番外編 雛まつり姫まつり 一
「わらわは行かぬぞ」
春は、緑珠姫の季節ではない。
実りの黄金色の秋に馥郁と香る金木犀に宿る緑珠姫はにとって、梅、桃、桜と、ピンク色の春のはなやぎは、癇に障ることこの上ない。
ことに、春の到来を喜ぶかのように笑み合って咲く桃の花が、春の乙女の節供、雛祭を彩る主役となることが面白くないのだ。
梅や桃は、大陸からの渡来という出自を同じくするところからして気にいらない花ではあった。
それでも、梅はまだ慎ましやかなところがあるので、許せるのだ。
それに、梅は、春到来のご挨拶をと鶯を遣いに寄こして、姫を言祝ぐ歌を歌わせるといった気遣いも忘れなかった。
「つまり、主役になれぬことがわかっているので、拗ねておられるのですね」
わけ知り顔で、樹下に立っている学生が言った。
「あ、それ、言うかー」
隣りにいた少年は、慌てて学生のそばから離れた。
「あのように浮ついたものたちと、わらわが同席するなど、笑止!」
学生の言葉に間髪いれずに姫は言い放ち、と同時に手にした扇子をぱちんと綴じた。
小さなつむじ風が、樹下の二人に砂埃をお見舞いした。
「痛っ、こ、これはなんと乱暴な」
「図星だったか……」
学ランの袖口で目をこすって、ますます涙目になっているのは、
「ま、こんなところだろうと思ってたけどな」
その隣りで、艾人を直撃したつむじ風を人差し指に巻きつけて、くるくる回しているのは、お茶くみさんの
艾人の顔は、こすったあとが赤くなり、髪もつむじ風でくしゃくしゃになり、せっかくのイケメンがだいなしだった。
「姫、雛祭りですから、女児に花を添えていただかないと」
「誰が女児じゃ。わらわは姫であって女児などではない」
「その誘い方はないだろ」
井桁は呆れて、艾人の袖口を引っ張った。
もともと一方通行に自説を繰り出すのは得意であっても、相手を乗せる会話は不得手な艾人だった。
菓子司美与志の蔵を守るおくらさまとは、愚痴の言い合いでコミュニケーションが成り立っていたが、幼い淑女相手ではうまくいくはずがない。
「人選ミスだよな」
井桁は、両手を首の後ろにまわして、石ころを蹴った。
蹴られた石は、他の石に当たって、あらぬ方へ飛んでいった。
どこかで、ぎゃっ、と声がしたがような気がしたが、井桁はさして気にせずつぶやいた。
「とは言っても、これからのこと考えると、人選ミスの存在のままじゃ困るんだよな」
こうして二人が緑珠姫を誘い出しに来たのには、わけがあった。
呪符として蔵に引きこもってた艾人に、店の戦力になってもらうべく、コミュニケーション能力を育成しようとのミッションなのだった。
ここらで最もコミュニケーションをとるのが難関なのは、全員一致で緑珠姫だった。
難関を突破すればあとはさくさく進むよね、と、菓子司美与志の一人娘、まじない菓子つくり
「ここは、いったん引くぞ」
「引くって、今日の日没までに、お連れしなければならないんだろう」
「いいんだよ。だったら、なおさら引くのさ」
「外のことは、井桁の方がくわしいからな。仕方ない、従おう」
「じゃ、これ、あいつんとこに届けて」
井桁が差し出したのは、一枚のチラシだった。
「菓子司美与志主催 ひなまつりの夕べ」と記されている。
艾人は、ささっと紙飛行機を折って、樹上に向けて飛ばした。
紙飛行機は、すいっ、とうまく風に乗って、あっという間に緑珠姫がいるそばの枝に着陸した。
あえて手を出さずに、緑珠姫は知らんふりをしている。
「うまいもんだ。器用なんだな」
「俺は、呪符だからな。切ったり貼ったり折ったりしてつくるのは得意なんだ」
得意げな艾人に、井桁は、にこにこしながら
「よしっ、じゃ、作戦練り直しだ」
と声をかけ、二人は、樹下を後にした。
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