第三十四話 艾人の嘆き


「美美さん。大丈夫ですか」


 この声は、すずろだった。

 内階段の途中に佇んでいる。

 美美はすずろの声をきいて気がゆるみ、足元が覚束おぼつかなくなってしまった。

 すずろはその様子を見て、階段の手すりをふわりと越えて歩み寄り、美美を後ろから抱きしめた。

 美美は一瞬たじろいだが、よほど気を張っていたのか、そのまますずろの腕に身を預けた。

 それでも、気丈にふるまおうと、すずろを気遣った。


「すずろ、休んでなくていいの?昨日の今日じゃ、まだそんなに回復はしてないわよね」

「だいじょうぶです。少しの間なら」


 すずろの頬に赤味が射している。

 高い熱のある子どもの頬のほてりに似ている。

 熱でより匂いたつのか、すっ、とニッキのにおいが鼻をついた。


 ――だいじょうぶですよ、美美さん――


 そのにおいは、すずろの言葉の代わりに、美美を包んだ。


「あの、あれは、あの人形ひとがたのものは、あやかし?」


 不穏な気をまとう学生服の男を指さして、美美は言った。


「あれは、艾人がいじんが変化したものです」


「艾人?艾って、よもぎのことよね。よもぎのあやかし?この蔵の蔵守のあやかし?それとも、何か別のもの?」

「艾人は、魔除けの呪符です」

「魔除けの呪符?あやかしは、呪符にも変化するの?」

「いえ、ええ、そうですね。たぶん、あれは、魔除けの呪符を依代にして変化していたあやかしでしょう。それが、何らかの理由で、自分が憑きやすい着る物を見つけて依代にして人形に変化しているのだと思います」


――それは、もしかしたら、わたしがあれを蔵守だと思って、依代がいりますか、ときいてしまったのがまずかったってことね――


 と、美美は苦い思いを抱いた。


「菓子木型の付喪神とは違うのね。呪符から人へって、物から生き物に変化したのね。よほどの理由があるのかしら」


 美美は素直に疑問を口にした。

 すずろには、思ったままを口にしても、頭ごなしに否定されたり、馬鹿にされたりはしないだろうという、温かな確信が美美にはあった。


「よもぎが魔除けの力をもっているということは、ご存知ですね」

「ええ。明神さまの草もちをはじめとした、よもぎを使ったお菓子は、よもぎの持つとされる魔除け、厄除け、疫病除け、辟邪へきじゃの効果を期待されているわ」

「そう、辟邪という言葉まで出てくるとは、美美さん、日々精進されてますね」


 ふいにほめられて、美美はどきっとした。

 こみあげてくるうれしさは、幼い頃の記憶を呼び覚ます。


――美美は、まじない菓子つくりの素質があるかもしれんな。あやかしたちも、おまえにはいたずらもせんと、見守ってくれよる――


 と、美美の頭をなでながらほめてくれた祖父と過ごした時間の記憶だ。


「では、美美さん。これはご存じでしょうか」


 すずろは、じりじりと距離を詰めてくる艾人に向かって、袂かた取り出した手製の布人形をひょいっと投げた。

 すると、艾人は、それを追って、壁際まで遠のいた。


「今、何をしたの?」

「目くらましです。今投げたのは、美美さん、前にいただいたあなたの髪で縫った人形です。髪には情が籠もりやすいので、まじない細工には欠かせません。このような時のために、いただいておいたのです」


 そういう話をきくと、やはり姿は人の形でも、あやかしなのだな、人とは違う理で生きているものなのだな、と美美は思った。


「さて、艾人ですが、もともとは中国で、端午の節供のお守り札として生まれたものなのです」

「端午の節供、五月五日の子どもの日ね。菖蒲湯につかったり、柏もちを食べたりはしたことあるけれど」

「日本では、そうですね。ただ、かつての日本では、艾人も活躍していたんですよ」

「活躍していた?」

「ええ、その魔除けの力を望まれて、敬われて、まじないの力をもつ御札として、邪なるものを内へ入れぬよう戦っていたのです」

「そっか、活躍していたというプライドがあるのね、彼らには。だから、ないがしろにされたら、怒るのは当然なんだわ」

「はい、怒りの行き場がなければ、それは怨みに変わります」

「それはわかるけれど」


 すずろは、語りきかせるように、話をつなげていく。


「艾人は、端午の節供に、艾で作られるお守り札、すなわち、魔除けなのです。『荊楚歳時記けいそさいじき』という、六朝時代の中国荊楚(現在の湖北、湖南地域)の行事、風俗の記録書には、こう記されています――艾を採りて以て人を為り、門戸の上に懸け、以て毒気をはらう――そのようなわけなので、本来であれば、人に害を成さないはずですが、少し様子がおかしいですね」


