第十三話 自称・朧桜の君再び
お茶を待つ間、美美は、改めて緑珠姫から渡されたお菓子を観察してみることにした。
匂いはしないが、味はあるかもしれない。
味覚と嗅覚は密接な関係にあるので、鼻をつまむと味がよくわからなくなると言われている、もちろん全てがそうではないが、風邪をひいて鼻が詰まっている時に、味がわからなくなる経験をしたという話は耳にする。
そんなことから、においは味覚を惑わすとも言ったりするが、この渡されたお菓子については、まずは食べてみないことには先へ進めないのではないかと美美は思った。
美美は、金木犀の黄金色の四弁の花が散らされた、薄く伸ばしたハート型の焼菓子を口にした。
さくっ、ほろっ、ふわっ。
口の中でお菓子がほどけた。
匂いや味のしない分、舌触りや、歯を当てた時の音が、はっきりと感じられた。
「触覚と聴覚で味わうお菓子?そんなのってあるのかな。冥菓ならではとか?」
美美は、もうひと口かじってみた。
目を閉じて、ゆっくりと、歯を当てる。
さくさくっ、ほろほろっ、ふわふわっ
――わらわの御所望菓子じゃ。よいな。
味わううちに、緑珠姫の端切れのよい声が響き、美美の脳裏に緑珠姫の姿が現れた。
芯は強そうだが、華奢で
「え?今、匂った、口の中で」
美美はお菓子を、鼻先に近付けてみた。
匂わなかった。
「変ね。匂わない」
美美は、半分ほどかじったお菓子を置くと、金木犀の香りがする冥菓ではないお菓子について思い出そうとした。
スマホで検索すればすぐに出てきそうだったが、なぜか、この
美美も、買ってもらってすぐの頃に、一度動かなくなってしまってからは、どうしても必要な時以外は、ここでは使わないようにしていた。外部への連絡は、電話か手紙か徒歩だった。それでも、緊急連絡のことを考えて、電源だけは入れておくようにしていた。
美美は、頭の中のメモ帳を、パラパラめくっていった。
「金木犀、
美美は、緑珠姫が振りまいていったのを井桁が集めた金木犀の花びらが乗せられたざるから花びらをつまんだ。
「作り方は、そう、この小さな花のがくを取り去って、
美美はそこで言葉を切ると、小さな四弁の花を口に含んだ。
この花には香りがあった。
「同じ桂花の仲間でも、白く咲く
花自体は苦みがあるだけなのだが、香りの甘さにつられるかのように、美美は次々と小さな黄金色の花を口に放り込んでいった。
「金木犀の花の旬は、ちょうど月見の宴の頃で、その季節の恵みの花をいただく、すなわち、その季節のもつ自然の力をからだに取り入れて、無病息災を願う。そっか、これも、まじない菓子の一種と捉えることができる。冥菓でなくても、人は、暮らしの中でそうした菓子を作っていたのね」
うんうんと頷きながら、美美は、自己完結しそうになった。
お菓子にはなかった金木犀の濃い匂いは、美美を酔わせたようだった。
その時だった。
聞き覚えのある声が、美美の耳元で囁かれた。
「よくできました。でも、広寒糕 は、ご依頼のあったものとは明らかに違いますよ、美美さん」
この声。
包み込まれるようなやさしいささやき声。
そして、ニッキの匂い。
美美は、辺りを見まわした。
「え、と、朧桜の君、さん?」
美美は口にするのをためらいながらも小さくつぶやいて、彼の姿を探した。
しかし、あの涼し気にしなやかな佇まいの蜜色の髪と飴色の瞳のあやかしの青年は、見当たらなかった。
「金木犀、桂花のお菓子は、人界でもまじない菓子かと見まごうばかりのものが作られてきました。なにしろ、金木犀は、満ち欠けすることから不死と再生のシンボルとされた月に根を下ろした桂樹の仲間、不死の仙薬にも使われるというのは周知のこと。まじない菓子でなくとも、その力にあやかろうと、庭木に植えて自らの手で
「われわれ?」
美美は、そこにひっかかりを感じた。
店のことで出来る限りのことはしてみようと思ってはいるが、この自称・朧桜の君の正体が未だわからないというのに、仲間のようにふるまわれるのは納得のいかないものがあった。
しかも、今現在、彼は姿を見せず、声だけなのだ。
「井桁に、私のことをききましたか」
見透かされたような問いかけに、美美はぴくりと肩を震わせた。
「そんなこと。どうして、知ってるの?もしかして、ここにずっといたの?姿を隠して」
問い詰めるような口調の美美に、しばし沈黙が下りた。
「人界は久しぶりなので、長い時間、人の形をとっていられないのです。じき、元のようにもどりますが、それまではご無礼をお許しください」
殊勝なもの言いに、美美は、それ以上言い募ることができなかった。
「もし、どうしても私の姿を見たいとお思いでしたら、その食べかけの焼菓子を、私にいただけませんか」
「え?見えないのに、どうやって」
自称・朧桜の君のおかしな申し出に意表をつかれ、美美は、思わず聞き返してしまった。
「私の口は、今、美美さん、あなたの左耳の耳たぶのそばにあります。そこに差し出していただければ」
美美は絶句した。
――何?何を言っているの?――
なんて疲れるのだろう。
やりとりをしているだけで、消耗してしまう。
知らずに気をつかっているのだろうか。
同じあやかしでも、井桁といる時は、こんなに消耗しない。
人間でも、一緒にいて疲れる人と、そうでない人がいる。
幼馴染の工は、数少ない、疲れない男子の一人だ。
でも、疲れるのもいやではないかもしれない、と、美美は感じていた。
知らない扉を開けるのを手伝ってくれるというか、なんだろう、この感覚、感情?
美美は、憑かれたかのように、緑珠姫の食べかけの焼菓子に手を伸ばした。
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