第二話 幼なじみと湧水グルメ

 美美みはるの地元静岡県三島は、東海道五十三次の宿場町だった街だ。


 江戸時代は、三嶋明神みしまみょうじん門前町もんぜんまちとして、東海道と下田街道、甲州道が交差する東西南北の文化や産業の交流の場として、大いに栄えた。


 人の出入りと交流の中で、新しい文化は育つ。


 交流の中心点には、人の気が溜まって、溜まって、渦を巻いて、嵩高かさだかくなって、それから一気に噴出する。


 そんな噴出した人の気を浴びて、人の形をとるあやかしたちが、そこかしこに顔を出すようになったそうだ。


 もちろん、それ以前にもいにしえからのあやかしたちはいたのだが、数が増えたのが江戸時代とのことだった。


 当時は、あやかしたちも、文化の一端を担うものとして認められ、時にいたずらをして人を困らせ、また時に人助けをしたたりと、気ままな暮らしをしていた。

 中には徳川の隠密おんみつとしてお抱えあやかしになっていたものもいるらしい。


 歴史の表には出てこない“こと”というのは、どこの世界にもあるものだ。


 さて、「冥菓道めいかどう」も、その一つだ。


 その一つなのだけれども、人の口には戸をたてられぬが世の常で、つてを頼って、菓子司美与志には、まじない菓子を求めて訪れるものは、絶えなかった。

 そうであれば、それだけやっておればよいのではとなるが、そうもいかない事情があった。


 まじない菓子は、その効果が現れた時にだけお代をいただく。

 そのお代は全て、明神さまへの寄進にまわすことになっていた。

 土地神様に守られてこその商いということで、これは、未来永劫変わることはないとされている。

 となると、つまるところ、まじない菓子の商いでは、店には一銭も入らない。

 そこで、暮らしをたて、まじない菓子の材料諸々賄うために、地元の菓子店として地道な営業が必要なのだ。


 和菓子離れが叫ばれる昨今、美美の実家菓子司美与志の経営は、父の暴走もあって廃業をせまられるほどに経営困難に陥っていた。


 まさか冥菓道まじない菓子の菓子司が、廃業に追い込まれることはないだろうと、美美は高を括っていたが、今のまま美美が継承の意志表明を先延ばしにしていたら、冥菓道を他店に移譲しなければならない事態になるのだと、ため息まじりに母から聞かされたのはこの夏のお盆のことだった。


 それでも、まだ実感がわかず、否、わかっていても正面から向き合う気になれず、継承の件への回答を先延ばしにしていたところに、此度の父からの手紙と、母の入院の報があったのだ。


 そして、美美は、車中の人となり、故郷へと帰ってきた。


 新幹線で東京から小一時間。


 美美は、新幹線のホームに降り立つと、北の方角に富士山が見えるのを確認して、ほっと小さく息をついた。


「ただいま、今日もきれいだね」


 口に出して言ってみると、一気に地元にもどってきた感が増した。


 美美は、新幹線のホームを長いエスカレーターで降りて、乗り換え改札に出て、連絡通路を抜けて南口に向かった。


 連絡通路内の土産物屋の辺りで、メールが入った。

 母からだった。

 過労だけだから、しばらく静養していれば大丈夫だなので、病院へ来るより先に家の様子をみてきて欲しいと記されていた。

 了解と返信して、美美は自宅へと向かうことにした。

 

 三島駅南口へ出ると、新幹線の駅ができても変わらない、おっとりとした駅前広場の様子に、美美は、ふっと肩の力が抜けた。


 バス乗り場の脇を通り抜け、この町ならではのせせらぎに耳を洗われながら、美美は家へ向かって、駅前のゆるやかな坂を下っていった。


 富士山からの伏流水の豊かなこの地では、町のあちらこちらに清らかなせせらぎが見られる。


 水辺には緑が豊かで、ジオパーク的な興味を魅かれる富士山噴火時の溶岩が、オブジェのように町のところどころに突出して、ここが富士山とつき合いの長い土地なのだと示している。


 観光地伊豆箱根への玄関口でありながら、騒がしくなく穏やかに時の流れる町、それが美美の生まれ育った故郷だった。


 清流は、一時期枯れたり濁ったりしたが、町の人たちのたゆまぬ努力によって、この美しさは保たれている。


 さて、水のきれいなところには、美味しいものがある。


 この町で有名なのは、うなぎだった。


 富士山の雪解け水にうなぎを放ち、その日の朝に割いて炭火で焼く。


 炭は備長炭で、たれは各店秘伝のたれ。


 職人の見事な手わざで丹念に仕上げた、湧水グルメうなぎの蒲焼は、行列必至、リピーター多数の店も生まれていた。


 美美の同級生にも、うなぎを扱っている店が何軒かあった。


 そのうちの一軒、「和食処・うなぎ 喜代川きよかわ」は、物心ついた頃からの幼馴染、清川工きよかわたくみの家の店だった。

 

