第十四話 黄金と白と予行演習

 美美は、緑珠姫から渡された焼菓子桂花白雲片けいかはくうんへんに手を伸ばし、自分の食べかけのをつまみあげた。


「ああ、このお菓子は知っています」


 ささやき声が耳たぶに触れる。

 美美は、その声の振動でいっそう操られるように、そろそろと、つまんだ焼菓子を自分の肩近くへ運んでいった。


「桂花白雲片を知ってるの?作り方も?」


 美美の問いには答えはなかった。


「冥菓見本帖に載ってるの?」


 もう一度美美がたずねると、今度は返事があった。


「さて、どうだったでしょうか。私も、久しく見本帖は見ておりませんし、継承者でなければ、全てを見ることはできないとされていますので」


 冥菓見本帖を、美美は、普通に見せてもらっていたのを思い出した。

 ただ、どういう仕掛けなのか、冥菓見本帖には、冥菓道を極めないと見ることのできない情報が仕込まれているらしいのだ。

 それも、代が変わるごとに微妙に違っていたりするのだという。


 そう、冥菓道を究めるのではなく、極める。


 それが、普通の修行ではないことは、幼い美美にもわかった。

 すべては、正統な継承者以外に、冥菓道の奥義に触れさせないためのことなのだそうだが、なんともとてつもなく遠い世界のことのように、幼い美美には思われた。


 それにしても、肝心な時にすぐ使えないのであれば、宝の持ち腐れだと美美は肩を落とした。 


「そんな……じゃ、この匂いのするようなしないような怪しげなお菓子から推測して、試作するしかないのね」


「美美さん、この菓子の名が、二色に分かれるというのは、おわかりですか」


 彼がふいに問いかけてきた。


「二色……桂花の黄金色、白雲片の白色?」


「そうです。桂花、金木犀の黄金色は、花そのものを指します。では、白雲片は、何を表わすのでしょうか」


「この焼菓子の本体、生地の部分だわ。そう、白雲片は、お米の粉が主な材料。ライスペーパーの白からもイメージできる。甘味の砂糖も白いのを使うのね。思い出してきた。確か、上げると膨らむエビせんのように、揚げる前は薄い板状にしておく。何かで読んだ気がする。それには桂花は散らしてなかったけど、あれ、ということは、二色に分けて考えれば、それぞれは人界にあるものってこと?」


「よくできました。資料を、頼んでおきましたから、後ほど今のお考えをご確認されるとよろしいですよ」


「資料?」


「さあ、資料が届く前に、その菓子を食べさせてください」


 さっと切り替えて、彼は美美に催促した。

 しかし、気配は感じるが見えない相手にものを食べさせるというのは、なかなかに難しい。

 うっかり差し出して、指を噛まれでもしたら、たまらない。

 たまらないというのは、歯型でもついて井桁に見とがめられたら気まずいということだ。



――でも、姿が見えないということは、歯型もつかないのかな。というか、歯型がつく前提になってる。彼からは見えるんだから、うまく受け取ってもらって――



 そこまで考えて、美美は気が付いた。


「あの、直接口に入れないとだめなの?手で受け取ってもらうわけにはいかないのかな」


 最初から、そう言えばよかったのだ。

 つい、自称・朧桜の君のペースに乗せられていた。


「例えば、こういうことです」


 自称・朧桜の君が、話を始めた。


「神前の華燭かしょくの式典で、新郎と新婦は、三献さんこん――三々九度で、同じ盃で御神酒おみきを酌み交わします。教会の婚姻の式では、誓いの指輪の交換の時にお互いに相手に直接触れて指輪を交換します。教会では接吻も交わすのでしたね、そう、接吻によって交換するのは……」


「も、もういいから、わかったから、」


 美美は自分で制しながら、なんでこんなに焦っているのかわからなかった。


「おわかりいただけたのでしたら幸いです。そうです。今、美美さんに食べさせていただくということは、予行演習なのですよ」


 彼のうれしそうな囁き声が、ぐっと近くに聞こえた。

 


――距離を詰められてる……!?――



「予行演習?どうして、今、そんなことをする必要があるの」


 美美は我にかえって、手にした食べかけの焼菓子を自分の口に入れようとした。


「一人で全部食べてしまっては、からだをこわしますよ、美美さん。効力を失っているとはいえ、それはまじない菓子。ほんのひとかけでも残せば大丈夫ですが、丸ごとすべてはいけません。冥菓道の奥義を極めるまでは、なにごとも慎重に」


 自称・朧桜の君の姿が、一瞬、ふわりと浮かび上がった。


 実体化した彼は、美美の指先ごと焼菓子をくわえて、それから、すっと身をひいて、焼菓子だけを美美の手から取り去り飲み込んでしまった。


「いただきました。美美さん、本番は、今少し流麗にさせていただきます」

 

 彼は、もう見えなくなっていた。そして、


「蔵のこと、忘れないでくださいね」


 と念を押すように今一度耳元で囁くと、気配も消えてしまった。



 ほんの一瞬のことで、くわえられた指先は傷も痛みもなかったが、彼の舌なのか、指を包むように触れていった感触は、心地よく美美を縛る。



――この感じ、なんだろう、やっぱりなつかしい。なのに、思い出せない――



 母の膝枕、父の肩車、祖父との日向ぼっこ、そのいずれとも違うぬくもりの記憶を、美美は感じていた。



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