「大いにおかしいと思うけど、これは、私が人だからそう思うのであって、あやかしのすずろからすれば、少し、なのかな」


「ああ、そうですね。人からすれば、たいへんおかしな状態ですね。とくに、彼が、現店主の美美さんのお父様の衣服をまとい、共鳴しているように見えるというのは、人である美美さんには、度し難いことかもしれません」


 すずろの口調はやさしくなだめるようだった。


 と、そこまで話したところで、隅っこでしゃがんで布人形を玩んでいた艾人が、これは違うと気付いたかのように、布人形を放り投げた。


 そして、よろよろと立ち上がると、再び、こちらに向かってひたり、ひたり、と近づいてきた。


 すずろは、美美を後ろ手にかばうと、


「井桁を呼んできてください。私が彼の気を逸らせるので、いいですね」


 と、ささやいた。


「え、でも、すずろ、大丈夫なの?なにか、凶悪な気を感じるのだけれど、あの人形からは」


 干からびた艾人。


 美美のはたきに引っ掛けられて、天から地へと叩き落されてしまった魔除けの御札。

 それは、この蔵に自分を置き去りにして、放置した人間に、相当恨みを抱いているらしい。


 人の形を保つのが苦手なのか、艾人は、ぎくしゃくしながらせまってくる。

 それでも、ひと足ごとに、人間のからだに慣れるのか、ぎくしゃくが、しゃんしゃんに変わってくる。


 艾人の依代は、行李にしまってあった美美の父の高校時代の制服だった。

 第二ボタンがないのは当時つきあっていた彼女ににあげたからだと美美は聞いたことがある。


 服から残留思念を汲み取ったのか、彼の顔立ちや姿は、写真で見た父の若い頃に似ていた。

 最初に艾人を目にした時よりも、よりはっきりと父の顔になってきているようだった。


 すらりとしていて、目鼻立ちのはっきりとした、和菓子屋というよりはボウルに泡だて器が似合っていたパティスリーな父。

 少しウエーブがかった自慢の茶髪は、祖父から散々短く切れと叱られていたそうだ。


 そんな父の面影のある相手に、美美は、ひるんでしまっていた。


 すっかり形(なり)が調うと、艾人は、両手首を口に当てて、ふっと息を吹きかけた。

 すると、袖口から、目にも止まらぬ速さで何かがびゅっと飛び出した。

 目をこらすと、小さな艾人たちだった。


 孫悟空の術のようだと、子どもの頃に読み聞かせしてもらった絵本を思い浮かべて、ただただ呆気にとられている美美だった。


 ひゅんひゅんと蔵の中をいくつもの艾人が飛び回り、時折、美美の髪を巻き上げたり、頬すれすれに通り過ぎたり、「や、、やめて」と叫んで両手で顔を覆った時に、ひゅんっとかすめた艾人の鋭い刃先で、手の甲から、つーっと一筋血が流れた。


「痛っ」


 美美の声とともに、すずろの形相が変わった。


「そこまでだ」


 すずろの鋭い声に、艾人の動きが止まった。


「蔵守のプライドを傷つけられた、というのだな」

「おまえにわかるか、わかってたまるか、きれいなべべ着て、ふらふらと、いいやつぶって、人に取り入って」

「……」

「人を、人の生業を守るために、束縛されてるんだ、俺たち、魔除けの呪符はな」


 そうか。

 だから、人間から大切にされれば約束を守るし、そうでなければ仕事はしない、というわけなのか。

 

