第十六話 まじない菓子の勘どころ

「わかりました。私は、まだ、人形ひとがたを、長い時間自在にとっていられるほど回復していない身です。ここは、いったん引きましょう」


 あくまでも自分から身を引くという体で、自称・朧桜の君のすずろが言った。

 その声は、さきほどまでとは違って、少し沈んだ調子だった。


――回復していない……病気か怪我か、心的外傷を負っているとか?あやかしにもトラウマってあるのかな――


 美美は帰ってきてから最初に会った時のすずろの姿を思い浮かべた。

 病んでいるとか怪我をしているようには見えなかった。

 涼し気な笑顔に穏やかな物腰、大胆にして繊細な言葉の数々。

 知らずに惹き込まれていくのも嫌ではなかった。

 そんなあやかしの彼に、いったい何があったのだろうか。


「そうだ。言っとくけど、緑珠姫から依頼があったんだ。恋愛成就のまじない菓子。御所望菓子とかって言ってたけどな。すずろ、おまえに関係あるものだから、出来上がったら持ってけよな」


 それにしても、見た目は井桁の方が遥かに小さいのに、すずろに対して威張っている。すずろはそれを咎めるでもなく、穏やかに受け止めているようだ。

 二人がこの店にずっと関わっているあやかしというのはわかるが、いつ頃からいるのか、どういう関係なのかはわからない。

 井桁がお茶くみさんという役割を担っているのは、子どもの頃から知っていたが、すずろの方はどうしても思い出せないのだった。

 なつかしいニッキの匂いが幼い頃の自分のそばに在ったのだということ以外は。


「あの、すずろ、さん?」


 美美の声に、辺りの空気が、ぴんと張った。

 それから緩んで、自称・朧桜の君のすずろが答えた。


「すずろ、でけっこうですよ、美美さん」

「じゃあ、すずろ。あの、あなたの名前、すずろ、ってどんな意味があるのか、教えてもらいたいのだけれど」


 甘味とはつながらない言葉なのが、美美は気になっていた。


「すずろ……の意味ですか……それは、その言葉を口にする方の思うようにとっていただければと……」


 美美は、その答えにどう反応してよいのかわからず、言葉に詰まった。


「では、美美さん、改めて参ります」


 すずろの声と気配はそこで消えた。


 美美は、いずれ、きちんときく機会もあるだろうと、今はそのままそっとしておくことにした。


 それから、


――もしかしたら、蔵を見るなというのは、そこで療養してるからなのかな。でもそうだったら、そのことを言うようにも思うけど。昔話のように、竜とか鬼とか、人間を見るととって食うようなものになって療養してるとか?人間は滋養に富んでいるから絶好の薬膳の素だとかなんとか――


 と、ちょっとした妄想にふけっているうちに、美美は、すずろがお茶をいれて、美美がそれを飲んでしまったという話が出てこないことや、井桁がそのことを気にかけて、美美に自分のいれたお茶を3杯飲まそうとしていることの説明がされていないことが、改めて気にかかってきた。


「井桁、ききそびれてたんだけど、お茶を三杯飲むというのは、何かのおまじない?すずろのいれたお茶を飲んではいけなかったのは、なぜ?」


「ほら、あれだ。すずろは、今、あやかしとしても存在があやふやな状態なんだ。美美がもどってきたことを喜んで、そう喜んで、療養してたんだけど抜け出してきたんだ。力を取り戻してないのに、人形をとったりしてたら、いつまでたっても完全に回復しないからな」


 井桁の答えには、美美の問いへの回答は入っていなかった。


「療養してたって、病院みたいな所で?あやかし専門の?やっぱり、どこか具合がよくないの」


「そうだな。人間で言ったら、そういうことになるかな。あいつも長く生きてるから疲弊ひへいしてるんだよ」


 見かけは子どもの井桁から「疲弊」という言葉が出て、美美は改めて、井桁もそういえばずい分長く生きているのだっけ、と思った。

 最も、人間の時間の流れとあやかしの時間の流れは違うので、いちがいに一緒にはできないのだが。


「すずろは、彼は、冥菓道のあやかし側の候補だってきいたけど、人間の側は寿命があるから、限られた時間で代々の跡継ぎに継承してきたわけだけど、あやかしの側はどうなってるの」


「人間みたいに、一子相伝ってわけじゃない、もちろん。その辺は、冥菓道の修行に入ってから、追々わかってくる」


 美美の連続での問いかけに、井桁は言葉を選びながらはぐらかしている。


「今まで冥菓の君になったあやかしの系図みたいなのってないの」


「そういうのはあったかな」


 井桁が言葉を濁らせた。

 いつも端切れのよい井桁にしては、さっきからのはっきりしない受け答えは珍しいことだった。


「わたしが、本格的に修行を始めたら、奥義を会得したら、教えてもらえるのよね、きっと」


「あと一杯、お茶いれてくるから」


 井桁が、美美に追及されるのをいとうように店の奥へ去ろうとした。


「あ、ちょっと待って。その前に、これ食べてみて」


 美美は、桂花白雲片を差し出した。


「このお菓子、ただ嗅いでも匂わないけど、口に含むと匂いがするみたい」


 美美が、先ほど口にした時のことを説明すると、井桁は、うーん、とうなってからお菓子をつまんだ。


「あいつのこと思い浮かべるのは、本意ではないけどな、仕方がない」


 井桁は、美美からきいた通りに、緑珠姫の姿を思い浮かべた。

 頭の中で黙っていれば、ずいぶんと可愛らしいお姫さまだ。

 うっかりカワイイなどと思ったのがしゃくなのか、井桁は黙々と口を動かしている。


「どう?」


「美美の言った通り、金木犀が匂うな。でも、粉や砂糖の匂いはしない。緑珠姫の思いの残香だな。実際の花の香りは、まじない菓子として機能した時にとんでしまったんだろう」


「まじない菓子として機能?」


「そう。花の香りがまじない菓子の重要な要素だったんだ。たぶん、金木犀の花の香りを嗅ぐと発動するってことになってたんだろう」


「ということは、他の五感を刺激する要素になる場合もあるってこと」


「もちろん、冥菓道のまじない菓子には、五感、時には六感、すべての感覚を刺激する要素が入ってる。その中で、記憶を刺激して呼び覚ますには、人それぞれに勘どころがある。そこを探って、究めてまじない菓子に仕上げる。その過程に関わってくるのが冥菓道なんだ」


 先ほどまでとは打って変わって、井桁はすらすらと説明をしてくれた。


「そうなんだ。記憶の勘どころ、ね。なんとなくわかる気がする」


 井桁の話した通りだと、人間だけでは冥菓道を究めることは難しそうだ。

 感覚を研ぎ澄ませることはある程度はできるかもしれないが、超常能力保持者になど自分がなれるとは美美には思えなかった。

 あやかしと接することができるのは、一種のそうした能力になるのかもしれないが、それは、あやかしたちの方から人の形をとるという方法で歩み寄ってきてくれるからこそなのだ。

 それに、彼らと接することはできても、あやかしたちと対等というよりは、今現在は、一方的に翻弄されているといった体たらくである。


「じゃ、三杯目いれてくるから」


 美美は黙ったまま、井桁の後姿を見おくった。


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