第三話 人見知り橋とお茶くみさん


 美美は、店を出て、明神さまこと三嶋大社の脇を通り抜けて南下する桜川沿いに整備された、文学碑の点在する水上通りを足速に進んでいった。


 桜川には、こちらからあちらへ、あちらからこちらへ、湧水のせせらぎを渡るのに、小さな橋がいくつもかかっている。


 あるものはそのまま反対側の遊歩道につながり、遊歩道が途切れた後は、民家に、カフェに、お寺に、隣町へ続く道にと、橋の向こうには、せせらぎの街のさまざまな生活空間が広がっている。


 名前のある橋、無い橋、勝手に愛称をつけられている橋。


 いくつもある橋の一つは、美美の実家のある町へつながっていた。


 人見知ひとみしり橋。


 この橋の先に、美美の実家「菓子司美与志」があるのだ。


 一見、なんの変哲もない木造の橋だが、感じる才のある者は、この橋を渡って向こうの町へ行くとあやかしが見えるのだという。

 感じる才がない者でも、あやかしが人形ひとがたをとっている時は、見ることができると言われている。


 「美美!ごぶさた!」


 と、声をかけられた。


 橋の欄干らんかんによりかかって、片手をあげている声の主に、美美は思わず頬がゆるんだ。


 このなれなれしい声は、お茶くみさんの井桁いげただ。


 お茶くみさんは、文字通りお茶をいれてくれるほかに、身の回りのちょっとした用事をこなしてくれる、靴屋の小人さんのようなあやかしだ。


 井桁という名は、和菓子の意匠いしょうに使われる文様から付けられたのだそうだ。

 井桁文は、井戸の上の部分の縁を四角に組んで表したもので、織部饅頭おりべまんじゅうの印によく使われる。お茶には、美味しい水の湧く井戸でんだ、新鮮な水が大切だからということなのだろう。


 彼の外見は、緑茶色のくしゃっとしたくせっ毛に、くるんとした棒茶色がかった目。袖をめくったパーカと膝が隠れるくらいのパンツから伸びているほ手足は、細っこくってまだ当分少年でいそうな風だった。

  人間の年の頃で言えば、十二歳前後くらいだろうか。


 人の形をとる時に、どんな姿になるのかは、あやかしの力量と、依代よりしろになる衣服で決まってくるとのことだ。


 八十八夜の新茶の茶葉に宿る露が、朝一番の日光を浴びた時に、未婚の茶摘み娘がその葉を摘んで口に含んで吐き出すと、そこからわらわらと生まれてくるのだとまことしやかに言われている。

 生まれたお茶くみさんたちは、てんでに好きな場所に飛んでいって、そこが気に入れば人形をとって、家を守る役割を担いつつ、美味しいお茶をいれる仕事に精を出すことになる。

 このちょっと神話的な出自を、井桁は自慢げに披露していた。


「井桁、ただいま、お久しぶり」


 美美は、顔見知りのあやかしに会って、ふっと緊張がほどけた。


「留守番、ありがとう。今から家に行くのだけれど、お茶、いれてもらえるかな。

 あなたのいれたお茶を飲まないと、帰ってきた気がしないんだ」


「よく言うなー、ここんとこずーーーっと帰ってこなかったくせに」


「ずっとって、お盆にはお線香あげに来たのよ、日帰りだったけど」


「ちぇっ、おれが柿田川かきたがわ翡翠かわせみたちと涼みに行ってた時だな、なーんだ」


ちょっとすねたような口調がかわいいなと、美美は微笑んだ。


「ま、今日会えたからいっか。ところでさ、あのさ、今、お茶きらしててさ、館の旦那に分けてもらいに行くとこなんだ」


「館の旦那?」


「そっか、美美はまだ会ったことなかったんだっけ。楽寿園らくじゅえんの郷土資料館の新館長、お役所からの派遣さんだから、あんまりいないんだけどね。今日は来てるって小耳にはさんだもんで」


「新館長って、見える人なんだ」


「まあ、ある程度は、おれたちが見えなきゃ、勤まんないでしょ、この町の観光地のまとめ役は」


「それはそうかもしれないけど……って、あのね、ちょっとききたいんだけど、お茶をきらすって、そんなこと今までなかったじゃない。そんなに、うち、今、逼迫ひっぱくしてるの?それに、分けてもらうって、ただでもらうつもり?」


「まあ、そこは、お互いさまってことで」


「お互いさま?」


 深くつっこまれそうになったのを察したのか、お茶くみさんの井桁は、そっぽを向いて口笛を吹きだした。


「新館長さんね。博物館学芸員の資格を取る時に実習をお願いしたいから、あやかしたちのことも含めて、ご挨拶に行かないとね」


 美美は、井桁のわざとらしさに、吹き出しそうになりながら、つぶやいた。


「忘れてた、おれがいない時にお茶いれて飲んじゃだめだからな」


 井桁が急に命令口調で言った。


「お茶ないんでしょ」


「そうだけど、まあ、そうなんだけど」


 口ごもって、なにやらもごもご言っていたが、美美が抱えている菓子袋を目ざとく見つけると、井桁は話題を変えた。


「それ、ふじやんの発明菓子じゃん」


 井桁は美美の父のことを、ふじやん、と気軽に呼ぶ。

 なついているのだ。


「発明?」


「実用新案だっけか、申請してたよ」


「え、申請するのにも、けっこうお金がかかるんじゃ」


「ご先祖さまの冥菓道伝承に、ふじやんの発明迷菓の後始末、たいへんだね、美美んちも」


「他人事みたいに。井桁、あなたが棲んでる家のことでもあるのよ」


 井桁は、ぺろっと舌を出すと、


「いつの日か元とれるかもねー、じゃ、また後で」


 と言葉を投げて走り去っていった。



 井桁は、美美がものごこころついた時には、菓子司美与志にいた。


 美美が子どもの頃は、あやかしの持っている気は、子どもには強すぎる、影響を与えすぎるからと、あまりそばには寄らせてもらっていなかったらしい。

 ただ、店が忙しい時には、近寄り過ぎないようにして子守りをしてくれたそうだ。

 

 その頃から、井桁は、今と同じ姿だった。


 美美が、井桁と同じ背格好の頃は、よく一緒に遊んだ。


 けれど、美美が井桁の背を追い越した頃から、だんだん疎遠になっていった。


 それでも、美美が、お茶が飲みたいな、とふっと思い浮かべながらうたた寝していると、馥郁ふくいくとしたお茶の香りがしてきて、いつのまにかいれたてのお茶が運ばれているのだった。



 美美は、昔と変わらぬ姿の井桁を、見えなくなるまで見送った。




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