第二十九話 郷土資料館分館館長と神饌菓子

 たたり石のそばには、仲睦まじい連理れんり相生松あいおいまつが佇んでいる。

 ここには夫婦の木霊が宿っているらしいが、今日は留守のようで、さきほどのたたり石のような靄は見えなかった。


 美美は、両側に神池かみいけの広がる参道を抜けて、総門の前に立った。


 途中、神池の左側には、北條政子が勧請かんじょうしたという厳島いつくしま神社があり、そこから池を隔てた背後には巨木の楠が茂っているのが見えた。

 この楠は三島の名所旧跡にある三島七木ななぼくで唯一残っている古木で、パワースポットとして評判を呼んでいるらしい。


 右側には、明神さまの草もちの本家本元の茶屋が店を構え、そこには、お参り帰りの人々が、三々五々、立ち寄っているようだった。その裏手が駐車場になっている。


 美美は、総門をくぐると、参道を進んでいった。


 左手に社務所があり、それを見て、高校時代に同級生と一緒に正月の初詣の助勤をしたのを思い出した。


 初詣客の熱気と裏腹に、御札などの授与所は隙間風大通しでひたすらに寒く、社務所での仮眠はからだが痛くなり、それでも、いつもは見られない境内の賑わいに、心が浮き立った。

 あやかしたちもここぞとばかりに人混みに紛れて、意中の人間に粉をかけたりと、見える人の美美には、とても刺激的で楽しい思い出だった。


 そういえば、事前講習会でお供え物の歴史を習った時に、先ほどお遣いさんに勧められた神饌しんせん菓子が、教材の冊子に載っていたのを美美は思い出した。


 パンフレットに載っていた、お供えする時のままに盛り付けられた神饌の写真には、詳しく解説が載っていた。


「神饌というのは、祀る神へお供えするの食事のことです。

 神饌を献供するということは、新しい年の初めの早春の予祝よしゅくの儀礼、春の豊作の祈願、夏の除疫の祭礼、秋の収穫の感謝の儀礼など、めぐる四季の中で、人々が神を敬い、その恩恵を願い、祀るといった神事における、重要な要素です。

 神饌の内容は、稲作で収穫された米で作られた餅や団子、酒類をはじめ、鮑、烏賊、鮭、海松みるなどの魚介類や海藻類、、木の実などの採集物、里芋や豆類など畑作のものなど、多岐にわたります。

 神饌菓子というのは、菓子と呼ばれますが、一般的な和菓子とはその様相は違っています。

 通常、神饌菓子は、遣唐使船によって伝来したとされる唐菓子とうがしのことを指します。「からくだもの」とも言います。

 神饌菓子としての唐菓子でよく知られているのが「餢飳ぶと」です。

 小麦の粉七、米の粉三の割合で水で練ったもので皮をつくり、中に大豆の粉を練ったものを入れてはさんで兜の形にして胡麻油で揚げたものです。これは、伏した兎のような形にも作られます。

 「餢飳」は、奈良の春日大社の各祭や、京都の賀茂祭などの神饌に調製されます……云々……」


 講習会では、若い神主が教材をほぼ棒読みしていくだけだったが、美美は珍しいお菓子の解説を聞くのを楽しんだ。

 大部分の助勤、すなわちバイトの女子高生たちは、「餢飳」の形が兜というよりは餃子に似てますねという神主の説明に一瞬笑っただけで、後は、「地味ー」「美味しくなさそー」「炭水化物の塊、カロリーだけ高そー」などと好き勝手に言い合っていたが、美美は、そうしたさんざめきをBGMに、長テーブルに資料として展示されたショーウィンドウの食品サンプルのように固くて、とても噛めそうにないが、香ばしい胡麻油の匂いのする神饌菓子の実物に、目を輝かせていた。


 美美は、今でも、名称をそらで言えた。


「八種の唐菓子、十四種の果餅、いずれお餅かお団子か。揚げてしまえば皆同じ」


 美美は調子をつけて口ずさみながら歩きだしてすぐに、右手の宝物館に目をとられた。


 宝物館には、源頼朝、北条政子ゆかりの宝物が展示されている。

 常設展のコーナーには、三嶋大社の歴史や資料がわかりやすく展示されている。

 北條政子が奉納したと伝わる国宝の化粧道具一式が収められた「梅蒔絵手箱うめまきえてばこ」は、完全なレプリカが作られ、それが展示されている。また、源頼家みなもとのよりいえが奉納した現存する唯一の自筆書の「般若心経」は重要文化財として保管されている。

 一階の一部はギャラリーとしても貸し出されていて、市民が使えるようになっている。


 と、宝物殿の前で、誰かと話している井桁の姿が目に入った。

 相手は、背広を着た三十代後半であろうか。年の頃にしては大人の男の渋さのないつるんとした顔立ちで、黒ぶち眼鏡がよく似合っていた。無造作に撫でつけただけの黒髪が、変に髪型をいじってない分いっそう学生っぽく見せている。見るからに人畜無害風な男性だった。


 先に気付いたのは、井桁の方だった。


「美美、こっちこっち、ちょっと来て。紹介したいから」


――待ち合わせって、あの人?人間だったのかな?――


 美美は小走りに二人の方に近寄ると、男性に向かってまず挨拶をした。


「はじめまして。言祝ことほぎ町の菓子司美与志の三好美美と申します。こちらの井桁は、当方の店憑きのあやかしで、お茶くみさんです。井桁がお世話になっているようで、ありがとうございます」


