第二十一話 祝い菓子で宇宙創作 日月山海里


「おい、まだ食べかけだろ、ちゃんと食っとかないと動けないぞ」


 立ち上がって奥の間を出ようとした美美を工が引き留めた。


「気になることがあると、食べられなくなるの」


 美美は一刻も早く父の手紙に書いてあったことをしてしまいたかった。


「それは、だめだ。仮にも口に入れるものを扱う店の者なんだから、食べるものを残したり粗末にしちゃいけない」

「それは、わかってるけど」


 美美は座布団の敷いてある自分の席に座り直した。


「って、おやじから散々言われたんだ」

「え……」

「まあ、そうは言っても、客商売じゃお客さんの出足しだいで、どうしたって食材が無駄になることはあるんだけどな」

「そう、だね」


 美美は祖父がよく言っていたことを思い出した。





「美美、いいか、本来なら、お客さんから注文を受けて、材料を揃えて、丁寧にこしらえて、注文を受けた分だけのものをきょうするのが、“食”という生きてるものを扱うもんの筋だ。だがな、筋だけで、商いが成り立つわけじゃあない。筋を通して、そして、自分たちの暮らしも成り立つように、商いにも目配りをする。そこんところは、よおくきもに命じておかなけりゃならん」


「すじ?」

「道理を通すってことだ。おまえには、まだ難しいかもしれないな」

「通すんだったら、まっすぐに、ってこと?」

「ほう、わかっとるか。あいつより、よっぽど、美美、おまえの方が見込みがあるな」


 められているのがわかって、美美はうれしかった。

 けれど、祖父の笑顔は、どこか寂し気だった。


「余計なもん入れないで、美味しく召しあがっていただく。それには、お客さんと向き合って、ふだんから、ちょっと立ち寄った人にでも話かけたり、常連さんならどの季節にどんなものがご入用か、頭に刻んでおくんだよ。手帳に書いておいてもいい。ただ、頭の中のもんを書いて現実世界のものになったら、それはお客さんの大事な情報が形になったということだ。だからな、絶対によそには漏れないようにしなければならない」

「ないしょ、なの」

「ああ、内緒だ」


 声を潜めて祖父は言うと、手品の仕草でカラフルな有平糖あるへいとうをどこからか取り出して、美美の手のひらにのせた。

 美美の手のひらで、リボンのような千代結びや、貝殻、小花いった形の有平糖は宝石のようにキラキラして見えた。


「内緒のご褒美だ」

「ごほうび!」


 美美はなんの屈託くったくもなくうれしそうに受け取ると、スカートのポケットに有平糖をしまった。

 滅多に口にしたことのないこのお菓子の意味を、子ども心にこれも内緒なんだろうと思って隠したのだ。


「いいかい、美美。店をやっていくというのは、ただ、ものを作って差し出すだけではだめなんだ。あいつも、もうちっとそこのところ、仕込んでおけばよかったんだがな。わしの不徳の致すところだった……」


 祖父の話は、最後には必ず父への繰り言になっていった。

 子どもの頃は、うっとうしく感じたが、今となっては、祖父なりの父への愛情だったのだろう。

 父は、それすらも、疎ましく思っていたのかもしれないが。





 美美は、思い出したその話をかいつまんで工に話した。

 工は熱心に耳を傾けていた。


「店をやってくには、やっぱコミュニケーション能力が必要ってことか。そうなんだよな。俺も、昔から知ってる美美とか、趣味の仲間とだったら、わりと普通に話せるんだけどな、見ず知らずの人や、初めてのお客さんだと、めっさ緊張するよ」

