第三十二話 菓子司美与志御文庫の変

 美美は蔵の中にいた。


 正しく言うならば、菓子司美与志御文庫かしつかさみよしおぶんこ、通称「おくらさま」の中にだ。


 美美は、明神さまから帰ってきてからすぐに、まじない菓子つくりにとりかかろうとした。


 この土地最強乙女の政子さんの乙女心と、緑珠姫がとっておいた月の宮のうさぎ特製の桂花糖を得て、これらの素材が新鮮なうちに、とにかく冥菓道の継承修行を始めるにあたっての下拵したごしらえとして、恋愛成就のまじない菓子をこしらえてしまおうと思っていた。


 本当は、その前に、井桁のお茶で一服しようと思っていたのだが、家の敷地に入るなり、どかん、がしゃん、と、とんでもない音が蔵から響いてきて、美美と井桁は慌てて蔵の検分をせざるをえなくなったのだった。


 鍵はかけてあったが、どうやら賊は、蔵の秘密の出入り口を探しだして、そこから侵入したようだった。


 蔵のごつい錠前に鍵を差し込んで回すと、がちゃり、と重苦しい音とともに、鍵があいた。


 美美は、観音開きの扉を両手で開けた。


 蔵の中は真っ暗だった。


 天井近くの明かり取りの小窓から、薄い陽射しが差し込んでいたが、その灯りだけでは、中の様子はわからなかった。


 室内灯のスイッチが入ってすぐのところにあったはずだと思い出し、美美は、暗闇を手探りしてスイッチを押した。


 天井に取り付けられた白熱灯は、古いせいか、かなりの時間、不規則に点滅してから、ようやく白い光をみなぎらせ、蔵の中を照らし出した。


 その光に照らされて浮かび上がったのは、古い菓子木型に埋もれて伸びている玉兎ぎょくとだった。

 そして、その古い菓子木型を抱いたまま転がっているのは、どうやら菓子器の付喪神たちのようだった。

 

「玉兎?どうしたの?なにが起ったの?」

「おい、玉兎、と、菓子木型の付喪神たち、なにやってんだ」


 美美と井桁は、二人同時に声をかけた。


「あ、美美さん、井桁、おかえりなさい」


 玉兎は、菓子型の山の間から、もぞもぞとからだを起こすと、ひょこひょこと、二人のそばにやってきた。


「これは、いったい、どういうことなの」


 あきれ顔で美美が言うと、


「どういうことって、こういうことさ」


 と、玉兎はぶるぶるっと顔を横に振って、耳の角度を収まりのよい具合に直してから、菓子木型の方を鼻先で指してみせた。


「蔵の中が騒がしかったから、様子を見に入ったんだ。ぼくたちうさぎは、こういう場所の抜け道に鼻がきくからね。そうしたら、菓子木型の付喪神たちが、大喧嘩をしてたのさ」

「まさか、けしかけたりしなかっただろうな」

「まさか、そんなことはしないよ。ぼくたちは平和主義者だからね。もちろん、止めたさ。止めたんだけど、聞く耳をもたないからね、お菓子の木型は顔がないからね。付喪神たちも、自分たちの声の大きさで自分たちが何を言ってるのかも、わけわからなくなってて……で、この始末ってわけさ」


 玉兎は、ぴょこん、とはねて見せた。

 つまり、仲裁をしようと飛び跳ねまわっているうちに、棚のあちこちから菓子木型が、落っこちてきたということらしい。


「菓子木型の付喪神が喧嘩?原因は何なの?」


 美美は、この後始末をするのは自分だと思うと、まじない菓子をつくる出鼻をくじかれた感がして、ため息をついた。

 

「わしは、さる武門御用達の打ち菓子の木型である。畏れ多くも留型とめがたである。頭が高い、皆のもの、控えおろう」


 留型というのは、一般には流通させない、格式あるその家だけでしか使われない意匠の木型のことである。

 菓子司美与志では、そうした歴史的民俗学的価値のあるものを、多くはないがコレクションしていた。

 その付喪神が威張っているのも、自分が元は由緒正しき家柄に仕えていたのだという自負があるからであろう。


「風の噂に、新しき冥菓道の人側の継承者が、この蔵の始末をするときいたのだ。とくに、古くて擦り切れて、文様をよう出せぬようになったものは、火にくべるということをきいた。なんとも恐ろしいことだ」


