第三十一話 金木犀は二度香る

 明神さまの金木犀は、二度香る。


 一度目は九月の上旬。

 まだ宵の暑さの残る頃。


 二度目は九月の下旬。

 宵の風に秋の気配が漂う頃。


 花の香る時期は、緑珠姫も花仙としての仕事が忙しく、そうそう宿っている金木犀から離れるわけにはいかないのだそうだ。

 にもかかわらず、わざわざ菓子司美与志までお出ましになられたのは、次期冥菓の君候補のすずろに合うためなのだというから、その思いのたけのほどは、なかなかのものなのだ。


 美美は、井桁から、緑珠姫の昨晩の訪問について今一度説明を受けていた。


「花仙の仕事っていうのは、どんなことをするの?花仙というからには、花の仙人、花の妖精のようなものと考えていいのかな。あやかしとも微妙に違うって言ってたけど」


「そうだな、金木犀は香りが命。これはわかるよな」


「そうね。明神さまの金木犀は二里先まで匂うっていうのが謳い文句だものね」


「うん、そうなんだ。そう、例えば、こんなのがある。つぼみのほころび加減を一つ一つ観察して、この枝はいつ頃満開になる、こちらの枝はいつ頃香りが薄くなるなんてのを記録して、明神さまに花見の人出がある間、きちんと香りを楽しめるように調整すること」


「そういうのって、植木屋さんか、造園業の人がするのかと思ってた」


「表に見える部分はね。ほら、よく、みどりの指を持ってるっていうだろ」


「園芸の上手な人のことね」


「そういう人が植木をいじれば、その木に宿ってる、緑珠姫みたいな花仙や花に憑くあやかしと意思疎通ができるから、タイミングよくうまく咲かせたり、香らせたりできるんだ。まあ、そういうのに鈍感だったり、自分のやり方しか認めない人だと、枯れるよな。だいたい気候が悪かったとか、寿命ってことにされるけど、それはコミュニケーション能力の問題なのさ」


「はぁ~、そうなんだ。やっぱりコミュニケーション能力って大事なのね」


 どうもその辺りが苦手な美美は、ため息をついた。


「なにも、そんなに難しいことじゃない。人の話に耳を傾ける、自分の意見は言う、お互いにすり合わせる、真正面からね。それだけのことさ」

「そうね。それだけのことなんだけどね」


 美美は重ねてため息をつく。


――人って、自分に自信がないと、自分をよく見せたい、他人よりすごく見せたいって気持ちが、どうしたって出てきてしまう……だから、真正面からっていうのは、なかなか難しいのよね――


「少なくとも、おれは、美美に正面からぶつかるぜ」


 井桁は、ぐっとこぶしを突き出して見せた。

 美美は、自分の弱気を突きつけられたような気がしたが、ここはこちらからも正面からと思い、井桁のこぶしに自分のこぶしをぶつけて「了解!」と返答した。


 

 それから二人は神門をくぐって授与所の前を通り、天然記念物指定の金木犀が植えられている場所へと向かった。


「さて、と。桂花糖、残ってるといいけど」


 二里は香ると言われているだけあって、すでに辺りは金木犀の馥郁たる香りに満ちていた。


「そなたら、なんじゃ。御所望菓子ができたのか。わらわは、すずろに持たせるよう申したはずじゃが」


 いきなり、高圧的な声が降ってきた。

 声の方を見ると、金木犀の枝の高みに、緑珠姫が腰かけて、足をぶらぶらさせていた。


「ずいぶんいいお行儀だな。足を見せるなんて、お姫様のすることじゃないぜ」


 井桁がからかうように言った。


「朝からずっと花の世話で、座るひまもなかったのじゃ」


 緑珠姫は、答えると、しなしなと枝にまつわりついて、うたた寝をし始めた。


「おい、そんなとこで寝るなよ、落ちるだろ」


 井桁が大声を出すと、緑珠姫は、枝にからだを預けたまま、答えを投げた。


「すずろはおらぬのじゃろ。つまらぬ。花の世話も今朝の分は済んだのじゃから、わらわは休むのじゃ」


「すずろは忙しいんだよ。それより、呉剛から月のお菓子をもらってないか。こう、ちょっと特別な桂花糖」


「 桂花糖なぞ、つくればよかろう。先に花をまいてやったであろうが」


「まあ、そうなんだけどね」


 井桁はキれないように、こぶしを握り締めて、ゆっくりしゃべっている。


「なんとまあ、情けないこと。井桁、そなたがついていながら、何も進んでおらぬのじゃな。ならば、すずろはいらぬじゃろ。すぐに寄こすがよいぞ。わらわは、すずろに、かわいがられたいのじゃ」


