第二十四話 玉兎と仙薬

 結局その日は、蔵の探索はやめることにして、美美は大人しく家を後にすることになった。 


 井桁が念のためにと、蔵の周りを見回ってくれている間に、美美は玉兎ぎょくとを胸に抱えて、そのふわふわの抱き心地を楽しんでいた。

 竹かごから出てきた時は、手のひらサイズだったが、今は抱っこぬいぐるみサイズになっていた。大好物のクローバーを食べてうれしさのあまり大きくなったとは本人の弁だが、実際は、大きさは自在に操れるらしい。


 月の宮のあやかしと言っても、こうして抱きかかえていると、肌さわりのいい毛並みの高級なぬいぐるみにしか思えなかった。

 ぬいぐるいみと違うのは、肌に伝わる熱と、とくとくと打ち続ける鼓動を感じられるということだった。

 白くて細くてなめらか毛で覆われた玉兎の背中に、美美は頬をつけてみた。


「うさぎって、どうしてこんなに心臓が早鐘のようなのかな。あんまり早過ぎて、心配になってくるのよね」


 美美のひとり言に、月のうさぎ玉兎は、素知らぬ風で目を閉じている。

 

「玉に兎と書いてぎょくと、って読むのね。江戸時代のお菓子の本には玉兎たまうさぎっていう求肥ぎゅうひのお菓子が載っているのよ。白玉粉を水飴で練って作るから、白くてやわらかいの。くっつかないように粉をはたくから、白粉で厚化粧した人に例えられたりもするけれど、これは、求肥からした不名誉な話よね。そうそう、和菓子の玉兎は、餡を入れて丸めた求肥を、氷砂糖を煮詰めた砂糖液に入れてまぶして乾かしたものだそうよ。きっと、砂糖液が乾くとキラキラしてかわいらしいでしょうね」


 美美は、幼子おさなごに寝物語を語るように、話している。


「そういえば、月のうさぎは、自分で搗いたおもちを食べたりするのかしら」

 

 美美がそうつぶやくと、今度は玉兎は片目を開けて、もぞもぞ動き始めた。

 そして、丸くぽっちゃりとしたしっぽを、ぐいぐいと美美の腕に押しつけてきた。


「さっきも言ったけど、ぼくたちが搗いてるのは、おもちじゃなくて、仙薬だよ」


 玉兎が口を開いた。

 美美は、やっぱりぬいぐるみじゃないわね、と、笑みを浮かべた。


「おもち、搗いてないんだ。なんだか、がっかりね。十五夜には、お月見団子をいただきながら、月を眺めて、うさぎがいないか探してたのよ。夢破れたり、って感じ」


 美美の言葉に、玉兎はむっとして、


「うっかり食べすぎて胃もたれするおもちより、仙薬の方が夢があると思うけど」


 と、反論した。

 玉兎の反論に、美美は、返答に詰まった。

 返答に詰まってから、しばし間をおいて、美美は話題を変えた。


「その仙薬だけど、惚れ薬とかもあるんじゃないの」

「それは、企業秘密ってやつだよ」

「ずいぶん現実的な話ね」

「ぼくたちも、呉剛ごごうさんのように流されてきてるから、一生懸命なのさ」

「あなたたちも天界で粗相そそうをしたの?」

「まあね、」


 玉兎は、その先は言葉を濁して、どんな粗相をしたのかは言わなかった。


「そうそう、下界のおとぎ話では、ぼくたちは、十五夜の月の時だけもち搗きをしてるってことになってるらしいけど、そんな生易しいものじゃないんだからね」

「そうなの?」

「そうさ。ぼくたちは、一年中、仙薬を搗いてなければならないのさ。休めるのは、新月の時くらいだよ」

「働きものなのね」

「働きたいわけじゃないよ、さっき言っただろ。流されものだから、仕方なく、だよ」

「お気の毒さま」

「まったくだ」


 玉兎は、鼻をひくひくさせると、美美の胸に耳をすりつけてきた。

 ところどころに少し長めの毛がつんつん出ている耳は、すりつけられるとくすぐったかった。


「人間もあったかいな。ぼくたちよりは、だいぶぬるま湯みたいだけど。ぼくたちの血は沸騰ふっとう寸前さ。でも、いいリズムを持ってる。このリズムなら、一日中だって、楽しく搗いていられる。ペッタン、ペッタン、ペッタン、」

 

