番外編 和菓子の日こぼれ話


 新入り菓子職人の深川ふかわが、めずらしくうれしそうにしている。

 いつもあまり感情を顔に出さないのに。


「深川さん、何かいいことあった?」


 美美みはるがたずねると、深川は、和菓子組合から毎年配られるカレンダーを見てから、美美の顔を見つめてうなずいた。

 

「今月って何かあったっけ?深川さんの誕生日とか?」


 美美は頓珍漢とんちんかんなことを言いながら、カレンダーに近づいてみると、6月16日のところに、赤い丸印がつけられていた。


「土曜日なのに、赤丸って、祝日?ん?和菓子の日?」


 よく見ると、16日のところに和菓子の日と記されていた。


蘊蓄うんちくクイーンの美美が、うっかりしていたとは、彼もがっかりだね」


 いつのまにか玉兎が、季節の和菓子水無月みなづきの試作品を両手に持って、美美のそばに立っていた。


「え、なに、どうして深川くんが、がっかりするの」


 玉兎は、右手の水無月をもぐもぐしながら、深川さんを観察するように眺め、すっかり食べ終えると、口をひらいた。


「だって、ほら、和菓子の日の行事が盛大に行われるようになったのは、江戸時代だからね。徳川家にお仕えしたこともあるらしいからね、深川家のご先祖さまは。だから、彼には、徳川家にゆかりのあることには、特別な思いってのがあるのさ、たぶん」


 相変わらず玉兎は鋭いところをついてくる。


「それくらいのことは知ってるわ。和菓子の日の発祥は、はっきりとはしないけれど、一説によれば平安時代、西暦848年6月16日に仁明天皇が御神託により疫病除け健康招福を祈誓して、16の数にちなんだお菓子等を神前に供えて、元号を『嘉祥かしょう』と改元したことにちなんだことにはじまるとされているのよね。江戸時代には、武家だけでなくて、広くみんなが“嘉祥食い”と言って、厄除けのために、十六日にちなんでお菓子やお餅を十六個買って食べたりしたそうよ」


「お菓子は“かじょう”なのに、元号は“かしょう”なのか、ややこしいことだね」


「そうね、意識してないと、そうした違いって知らないままよね」


 と、美美が言い終えると同時に、声が掛けられた。

 深川だった。


「これ、店頭に飾ってもよろしいですか」


「これって、もしかして、」


「嘉祥菓子です。五代将軍綱吉の治世でふるまわれたものを再現しました」


 片木盆(へぎぼん)の上に青杉の葉が敷かれ、その上に八種類のお菓子が盛りつけれていた。


「和菓子の日にちなんだものね。そうね、ショーケースに飾って、道行く人に見てもらいましょう。見てもらうのであれば、それぞれのお菓子の名前がわかると親切ね。色紙に書くから、名前を教えて」


「美美、知らないのか。和菓子屋の娘なのに」


「こ、これは、うちでは作ってなかったのよ。事典やネットで見たことはあるけれど、見比べてみたら少しずつ形が違ってたりしたし。だから、ちゃんと確認をしたいのよ」


「なるほどね。殊勝な心掛けだね、美美。さすがだね」


 ころころ変わる玉兎のもの言いはスルーして、美美はペンとメモを取り出した。


「五代将軍綱吉の治世、宝永年間の嘉祥の行事では、饅頭、羊羹、大福餅の前身の鶉焼うずらやき、ねじった形の新粉餅の寄水よりみず、餡玉の周りにそぼろ状の餡をまぶしつけた金飩きんとん、貝殻に餡を載せた様子が真珠貝の阿古屋貝に似ていることから呼ばれるようになったあこや、これは、雛菓子としては引千切ひちぎりとも呼ばれます。それから、麩、そして縁起物の熨斗のしです」


 深川が、一つずつ、すらすらと説明してくれた。

 美美は、お菓子を見ながら、簡単なイラストといっしょにそれを書き留めた。

 深川は説明し終えると、片木盆を両手で捧げ持って、ショーケースに運んで行った。


「徳川由来のお菓子のこととなると、やっぱり、はりきってるよね」


 玉兎が美美に目くばせした。


「そうかもしれないけど、深川さん忍びのもの説っていうのは、どうなのかな」


「どうなのかな、って、身元不明人を弟子入りさせてるの、平気なのか、美美は」


「父が連れてきたのだもの、その点は、信頼してる」


「それは、そうだけれどね」


 玉兎は、耳をぴこんと揺らすと、


「忍びのものっていうと、カッコイイな、いいな。ぼくなんて、地上では、お調子もののただのウサギなのさ」


「すねてるの?いいじゃない、この店でもふもふなのは、玉兎だけなんだから」


「美美がそう言うのなら、今日は和菓子の日だし、目をつぶっておいてやるさ」


 ちょっとすねてる玉兎の耳の付け根を美美が撫でると、玉兎は大人しくなって、やがてうつらうつらしだした。

 美美も、玉兎の耳の付け根のもふ毛が気持ちよくて、思わずあくびが出てしまうのだった。


 こうして、今年の和菓子の日は、穏やかに過ぎていくのでありました。




追記

  現代の和菓子の日ですが、厄除け招福を祝う嘉祥かじょう菓子のお祝いの復活と和菓子の良さを知ってもらうために1978年に全国和菓子協会によって制定され、79年6月16日に第1回が実施されました。

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