 商売の家に生まれたもの同士、あまり羽目のはずせないことから目立たぬようにするのが習い性になっていたからか、妙に馬の合う二人だった。

 最も、そう思っていたのは、美美の方だけだったのかもしれない。

 高校になってからはだんだん疎遠になり、三年で進学コースが分かれると、会うことも数えるほどになり、美美が東京に進学してからは、そういえば、面と向かって話したことはなかったかもしれない。


「思い出したら、食べたくなっちゃったな。日本酒で。今日あたりだとちょっと蒸し暑いから、冷やでいいかな。あ、でも、夕方涼しくなってから、ぬる燗でもいいかも……」



 湧水ゆうすいで締めたうなぎの白焼きに、天城まぎ生山葵なまわさびをのっけて、日本酒をきゅっと。


 乾きものは骨せんべいで。


 炭火のはぜる音に、香ばしい蒲焼のたれの匂いが店中に漂って、蒲焼の風味を粉山椒の香りが引き立てる。


 口直しに肝吸いをすすって、〆にはうな茶漬けをさらさらっと。


 女子大生らしからぬ好みではあるが、美美は、お酒もいける口だった。


 味覚に携わる家業であるから、たしなむ程度にはと、きき比べているうちに、気が付つけば辛党にもなっていたのだ。


「うーん、お客さん、いける口ですね」


 うなぎでポン酒で一杯を思い浮かべているうちに、気の重かった帰郷も、いくぶん楽しくなってきた。

 

 ひと息ついたら、久しぶりに幼馴染の店に寄ってみようと美美が思ったその時だった。

 

「おう、三好、久しぶり」


 聞き覚えのある声がした。

 

 幼馴染の清川工だった。

 前に会った時より、また背が伸びたようだった。

 さらに、骨格の成長に、筋肉のつき方が追いついてきたようで、なんだか立ち姿がかっこよかった。

 店を手伝っているからか、髪は短すぎない程度にカットされ、母親似の端正な顔立ちを引き立てている。


「おばさん、入院したんだって」


 母親同士仲が良いので、情報がつつ抜けなのは、昔と変わらなかった。


「そう、でも、大ごとではなかったみたい。先に、店の様子見てきてって頼まれたところ」


 そこで、美美のおなかが鳴った。

 そういえば、朝抜きで飛んできたのだ。

 時計を見ると、じき正午だった。


「そうだ、よかったら、食ってけよ。行列はできないけど、うちのうなぎも、まあまあのもんだよ」

「あ、でも、いきなり行くのは、その、母のとこもまだ寄ってないし」

「おばさん、大丈夫って言ってるんだろ」

「……」

「今日定休日でさ、おやじたち、慰安旅行と称して修善寺の日帰り温泉行ってていないからさ、気兼ねしなくていいよ」


 また、おなかがなった。

 今度は、かなり大きかった。


「お店、休みだったら、勝手に入るのまずいんじゃない」

「鬼のいぬまに、練習中。おやじがいると、あれこれうるさくてさ」


 昔より、接し方が軽やかになっている気がした。


 ――客商売だからなのかな――


 美美は、腹の虫に負けて、店に行くことにした。



 坂道を降りきり、明神みょうじんさまこと三嶋大社へつながる川辺の文学散歩道沿いの通りに面した一角に、和食処・うなぎ 喜代川はあった。


 引き戸をひいて、中へ入る。


「おじゃまします」


 自然に言葉がついてでた。


 こじんまりとしてはいるが清潔な店内。


「好きな席座って、ビールでいいよな」


 調理場から工が声をかけてきた。


「そんな、昼間っから」


「じゃ、日本酒?今だったら、白隠正宗はくいんまさむねと、臥龍梅がりゅうばいがあるよ」


「いや、だから」


「二十歳になったら、うなぎをあてに昼間からお酒飲んでゆっくりしたい、って言ってたじゃん」


「お、覚えてたの」


「女子中学生が、それも家が和菓子屋やってて、甘いものでなくて、そんなこと言ってたら、いやでも印象に残るって」


 美美は、なんとなく身の置きどころがなく、視線をさまよわせた。


 ふと目に入ってきたのは、店のレジ脇にかごに盛られた袋菓子だった。


「蒲焼クッキーPart2 湧水締めうなぎパウダー入り」


 父が開発した“迷菓”だった。


 希少価値のうなぎの粉だからと、一袋3,000円の値段がついている。

 これでは、レジのついでに気軽に買ってもらうわけにもいかず、さぞや持て余していることだろう。


 賞味期限は今年の12月になっていた。

 父がいなくなってからも、細々と作っていたらしい。


 それにしても、迷惑なことこの上ない。

 強引に卸したのか、頼み込んで引き取ってもらったのか。


 いずれにしても、恥ずかしさで、美美はため息をついた。


「や、やっぱり、今日のうちに片づけておかなければならないことがあるから、ごめん、また来る」


 美美は、レジから袋菓子をつかみ取ると、財布から三千円取り出してテーブルに置いた。

 入ったばかりのバイト代だった。


「え、ちょ、待って」


「ごめん。これ、いただいてくね」


 あっという間に美美はいなくなってしまった。


「仕方ないな、後で出前してやるか」


 工は、肩をすくめて、コップに注いだビールをぐいっとあおった。




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