 玉兎がおどけて口にする。


「リズム?」

「そう、お互いの呼吸を合せないと、もち搗きだってうまくいかないだろ」

「そうね、下手したら、大けがをするわ」

「そういうこと」

「?」

「リズムがたいせつなのさ。それは、気を合せることのたいせつさでもある」

「どこかで聞いたことがあるような……」


 美美が思い出そうとした時だった。


「冥菓道だよ、美美」


 井桁が目の前に立っていた。

 見回りが済んだのだ。


「そいつらの仲間も、昔、冥菓の君に立候補したことがあるんだ。だから知ってるんだよ、一通り。もっとも、継承者候補の冥菓の君にはなれなかったんだけどね」


 井桁が説明すると、玉兎から声があがった。


「不公平だ!ここのところずっと、人形ひとがたのあやかしが冥果の君になってるじゃないか」

「玉兎、あなたは、人形にはなれないの?」

「ぼくたちの力は大きさは変えられるけれど、形を変える方向にはうまく発揮されないんだ」

「そうなんだ。あやかしの力っていろんなタイプがあるのね。あなたには不向きだったのね、冥菓道には」

「全く、なにを今さら!ぼくたちは、毎日杵を搗いて鍛えているんだ。腕力だったら、人形のなよなよあやかしなんかに負けはしないよ」


 うさぎの餅搗きは、実は筋トレだったのかと、美美は、意外な事実に、なるほど、と手を打った。


「ぼくたちの寝床に、クローバーを敷いて欲しいな。クローバーの緑の香りがすると、ほわっと眠くなってくるんだ。枕が変わっても、クローバーさえあれば、ぼくたちは快眠できて快適暮らしなのさ」


 美美は、玉兎を井桁に返すと、クローバーの茂みに片膝をついてしゃがみ、持っていたハンカチを膝にひろげて、クローバーの根を痛めないようにしながら抜いて、ハンカチに包んだ。


「さあ、これで、よくお休みなさい」


 美美がハンカチに包んだクローバーを差し出すと、井桁が受け取って、玉兎に嗅がせた。

 玉兎はクローバーの匂いを嗅ぐと、じき、すやすやと寝息をたて始めた。

 うさぎが人のように寝息を立てるのを聞いたことがなかったので、美美は、この子はやっぱり地球上の普通のうさぎではなくて、月の宮の住人ね、と思った。


「でも、どうしてぼく“たち”だったのかしら」


 玉兎の話は月にいる仲間の月のうさぎたちのことみんなを指しているので「ぼくたち」と言っていても不思議はなかったが、最後に寝床にクローバーを敷いて欲しいと言った時に、今ここには玉兎しかいないのに「ぼくたち」と言ったのかは謎だった。

 玉兎が起きたらきいてみようと美美は思った。


 それから美美は、なんとなく今日一人でよそに泊まるのは気が進まないなと思いながらいたら、井桁の方を見た。

 すると、井桁が、御守おまもりだ、と、手縫いの匂袋を手渡してきた。


「なんか、やばそうな気配がしたら、この中に入ってる香木こうぼくいてみろよ。そうそう、寝る時は、寝間着を内側と外側を反対にして着て寝ること。え、と、あとこれ、この御札おふだを枕の下に入れておけばOK」


「この御札の絵、って、イノシシ?ブタ?イノブタ?ゾウ?」


 美美は、長い鼻を持て余し気味の奇妙な風体の動物の絵を見て言った。


「枕の下に敷く札の動物って言ったら、バクだろ、ばく。せっかく北斎ほくさいっちに描いてもらった霊験れいげんあらたかな御札なんだから、ぜーったいになくすなよ」


「北斎っちって、まさか、葛飾北斎かつしかほくさい?」


「そう。リアルで今にも出てきそうだろ。悪夢でうなされてると、お札から出てきて、寝てる人間の耳にあの長い鼻を突っ込んで、悪夢を食べるらしいぞ」


「なんだか、アリクイみたいな長い鼻よね」


 描かれた獏は、見ようによっては象にも見えなくはない。

 長い鼻で、マンモスのような長毛に覆われたがっしりとした足には、かぎ爪がしがみついていて、悪さをしそうなものを余裕で引き裂きそうだった。


 美美は、悪夢を見せるものは何人たりとも見逃さんぞとばかりのにらみつけてくる獏の似姿の描かれた御札とにらめっこしている。


「起きた時に、耳の穴がしっとりしてたら、多分、獏が、悪夢をむさぼってくれた証拠だよ。獏は食事作法にうるさいから、きれいに皿をなめるように、耳の奥から頭の中まで、こびりついた悪夢をめとってくれる。一家に一頭欲しい動物ベスト3に入るとも言われている」


 人間界では少なくともベスト3には入ってないと思うと美美はつっこみを入れた。


「と、忘れるとこだった。これ、夜食というか、明日の朝めし。おれが明日迎えに行くまで、外に出ないで待ってろよな」


 井桁はいつ拵えたのか、竹の葉で包んだおはぎが2個入っている包みを手渡した。

 

「これも、魔除けなの?」

「まあ、そういうこと。小豆あずきの赤は魔除けの赤だからな」

「なるほど、食べて魔封じね」

 

 玉兎を連れていっていいかときいたら、これは、月の宮からの預かりものだから、むやみに、下界の人間と一緒にいさせるわけにはいかないと断られてしまった。


 美美の腕の中で、玉兎は、もぞもぞむくむく動きながら、居心地のいいところを探している。


 もう一度、井桁から玉兎を抱きとって、頬ずりをしてふわふわと温もりを確認してから、井桁に留守を頼んで家を後にした。


 

 美美は、夜8時までの面会時間ぎりぎりに病院へ駆けつけて母に会った。

 少しやつれたものの過労の他はとくに問題はないとのことを確認して、美美は、その日は駅前通りのホテルに部屋をとった。

 工は美美を病院へ送り届けると美美の母に挨拶をしてから、気をきかせて待合室に退散した。

 しばらく歓談してから、美美は、待っていてくれた工に送ってもらって今宵の宿に入り、ようやくひと息ついたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る