「おまえにかわいげがあったら、少しの時間でも人形ひとがた化できた時点で、すずろは来てるだろうよ」


「なにを申すか、し、失礼な」


「井桁、抑えて」


 美美が慌てて井桁の両肩をつかんで、なだめた。


「もう知らぬわ。勝手にするがよい」


 緑珠姫は、前回のように癇癪かんしゃくをおこすでなく、ふい、と横を向くと、枝でまだ固く身を縮めている花のつぼみに手をかざして、なにやらささやきかけた。

 と、枝に居並ぶ金木犀のつぼみたちが、いっせいにうなづくように揺れて花開き、黄金色の香りを辺りにふりまいた。


 美美は、緑珠姫の力を目の当たりにして、その威力に目をみはるとともに、新鮮な花の香りを深く吸い込むと、しばしその香の甘さに浸った。


「わらわは待つのは嫌いじゃ」


 緑珠姫はそう言うと、着物の袂から華奢な玻璃はり細工の小壜を取り出すと、素直に美美に手渡した。

 小壜の中には、金箔が散りばめられた桂花糖が数個入っていた。


「そなたも、すずろのことを思うのなら、もっとしゃんとするがよい」

 

 見た目とは裏腹な大人びたもの言いであった。


御下賜ごかしくださりありがとうございます」


 美美は、丁重に礼を述べて、小壜をハンカチに包んでバッグにしまった。



 緑珠姫の元を後にして、二人は本殿で明神さまにご挨拶をすると、参道をもどっていった。


「お遣いさんがいるんだったら、神饌しんせん菓子味見していこうぜ。まじない菓子の参考になるから、ぜったいに。ふだんは神々しくて、手を出せないからな」


 井桁に押し切られる形で、美美は、たたり石に寄った。


 お遣いさんは、美美が貸したレインコートとスカーフの奇妙ないでたちのまま、たたり石の上に立って四方を眺めていた。


「こんちはー。お遣いさん、ずいぶん前衛的なかっこしてるね。神主の衣装借りてこようか」


 井桁の問いかけに、お遣いさんはにこっと笑って


「お、茶坊主の井桁ではないか、久しいのう」


 と言って、ひょいっ、と身軽に石から飛び降りた。


「茶坊主じゃないよ。おれは、お茶くみだよ」


「そうじゃったな。まあ、着物は、ほれ、そこの娘御とやりとりするのに必要じゃったから、借りただけじゃから、もういらぬから、よいよい」


「そっか、じゃあ、今度入り用な時は、授与所に寄るといいよ。おれ、言っとくから」


「それは、かたじけない」


「で、さ、神饌菓子あるんだって。後学のために、味見させてほしいんだけど」


「おお、もちろんじゃ。ほれ、娘御もいっしょに」


 お遣いさんは、和紙を敷いた三宝さんぽうの上に並べられている神饌菓子を差し出した。

 

 そこには、八種の唐菓子とうがしと十四種の果餅かへいが盛られていた。


「どれでも、好きなのをとるがよい」


「じゃあ、おれはこれ」


 井桁は兜のような形をした餢飳ぶと を、美美は、法師のかぶる法冠のような形をした桂心けいしんを選んだ。


「これは、昔っから変わんないよなぁ、なつかしいっていうかさ」


 井桁は、餢飳を食べながらお遣いさんに言っている。


 美美は、ひと口かじって、あ、と声をあげた。


「ニッキの匂い」


「ふむ、それは、桂心じゃからな。シナモンが入っておるんじゃろ」


 美美は、味わいながら、俄かにすずろに会いたくなった。

 


――すずろ、回復したかな。昨日の今日じゃ、まだかな――
















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