第十話 幼姫の御所望菓子

「まあ、よい。美美みはるといったか、そなたが、美与志のあとつぎというのなら、一つ、わらわの望む菓子を作ってみよ」


 井桁ともうひとしきりやりあった後、こちらから折れてしんぜようとばかりに急に話題を変えて、緑珠姫は、こう切り出した。


「恋愛成就祈願のまじない菓子だろ、あれは、本人の心がけがよくないと、効かないんだよ」


 井桁が茶々を入れる。


「まじない菓子ではないと言っておろうが」


「まじない菓子だろ、すずろに相手にしてもらいたんだろ。でもな、いくら冥菓道めいかどうのっとってつくっても、よこしまな思いたっぷりじゃ、効くわけないじゃん」


「相手にしてもらいたがっておるのは、すずろの方じゃ。菓子は、素直になれぬすずろへの、わらわからのはなむけじゃ」


「はなむけだと、相手は旅立っていってしまうけど」


 美美がつっこむと、緑珠姫はかっと頬を染めて、口をとがらせた。


「す、すずろが、わらわの元に旅立つのだから、よいのじゃ」


「あーあ、もうわけわかんなくなってるだろ、お姫サマ、素直になれよ」


「そなたは黙っておれ」


 緑珠姫の声の激しさに、一同しんとなった。


「わらわが、美美、そなたに望むのは、わらわにだけ許される菓子、御所望菓子ごしょもうがしじゃ」


「御所望菓子?」


 これは、また、美美のきいたことのない種類のお菓子が出てきた。

 これも冥菓道に則ってつくるものなのだろうか。


「月より大陸へ、大陸よりこの国へ、数多あまたの聖域に招かれたわらわが、きょを定めたのが、明神殿みょうじんどののお膝元じゃ。明神殿は心が広くてな、わらわの好きなようにするがよいと、それはもう心から言うてくれたのじゃ」


「あの、そのことと、御所望菓子の御関係は」


「関係あるであろうが!わらわは、月の宮人みやびとであるぞ。天香てんこうとも呼ばれる金木犀の、この国で一番力を持つ樹木の仙女であるぞ。そなたたちとは、格が違うのじゃ。ゆえに、わらわが所望する菓子は、特別なのじゃ」


「禁制品に近いものがあるのね」


 美美は、あっさりと納得した。


「ちょっと会わないうちに、お姫サマ、えらそうになったな、一段と」


「そうなの?」


「まあ、高齢だからな、おれより、本来なら敬わないとな」


「高齢?あやかしだから、見た年齢じゃないと思うけど」


「長寿だよ。人間の歳でいえば、約1200才」


「1200才!?」


「一年にちょっとしか成長しないからさ、古木に宿ってるのは」


「彼女は、あやかしとは違うの?」


「どうなのかな、お姫サマに言わせると、仙女だから格が高いってことらしいけど。あやかしのたぐいではあるだろうさ。まあ、月から来たなんてのも、呉剛が一応証人だから、それは本当みたいだけど、月の宮人って言ったって、本当のところ、宮殿にいるものだったら、身分に関係なく宮人だし、お姫さまと言ったってお姫さまにも序列はあるみたいだし」


「出自をつくり話してるってこと?」


「全部がつくり話っていうわけでもないんだろうけど、長く生きすぎて、自分でもわからなくなってるってことは、おれたちあやかしにもあることだから」


 美美は、店を継ぐことも、冥菓道を修得することも、あやかしたちと付き合うことも、何もかも、真剣に向き合ってこなかったことを、後悔していた。


 あまりにも自分は、ものを知らなさすぎる。


 たとえ気が進まなくとも、自分に誇りがあるならば、自分を育ててくれた家やあやかしたちに、敬意を払わなければならない。


 ならば、とにかく、母が退院するまでの間、店を守り、父からの手紙での依頼をきちんと片づけて、冥菓道継承の下拵したごしらえをしよう、と、心の中で美美は誓った。


「緑珠姫さま、では、御所望菓子について、少しお聞かせいただけませんでしょうか」


 緑珠姫が鹿の首から提げた大形の印籠いんろうから、和紙の包みを取り出した。


 包みを受取り開くと、そこには、わずかな風で舞ってしまいそうな、薄く軽い煎餅菓子が乗っていた。


 白地の煎餅には、乾燥させた金木犀が散らされ、可憐に踊っていた。


桂花白雲片けいかはくうんへん


 美美は、その名を口にしていた。


「知っておるではないか」


 緑珠姫は意外だといった顔で美美を見た。


「絵図を見た記憶があるだけ。作り方も材料もわからない」


 心もとなげな美美に、緑珠姫の黒目がちな大きな瞳が向けられた。


「その名が出てきたということは、少しは継ぐ気があったのであろう。ならば、これを授けようぞ」


 幼姫緑珠が振袖を振ると、パラパラと黄金色の四弁の小花が散って、辺り一面が金木犀の香りに満たされた。


 井桁が器用にざるでそれを拾い集めた。


「すずろがおらぬのならつまらぬ。わらわは帰る。次の月満る夜、届けよ」


「取りに来いよ」


「御所望菓子じゃ。わらわが所望するのであるから、そなたらが、否、すずろに持って来させるがよい。月の宮の我が香窟こうくつでもてなすと、すずろに伝えよ」


 緑珠姫は打って変わって威厳を発揮し、命令口調も板についていた。




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