「世間話って、けっこう難しいと思う……」

「世間ってのが、だいたい難しいもんだしな」

「そうだね……」


 工と会話しながら、美美は、井桁のことが気になり続けていた。

 自称・朧桜の君ことすずろは、どうやら蔵で休んでいるらしいが、井桁はお茶を出すタイミングを逃してうずうずしているのではないだろうか。

 気にはなっているものの、今ここで、呼んだり、探したりするわけにもいかない。

 本人が出てくるまで、待つしかなかった。


「ところで、さっきの話、面白かったから、もう少し聞かせてくれないか」

「さっきの話?」

「和菓子と数字」

「ああ、えっと、そうね。そっか、そうだよね、ふだん、あんまり気にしないものね、和菓子の数なんで」

「そうだよ。せいぜい、四と九はやめとくかってくらいだよな。奇数で揃えられてる祝い菓子とか縁起菓子って、他にどんなのがある?」


 美美は、和菓子、数字、縁起物、祝事、冠婚葬祭などといった言葉をキーワードに、自分の記憶を検索していく。

 以前は一つの言葉から記憶を辿っていったが、関連ワードをいくつかあげていった方が、知りたいことに辿りつくのが速いと気付いてからは、専らそうしている。和菓子に関する検索ワードの表も、大学で司書過程を取ろうと決めて勉強を始めてから、趣味で自作していた。まだ未完成だが、いずれ何らかの形にしたいと考えている。

 実際に和菓子検索ワード表をつくり始めてから、和菓子の奥深さに美美は目を見張らされていた。表だって関わろうとはしていなかったが、実は好きだった和菓子の世界について、再認識したのだった。

 店棲みのあやかしたちが、自分たちの仕事とばかりに、美美が店と距離を置いていた頃に、あれこれいてこなかったのもよかったのかもしれない。


――和菓子、嫌いにならなくてよかった――


 そう心の中でつぶやくと、美美は、残していた蒲焼とたれのしみたご飯を一緒に口にいれて、味わいながら食べた。

 すっかりのみこんでから、肝吸いをひと口。

 染み渡る。

 そして、美美は、口を開いた。


「お祝い事は、奇数、って言ったよね」

「言った」

「実は、とむらい事も奇数にするの」

「え、それは、気付かなかったな」


「冠婚葬祭、これらは全て“晴れの日”と考えられていて、その人生の節目を共に祝ったり、故人を偲んだり、弔ったり、お祭りや年中行事で地元の神社やお寺なんかで人々が集う時に、一緒にいただいたり、お供えしたり、引出物にしたり……実際、奇数で揃える和菓子の出番は多いの。今は日持ちするクッキーなんかにすることもあって、和菓子だけではないけれど」

「“晴れの日”って、なんかきいたことあるな。何で習ったんだっけ」

「高校の時の国語の教科書じゃないかな。柳田國男やなぎだくにおの文章が載ってて。著者の説明のところで、民俗学の話が出て、身近でわかりやすいものとして、“ハレ”と“ケ”の話をしてくれたのよ、国語の藤根先生が」

「国語の秀じーが、そんなこと言ってたんだ。俺、寝てたのかな、部活きつくてさ」

「じーはひどいな、新卒だったじゃない、藤根先生」

「若いのにしゃべり方とか説教くさくてそう呼んでたんだけど、親しみを込めてたんだよ。三好は、そういえば、言ってなかったな。いつも藤根先生って言ってたっけ。思い出した。よく教科書持って準備室に通ってたよな」

「質問すると、解答だけじゃなくて、そこから広げていろんな話をしてくれて、面白かった」

「柳田國男か、確か、代表作は『遠野物語とおのものがたり』、だよな」

「覚えてるじゃない。寝てたとか言って」

「期末試験に出たんだよ。うたた寝してたら、なんか遠くから、これは覚えておけ、って聞こえてきて。秀じーが試験範囲で言ったんだと思うけど」

「読んだ?『遠野物語』」

「秀じーがプリントして配ったのだけ、読んだ。ザシキワラシだったかな。有名だよな、子どもの姿の妖怪。ここんちもいるんじゃなかったっけ」

「うちというか、店にね。ほら、言祝町は、そういう場所だから。いるのが普通なの。見ることは、できたりできなかったりだけど」


 ごく自然に工があやかしについて口にしたので、美美も普通に受け答えをした。

 ところが、自然に受け流せないものもいたようだ。

 工の後ろの方の壁に貼ってある、こちらは和菓子カレンダーが、風もないのにかさこそを揺れている。


――井桁、そこにいたんだ――


 どうやらカレンダーと壁の隙間に、井桁が潜んでいるようだった。

 言祝町のあやかしは、人間の着物をまとっていなければ、見えなくなるし、形も自在に変えられる。紙のように薄くなったり、扱える力の大きなものであれば、天を突くような丈の長い、高いものに変化することもできる。最も、そんなことができるあやかしは、神代かみよの時代にいたかもしれないという伝説が残るくらいで、千年やそこら生きてるくらいのあやかしにはいないという話だった。


