番外編 雛まつり姫まつり 八

 

「あぶないではないか、わらわを殺める気か、小娘!」


 緑珠姫りょくじゅひめの怒りの声が降ってきた。

 自分より明かに見た目年上の少女に向かって小娘とは、と、井桁いげたは吹き出しそうになった。


「恋文は花の折り枝に添えてというのが、こちらのお国のならわしだとうかがいました、すずろさまから。さあ、早くご覧になって、すずろさまへのお返事をしたためてくださいな。すぐにお届けします」


 碧桃花へきとうかは、涼しい顔でそう述べると、ひやひやして見守っていた井桁に片目をつぶってみせた。

 井桁は、碧桃花がケープコートを着ていないのが気になって声をかけた。


「はおってたのどうしたんだよ。なくしたら美美みはるが泣くぞ、気に入ってたみたいだから」

「はおりものは、え、と、ケープコートでしたっけ、先ほど待っていた場所にきちんとたたんで置きました」

「置いてあるって、忘れものと思われて持ってかれるぞ」

「そばに落ちていた石を置いておきました。髪の毛を結んで。だから、持ち主がいるとわかるでしょう」

「いや、そういうことじゃなくて、っていうか、そういうのは普通の人間には通じないから」

「ここは、明神みょうじんさまの御神域なのでしょう。でしたら、こちらにご奉仕されてるみなさんは、そうした印のことなど、おわかりになるのではないかしら」

「みんながみんな、本職じゃないんだ。大部分が、助勤じょきんなんだよ」

「助勤?」

「つまり、アルバイト」

「アルバイト?」

「え、と、見習い、とも違うな、とにかく、初心者、入門編、みたいな人たち。だから、髪の毛が結んである石が置いてある洋服を見たら、いたずらだと思われて、そのまま拾得物預所に直行で、引き取るのが面倒なことになるってこと」

「うーん、わかったような、わからないような……」

「とりあえず、用件をとっとと済ませようぜ」


 二人のやりとりを不思議そうに見ていた緑珠姫は、居住まいを正して二人に告げた。


「何をこそこそ話しておる。返し文はそなたらになど頼めるものか。わらわが、じきじきに、すずろに渡すのじゃ。井桁、神鹿苑しんろくえんからわらわの乗騎じょうきを連れてまいれ」

「乗騎?牡鹿のことだよな。でも、おれ、おまえの乗騎わかんないよ、同じ顔に見えるんだけど、みんな」

「つ、角が、一番立派なのが、わらわの乗騎じゃ」

「仕方ないな、見てくるけどさ、おとなしくおれの言うこときいてくれるかな、そいつ」

「これを差し出すのじゃ。これには、わらわのにおいがついておる。これに寄ってくるのがそうじゃ」


 緑珠姫は近くの枝にとまっていた小鳥に何かくわえさせて枝の上から放った。 

 小鳥はすっと井桁のところへ飛んできた。

 くちばしに、小さな巾着袋を提げている。

 井桁はそれを受け取ると、巾着袋の中からお菓子を取り出した。

 薄い最中の皮のような見た目の麩焼煎餅ふやきせんべいが入っていた。

 金木犀の花の蜜がはさんである。


種煎餅たねせんべいか。糯米もちごめで焼いた種皮に梅羊羹や柚煉ゆずねり、柿餡、味噌餡なんかをはさんであるのは、けっこう銘菓でもあるけど、花の蜜のは見たことないな」

「これが、うわさの鹿せんべい?甘いにおいがするのね、美味しそう」


 碧桃花は井桁のつまんでいる麩焼煎餅を、かりっ、とひと口かじった。

 一瞬のことで、井桁が止める間もなかった。

 幸いにも、緑珠姫は、こちらを見ていなかった。


「金木犀の蜜はとても上等なお味。おせんべいは軽やかで、湿気も含んでいなくて、蜜がしっとりと二枚をつないでいる。でも、おせんべい自体は、味がしないのね」

「鹿せんべいはそういうものさ。花の蜜は普通ははさんでないけどな」


 井桁がそう答えている時に、かわいい声が降ってきた。


「そなたが、乗騎を連れてくる間に、文の返事をしたためておく。そうであった、そこな小娘、名はなんという」

 

 すずろの文をだいじそうに丸めて懐にしまうと、緑珠姫が言った。


桃花姉妹ももばなの妹、碧桃花と申します。緑珠姫さまには、ご機嫌うるわしゅう」


 神妙そうな面持ちで、碧桃花は言って、ぴょこんとおじぎをした。

 彼女のツインシニョンも、ぴょこん、とかわいらしくおじぎした。

 緑珠姫は、目をしばたたくと、手鏡で自分の髪型と見比べた。


 井桁はそれに気付いて、これはまたひと悶着ありそうだと肩をすくめた。


 ところが、緑珠姫は素知らぬ風に、ひゅっと空気を震わせる音を出して、枝先にとまっていた小鳥たちを呼び寄せた。

 小鳥たちは、緑珠姫の口笛に合わせて、シニョンからでている髪束の先をくわえて、するするとほどき、いつものような盛り髪に結い直し始めた。

 

「そなたは、ここへ来る前に、その結い髪を美与志のものたちに見せたのであろう。真似したと思われたら心外じゃ」


 そう言うと緑珠姫は、枝と枝に器用に文机を渡し置いて、小鳥たちに髪を結わせながら、すずろへの返事を考え始めた。

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