第8話 想定外
朝起きて川原で顔を洗い、焚火を囲うようにして置かれている木に腰掛け、砥石の準備をしつつ朝食を待っていると背後から足音が近付いてくる。
「――ゲン、髪を梳いて」
ランか。何の用…………。
「ち、ちょっと向こうに行こうか」
「――どうして?」
「自分の今の恰好が理解出来ていないのですか?」
「――団長……何か問題が?」
「はぁ……」
オーバーンさんが額に手を当てて頭を振ってる。
そうだよな。俺は正しいよな。
「身体を洗ってすぐに服を着ましたね?」
「――うん。早くゲンに髪を梳いてもらいたくて」
「まだまだ、兄離れには時間が掛かりそうですね……。ラン、今回はそちらの木陰でしてもらいなさい。ゲン君、任せましたよ」
去り際に肩へ手を置かれた。
ランの教育は俺に一存する、ってことなのかな?
「――この格好で何が悪いの?」
水分がまだ残っているため、着ている衣服が体にピッタリと張り付き、まだまだ成長途中の身体のなだらかな凹凸をはっきりと浮き出させていた。
うん……男の目には毒だ。まだ幼児体――子供のような身体つきであっても、そのことには変わりなかった。
叶うなら目を逸らしたい。でも、そんなことをすれば、ランは目を合わそうと前に回り込んで来る。
「……ランに乙女心はないってことはわかった。今日はどの髪留めにする?」
「――物凄く馬鹿にされてる……青と赤の髪留めで、二つ結びにして」
「……ランも女だという自覚を持ってくれると、兄としても心配のタネが減って嬉しいなってことだよ。最近はこの髪型が多いな」
「――興味ない。この髪型も可愛い。一本に編むのもいいけど、こっちの方がゲンに貰った髪留めを二つも付けられるから」
「うぅ~ん……もう、そういうことに気を配るべき年頃だと思うぞ?――はい、これで完成だ。戻る前に、風邪をひかないように体を乾かしてから、装備を身につけろよ」
頬を膨らませて不満気なランを後目に、朝食を食べに焚火に向かう。
戻って来ると、バーニヤさんが朝食を持って来てくれた。
内容は、干し肉と豆を煮込んだスープとパン。
こんな経験はしたことないから、実はワクワクしてるけど、子供っぽいと思われそうだから顔には出さない……出てないよな?
「簡素なものでごめんなさいね」
「いえ! ランから時々聞いてたので想像は出来てましたし、状況は弁えてるので我が儘も言いませんよ。ありがたく頂きますね」
「出来た兄に対して妹は。……はぁ」
「えっと……いつもランが御世話になってます」
「ええ、ええ。物凄く御世話をしてますよ。大変伸び盛りで結構ですが、任務とお兄さん以外に興味を持たないのは……どうにかしたいところですねぇ」
頬に手を当てて溜め息を吐く仕草が、凄く様になっていた。普段から苦労していて、よくそうしているのかもしれない。
なんて考えていると、ランが左にどかっと座り、人が掬ったスープを飲んでしまった。
行儀が悪い、と注意しようとしたら、いつの間にか傍まで来ていたオーバーンさんに話し掛けたため、話す機会を失ったのでスープを掬ってパクリ。美味しい。
「――団長、この後はどうするの?」
「一日周辺を探索して何も発見できませんでしたからね。今日のところは撤収し、街で情報収集しつつ準備をし、再度近辺を捜索――という流れです」
「そうなりますか。痕跡は――皆さんっ!!」
突然、バーニヤさんが声を張り上げたから、バーニヤさんが顔を向けている方角を見るとそこには、山の斜面を駆け下りてくる何かの群れがあった。生い茂る木々のせいで正確な数は分からないが、数十頭はいそうだ。
「餓狼の群れ! なぜこっちに向かって!?」
「襲ってくる個体のみ迎撃しなさい! 通り過ぎるならば無視して構いません!」
「――ゲン、離れないでね」
「ああ、頼む」
速度を落とすことなく突っ込んでくる餓狼の群れだが、こちらに襲い掛かる個体は少なからずいたものの、そのほとんどが通り過ぎて行った。
獲物とみれば襲い掛かってくるはずの餓狼が、襲わなかった。
まるで、何かから必死に逃げて来たみたい――なんだ、あれは?
「ラン、後ろに何かいないか?うねうねと動いてるのが見えるんだが!」
「うねうね……まさか! 全員、己の身を守ることを第一にしなさい! ゼムル、貴方が対処を!」
「任せろ」
「ファールスは非戦闘員を誘導しなさい! 急いで!」
オーバーンさんが声を張り上げて指示を出している最中、逃げ遅れた餓狼の一頭が、うねうねと動くモノに捕らえられて――締め上げられていた。
それに付いている幅広の棘は刺す以外の目的なのではないかと、直感的に感じ取った直後、理解してしまった。それは正しかったのだと。
首や四肢へ満遍なく巻き付いていた
「うっ……」
「気持ちは分かるっすけど、急ぐっすよ!」
ファールスさんに抱えられてようやく、その場から動くことが出来た。
あのままあそこにいたら、確実に吐いていた自信がある。ランの前で醜態を晒さずに済んでよかった……。
「ここまで来たら安心すかね?皆さんはここから離れないようにお願いするっす」
「わ、我々だけでここにいろと?」
「いえ、戦力にならない団員が皆さんの護衛になるんで、そこは安心してくださいっす。それじゃあ、自分は戻ります」
「あっ……」
ファールスさんに質問した鍛冶師は、まだ訊きたいことがある様子だったが諦めたらしく、同僚の人と話し始めた。しかし、不安が大きいのか、声は大きくて若干震えているようにも聞こえる。
出来るなら水でも飲んで、この得も言われぬモヤモヤを飲み下したい……背後で物音?
