第十一話 菓子は匂うか匂わぬか


 命じることで機嫌を直したのか、緑珠りょくじゅ姫は、鹿が散らかした菓子箱を、袖の一振りでふわふわと箱を浮かせて元にもどした。

 最も、中身が壊れていないのかは、開けてみないことにはわからないが。


「念動力?今の?あやかしは、誰でもできるの?井桁いげたも?」


 美美は、菓子箱が手も触れていないのに、動いて元の場所に収まったのを見て、驚いていた。


「誰でも、ってわけじゃないよ。まあ、あいつは、長生きだからな、あやかしか仙女かもうわかんないくらいの長い時間あの木に宿ってるんだから、暇にあかせて訓練してたのかもな」


「あやかしの力の訓練?長い時間が経つ間に、力が蓄積されて、自然と強くなるものではないの?」


「そういうのもあるけど、わかんないこと多いんだ、あやかしの力ってさ。実は、おれたちにも」


 二人のひそひそ声の会話をさえぎるように、緑珠姫が声を張り上げた。


美美みはるとやら、わらわのせつに望む菓子じゃ、心してつくるように」


 美美がどう答えてよいのか黙っていると、


 ――返事をせよ、道を“継ぐもの”よ――


 と、美美の頭に中に誰ともわからない声が響いた。

 美美はその声に操られるように、返事をしていた。


「承りました。まじない菓子、桂花白雲片けいかはくうんへん御所望菓子ごしょもうがしとして、創意工夫をらしまして、心をこめてこしらえさせていただきます」


 緑珠姫は、そうじゃ、それでいいのじゃ、とばかりにうなずくと、鹿の手綱を自在に操って、店の奥の何処かにあるあやかしの出入口から帰っていった。




「どうしよう。ご注文を承ったからには、つくらなければならないのよね」


 美美は、またもや、あやかしと約束してしまい、ため息をついた。


 井桁は、難しそうな顔をして、緑珠姫の去っていった方をにらんでいたが、辺りをちらっと見まわしてから、声を潜めて美美に耳打ちした。


「美美、気をつけろよ」


「え、何を気をつけるの」


「妙に素直なんだよな、あいつ」


 井桁は姫をあいつ呼ばわりだ。


「そう、かもしれないけど」


 美美は姫から賜った包みを見ながら


「かわいいとこあると思うけど。さっきは材料の桂花をくれたし。このお菓子も、これを基にして考えて、さらに強力にするっていう大ヒントをくれたわけだし」


 と言って、井桁に笑顔を見せた。

 井桁は不服そうにふくれている。


「わかった。ありがとう、井桁。気をつける」


 美美は、なだめるように言うと、改めて和紙に包まれたお菓子を見ることにした。


 和紙の包みを広げると、そこには、薄い煎餅状の菓子が三枚、重ねられていた。


「きれい……」


 それは、なんとも繊細でそよ風にも飛んでいってしまいそうな焼菓子だった。


 軽く立てた卵白か何かの白い泡を、薄くハート型に伸ばして焦げ目がつかないように火を通してある。


 金木犀の花が黄金色に散らされているのが、満開の花が風に舞い散る風情で、なんとも典雅てんがだった。


 顔を近付けると、ほんのりと甘い香りが……しなかった。


「においが、しない」


 美美は、もう一度、鼻を近付けてみた。

 けれど、金木犀の香りどころか、米の粉や、色はなくとも火を入れたものにある香ばしさもなかった。


「においがしない。これ、香りがない」


 美美のつぶやきに、井桁も鼻を近付けた。

 くんくんとしきりに鼻を動かしているが、どうやら、井桁もにおいがしないらしい。


「やっぱりな、変だと思ったんだよ。なにしたんだよ、この菓子に」


「このお菓子って、もともとにおいがしないものなの?」


「いや、そんなはずはない。確か、桂花白雲片は、金木犀の花の蜜漬けを使ってた。ふみさんが、明神さまから毎年特別に分けてもらって作ってたよ、蜜漬け」


「金木犀の花の蜜漬け、桂花醤けいかしょうのことね」


 美美は、菓子と名の付くものについて書かれた本を、片端から図書館で読んでいたが、明神さまの金木犀の香りがことのほか好きだったこともあり、それについては和菓子以外のものについても調べていた。

 

 桂花白雲片に、金木犀の花精を凝縮した桂花醤をたっぷり使うのなら、このお菓子は香り豊かでなければならない。


 ところが、においがない。

 存在自体からにおいが消されているのだ。

 においというのは、生命のあるものであれば、どんなもにも存在する。

 そして、その存在を特徴づける印でもある。

 それがない。

 どんなに無臭にしたところで、人の手では限界がある。

 これは、確かに、何かありそうだ。


「そうは言っても、これは、以前うちでつくったものでしょ」


「うーん、緑珠姫からのご注文は無茶振りが多いからな。もしかしたら、においのないお菓子をつくれとか言ってたかもしれない。おれも、全てを覚えてるわけじゃないし。どっかに、ふじやん書いてなかったかな」


「そっか、どこかに覚書おぼえがきみたいなのあるかもしれない」


「菓子つくりの肝心なところは、伝承者の頭の中にしか記録できないけど、注文書に覚書きはしてたような気がするんだ」


「そうなんだ。だったら、探せば出てくるわね。どこかな」


 美美は思い出そうと目を閉じたが、すぐには思い浮かばなかった。


「わたしが、もっとちゃんとしてればよかった……自分の家なのに、関わらないようにしてたから、いざという時、なんにもできない……」


「ま、そう落ちこむなって。そうだ、まずは、一服といこうぜ。美美に、まだおれのお茶いれてなかったからな。美美は、深蒸ふかむし茶だったよな」


特深蒸とくふかむしがいいな」


 美美は、井桁にリクエストした。


「了解」


 井桁は答えると店の奥へ入っていった。


「やっぱ静岡のお茶は深蒸しよね。極みまで濃くいれて、お茶請けは、そうね、お茶の味わいを優先したいから、あんこではない方がいいわね。そうそう、沼津の白いんげん豆の栗せんべいがいいな。出来立てはやわくて温かくて、時間とともにお干菓子のようなふくっとした豆の粉の味わいになって。沼津といえば、白隠はくいんさん。だから原料の豆は白隠元豆?さすがにそれは違うわね、隠元豆は隠元さんが伝えたのだから」


 そこまでつぶやいて、美美は、ふいに思い出した。


「お茶、どうしよう、飲んじゃったんだ」


 緑珠姫騒動で、うっかりしていたのだ。


 あの、自称・朧桜の君がいれたお茶を、美美は飲んでしまっていた。


 井桁との約束を違えて……




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