 妬み、嫉み、憧憬、全てが相手あっての焦がれんばかりの気持ちの発露。


 人のもつ感情を、あやかしも持っているのだ。


 ただ、人のようには感情の扱いに融通がきかないのかもしれない。


 人が、赤ん坊から子どもになり、少年少女になり、成人し、男性女性と成長する中で感情のコントロールの仕方を覚え、培う。


 けれども、年経ることはあっても人のような成長をしないあやかしは、そんな風にはできようもない。


 それでも、人形をとって、人の中で暮らし、人とつきあいながら過ごしていくうちに、同じ体験をした気になることもあるだろう。


 人間とは違う流れや方式で、あやかしなりに成長する。


 この言祝町では、それが道理なのかもしれない。

 

「さあ、燃やせ。いっそのこと、ひと思いに、燃やしてくれ。ただ、もぐさにするのだけはよしてくれ。もう、人のためになることなんか、したくない」


 艾人がわめきだした。

 どうやら、すずろの発する気の強さに、かなわないと観念したようだった。


 最後の方は、懇願になっていた。

 涙声のようでもあった。


 悔しいのだろう。


 魔除けの呪符として、ごく穏便にこの蔵の中で過ごしてきた。


 時に現れる侵入者には、きっちり制裁をくだして、ここを守ってきた。


 そのたびごとに、店のものは、蔵の神棚に御神酒と塩を供えて、艾人の活躍をねぎらってくれた。


 けれど、ここのところ、どうもそれが当たり前になってしまい、人もあやかしも自分のことを敬わなくなっていた。


 その揚げ句に、闖入者によって、はたき落されてしまった。


 長年の奉公もおじゃん。

 涙にくれる日々となっていたのだ。


「できないわ、艾人さん。あなたは、わたしの父の顔をしているんだもの。本人ではないとはいえ、父の記憶を制服に探してすくいとって、その姿になっているのだもの。燃やしてしまうなんでできないわ」


 美美が声をあげた。

 

「すずろ、彼は、もしかして、魔除けの御札としてだけではなくて、蔵守もしていたのではないの」


「わかりません。本人もわからないようです。きっと、遥か昔に何かあったのでしょう。確かなのは、その何かがあったのは、ここがつくられた頃であるだろうということだけ。そして、私が冥菓の君を務めていなかった時だということです。私が冥菓の君を務めるようになったのは、先々代の時が久方ぶりで、それ以外時期のことは……」


「でも、人形のあやかしが、ここのところずっと務めていたと、玉兎が言っていたわ」


「人形には、依代と相性が良くて、ある程度力を持っているあやかしであれば簡単になれますからね」


 二人が会話をしている間に、艾人は、頭を抱えてうずくまり、ぶつぶつと何か言い続けていた。


 すずろの表情が変わった。


「美美さん、やはり、彼をこのままにしておくわけにはいきません。彼を説得して、胸ポケットに入っている艾人の呪符をなんとかして預からせてもらうのです。それを、明神さまでお祓いしてもらいましょう」


「お祓い、そうね、彼の中の邪な念を祓ってしまえば、本来の魔除けの呪符としての役割を思い出すかもしれないわね。そうすれば、蔵守としての仕事も任せられる。冥菓道に必要な、あやかし絡みの案件にも絡んでもらって、心強い味方になってくれるに違いないわ」


 美美を傷つけた相手への怒りが、美美の言葉でなだめられていったのか、すずろは冷静さを取り戻し、


「わかりました。美美さんが、そうおっしゃるのなら」


 艾人を倒して、俄かに力尽きたのか、人形を保つのもやっといった具合でつらそうな元・朧桜の君こと冥菓の君候補のすずろに、美美は駆け寄り、腕をとって支えながら踏み台に座らせた。けだるそうな姿も悩まし気だ。


「まだ、本調子ではないのですが、休んでいるわけにもいかないようです、美美さん」


「そう、そうね。すずろには無理をさせてしまって申しわけないけれど、ご依頼のまじない菓子をつくりあげて、私が冥菓道を継ぐ意志があることを示さないと」


 井桁とのように軽口をたたき合うわけでもなく、工とのようにちょっとだけ意識しながらも気安くおしゃべりできるわけでもない、穏やかな物腰の郷土資料館分館館長との会話のような安心感もない。