「その冥菓道の人側の継承者って、わたしのことよね?」


「そうだよ、ぼくたちが教えてあげたんだ」


「玉兎、ここは、曝書ばくしょを頼まれた冊子を探すのに、整理するだけよ。どれ一つだって捨てはしないわ。全て、菓子司美与志のたいせつな財産なんだから」


「それをきいて、安心した。ならば、大人しくしていよう」


 古い菓子木型がそう言うと、それぞれの木型の付喪神たちは、大人しくすーっと木型の木目に吸い込まれていった。


「井桁、やっぱり、お茶をちょうだい。飲まずにはやってられないわ」


 美美は、付喪神が吸い込まれて消えた菓子木型の木目を指でなぞりながら、井桁に懇願した。


「ぼくたちが、見張り番をしてるよ」


 玉兎が蔵の中の秩序を乱したお詫びにと、申し出た。


「頼れなさすぎ……」


 井桁は肩をすくめた。


「ぼくたちをみくびらないでくれよ。さっきは油断したのさ。木でできてるんだから、いざとなったら、ぼくのこの磨きをかけた白い前歯で、がりっとひとかじり、」

「だめだめ!菓子木型職人は、日本には、もう数えるほどしかいないんだから。彫が鈍くなっているのは、今度手入れに出して、まだ使えるようにしたいから、かじってはだめ」

「残念だなー。かじり心地がよさそうだったんだけどな」

「とにかく。先に、菓子木型だけ片づけとく。で、お茶を飲んでから、曝書作業。それから、まじない菓子にとりかかることにする」

「了解」


 井桁は返事をすると、玉兎の首根っこをひょい、とつかまえると、店の方へもどっていった。


 そして、美美は、蔵の中に一人で佇むことになった。


「とにかく、まずは、ほこりをなんとかしないとね」


 祖父が亡くなって、まだ一年しかたっていないのに、蔵の中はほこりまみれだった。

 母も、店のきりもりで精一杯で、蔵にまで手がまわらなかったらしい。

 昔はきちんと整理されていた、それこそお宝も行儀よく仕舞い込まれていたいた蔵の中が、いつのまにか、父の集めた我楽多三昧になっていた。

 とはいっても、その我楽多は、父の頭の中のようで、勝手にいじっていいのか、美美は一瞬躊躇した。


「どうしたものかしらね……」


 美美は、改めて、蔵について思いをめぐらせた。



 菓子司美与志御文庫は、二階建てで、外観は、一階部分が白と黒の斜め格子も鮮やかな幾何学模様のなまこ壁で覆われている。


 壁面に平瓦ひらがわらを並べて貼ってから、継ぎ目の目地に白い漆喰しっくいを盛り上げて塗る、左官職人の工法である。壁につくられた格子模様の目地が、海鼠なまこのようにこんもりと盛り上がっていることから、なまこ壁と呼ばれる。

 防火機能に優れていることから、家伝のお宝を収めておく土蔵によく施される。


 蔵は、外から見ると二階部分の白壁に、掛子かけご塗りの窓がついている。

 窓はふだんは開け放っているが、火事が起こった際には、掛子塗りの窓の利点で、窓の周りにつくられた漆喰で塗り固めた段に、ぴたりと扉がはまり、火の粉が中に入らないようになっている。


 二階は、蔵の中につくられた内階段で上るようになっている。

 

 いつだったか、ふだんは勝手に出入りするのを禁じられていた蔵の扉が開いているのを見つけて、美美はそっと入ったことがあった。


 どうやら、父が、蔵の中で何かを探していたものの、訪問客があって、慌ててそのままにして出ていってしまったらしかった。


 美美は、滅多に入れてもらえない御文庫の蔵書に興味があったので、この機会にと、こっそり中へ入りこんだのだった。


 しのび足で階段を上り、中をのぞきこむと、窓から射し込む薄い日の光に、畳の上でほこりが舞っているのが、まず目に入ってきた。

 

 何かが、動いている。


 美美は、直感的に、ここにもあやかしがいるのだろうと思った。


 大事な家宝を収めておく場所なのだから、当然、蔵守くらもりの類もいるのだろうと見当をつけた。


 まだ挨拶をしたことのないあやかしだったので、驚かさないように、中へ上がるのはやめて、階段の一番上の段から、美美は、中の様子を観察した。


 二階は畳敷きになっていて、ぐるりの壁の書架には、和菓子に関する書籍やら何やら紙媒体の資料が、ぎっしり詰められている。


 二階の一隅に置かれた文机には、そこだけモダンなアールデコ調のスタンドが置かれている。


 古い着物の端切れを縫い合わせた生地で包まれた座布団、栗の形と菊の形を象った半生菓子はんなまがし桃山ももやまを象った文ぶんちんが、和紙の便箋を抑えていて、山鳥の羽根ペンとインク壺が脇に並んでいた。


 誰かが、そこで、今まさに一筆記そうとした、そのままの気配が漂っているかのようだった。



 そんなことを思い出しながら、美美は、ふっと息をついて、

 「木型を置く場所をまずは確保しないとね。にしても、元々どこにしまってあったのかな」

 とつぶやいた。

 

 お菓子の木型は、和菓子の意匠、すなわちデザインには欠かせない道具だ。 

 今や木型職人は激減しており、菓子木型はそれぞれの和菓子店では家宝に等しい。

 のはずだが、この蔵の中に散らばっている様子からすると、あまりていねいに扱われていなかったようだ。


 美美は、散らばった菓子木型を一つずつていねいに晒し木綿でほこりをぬぐうと、天気もいいことだからと、これも風に当てることにした。


 幸いにも、もともとの手入れがよかったのか、かびは吹いていなかった。

 使用中のものであれば水洗いをしてから水けをぬぐって陰干しだが、使用されないまましまっておかれたものなので、日光消毒をした方がよいかなと美美は考えた。


「とりあえず、置き場所をつくらないとね」


 美美は辺りを見まわすと、薄くほこりの積もった籐で編んだ行李こうりがいくつも積まれているつくりつけの棚の横に、菓子木型をいったん移そうと思い、反故紙をくくって作ったはたきをかけた。


 白い煙が、もうもうと舞い上がった。


「ちょっ、これだめ、耐えられない」


 美美は激しく咳き込むと、はたきを放り投げて、蔵の外へ小走りに逃れた。


 ほうり投げたはたきは、はりに当たって、そこに貼ってあった何かが、ひらひらと床に舞い落ちていった。


 その何かの上に、紙のほうきがぱさりと落ちた。


 しばし、しん、としたが、やがて、かさかさ音をたてながら、ほうきの下から何かが這い出して、蔵の入口に向かっていったのを、その時知るものはいなかった。



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