第二十三話 月うさぎ玉兎と桂花糖

 

 今まさに落ちんとする西日を背に、その男の姿は未だ陽炎のようにゆらゆらと定まらなかった。

 姿は定まらないが、その男がかなりの偉丈夫であることは、そのゆらぐ輪郭の大きさから伺われた。


「このまま、待っていた方がいいのかな」

「すずろが頼んだんだろ。呉剛ごごうが実体化しないと、その資料とやらも、手にとって見ることはできないんだと思う」

「そうなんだ……」


 美美はため息をついた。

 高校時代までこの町にいた時は、こんなにいろいろな“もの”がいるとはまるで気付いていなかった。

 感じる気配は、美美に好意的なものばかりで、それは、店棲まいのお茶くみさんの井桁や、たぶん、井桁に言われて人に悪意を抱かないよう気をつかってくれていたあやかしをはじめとした様々な存在だったのだ。

 工も言っていたが、美美がここを出てから、何らかのバランスが崩れてしまったのかもしれない。

 そう思うと、少し胸が痛んだ。


「今、ここにわたしがいるってことは、この町のあやかしや、人ならずの存在たちにとっては、冥菓道継承者が修行にもどってきたって受け止められてるってことなのかな……」


 もちろん、店を立て直し、冥菓道を継承するのは、心に決めたことではある。しかし、こう、急に、矢継ぎ早に現実離れしたことに遭遇すると、頭では理解していも気持ちが追いついていかなかった。

 

 そうしている間に辺りは茜色に染まりきり、それから日没を合図に、薄墨うすずみを流したような宵闇がやってきた。

 ぼんやりとした大きな輪郭は、宵闇の空に静かに上ってきた青白い月の光を浴びて、ひげを蓄えた偉丈夫いじょうぶの姿になった。

 まとっている長衣は足首まであり、ゆったりと男のからだを包んでいる。

 精悍せいかんな顔つきをしながらも、物腰の優雅さには、隙はなかった。

 背に柄の長い斧を背負っている。


「姫の御所望の品、いかようになっているか、見にまいった。ついでにと、すずろ殿より申し受けてきたものがここにある」


 偉丈夫はそう言うと、見事な竹細工の鳥かごを掲げて持ち上げて見せた。


「こちらが、すずろ殿よりの、言伝ことづてのものである」


 てっきり秘伝の記された書かと思いきや、かごの中にいたのは、うさぎだった。

 手のひらに乗るくらいの小さくて可憐な、月に住むうさぎ玉兎ぎょくとがうずくまって鼻をひくひくさせていた。


「うさぎーーー!?」


 美美は、思わず叫んでしまった。

 ところが、井桁はいたって平穏に受け止めていた。


「ああ、玉兎か。なるほど、考えたな、すずろ」

「どうして驚かないのよ、お菓子作りの資料がうさぎって、それも、あんな手のひらサイズのかわいいうさぎだなんて、まさか、うさぎを材料にするんじゃ」

「しねーよ。美美、うっかりでもそんなこと言うもんじゃないよ。緑珠姫が怒り狂うぞ。あいつが本気で怒ったら、何するかわからないからな」

「また、物騒なこと言って……」


 美美は、ずっと鼻をひきつかせて、もふもふしたからだをふくらませて、こちらを威嚇いかくするように小刻みに震えている月のうさぎ玉兎を見つめた。


「月でうさぎがお餅をいているというのは、おとぎ話だとばかり思っていたわ」

「おとぎ話というか、月とうさぎの伝説って知ってるか」

「伝説?おとぎ話とは違うの?」

「実際は、月のうさぎ玉兎が搗いているのは、仙薬せんやくだ」

「仙薬?」

「そう。不老不死の仙薬」

「月で不老不死の薬をつくってるってこと?」

「そう。月ってのは、満月で満ちてから欠けていって、新月で一度姿を消して、また復活するだろ。それを、永遠と繰り返している。だから、不老不死の妙薬が生まれるのにふさわしい場所ってわけ」

「言われてみれば、理屈としては、わかるけど」


 美美は、考えこんでから、言葉を継いだ。


「でも、今回の恋のまじない菓子は、以前うちの店で拵えたものなのでしょう。月のうさぎと関係があるように思えないわ。それに、普通のうさぎに見えるんだけど。小さいだけで。普通の白うさぎ。何か力を持っているようには見えないわ」


