番外編 雛まつり姫まつり 二

 桃の節供は、季節の変わり目に邪気祓いをする五節供の一つである。

 節供の祝い菓子の注文で表向きの和菓子屋としても、まちわびた春の訪れに気持ちが華やぐゆえにまじない菓子の店としても、菓子司美与志かしつかさみよしは忙しかった。


 まだ本復していない美美みはるの母は、寒さで体調をくずし再入院しており、その母に代わって大学の後期休暇中の美美がきりもりしてはいるが、修行も始まったばかりで、まじない菓子の方はうまく回っているとは言い難かった。

 

 先だって唐突に帰宅した父は、俺の弟子だと言って無口な若者を一人置いて、またふらりといなくなってしまっていた。

 弟子と言われた若者は、腕は確かなのだが、自分のことを何も話そうとしなかった。


 美美は、もしかして彼もあやかしではないかと怪しんだが、井桁いげたによると、風呂無しアパートに住んでいる彼が風呂屋に行った時に、タオルを巻かずに湯舟につかっていたから人間だろうとの報告が入った。

 美美は、井桁のいれてくれた深蒸し茶を飲みながら、その時の会話を思い浮かべた。

 

「井桁、あなたもお風呂入ったの?入れるの?」

「うん、おれぐらいのベテランになるとさ、タオル一枚あれば、人形ひとがたを保ってられるからな。すごいだろ」

「す、すごいの、かな。そう言えば、そんなこと前も言ってたかな。ところで、湯船にタオルは規則違反じゃないの?」

「最近はそうでもないのさ。湯船専用のタオルの貸し出しをしてるよ、あの風呂屋は」

「へぇ、知らなかった」

「力がないやつだとさ、タオル一枚じゃだめだからな。おれは、うっかりタオルがほどけても、ちっとの間だったら人形保ってられるしな」

「あ、だったら、彼が、その力があるあやかしってことはないの?」

「うん、それも疑ってみたんだけどさ。こう、なんていうかな、あやかしの力の気配がないんだ。職人としての技を持ってる人間の気配はるけど」

「あやかしの力をわざとないように見せかけてるとか」

「うん、それも疑ったけど、それをするには莫大な力が必要だから、人形を維持し続けることはできない。おれたちあやかしが、人の世で人の形を保ってこうして動き回ってるのって、実は、けっこう大変なのさ」

「そうなんだ」

 

 茶柱がぷかぷか浮いているのを、目の端で見ながら、美美は、井桁のお茶でくつろいだ。

 お茶を飲み終えると、美美は、井桁に声をかけた。


「井桁、緑珠姫りょくじゅひめは、来てくれそうなの?」

「ん、まあ、すずろが行けば、ぜったい来るよ」

「はぁ、やっぱり、艾人がいじんじゃだめだったのね」

「最難関からチャレンジ作戦は失敗だったみたいだね、美美」


 口をはさんできたのは玉兎だった。


「この作戦の失敗の原因の一つは、付き添いが井桁だったってのもあるんじゃないかな」

「なんだと、玉兎、最近生意気だぞ」

「お、っと。ぼくがけがしたら、雛祭りのお菓子作りが間に合わなくなるよ」


 耳をぴょこぴょこさせながら、玉兎は言った。

 今日の玉兎は、ねじり鉢巻に法被をまとって、後ろ足で立って、杵を背中に荒縄で結んでしょっている。後ろ足で立つと、意外に背が高くなって、長い耳の先は、井桁の鼻先を、ちょこちょこくすぐるのにちょうどよかった。


「二人とも、ケンカはだめ。今日は、とくにだめ。もうすぐお客様がご到着なんだから」

「緑珠姫の天敵が来るんだね」

「そういうこと言わないの」

「わかったよ。ぼくは、おとなしく、庭でおもちをついてくるよ。弟子くん、合いの手頼むよ」

「はい」


 低いめりはりのない声がした。


 父の連れて来た弟子の深川景ふかわけいだ。


 きりっとした顔立ちにさっぱりとした短髪で和帽子がよく似合っている。

 ひきしまった細身で無駄のない動きをしていて、腕のいい職人の雰囲気を漂わせている。


 年齢は、本人が言わないのではっきりとしたことはわからないが、中学を卒業してすぐに修行に出て3、4年くらいかなということを父が言っていたので、二十歳前後だろう。


 父の弟子と言っていたが、ちゃらんぽらんなところのある父より、よほど腕がいいように見える。


 菓子司美与志の職人用の制服は、渋い藍墨あいずみ作務衣さむえの上下に和帽子で、前掛けは斜めに刺し子がしてある樺茶かばちゃ色だった。この刺し子は母親のふみがつくったものだ。


 美美は、今日は、ふみが若い頃着ていたという大胆な格子柄のつむぎに、深川と同じ樺茶色の前掛けをしめている。いつもは目立たぬようおさえめのファッションをしているが、美美は着物がよく似合っていた。


 井桁が褒めようとした矢先に、玉兎が


「美美さん、さすが和菓子屋の娘さん、着物がよくお似合いで。言祝小町ことほぎとは、よく言ったものです」


 と、ほめちぎってしまったので、井桁は言葉をかけそびれてしまっていた。

 それも、玉兎につっかかった原因の一つだった。




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