番外編 星夕ドーナッツ 七

 すずろに甘えて気が済んだのか、緑珠姫はふぁーとあくびをすると神鹿の背にもたれてうつらうつらし始めた。


「興奮しすぎて眠くなるって、子どもだよな」


 井桁は肩をすくめて言った。


「見かけは幼くても、本当は御長寿なんだけどね」


 玉兎はそう言うと、長い耳を傾げて緑珠姫の口元に当てた。

 規則正しい寝息が、玉兎の耳の毛を震わせる。


「熟睡態勢に入ってるよ。このままだと、神鹿の背中から落っこちてしまうよ」

「そうね、奥の間に寝かせましょう」


 美美は、神鹿をなだめながら皆のいるお菓子作りの工房の一角にある奥の間へと連れていった。


 常備してあるふとんを、奥の間の畳の上に敷いて、美美は緑珠姫をそっと寝かしつけた。


 うっかり力をいれると、こなごなに散ってしまいそうなひぐらしの羽根のような羽織ものを幾重にもまとっている緑珠姫は、見た目以上に華奢で軽く、美美は空気を抱いているような不思議な感じを受けた。

 緑珠姫のまとう金木犀の甘ったるいけれど品のある香りが辺りに漂っている。


「寝顔は普通の幼い女の子だけれど、この軽さや香りはやっぱり人間ではないってことね」


 美美はつぶやくと、神鹿に桂花水の氷砂糖を与えながら、ここで大人しく緑珠姫を見守っていてねと言い含めて、皆の所にもどった。


 美美がもどると、場の雲行きがまた怪しくなっていた。


「ところで、工芸菓子のことなのだけれど、僕はずっと気になってるんだけどな」

 

 玉兎が話を蒸し返している。


「工芸菓子って、和菓子屋のショーウインドウに飾ってあったりするやつだよな、菓子博覧会に選出とか、菓子技術コンテスト入賞とかって札と一緒に」


 井桁が言うと、続きをすずろが引き取った。


「工芸菓子は、観賞用として作られたものです。大名から将軍への献上菓子として、後には大名への献上菓子として。意匠としては、有平糖の宝船や、白砂糖の富士山、桜に牡丹に紅葉といった日本の四季の自然などがあります。技術の粋と意匠を凝らして職人が取り組む、芸術作品なのですよ」


「ぼくの仲間が作られていたのも見たことがあるよ」


 玉兎が話し出した。


「今にも動き出しそうだな、と思って見ていたのさ。そうしたら、満月の光を浴びたら、動きだしたんだよ。ぺったん、ぺったん、おもちをつき始めたんだ。楽しくなって、ぼくも一緒に混ぜてもらったのさ。あんまり楽しくて、お餅をつきすぎて、気がついたらからだ中飴でベタベタになっていたってわけ。そのウサギたちは、飴細工のからくり人形だったんだ。ぼくの熱気で溶けちゃったみたいなんだ。お店の人に見つかって、大目玉だったよ」


「そ、そんなことがあったのか。よく、警察に突き出されなかったな」

「僕は逃げ足は速いのさ」

「そういう問題じゃないだろ、ったくもう」

「それからは気をつけてるよ」


井桁と玉兎のとぼけたやりとりがおさまると、おもむろにすずろが口を開いた。


「工芸菓子といえば、深川さん、あなたの新作は見事なものでしたが、どちらかで学ばれたのですか。学校で学ばれただけとは思えない技量をお持ちですね。深川さんの家系は、琵琶湖の南、鈴鹿山脈のふもとでしたか。先祖伝来の技法や、秘伝など、深川さん、身につけてらっしゃるのではないですか」


 すずろの口調は穏やかだが、問いかけをかわせるような隙はなかった。


「なにも特別なことはしていません。製菓学校で学んだ基本を、日々怠りなく研いているだけです」


 深川は動揺するでもなく、淡々と答えた。

 

 美美は、すずろの着物の袂をひっぱって、その先の問いを発しようとしているのを止めた。


 すずろは、笑みを美美に向けて

「緑珠姫はお休みになられましたか」

 と、たずねた。


「ぐっすり眠ってる。今のうちに、七夕限定新作品を、決めてしまいましょう」


 美美の促しで、再び和やかな雰囲気がもどってきた。

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