 美美は、かごを掲げたまま微動だにしない呉剛と、かごの中のうさぎを見比べて、井桁に言った。


「それは、見かけはな。でも、見かけじゃわからないだろ。おれだって、すずろだって、知らない人が見れば普通の人間に見えるよな。でも、あやかしとしての力を持ってる。そういうことさ」

「そう、やっぱりあやかしみたいな生きものなのね。それにしても、蔵の方をどうしようかな」

「今日は、もうやめた方がいい。昼間の光がなくなると、邪心をもったあやかしどもが自制心を保てなくなる。最近、とくにひどいんだよな」

「……」

 

 工の好意が無駄になってしまうなと美美は思った。

 でも、確かに、これから何が出るかわからない蔵に入るには、光が足らなさ過ぎた。


「では、これより月の宮に向かうので、これにて失礼いたす。玉兎は、いずれまた迎えにまいる。それまで、こちらで預かっていただきたい」


 呉剛はそう言うと、かごを地面に置いた。

 それから、鳥かごのふたをおもむろにあけると、月のうさぎがぴょこんと飛び出してきた。うさぎは、庭に植わっているクローバーの茂みに鼻を突っ込むともぞもぞしていたが、やがて小さくくしゃみをすると、クローバーの茂みの中にもぐりこんでしまった。

 それを見届けると、呉剛は、かごにふたをして手に持ち、宙空に浮いて月の方角へ消えていった。


「え、と、呉剛さん、空飛べるの?あやかしじゃなくて、えっと、」

「呉剛は、元は仙人だよ、修行して仙人になったんだ。でも天界の祝宴で仙酒をこぼすという粗相をしでかして、月の宮に左遷されたんだ」


 すらすらと井桁が説明した。


「左遷?流刑みたいなものね」

「まあ、そういうこと」

「月の宮で、呉剛さんは、どんな償いをしてるの」

「木を伐ってるんだよ」

「木を伐ってる?」

「そう、桂花の巨木を伐ってるんだ」

「どれくらい伐ったら無罪放免になるの」

「一本だよ」

「一本?だったら、もう償い終わってるのではないの」

「それがさ、天界の罰は心を挫くような罰でさ、幹に斧の歯が入ってあと少しってところで、創口きずぐちがすーっとふさがってしまうんだ。永遠に伐られない桂花の木、これも月と不老不死の結びつきを示す証となってるんだよ」

「そんなことって」

「伐られないってのは、天界の仙術がかけられてるんだろうな」

「そんな試練に耐えているようには見えなかったけど、呉剛さん」


 美美は、皓皓こうこうと照り始めた月を見上げて言った。

 不老不死の仙薬をつくっている月からの使者ならば、玉兎は緑珠姫のまじない菓子に使った材料について何か知っているかもしれない、と美美は思い直した。


「あの、月のうさぎさん?玉兎さん?」 


 美美が声をかけると、クローバー畑でうずくまっているうさぎは、耳だけ動かして様子をうかがっている仕草を見せた。


「玉兎、緑珠姫は、月から何かお取り寄せしてなかったか。お菓子の材料になりそうなもの」


「ぼくが扱っているのは不老不死の薬だけだよ。でも、それは、地上に出すことはできないものだよ」


 玉兎がもそもそとしゃべった。


「うさぎが、しゃべった……」


 美美は、今さら驚くまいと思っていたが、やはり人形ひとがたをしていないものがしゃべると、驚かざるを得なかった。


「でもね、呉剛さんがあんまり気の毒だったから、疲れがとれるよって、差し入れで仙薬を少し混ぜた桂花糖けいかとうをあげたことはあった。全部食べないで、持ち帰って姫に差し上げたかもしれない」

「桂花糖か」

「ドライフラワーにした金木犀の花と、同量の砂糖を混ぜ合わせたものね。砂糖衣をまとった黄金色の花の精のようなかわいらしさがあるわ」

「そう、それ。溶かして蜜と合わせて桂花飴にしたり、煮詰めて桂花醤けいかしょうにしたり、くだいてそのまま入れたり、うん、十分材料として有用だ」


 井桁は手を叩くと、美美の方を向いた。


「明日、明神さまに行って、緑珠姫にきこう。月の宮の桂花糖が残っていないか」

「それはいいけど、不老不死と恋愛成就は、関係ないように思うけれど」

「……」

  

 今度は、井桁が絶句してしまった。


「永遠にお互いを思い合うといった願掛けにだったら効果あるかもしれないけれど」

「そう、そうだよ、きっと」

「そうだといいけれど」


 なかなか思うように進まない現状に、美美は考えこんでしまった。


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