番外編 星夕ドーナッツ 六
深川はそれには答えずに、一礼すると、籠に蓋ををして、下げてしまった。
なんとはなしに気まずい雰囲気が漂った。
「なにを騒いでおるのじゃ」
聞きなれた甘ったるいかん高い声が響いた。
「ずいぶん楽しげではないか。わらわを差し置いて、新作のお披露目会など」
声の主は、立派な角の鹿の背に横座りに座って、百花繚乱の花火模様の涼し気な絽織りの浴衣に赤い鼻緒の下駄をぶらんぶらん揺らしている。
結い上げた髪には、今日は、夏の風物詩を描いた団扇型の簪で飾りたてている。
簪の先には、願掛けの短冊を模した色とりどりの麻の端切れが揺れている。
耳には、しゃらしゃらと重そうな銀の耳飾りが光っている。
「
「誰が呼んだの?」
新作試食会には、店の身内以外を呼ぶわけにはいかない。
美美は、皆の顔を順番に見渡した。
井桁は、肩をすくめて口笛を吹いている。
玉兎は、耳をくるんくるんさせて知らんぷりしている。
深川は、またいつも通りの寡黙な職人にもどっている。
すずろは、団扇を扇ぎながら、成り行きを見守る態勢だ。
「
「すずろも参加してるんだぜ」
「そ、そんなことは知っておる。わらわは、なにごとであっても、すずろの案しかないと思っておるのじゃ。井桁、そなたに言われるまでもない」
緑珠姫は、ぷい、と横を向くと、ちらりとすずろを見てから、
「差し入れじゃ」
と、神鹿の角に掛けた朱塗りの一段重箱を指差した。
美美がそれを受け取って小卓に置いて、ふたをとった。
「カワイイ!」
美美は思わず声をあげた。
「ほんとに、お姫さまが作ったって感じが溢れてる。一つ一つがちっちゃくて、愛らしくて、食べちゃいたくなる」
重箱に入っていたのは、吹きガラスの繊細な技でつくられた器に盛られたデザート菓子だった。
触れたら指の熱で溶けてしまいそうな薄いガラスの器は、縁が広く広がっている浅い皿で中心部がボウル状になっていて、そこに姫スイーツが煌めいていた。
器の中心には透明なシロップが満たされ、姫の小指の爪ほどの白玉、姫ならではの金木犀の小花入りの星型に抜かれた黄金色の寒天寄せ、つやつやした橙色のドライフルーツが浮いている。
顔を近づけると、清涼感がすっと鼻を抜けた。
その爽やかな風に、微かな香ばしい甘みが感じられた。
シロップと思われたが、この清涼感はアイスミントティーだ。
そして、ねっとりとした甘味は、水あめ?
つやつやとした橙色のドライフルーツは、杏の水飴がけだと美美は見当をつけた。
デンプンの甘みが、じわじわとミントティーに溶けだして、独特の風味を出しているのだ。
「よく、こぼさずに持って来られたな」
「神鹿の神通力で固定してあったんじゃないかな。ぼくたちよりずっと神々しいもの、彼らは」
「ぼくたちって、あやかしと神の遣いはいっしょにできないだろ。ま、どっちにしても、さすが本家奈良から来ただけあるなってとこか。鹿は、御利益神獣のトップクラスだよな」
井桁と玉兎の会話に、緑珠姫が割って入った。
「何をこそこそ言っておるのじゃ。ささ、すずろ、味をみてたもれ。わらわ特製の白玉琥珀冷薄荷茶じゃ」
すずろは、どうしましょうかと、美美に視線をおくった。
美美は、緑珠姫に大人しくお帰りいただくには、ここはいったん姫の言うことをきくしかないと観念した。
「心尽くしとあれば、すずろ、ぜひお受けを」
「美美さんのおすすめとあらば……」
すずろは、緑珠姫に聞こえないように小声で美美に告げると、添えらえたガラスのレンゲを手にとった。
レンゲでひとすくい、すずろは姫スイーツを口に運んだ。
「この白玉は、姫の耳たぶのやわらかさですね」
すずろが目を細めて言った。
「そうじゃ。覚えておってくれたか、すずろ」
緑珠姫は心なしか頬を染めて、すずろを見つめた。
「白玉は耳たぶのやわらかさになるまで練るっていうけど、耳たぶつまんだことあるのか」
「井桁、
「耳飾りを付けてさしあげたことがあるのですよ」
「そうじゃ、これじゃ」
緑珠姫が首をかしげると、銀に光る耳飾りが、しゃらしゃらっと音をたてた。
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