 すずろとは、そう、最初からどきどきしっぱなしで、でも、なつかしくて、身近に感じられて。


 冥菓道のあやかし側継承者として、今まで何度か継承者になったことがあるらしいから、店とのつきあいの歴史あってのなつかしさかとも思ったが、それだけではないような気も美美にはするのだった。


 それから、人形をとっている艾人をなだめすかして、胸ポケットの魔除け呪符を手渡してもらい、美美はていねいに御礼を言った。


「艾人さん、今まで、この菓子司美与志御文庫をお守りくださって、ありがとうございました。これからも、おくらさまとして、どうぞよろしくお願いします」


 すると、艾人が、うつうつとした表情の中に、力のない笑みを浮かべた。

 それから、視線を落ち着きなくさまよわせながら、話しだした。


「俺は、艾人であって、おくらさまじゃない。おくらさまってのは、この蔵の建ってる場所に昔っからもやってるあやかしだ。そいつは、力を持ってるからな。いい時は、冥菓道に必要な器具や資料をきちんと守って保存して、必要な時に最善の状態で提供してくれる。けどな、ちょっとでもほったらかされると、もうご機嫌を損ねてしまって、持ち場放棄だ。それを、なだめすかして、持ち場にもどれと諭すのさ。まあ、お守りというわけだ。お守りはたいへんだ。たいへんだけど、あまりわかってもらえない。人でいえば、シャドーワークってやつだ。だから……」


 艾人の愚痴めいた語りは、ぶつぶつと延々と続きそうだったので、美美は、困って、すずろを見た。

 すずろは、まだ本調子でないのか、目を閉じてようよう肩で息をしている。

 ここは、自分でなんとかしなければならないのだなと美美は心を決めて、艾人に声をかけた。


「あの、艾人さん、ここではなんだから、外で、お茶でも飲みながら、お話しませんか」


 艾人は、はっとして、美美の顔をみた。

 美美は、にこっと笑いかけた。


「おくらさま、わたしが、ここをきれいにしますので、少しの間、お待ちください」


 美美はそう言うと


「では、お茶のしたくができたら、お呼びします」


 と告げて、蔵の外へ出ていった。


 すずろが片目を開けて、よろしくお願いしますね、と合図を送ったのに気づき、美美は視線で応えた。




 庭のお茶会は、和やかに進んだ。

 事情をきいた井桁は、お茶くみさんとして、最上のお点前を発揮して、お茶をふるまってくれた。


「これは、鎌倉の頃に大井川の山域にもたらされた歴史ある茶葉。家康公御用達の駿河の茶。ふむふむ、秋摘みの新芽に、初夏摘みの茶葉を熟成させてブレンドしたもの。初秋の昼下がりの空気にふさわしい、冴えた風味だ。ああ、魔除けの呪符として、蔵に積もり籠っていく邪気を、自らの身に纏い付けてきたが、全て洗われるようだ。報われる心地だ……」


 もてなしを受けて、自尊心を少し回復したのか、艾人は、これからも蔵守の魔除け呪符として仕事をすると約束してくれた。


「あの、その制服なのだけれど、それでないとあなたの依代にはならないのかな」


 高校時代の父が目の前にいるようで、美美は、なんとも居心地が悪かった。


「詰襟をきちっとすると、身が引き締まる思いがするんだ。似合わないかな、美美さん」


 艾人は、学生服姿の自分が気にいったようで、あれこれポーズをとっている。


――似合い過ぎてるから、困るのよね……って、なんでわたしが困らないとならないの!――


 美美は心の中でつぶやくと、首を横にふって


「ううん、似合ってる。とっても。今って、ブレザーの制服が多いから、詰襟ってレトロで新鮮」


「ふん。ならば問題はないではないかな」


 艾人は、弱気と見せかけて、ちょっと持ち上げられると、すぐに図に乗る性格なのようだった。


 ひたすら卑屈でいられるよりはいいが、この妙なプライドの持ち主ともつきあっていくのかと思うと先が思いやられるなと、美美は微苦笑を浮かべた。


 それでも、自分の職務には忠実らしいので、ここは、次期冥菓道継承者候補として、いろんなタイプのあやかしたちとうまくうやっていくのも重要なことなのだと、美美は、すずろと顔を見合わせて、笑ってみせた。

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