後ろを見るべきではなかったのかもしれない。いや、見てなかったら何も理解できずに死んでたかもしれない。
「に、にげろー!!!!!」
先程の鍛冶師の声が聞こえてきたけど、体が動かない。蛇に睨まれた蛙、ってのはこのことなのかもしれない、なんて場にそぐわないことを考えるくらいには、俺の頭は冷静だった。目の前に、蔦を生やした火熊がいるにもかかわらず。
火熊がこちらに顔を向けた瞬間、体は自然と動いてしまった。ランのためにと、念のため持って来ていた短剣を構えていた。
それは、先程の冒険者の動きを無意識になぞったからか。あるいは、一度は夢見たからか。
「な、何しているんだ!?お前程度じゃ何も出来ずに死んじまうぞ!!」
無力なのは知ってる。でも、体が動いたんだ、仕方ないだろう?
こいつの目には俺しか映ってない。なら、逃げずに立ち向かわなければ。
「――ゲン、逃げて!!」
「ファールス!」
「この距離じゃ…!!」
遠くからランやオーバーンさんの声が聞こえてきた気がする。
少しでいい、時間を稼げればいいんだ。みんなが駆けつける時間を。
悲壮な覚悟を決めた直後、頭上から振り下ろされる鋭い爪が見えた。その動きは酷く遅く見えるけど、自分の体はまったく反応できていない。いや、反射的に短剣を持つ右腕が、防御するために跳ね上がってるけども、間に合わない。
このままだと、何も出来ずに死――
「――蛮勇なり」
チリーン
目と鼻の先まで迫っていた脅威が、突然消えた。
俺に理解できたのは、火熊が胴を真っ二つにされたことだけ。
一度瞼を閉じた間の、一瞬の出来事だった。
「あの」
「――汝、死にたもう?」
それだけ言うと、少女はそのまま去ってしまった。
少女の後ろ姿を見ながら惚けていると、背後から強い衝撃を受けて現実に引き戻された。
ランのすすり泣く声が聞こえてくる。あぁ……やってしまった。
「――馬鹿」
「ごめんな」
「――二度とあんな無茶しないで」
「ああ。俺も、二度目はごめんだ」
向き直り、俺が震える手で短剣を握っていることに気付いたランは、俺の手から短剣を奪い捨て、その手を握りしめながらふたたび抱き着いてきた。
遅れて、オーバーンさんがファールスさんと共にやって来た。その顔は怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
「死ななかったからよかったものの、少しでも手遅れだったら死んでいた可能性が高かったのですよ?反省してください。――勿論、ファールスも。護衛がその場を離れるなど言語道断ですよ」
「申し開きの言葉もございません……」
「こちらも仕留めた」
「死体はすぐに焼却を。残らず全てです」
帰ってからランに訊くと、あの餓狼が今回の目標だった。と言っても、当初は大きな群れに強力なボスがいると踏んでの作戦だったとか。
予想を大きく上回る存在、寄生植物の影響であの一帯では環境の変化が起きてたらしい。本来なら、山奥にいるような魔物が人々のすぐそばにまで下りてくるという非常事態になっていたことに、オーバーンさんも帰りの馬車で眉間を険しくしていた。
寄生植物は『魔の森』にのみ生息しているはずが、どういうわけかここまでやって来たこと。そして、すでに宿主が二体もいたこと。これらの事実は、見過ごすことのできない事態を招きかねないことを示していると、あの場にいた俺でも理解できる。あんなものが増えたら、防備の無い村は簡単に壊滅するだろう。
寄生植物は様々な動物に寄生する危険な存在。
寄生したらまずは脳へ浸蝕して自分の意のままに操れるようにし、次に自身の成長のために獲物を狩る。
捕らえた獲物から水分――血を得ることで成長していく。その間、寄生された生物は捕食した生き物の肉を喰らうのだが、食欲は治まることがなく、満たされない渇きに支配され、本来の棲み処を離れて様々な場所へと向かうことが確認されている。
馬車に揺られながら街に戻る途中、バーニヤさんから聞かされた。どれだけ自分が危険を冒したのか、という御説教付きで。
街に戻ると、オーバーンさんは一人、どこかへ行ってしまった。
おそらく、可及的速やかに危険の芽を摘むため街を挙げて駆除するよう、領主様に掛け合うつもりなのでは、というのがランの推測。
あの二体だけで済んでいることを願うばかりだ。
それはそうと、あの時現れた少女は何者なんだろうか?
祭の時に街で見掛けた子によく似ていた。
背中に背負った大太刀が特徴的で、御団子頭に鈴の付いた
だけど、その力の一端を、俺は目の前で見せつけられた。火熊を両断してみせた綺麗な太刀筋。迷いなく、寄生植物の核である花を斬った観察眼。
剣の素人である俺でも分かるくらい、彼女は凄かった。
たぶん……あの場で最も強かったのは彼女なのではなかろうか。そう思ってしまうくらい、彼女の存在感は凄まじかった。
今度会うことがあれば、感謝の言葉とお礼をしなくちゃな。
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