回避したカリナに一気に接近した〈ゴブリン〉は、持っている石斧で斬りかかる。人と違って乱雑に振り回すだけの攻撃は予想外に読みにくく、カリナは後方から迫る〈トゲトカゲ〉と〈リザードマン〉を視界に入れつつひとまず回避に専念する。
先に追いついた〈トゲトカゲ〉が頑丈な皮膚と大きなツノに物を言わせて突進。
カリナが避けたところをすかさず〈ゴブリン〉が夢中で攻める。
ただ、ゴブリンの大振りかつ滅茶苦茶な軌道の斬撃は、援護に来た〈トゲトカゲ〉や〈リザードマン〉が近付けなくしてしまっていた。
仕方なく、〈リザードマン〉は再び粘液を吐き出し、〈トゲトカゲ〉はカリナの背後を取るべく移動を開始。
「何か俺にも出来ることがあれば…!」
『早まってはなりませんよ。貴方は戦闘を生業とする人間ではありません。下手に手を出せば彼女の身を危ぶませるだけでなく、貴方自身の身にも危害が及ぶ可能性があるのですから』
「分かってはいるけど……」
『どんな者にもそれぞれの役割があります。貴方の場合は道案内と採集。彼女達は戦闘と護衛、荷運び。領分を超えた行いは、必ずどこかで綻びを生みますよ』
ゲンがノーランに諭されている間も戦闘は続く。
〈ゴブリン〉の絶え間ない乱撃。〈トゲトカゲ〉の突進。〈リザードマン〉による隙を見ては放たれる粘液。
カリナは息つく暇もない攻撃を避けながら、時折、魔法を放って魔物たちを牽制している。
カリナを悩ませているのは、〈ゴブリン〉でも〈トゲトカゲ〉でもなく、〈リザードマン〉の攻撃だった。
〈ゴブリン〉が疲労で攻撃の手を緩めた隙を突こうにも、〈リザードマン〉が粘液を吐き出して牽制してくるため不用意に突っ込めず。
〈トゲトカゲ〉の攻撃を回避後に反撃しようとしても、これまた粘液によって邪魔されて攻撃できず。
結果として、お互いに決定打を決めきれずに戦況は膠着している。
「……やっぱり守られてばかりはいられない!」
『いけません! 今、下手に手を出したら…!』
ノーランの制止も虚しく、ゲンは岩陰から飛び出して火扇を振るう。
突如生まれた炎に圧倒された魔物たちだったが、炎が消えると発生源であるゲンを睨み付けた。
〈ゴブリン〉は怒ったのか、カリナに背を向けて襲いゲンに突撃。
〈トゲトカゲ〉も、カリナから方向転換してゲンに突進する。
〈リザードマン〉は二体の行動を見て、咄嗟にカリナの正面に割り込んで持っていた鉄の剣を振るった。
ゲンに登場に驚き、魔物たちの行動に焦りつつもゲンの救出に動こうとして〈リザードマン〉に阻まれ、カリナは焦燥に駆られていた。
――――――
「マズイ!」
〈トゲトカゲ〉の勢いのある突進を間一髪で避けたゲンだったが、そこに憤怒の形相を浮かべた〈ゴブリン〉が近付いてくる。
『逃げなさい!』
「グラァァァァ!!!!!!」
〈ゴブリン〉が大きく振りかぶった斧を振り下ろさんとしたところで、風が駆け抜ける。
「浮雲流二ノ型――『雲雀』」
一振り二撃の剣技。
初撃が振りかぶった右腕と左腕を斬り落とし、二撃目が胴体と足を斬り裂く。
ナギの背後から駆け抜けてゲンを救出しに向かっていたランには、三日月の形をした斬撃が舞って〈ゴブリン〉を襲うのが見えていた。
「――ゲン、ひとまずここから離れるから」
「あ、ああ……」
カリナに負担を掛けた事、ランとナギが来なければ死んでいたかもしれない事。
その事を今更ながらに実感を伴って理解したゲンの足取りは重かった。
※※※
あの後、〈トゲトカゲ〉もナギに仕留められ、〈リザードマン〉はカリナとの一騎打ちにて呆気なく倒された。
三人にとっては何てことはない相手だ。普段と同じ状況であれば。
それが今回はゲンがいる。