 和菓子カレンダーは、各月や季節にちなんだ和菓子の写真が載っている。

 九月は、今年は紅白二色一組のうさぎの薯蕷饅頭じょうよまんじゅうだった。

 すりおろしてねばりけのあるつくね芋に米粉を混ぜた生地は、しっとりねっとりと肌に吸い付くような質感の皮で、きめ細かい上質な貴人の肌のようなことから、上等なものという意味を込めて上用饅頭じょうようまんじゅうともいわれる。


―――隠れてなくてもいいのに。お茶、清川くんにもサービスしてくれてもいいのよ。あ、でも、三杯目のお茶は特殊なのかな――


 美美は、小さくため息をつくと、片目を閉じて、もうちょっと待っててと合図をおくった。

 和菓子カレンダーは、不本意だが仕方がない、といった風に、はたり、と揺れた。


「話、ずれちゃったけど、祝い菓子や縁起担えんぎかつぎのお菓子の数字について、ね。まずは、金沢の五色生菓子“日月山海里おひやんまい”」

「おひやんまい?ひょうきんな名前だな」

「おひやんまいっていうのは、お部屋見舞いという意味があるの」

「お部屋見舞いって、お見舞いなら病気見舞いでお祝いごとじゃないな」

 工の突っ込みに美美は首を横に振る。

日月山海里おひやんまいは、結婚式の時の御祝儀のお菓子。祝い菓子ね。お嫁さんの実家から、嫁ぎ先に贈るお菓子。え、と、こういう時は、まあ、スマホで画像検索するといいかな、ちょっと待ってて」


 美美は検索ワードを打ち込むと、日月山海里の画像がいくつも出てきた。


「ずいぶん、派手な色してるんだな」


 画像を工に見せながら美美は話を継いでいく。

 

「五、という数字には、五穀豊穣ごこくほうじょうというお目出たい意味があって、日月山海里は天地万物てんちばんぶつを象徴してるの。江戸時代、慶長けいちょう六年に徳川二代将軍秀忠公のお姫様が前田家にお輿入れした時の祝い菓子としてつくられたのが始まり。加賀藩の二代藩主利長公の時に、藩の御用菓子司がつくったそうよ」

「お姫様のための特注菓子か。それは、贅沢そうだな」


 「お姫様」「特注菓子」という言葉に、カレンダーの後ろに隠れているらしき井桁が反応して、また小刻みにカレンダーを揺らしている。


――わかってる。緑珠姫のまじない菓子のこと、忘れてないから――


 美美はカレンダーに一瞥をおくると、日月山海里の説明にもどった。


「そうね。贅沢というよりも、凝ってるといった方がふさわしいかも」

「凝ってるか、そうだな、みんな丸っこいけど、微妙に違ってる。それぞれ意味があるんだろな」


 工は画像を大きくして、1種類ずつ眺めている。


「日は太陽だから、紅く染めてるのか、で、月は白、太陽と対比してるのかな」

「月が皓皓こうこうと照り光るってきいたことあるでしょ」

「ああ、そう言うな。太陽は燦燦さんさんで、月は皓皓と、だな」

「皓皓っていうのは、白くて清らかに光り輝くことなの。だから月のイメージは白ってことになるのかな」

「山のは黄色なんだな。これは何を表わしてるんだろう」

「山で採れるいがに包まれた栗を表わしてるんですって」

「海は、菱形にして波が重なっている様を表わしてる、里が黒いのは田んぼを表わしてるそうなの。諸説あるけれど、天地万物を表わしていることは同じ」


 工は腕を組んで、こちらを見た。


「壮大だな」

「そうね。たかがお菓子なんだけど、和菓子に、宇宙とか哲学とか持たせようとするのって面白いよね」

「うん、面白い。三好の話も面白かった。続きは、また今度聞かせてくれよな」


 そう言うと、工は、大きく背伸びをした。

 

「食べてすぐ寝るのはよくないけど、今日はおくってかなきゃならないからな。とりあえず、ここで番してるから、三好は、用事済ませてきなよ」

「ありがとう」


 美美は立ち上がると、奥の間を出ていった。



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