 丁重に、失礼にならないように、言葉を選んで美美は言った。

 

 男性は、眼鏡のテンプル部分を指で押し上げて整えると、背筋の伸びた姿勢を保ったまま美美と向き合って、


「ご挨拶ありがとうございます。私は、郷土資料館分館の館長の楠木森くすのきしげると申します」


 と言った。


「あれ、旦那って、本館の館長じゃなかったのか」

「分館の新館長ですよ。現在、オープン準備中です」

「ややこしいんだな」

「慣例というものがありまして、まあ、それはさておき」


 分館館長の楠木は、自己紹介を続ける。


「私は、大学で学芸員の資格をとりました。公立の施設で資格を活かした職につきたいと思い、市役所に入りました。ただ、当時は学芸員の募集がなかったため、いくつかの部署を転々としました。その後、文化財関連の部署につくことができまして、現在に至っています」


 資格と専門スキルを必要とする職種にも拘わらず、学芸員や司書などは、常勤での採用が減り続けているというは残念なことだと、大学の担当教授が言っていたのを美美は思い浮かべた。


「本日は、こちらの宝物館に、企画展のことで打ち合わせがありまして、訪れた次第です。井桁くんとばったり会ったところ、冥菓道の継承者候補がいらっしゃるとのことで、ご挨拶をと思い、井桁くんを引き留めてしまった次第です。これからお待ち合わせとのこと、いずれ、改めてご挨拶にうかがわせていただきます」


「こ、こちらこそ、今度、うかがいます。大学で学芸員の資格をとることになってまして、実習のお願いにあがろうと思ってました」


「ああ、実習ね、なるべく早めに申し込んでおいた方がいいですよ。この辺では、実習できる施設が限られているのでね。うちも、地元の大学生優先だったりするし」


「は、はい。よろしくお願いします」


「いや、私の采配でどうこうできるものでもないので、よろしくはできないけど」


 と、彼が苦笑いをする。

 美美も、公共の施設だから、そういうところも公正なのだと思った。

 それから、思い出して、声を出した。


「あ、お、お茶!」

「お茶?」

「井桁が、お茶とお菓子をいただいてきて、あ、あの、ありがとうございました」

「ああ、いつも、美味しいお菓子をご賞味させていただいてるので、気持ちばかりです。井桁くんにも、掃除など手伝ってもらってますしね。そうそう、もちろん、御土産も、味見も、自腹でしていますのでご心配なく」


 公務員ならではの気遣いを見せつつ、館の旦那こと、郷土資料館分館館長の楠木森はにこやかに言った。

 物腰のやわらかさに、公務員ならではの穏やかさがあった。


「美美、ここってさ、ギャラリーのレンタルもしてるんだぜ」


 井桁が言った。


「そうなんだ。個人でも借りられるのかな」

「そうですね。宝物館とは別口で、市民に広くご利用いただけるような仕様になっていますよ」


 美美は、そうなんだ、とうなづきながら、


「まじない菓子の歴史展とか、やってみたいな」

「いいな、それ。郷土資料館とのコラボもいいじゃん、な、旦那」

「旦那は失礼よ。館長ってお呼びしなさい」

 美美が注意すると、井桁は、不服そうにしながらも大人しく言うことをきいた。

「了解。じゃ、館長、コラボ企画どうよ」

「コラボ、いいですね。市立図書館にも、イベント好きの方がいらっしゃるので、ぜひ巻き込みましょう。あやかしさんたちにも参加してもらいますかね、井桁くん」

「言祝町と市街地とのコラボ、街中ギャラリーみたいなのも楽しいかも」

「おもしろそうだな」

「企画展コラボ和菓子もつくってみたいな」


 美美の発案に、井桁も、館長も、賛成してくれた。


「市が主催となりますと、数年先になってしまいますが、個人が主体でこちらのギャラリーをメイン会場にして、他の施設は、スタンプラリーで協力、粗品進呈といったことでしたら、来年開催も可能だと思います」

「そうですか」


 美美は楽しくなってきた。


「まずは、企画書を作成していただいて、おっと、その前にギャラリーを予約してしまうのが先ですかね」


 館長も乗り気なのが心強かった。


「では、また改めて。本日は失礼します。ではね、井桁くん」

「お忙しいところ、お引止めしてしまい申しわけございませんでした。よろしくお願いします」


 美美は深々とお辞儀をし、楠木館長は、じゃ、と軽く手をあげて宝物館の中へ入っていった。

 井桁は、ふーっと息をつくと、


「じゃ、行こっか。ジャストタイムくらいだ」

「今の館長と会うのが目的じゃなかったの」

「館長と会ったのは、ほんの偶然。本命はこれから」

「本命って、いったい誰なの」

「来ればわかるって、さ、神馬舎はすぐそこだ、行こう」


 井桁に手をひかれて、美美はつんのめりそうになりながら、その場を離れた。


 宝物館の奥は神鹿園しんろくえんになっていて、大正時代に奈良の春日大社から譲り受けた鹿たちが、のんびりと過ごしている。

 緑珠姫は、この中からとくに神鹿として力を持ってそうな鹿を選んで、自分の乗り物にしているのだと、井桁が説明してくれた。


美美が 腕時計を見ると、ちょうど10時になろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る