非戦闘員で、ランとカリナにとっては大事な存在で、ナギにとっては興味深い存在だ。
当然、三人ともゲンの事を優先して行動するため、ゲンを守りながらの戦闘を常に想定していた。ゲンが背後、あるいは視界の隅にいる状況を考えていたのは想像に難くない。
しかし、先の戦闘は違った。カリナとゲンとの間に魔物達がおり、ゲンを守る者は誰もいない。想像する中でも最悪の状況と言ってもいい。
加えて、ゲンは火扇を使ったために身を守れる武器は短剣一つだけ。
結果的に無傷で済んだものの……
魔物がもっと多ければ。
ランとナギの援護が遅ければ。
たらればを挙げればキリがないが、ゲンはそれだけ無謀で危険な事をしでかしたのだ。
本来なら諭すべきランとカリナはゲンの思いを知っているために厳しい言葉を言えず、ナギは我関せずという感じで一人先を行ってしまう結果、四人の間には暗く重い沈黙が流れていた。
「こちらの道で合っているか?」
「……ああ」
『……この重苦しい沈黙は貴方がもたらしたものですよ?貴方がなんとかしなくてどうしますか』
「…………」
『今回はゲンの全責任~』
頭の上に突然現れて乗っかったウィーネにもまったく反応しないほど、ゲンは己の失策を深く後悔していた。
「――ゲンは戦えないんだから、戦おうとしちゃ駄目」
「ちょ、ちょっと……」
「――ここはハッキリ言うべき。これはゲンのためでもあるから」
「………そうね。ゲン。さっきの戦闘中、私が苦戦して見えたかもしれないけど、あれも作戦の内だったの。相手を騙しつつ、一手で形勢逆転するために色々と準備をしてたの。あと、ゲンのいる方へ意識が向かないようにもね」
「――ゲンの行動は悪い事じゃない。でも、考え無しの行動はかえって味方の邪魔をする事が多い。だから、何も出来ないって口惜しくても、戦わないって選択が私達の助けになることもあるから」
突き付けられた事実にゲンは歯噛みする。
カリナが口を開こうとした時、先を行くナギが振り返らずに言葉を投げかけた。
「刃を交えるだけが戦いではない。汝の仕事は何だ?己が役割を果たせ」
「――ナギの言うことも正しい。ゲンの今の役割は道案内と採集、それから私達の武器の手入れ。どれも私達には出来ない事だから、ゲンは自分の役割に徹して」
「ランの言う通りよ。戦っているのを見て何か手伝いたいって思うかもしれないけど、ゲンの出来る事なんてたかが知れてるの。それなら、私達を信頼して見守って、戦闘が終わったら武器の手入れをしてくれた方が何倍も戦いやすいし、思い切って戦えるわ」
ランとカリナは、終始穏やかな声でゲンを諭していた。
ゲンも気遣われていることに気付いていたため、立ち直るのは早かった。
「さっきはすまなかった。カリナ一人に任せてるのが段々堪えられなくなったんだ。もしかしたらって思ったら、身体が勝手に動いてた。今は反省してる」
「これからも似た状況は起こるかもしれないから、次からは慎重に行動してね?」
「――ゲンは無茶するから、気を付けないと」
「そうだな……。三人の実力は疑ってないから。その事だけはわかってほしい」
「では、さっさとここでの用事を済まそう。戦えぬなら退屈じゃ」
「ああ、道案内は任せてくれ!」
それから四人は問題なく目的を達成した。
最奥の開けた場所に、目を引く鈍い光沢を持った石はあった。ノーランが求めていた砥石である。
その周囲には様々な色に輝く魔石類も存在し、四人はノラーンの説明を受けたゲンの師事の下、慎重かつ迅速に回収していった。
洞穴を出る頃には大層御機嫌な様子の成長したノーランに、疲労が溜まっていたゲンはまったく気付かないのだった。
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